神薙~背後霊と化したヤンデレの妹と共に戦ったり共依存する話~

東 ゆが

第一部 へびときんえんのじゃしん

可憐なる三色鯉

 この作品はフィクションです。作中に登場する人物・用語・団体等は、全て架空のものです。


 

 加増は活気のない町だ。

 学校前の信号で待っているのは、新入生と、その親だけだった。

 俺は一人で信号が青になるのを待っていた。

 ふと道路の方へ目を向けると、道路の真ん中に黒猫っぽいモノがいた。

 猫は往来する車の壁に阻まれ、すくんでいた。

 俺は信号のことなんか気にせずに駆け寄り、助けるべきなのだろう。そしたら進入してきたトラックに轢かれて流行りの異世界転生とやらに巻き込まれるかもしれない――。

 だが俺はそこまで聖人ではない。

「ブミャッ!」

 その時、右折してきた乗用車が猫を轢いていった。

 轢かれてカタチを失った猫は、呆気なく霧散した。後には何も残らなかった。

 俺は普通なら視認できないようなものを見ることができる。霊感とかいうやつが優れているのだろう。

 とは言え、この才能は、残念ながら使い道がなく……持て余しているのが正直なところだった。視えるモノは、一般論ではいないと思われているモノなのだから、仕方がない。

 怪しい存在のヤツらに接触しようとしたことはない。下手に近づいて、うっかり怒りの琴線に触れてしまったら呪われるかもしれない。怪奇がいるのなら、呪いが実在してもおかしくないだろう。

 触らぬ神に祟りなしである。

 

 ○


 入学式は滞りなく終了し、今は教室に戻ってきていた。

 いやはや、式辞は聞き入る大半が居眠りするほどのすばらしいものだった。まだ抜けきれていない眠気でウトウトしながら、部活のビラを眺めていた。


 扉の音がした。

 クラスはしんとした。

 一人の女子生徒が遅れて教室に入ってきた。

 入学式終了後に、荷物係に抜擢されてしまったのだろうか――女子生徒は大量の紙束を抱えていた。

 女子生徒はひじを使って、引き戸を閉めようとしていた。

 閉め切る前に、数匹の魚がすいーっと飛びこんできた。

 赤白黒の鮮やかなマーブル模様の鱗を持つ、大きい魚だった。ヒゲがあるので、とりあえず鯉と言うべきか。ただし、ヒゲとヒレが普通の鯉よりも異様に長い。

 鯉達は口をパクパクしながら、我が物顔で教室中を泳ぎ始めた。

 教室を一周りし終えると、教卓に資料を載せていた女子生徒の周りをくるくる遊泳し始めた。

 どうやら女子生徒は鯉に懐かれているようだった。言葉を変えれば、取りかれているとも言う。

 少女は鯉の群れを引き連れ、自分の席――俺の真後ろだった――に向かった。


 〇


 担任の自己紹介が終わり、

「はい、じゃあ自己紹介タイムー。名前と出身校は言ってねー。あとはテキトーに趣味とか言いたいこと言っていこう。じゃ、井上さんから」


 教師に促され、井上さんが起立する。

 ――自分の番が着々と近づく。


 俺は当たり障りのない自己紹介をする。


蛇穴凪さらぎなぎです。加増東中から来ました。よろしくお願いします」


 後ろの席を見る。うぉ胸でか……。おろしたての制服が既に悲鳴をあげていた。


「加増第一中学校出身、三色華凛さんけかりんです。よろしくお願いします」


 聞き覚えのある声だった。

 ああそうか……入学式中は船を漕いでいて気づかなかったが、この人は新入生代表挨拶をしていた人だ。

 あと、三色達が教室に入ってきた時は、鯉に目を奪われていて気づかなかったのだが、三色華凛という女はとても可愛かった。

 二つに分けて緩く縛った、つやつやの黒髪。でかい胸。凛とした声音の自己紹介からの、愛嬌を感じさせる笑顔。ギャップ。

 鈍感な俺でも感じ取れる、“ なんかいい雰囲気”。性格がいいんだろう。

 俺は魅了された。はなを添えるかのようにして彼女の周りを泳ぐ鯉がいることで、より意識してしまっているせいなのか? 分からない。

 とにかく、話してみたいと思った。

 「その鯉きれいですね」から始まる会話。互いに糸で引き寄せるようにして近づく仲。そして――――

 ほんの数時間前に「怪奇の類に関わるのは、面倒なことが起こりそうだから避けるに限る」的な発言をした俺が、気になった生徒と近づくために怪奇を利用しようとしていた。

 それほど俺は少女に惹かれていたのだ。


 ……今日ほど、異質なモノを視ることができる目を持っていることに感謝する日はないだろう。


 ○


 帰りの会が終わり、俺はいそいそと教室を出た。

 残念なことに、俺のコミュニケーションスキルは皆無に近い。

 だがしかし!

 三色と話す分には、『共通の話題』という強力な武器がある……!



 彼女は鯉を引き連れて廊下へ出てきた。

 俺は三色の右肩上あたりを指で差した。


「っ、あの……! それ、綺麗ですね」


 人、ましてや異性と話す機会がそうそうない俺にしては、かなり頑張った方だった。

 周りから見たら、俺は虚空こくうに指を向ける変人だ。しかし彼女の瞳には、鯉を指差している俺が映っているはずだ――


「……え?」


 困惑する三色さんけ

 ……おかしい。華凛との間になにか重大な差異があるような気がしてならない。

 …………そうだ。三色氏は、鯉に憑かれているだけで、当人は憑いていることに気付いていないという可能性。というか……そうなのだろう。

 取り憑かれている人=見える人というわけではない。そんなことは幽霊の存在を信じない派の人間でも分かることではないか。

 分かりきっていることに気づいていなかった。

 俺は現在進行形で三色氏の右肩上あたりを指を差している。三色氏が華やかな髪飾りをつけていたなら弁明の余地があっただろうに、あいにく彼女の長髪を束ねているのは黒ゴムである。

 入学初日――つまり第一印象が決まる日に『黒ゴムフェチの変人』というレッテルが貼られかねない超危機的状況だった。


「何か、見えているの?」

 三色はいぶかしげに聞いた。


 動転していて「いや見間違いでしたスミマセン」という言葉が思いつかなかった。

 正直に答えてしまった。

「鯉……」


「コイ? えっ……!」


 途端、三色が頰を赤く染めた。


「違ッ! いや違わない!」

 もう自分も何を言っているかがよく分からなくなっていた。


「あっ――……魚へんのコイ……?」

 

「あっ、ああ、そっちの方だ」


「前から、私の周りになにかが纏わりついている気配があったのよ。そう、そうだったのね……」

 納得した表情を浮かべる三色。


「――蛇穴君には視えているんだよね?」


「ああ視える。三色は、」


「私はまったく視えないけど、気配なら気象のように感じることができるの。私の周りではいつも“ 水”が渦巻いているように感じる。これが蛇穴君の言う鯉なのでしょうね。あとはそうね……この街に“ 台風”みたいな気配が近づいている」


 台風……。

「遠くにいるのも把握できるのか……」


「蛇穴君は気配は感じられないの?」


「からきしダメだ」


「そうなんだ。――あっ、私このあと教科書を引き取りに行かないといけなくて。お母さんを待たせてるの」


「それは引き留めてすまなかった」


「ううん、全然!」

 華凛は慌てて手を振った。

「明日の放課後とか、またお話ししない? 私、凪君ともっとお話ししたいの」


 俺は二つ返事で快諾した。


「しかし俺の名前をよく覚えてたな。主席ともなると、クラス全員分の名前を把握できるのか?」

 華凛にとっては、俺はただのクラスメートのうちの一人に過ぎないはずだが……。


「まさか」

 華凛はくすりと笑った。

「私も凪君が気になっていたからよ。素敵な雰囲気の人だな……って」


 ○○○


 時刻は二十三時過ぎ。


「ハッ……ハッ……」

 銀髪の少女が、加増の住宅街の中を疾走していた。

 三体の黒いバケモノ――蠱物が、銀髪の少女を追っていた。

 少女はチラリと背後を見る。振り切るのは無理、と判断した。

 刃渡り二十センチほどの懐刀を抜き、振り返るやいなや、近くの一体を一刀両断。

 真っ二つになった蠱物は怨嗟の声を残して闇に溶けていった。

 少女は残りの二体も慣れた動作で屠っていく――


 辺りは静寂を取り戻した。

 銀髪の少女は、崩れ落ちるようにして道路の端に座り込んだ。

 張り詰めていた息を吐き出す。

 ――少女を追うものは黒の怪奇だけではなかった。


「おい」

 傷んだ金髪の上から、黒のニット帽を被った男がいた。


「私が視えているんですか」


「あたぼうよ。俺は祓魔の家の出だからな、この目は怪奇を映す」


「でしょうね……。今どき、怪奇と同類である私を見れるのは呪術師の人くらいですし」


「おうよ。んでお前はどういう存在だ」


「……ただの幽霊です」


「はぐらかすなや。どう見ても人一人分の魂じゃねえ」


「……」


 男は背負っていた長い袋を下ろした。

「加増は俺の縄張りなンだわ」

 男は長細いものを取り出し、組み立て始める。


「縄張り? ここが……?」


 基本的に呪術師というものは、土地神のいる地に居を構え、呪力的恩恵を受ける。そして対価として土地を守る存在なのだ。

 呪術師がいればその土地が肥えているということになるし、土地が肥えているということは自然に呪術師集まるものなのだ。その点、加増は――


「ああ、ここは普通の土地だ。――だが俺はここにいる」

 男はピンと張った弦の調子を確認する。


「あっ、呪術師というより、地元愛に満ち溢れたヤンキーのような考えですか……?」

 この人は関わってはいけない人種なんだ、と感じた少女は、すっくと立ち上がり、その場をあとにしようとした。


「待てよ。人の土地に踏み入った落とし前、まだつけてねぇよなぁ?」


 男は夜空にめがけて矢を射った。

 その瞬間、弓幹ゆがらから弦にかけてが輝いた。

 弓に刻まれた呪術が発動したのだ。

 放たれた矢は“孤を描いて”地上へと舞い戻り、銀髪の少女を脳天から貫こうとした。

 少女は懐刀で矢を叩き落とした。


「チッ、簡単には刺さんねーか。……この矢は呪力が多い存在を追尾するんだ。お前のようなバケモン向きだ」


 男が説明しているうちに、銀髪の少女は脱兎の如く逃げ出していた。


「……逃さねぇぞ」


 男は数本の矢をまとめて番え、おもむろに放つ。

 銀髪少女はブロック塀の裏に回る。

 ガガガガッ!

 少女が一秒前にいた所に矢が集中する。

 少女は――男の矢が尽きるまで耐えれば勝てる、と思った。


白鷹しらたか、力を貸してっ……!」


 不可視の羽が少女の背中を押し、大きく跳躍。民家の屋根の上に飛び乗った。

 新たな矢の群れが間近に迫る。

 少女は懐刀を口で咥え、屋根のふちにぶら下がってやり過ごした。

 意志を持った矢は慌てて引き返す。

 矢がギリギリまで迫ったところで、少女は手を離して落下した。

 ガガカッ!

 矢は全て家の外壁に刺さった。

 少女は二階の高さから飛び降りていたが無傷だった。人に比べて頑丈なのだ。

 矢の音が近づいてくる。

 少女は走り出す。

 しかし。

「あ――」

 グラリと体が傾く。

 それは少女の持病のようなものだった。数分から数時間ほど昏倒してしまう病。

 遠のいていく意識は、一瞬だけ回復した。

「あっ……――!」

 動きの鈍った少女を、矢の群れが仕留めていた。


 ○


 俺は夜の加増かぞうをほつき歩いていた。

 無論、俺は夜中に出かけるようなたちではない。華凛へのファーストコンタクトが思いのほか上手くいったから、浮かれているのだろう。

 「すてき、素敵な、雰囲気……素敵な……」

 そんなことを言われたのははじめてだった。嬉しいなぁ、嬉しい嬉しい……。


 華凛は昼間「“台風”が近づいている」と言っていた。俺は散歩がてら、あわよくば“台風”とやらを拝んでやろうと思った。華凛との話のタネになる考えたのだ。

 怪談話は夜――それも丑三うしみつ時と相場は決まっている。

 “台風”の見頃は、きっとその時間帯がピークだろう。

 保護者であるおじさんは、放任主義で、俺が何しようが咎めることはい。だから深夜帯に堂々と家を出ること自体は容易なのだ。

 だが、午前二時過ぎに出歩くのは、警察の補導の危険が伴うことが予想される。

 補導――。俺だって、非行に走った青少年に対して行われるものだということくらい知っている。

 しかし補導とやらをされると、警察官に何されるのかが分からない。正体の分からなさが怖い。多分、普通の人が考える怪奇と同じくらい怖い。

 不審者すら出歩いていなさそうな深夜の加増を生真面目にパトロールする警察がいるかどうかは疑問が残るが、『補導』を警戒するに越したことはない。

 ……日和った俺は、深夜というにはまだ早い時間にほつき歩いていた。


「――!」

 大変な光景に遭遇してしまった。

 大量の弓矢が、住宅街の生け垣や家の外壁にぶっ刺さっていた。

 異常だ。何かが起きている。

 自分は知らなくていい――いや知ってはいけない――領分に踏み込みかけている。

 今すぐにでも来た道を引き返すべきだ。

 台風接近に伴う警報が、特別警報に引き上げられる。

 ――いや、その判断は正しいのか? 見た限りでは一悶着があった後のよう見える。ならもう華燐の指す“台風”とやらは通過した後なのか?


 と、ここで。

 百メートル程先にある民家の前で、一人の少女が倒れているのを見つけた。

 ――幽霊だ。

 串刺しになって倒れている幽霊がいた。

 ヒビの入った氷のような儚い雰囲気は、生きた人間が出せるものではない。だからあれは幽霊に違いない。

 様々な怪奇を目にしたことがあるが、幽霊という一番名のしれた、そして人のカタチをした怪奇的存在は“初めて”見た。

 怪奇の存在を認める俺でも、今この瞬間まで、幽霊だけはこの世にはいないのだと思っていた。

 俺は目がいい。無駄に良い。視力検査の一番下の『C』まで見えるし、怪奇が見えることはもちろん、夜目よめだって効く。

 ……だが、それゆえに、一般人なら知らないほうが良い夜の領域の住人――妖しい少女を見つけてしまった。

 危ない橋を渡って銀髪少女を助けるか否か。俺は葛藤した。まだ辺りに弓を放つ不審者がいるかもしれないのだ。


 ……――今日ほど怪奇が見えることを悔やむ日はないだろう。

 一日すら経たずして、正反対の考えに転じた。


 俺は「回れ右をすべきだ」と言わんばかりに震える足に鞭打って、全速力で駆け出した。

 ……俺には助ける勇気以上に、見捨てる勇気が無かっただけだ。

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