夏が始まる

 三行くらいでわかる前回の神薙

 

 君影きみかげ魎香りょうこうがおしゃべりした。

 魎香は凪を気に入っている。


 ○


 このあいだ、振り袖女に襲われた。危ないところだった。

 俺は弱い。クソ雑魚だ。

 弓男のときも、今回も……、助かったのはまぐれだ。

 また俺より強いやつに遭遇した時、果たして、無事に済むだろうか?

 だがもうすぐ夏休み。そう夏休み。

 この夏、俺は実家に帰省する。

 修行して、かつての俺の強さを取り戻す予定なのだ。

 呪術方面は、夏休みの間にきっと何とかなるだろう……。


 一方……。

 さっき貰ったばかりの、黒い紐で綴られた紙束に目を通す。

 量が多いだけで、難易度自体は低そうだ。特別課題は不勉強なやつの救済措置である。内容を理解することよりも、課題をちゃんとこなすことに意味があるのだろう。

 まあ、課題をちゃんとこなすことすらできていないから、主要五教科呼び出しを食らってしまうわけだが――


「わあ……すごい分量だね」


「ああ華凛」


「手伝おうか?」


「いや、平気だ」

 つい強がってしまった。


「分かったわ、頑張ってね。あっ、でも! 分からないところがあったら、いつでも聞いてね」


「ああ。その時は頼む」


「抱え込んじゃ……だめだよ。私、知ってるよ。凪君はやればできるってこと」


「……」


「勉強以外にも、私になにかできることがあるなら、いつでも言ってね」


「ああ」

 と言ったはいいが。

 夜中に活動していることは、華凛には深追いされたくなかった。

 華凛には今のままでいてもらいたかった。

 学校に行ったら華凛がいる。俺はそれだけで救われているのだ。

 日常と非日常がかかった天秤で、華凛は日常側に傾ける大きな重石なのだ。


 ○


 春日かすが


 電車を乗り継ぎ、最寄り(?)のバス停から、ひたすら徒歩で実家に向かっていた。

 初めて、自動車免許が欲しいと思った。

「○○市wwww田舎じゃん」「いや○○町のがwwww」とクラスの人間が、出身地田舎度バトルをやっていたが、春日はその比ではないだろう。


「あづー……、とろける……」


 ピンポンパンポーン、と。

『高温注意報が、発令されて、います――――熱中症には、十分、注意して、下さい――』


「あっついわけだよ……」

 アスファルトに落ちていた視線を上げると、もくもくと白い雲が湧き上がっているのが見えた。

 夏が始まろうとしていた。


 ○


 トンビコートという、季節をガン無視した格好をした女は、縁側に座って空を見ていた。

 俺達に気づく君影きみかげ


「遠路はるばるご苦労さん」


 最適な返答がわからなかった。軽く頭を下げる。


「ああ、部屋。好きなとこ勝手に使っていいから。掃除をしておこうとは思っていたんだが……。極度に汚れていたトコ以外、どこもほぼ手付かずだから、寝たい部屋を適当に見繕って、掃除して、布団敷いてくれ……。布団だけはちゃんと干してある」


 どうだ凄いだろ、と君影は親指をクッと立てた。


 ○


 俺は屋敷の間取りを確認しつつ、布団を敷く部屋を探すことにした。


「おー」


 その和室には、本棚があった。

 小難しそうな書物がたくさん詰まっていた。


「そこは榮一えいいちの部屋」とそよぎ


「あー……」


 ○


 別の部屋を覗く。


「お……?」


「私達の部屋」


 過去の自分を知るというのは、なんか怖いので、部屋は見ないておこう。

 スパッとふすまを閉じる。


「見なくていいの?」


「俺は過去を振り返らない男なんだぜ」


「嘘つき」


 昔の俺と向き合ってみようと思った。

 襖、オープン。

 重ったるい空気が溢れる。

 ホコリが舞わないよう、抜き足で部屋に入る。

 学習机の上にボール紙の箱が置いてあった。

 フタに”セミ”と書いてあった。この汚い字は俺の字だ。

 開けてみる。

 抜け殻コレクションだった。チャック付ポリ袋で種類ごとに分けているようだ。袋にセミの名前が書いてあったものの、いくつかの抜け殻は似ていて、今の俺は違いが分からなかった。特にアブラゼミとミンミンゼミはそっくりだった。一体どこで見分けていたのだろう。

 この部屋には、まだまだ俺の忘れものが眠っているのだろう……。


「お兄ちゃん、こんなの見つけたんだけど」


 梵は、にやにやしながら、ノートを頭の横で振った。

 表には、デカデカと『マル秘』と書かれていた。


「なんだそれ、黒歴史ノートか?」


「そうじゃない?」


「誰のだ」


「これ……お兄ちゃんの机の隙間に挟まってたよ?」


「…………なに?」


「中見ていい?」


「やめろッ!?」

 俺は梵からノートをもぎ取った。

 …………意を決して、中身を確認する。


 一ページ目。『ハリガネムシの生たい』

 二ページ目。『 〜〜(←ハリガネムシのスケッチ)』

 三ページ目。『ハリガネムシがきせいしていた生物いちらん――』


 ……は?


「何のノートだったの?」


 ――これ以上確認する必要はないだろう。

「多分、自由研究のノートだ……」

 ノートを机の引き出しにしまった。


 ○


 俺達は再び寝床探しをしていた。


「待って」


 一本の柱の前で、梵は止まった。ホコリと蜘蛛の糸が絡んだ柱を撫でる。


「――この面だっけ?」


 そこには、俺と梵の身長が刻まれていた。


「わぁ、お兄ちゃん、すっごい身長伸びてるんだ」


 ……あれ。俺の記録は八十センチくらいから始まっているが、最初に刻まれた梵の身長は、俺よりずっと高い。


「なんで、梵は途中からの記録なんだよ」


「あ、しまった……」


 梵は目を逸らして苦笑した。

「どうしようもないよね」とでもいうように。

 諦めの笑いだった。


 ○


 ノート四ページ目。


『ハリガネムシをまねた呪術に

する? 人を動かす? どうする』


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