わしわし

 前回のあらすじ


 蛇穴梵さらぎそよぎが救命措置として蛇穴凪に御霊遷しをかけた。そうしたら梵が凪から離れられなくなった。


 ○


 とりあえず、帰宅することにした。

 外付けの階段を登っていく。


「一人暮らし?」


「いや、ここはおじさん家だよ。二人暮らしなんだ」


 壁の薄さと底冷えのしやすさが自慢のアパートである。


「あー、そうなんだ」


 ○


「さて……」

 血がこびりついた服を脱ぎ捨てたい。あと黒染めをしなければ。

「えっと……。風呂入りたいんだけど……」


 〇


 そよぎは「脱衣場で待ってる」と言ったが、


「やっぱ入る」


 俺が黒染めしている間に入ってきた。

 梵は、俺に背を向けて浴槽の端でちょこんと体育座りをしていた。


「……」


 梵はブクブクと泡を吐いていた。心情はわからない。

 なんだかいたたまれない気持ちになったので、話しかけてみる。

「なぁ、なんで襲われてたんだ?」


「絡まれた」


 話が続かない。


「なぁ、俺はどんな雰囲気醸し出してる?」


「雰囲気? ……独特?」


「そうか……」


 少しして、梵がポツリと聞いた。


「私、口調変わったことあった?」


「いや、ないが」


「私、十年くらい前に御霊遷しをしてるの。成功とは言えなくて、今はたまに“出てくる”。そのうち紹介できれば。名前は白鷹しらたか――くく……、湯船は狭いわ、ドブのように淀んでおる。これを風呂と呼ぶのは笑わせてくれる」


 言ったそばから口調が変わった。

 俺は振り返る。

 銀髪の少女は三角座りをやめていた。体を伸ばし、我が物顔で風呂に浸かっていた。


「その上、くっさいくっさいオヤジ臭がする。克己かつみ、儂が喰いそこねた魂はそれ相応に成長したか」


 なんだコイツ……。

 一応断っておくが、湯は毎日取り替えているし、換気扇もちゃんと回していr。白鷹とやらは人一倍敏感なのだろう。


「おじさんのこと、知ってるのか」


「そらそうよ。あやつは蛇穴さらぎの屋敷で生まれ育ったのだから」


 ざばん。

 白鷹しらたか人格のそよぎは、勢いよく湯船を出た。


「しっかし、こんな湯に浸かっていたら処女のまま孕むわ」


「……」


「貸せ」


 俺からシャワーヘッドをもぎ取った。


「ああ生き返るのぅ………」


 呆気にとられて棒立ちをしている俺を尻目に、白鷹は湯を浴び始めた。

 シャワーヘッドを使い慣れていないようだ。背後にいる俺に、湯がビチャビチャかかる。髪染めが流れ落ち、体は黒に染っていく。

 ソイツはひとしきり湯を浴びた後、犬のように頭を振って水気を切った。

 振り返り、俺を見上げて――


「ひさ、」


 開きかけていた口をぐむむとつぐんだ。

 風呂釜のヘリに跳び乗る。俺を見下ろす。

 どうやら白鷹は、器である梵の背が、俺より低かったことが気に入らなかったらしい。


「久しいのう……。またお前と会うとは思わなんだ」


「お前が白鷹でいいんだよな?」


「うむ。春日かすがの土地神白鷹とは儂のことよ! それと言っておくが、わしたかであってわしではないぞ。そこは間違えるでないぞ?」


 一瞬、脳内変換が鈍った。


「紛らわしいな」


「くく! 今、わしと言うたか?」


 いやそっちも今タカって……もういい。これ以上は埒が明かない。



「御霊遷しをしている体で、更にまた御霊遷しを行使した阿呆がいるらしい……」

 白鷹は梵の体のへその辺から胸の辺りまでをなぞり、わざとらしく艶かしい顔をしてみせた。


「梵のこと、勝手に動かせるのか」


「ククッ、ああできるぞ」

 ぺちぺちと、梵の薄い胸板を叩いた。


「じゃがこんな貧相な胸の器は儂の好みではない。なにもやる気が起きんのぅ」


「それは良かった」


 ここで一瞬、白鷹人格の梵の足元がふらついた。


「大丈夫か」


「……ガタついてきているんじゃよ。よかったな、お主はこの儂と少ししか繋がっていないようじゃし影響は無いだろうよ」

 白鷹人格の梵は、俺の銀髪をツンツンと引っ張る。


「んじゃ」


 スッと意識が切り替わる。『儂』から『私』へと――


 風呂釜のへりに堂々と立っていることに気付いた梵は、慌てて体を押さえた。


「な……ぇ……ひぎゃあ⁉」


 梵は風呂に飛び込んだ。


「見た?」


「えっと見、……すまない」


「いや全然平気……」


 ○


「白鷹、何か言ってた?」


 梵は再び俺に背を向けて三角座りをしていた。


「風呂が不浄だから入りたくない、とか言ってたな」


「本当に入りたくないなら、今すぐにでも白鷹が〝出て〟きて風呂から上がると思うよ。白鷹は人格として現れてない時でも、私が何を見て何を話しているのか把握できてるし、私と自由に人格を交代できるから。……私はできないんだけどね」


 ○


 そうこうしている間に、登校する時間になってしまった。

 濃い目に入れたコーヒーを腹に流し込んで家を出る。


 学校に向かう途中、梵は言った。


「――私、学校に行くのは初めて」


「行ったことないのか?」


「うん」


 教室に入った瞬間、俺達の元に華凛かりんの鯉が殺到した。長いヒゲとヒレによるチェックが完了すると、華燐の後ろに戻っていった。

 自分の席に向かうと、俺の真後ろの席の人――三色華凛さんけかりんに声を掛けられた。


「おはよう。凪君、雰囲気変わったね……? 髪もそんなに真っ黒じゃなかったよね……?」


 黒染めをしすぎたとは思っていた。

「そんなに目に見えて黒いか?」


「うん。真っ黒」


「目立つか……?」


「ううん、そこまで目立たないと思うわ」


「凪は普通の人より影が薄いもの」


 梵が会話に参加して俺はドキリとしたが……そうか梵の声は普通の人には届かないのか。


「そうか、ならいいんだ」


「凪君、本当に大丈夫? 昨日とぜんぜん様子が違うわ。ええとね、なんというか、台風が通過しないで凪君上空に停滞している感じがするの」

 

「しばらく俺の周りに留まるかもしれない」

 俺は言葉を濁した。


「そう――。今日は凪君疲れているみたいだし、遊ぶのは明日にする?」


「ああ」


 ○


「――後ろの席の子ってなに…………? ねぇ凪? お兄ちゃん?」


 オリエンテーション授業中、背後霊に問われた。

 俺は小声で答える。


三色華燐さんけかりん


「名前じゃなくて……。凪とどういう関係?」


「友人……じゃないのか?」

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