はふる

 透き通る白い肌。ぐしゃぐしゃに乱れた白銀の長髪。白を基調とした着物に、黒のはかま

 少女の体を貫くのは多数の矢。

 幽霊から流れ出る血は赤くなかった。きらきらしていて、生命そのものが失われつつあるように見えた。

 今にも消えてしまいそうな少女は、神秘的なまでに美しかった。


「大丈夫か?」


 長いまつげに縁取られた瞳が、ゆっくりと開かれる。俺を視認するや否や、色素の薄い目は大きく見開かれた。


なぎ……!?」


 俺を知っている――⁉


「誰、だお前……?」


 俺は銀髪の幽霊なんて知らない。


「助けて……お兄ちゃん………。男にいきなり襲われて、それで――」


 少女は呆けた顔をして、助けを乞うた。

 だがすぐにハッとして、取り繕う。


「いや、逃げて……私は大丈夫だから、早く……」


 と言われても、立ち去るのは躊躇われた。


 ぴゅう、と。

 風切り音。


「がっ……⁉」


 俺の腹から矢が生えていた。


「凪っ⁉」


「見つけたァ~白髪頭! おい、ちょこまかと逃げやがってよぉ!」


 振り向くと、安っぽくて派手な服を着た男がいた。和弓を携えていて、なんともアンバランスだ。


「オイオイオイオイ? 白髪頭のガキを抜いたと思ったんだがなぁ……一匹増えてんじゃねーかぁ? 誰だよお前?」


 男は弓につがえた矢先をチラチラ向けて、ニヤニヤ笑っていた。

 俺が名乗るより先に、銀髪少女が途切れ途切れに言った。


「この人、は……関係ないで、しょ……!」

 

 銀髪少女が俺の体を支えにして、立ち上がろうとした――が、座り込んでしまう。


「けっ、まだ動くのかよ。――おいガキ、女を殺るには邪魔なんだよ。どけや」


「……」


 どけなかった。

『どく』ということは、『俺が銀髪を殺す』ことになる。


「ダメ……だよ……逃げて――!」


 銀髪少女はしぼり出すように声を出した。


「うっせーなアマァ! 俺はコイツと話をしてんの! 分かる⁉」


 男は品定めをするような粘っこい視線を俺に向けた。


「ナァ、お前も白髪頭が視えるんだ――いい目持ってんじゃん。一丁前の勇気も持っている。だがそのくせ――」


 男は矢を放つ。


「ッ……」


 俺にぶっ刺さる。


「――守る力はない。この弓を以て放たれた矢はな、呪力が高いものを狙う。この場だと白髪頭を一番に狙う。どけよクソガキ。その位置に立ってると、まずお前を穿つぞ。どけば、少なくともお前は見逃してやる」


「……」

 今逃げたら後悔しそうだ。フラッシュバックしてキツくなるに違いない。どうすればいいんだ。なんでこうなった……?


「なんとか言えよ。大体なんで庇ってんだよ? 知り合いか?」


「俺はこの子を知らない……」


「いや凪は――」


「っセーな! お前はコイツの後だ。 ――じゃあなんだ、見ず知らずの女を庇って死ぬのか?」


「もしそれで少女が助かるなら……」


 別に死んでも構わないな、と思う俺がいた。俺の命の価値は、もとよりあまりないものだと思っている。

 美しくて珍しい幽霊は、比べるまでもないが、俺よりずっと命の重みがあるに違いない。俺が勝手に命をはかると、俺の命は朝見た猫以上銀髪以下の重さだ。

 死にそうだから人生を振り返る。

 小学校低学年――つまり俺の記憶が始まって以来、ずっとつまんなかった。いや、つまんなかったと言っても、別に面白おかしく生きたいと思っているわけではない。

 今この瞬間は、価値のない命が輝ける、最初で最後の絶好の機会ではないのかということ――。

 思考の浄水場が機能していない。いつもなら、こいつが無駄だったりズレてたりする思考を取り除いてくれるのだ。必要な場合はまとも感を添加して喉まで送ってくれるのだ。

 何言ってるのかよく分からなくなってきたが、とにかく別に死んでも、いい。いい機会じゃないか。損切りのベストタイミングだ。


「あのさぁ! 自分を守る力もないくせに、誰かを守ろうとするなや。俺はそういう身の程知らずが一番嫌いなんだよ。殺したくなるくらいにな!」

 

 胸のあたりに矢が刺さった。血が口から溢れた。

 あまりに自分が無力すぎて悔しかった。

 本格的に死にかけていると悟り、恐怖を感じた。

 全身が強張って動けない。


「隗」隱ュ縺顔夢繧……」


 弓男の背後から、おぞましい声が聞こえた。

 沼の底から助けてを求めて発しているような声だった。


 そこには黒いなにかが、いた。

 その怪奇的存在は、輪郭がぼやけていた。

 二足歩行で長細いシルエットなので、否が応でも人に当てはめて見てしまう。

 溶け落ちたかのようにデロリと伸びた足を、ズルズルと引きずって、俺達のほうに近づいてくる。

 

「チッ、今晩はやけに蠱物まじものの数が出てるな……」


 どうやら弓男は蠱物とやらの対応をするらしい。

 男は俺たちから背を向けた。


 銀髪の少女は小声で言った。


「ねぇ波々岐はばきはっ……? 凪についてるんじゃないの……?」


 何だそれ。

「は……?」


「昔のお兄ちゃんはっ、とっても強い呪術師だったんだよ……!? 思い出してよ……! 式の名を呼んで……!」


「ハバ、キ――?」


「その言葉を待ってました」と言わんばかりに。

 グン、と。足元から光が湧き上がった。

 俺は思わず目を閉じた。次に開くと、


「んなッ……!?」


 月に照らされて輝く白の鱗。宝石をはめ込んだかのような赤い目。首に巻かれているのは黒と金の太い注連縄しめなわ

 気高い白蛇がそこにいた。

 白蛇はこちらをジッと見た。俺の命令を待っているようだった。


「なんとかしてくれ……」


 すると蛇は、俺の手に収まり始めると共に、身を鋭くし始めた。

 刀だ。

 これならば――

 あまりの重さによろけながらも、氣合で男に接近する。


「な、待て」


 こちらの様子に気づいた男は、咄嗟に腕をクロスにして防御する。

 蛇が一振りの長い長い刀の姿に転じきる。それと同時に、男の胸部に深々と――呆気なく刺さった。

 倒れそうな俺は、男に刺さった刀を握って堪えていた。


「ガハッ……ぁ――んだよ、やるじゃねえか……。――遊びはやめだ、テメエらまとめて死にやがれ――」


 男はニタリと口角を上げ、血走った目を見開く。

 男は声高らかに叫んだ。

 

「――鳴神!」


 すべての矢が青白い稲妻に包まれた。矢に仕込んでいた術式が発動したのだ。


 俺は矢が刺さったままだったから、直撃だった。

 息が詰まる。流石にこれは死ぬ。

 白蛇が出てきた時はいい予感がしたけれど、相手の方が一枚上手だった。俺はさしずめ、飛んで火に入る夏の虫だったのだ。俺から失われた血は、戦場を彩るお飾りにすぎなかった。

 寒い……。

 目の前が真っ白に見えるのは、雷撃のせいなのか、或いは死にかけだからなのか――もう判別がつかなかった。

 銀髪の方は無事なんだろうか?

 人助けなんて、性に合わないことをするべきじゃなかった。この失敗を次に活かそう。……次があればの話だが。

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