Ⅲ 妨害



 今日も低級な悪魔が家の中をうろついている。非常に不愉快だ。

 ひと睨みすればどこかへ逃げていくが、毎日毎日この調子なので鬱陶しくて仕方がない。

 足元にまとわりつく不快な澱を蹴散らしながら、青年は地下室への階段を下った。わざとらしいほどに大きくドアをノックする。少女がやっていることを、少しでも邪魔できるように。

 締め切ったドアを開け放てば、床に座り込む小さな背中が見えた。微かな独り言とともに、紙に何やら書き付けている。

 散らばった本と紙を避けて、青年は少女のもとまでたどり着いた。

「かおるさん、食事の時間ですよ」

 肩を叩くと、ようやく花織は顔を上げた。

「お腹すいてない」

「気のせいだから食べなさい」

 有無を言わさぬ口調で言えば、渋々といった様子で少女は立ち上がる。

「いいところまでいってると思うんだけどな。小さいのしか寄ってこないのは何でだろう。クロさん、コツとか知らない?」

「前から言っている通り、それに関して協力する気はありませんよ」

「けち」

 最近の花織は、祖父の地下室に入り浸っていた。青年に魔術を教わろうとするのは諦めたようで、分厚い魔術書をめくりながら、独学で試行錯誤を繰り返している。

 低級な悪魔程度なら簡単に喚び寄せてしまえるのは、血筋も要因の一つだろう。魔人の召喚も、近い未来にきっと成し得てしまう。

 手を洗う花織の横で、青年は夕飯を盛り付け始めた。

 鍋の中では知人に教わったビーフシチューがいい具合に煮えている。

「おいしそう」

「食欲は出てきましたか」

「少しは」

「それは良かった」

 相変わらず、花織の皿の中身は青年の半分よりも少ない。これが、十歳の子どもが食べる普通よりも、ずっと少ない量だというのは最近分かってきた。

 小柄な体格の所為だけでなく、精神的なものもあるのだろう。無理やり食べさせるのもどうかと思うが、このままだとゆっくりゆっくり弱っていきそうで、それが少し怖い。

「クロさん、料理上手くなったね」

「練習しましたからね。何か食べたいものがあったら言ってください。作りますよ」

「うん、ありがとう」

 そういう返事はあっても、花織が食べたいものをリクエストすることはなかった。

 彼女の目は相変わらず、死の世界を見据えているのだ。


***


 嫌な天気の日だった。午前中は晴れていたのに、昼を過ぎた頃から灰色の雲が空を覆い始めた。湿った匂いが纏わりついてくる。

 青年はシーツを干すのを諦めて、洗濯物を取り込むことにした。

 買い物に出かけた花織は、傘を持っていただろうか。迎えに行ったほうがいいかも知れない。玄関の傘立てを見れば、少女の赤い傘が残されていた。花織の分と、自分の分と、二本の傘を持って家を出る。

 しかし、合流を果たす前に、雨の滴が地面を叩き始めた。

 いつも花織が通っている道を辿りながら、辺りを見回す。だんだん雨足が強くなってきたので。どこかで雨宿りでもしているのかもしれない。

 ようやくそれらしき姿を見つけたのは、児童公園の四阿あずまやだった。

 近くに寄ると、花織は青年に気付いて手を振った。

「迎えに来てくれたんだ」

「ええ」

 傘を受け取った後、花織は後ろを向いて小さく会釈した。

「ありがとう、お姉さん。もう行くね」

 そちらに視線をやれば、一人の女性が屋根の下で同じように佇んでいた。花織に向かって朗らかに手を振り返している。

 その顔を見て、青年の表情が凍りついた。花織を引き寄せて抱え、警戒した目で周囲を見回す。

「クロさん、どうしたの?」

 怪訝そうに青年を見上げる少女の肩を抱き、「大丈夫です」と小さく呟く。

「どうして貴女がここに?」

 女に問うと、苦笑交じりの答えが返ってきた。

「さあ、偶然だと思うけど。『あいつ』なら今はいないよ。散歩に行くと言っていた」

「それなら構いません。ここでわたくしやこの子に会ったことは、他言無用で願います」

 嫌な知り合いに会った。青年は近くにいるであろうもう一人を警戒して、足早に立ち去ろうとする。しかし、手を打つのが遅かった。

「随分な言い草だな、『契約』の」

 笑いを含んだ声が、青年と少女の前に立ち塞がる。

「たまには違う土地に来てみるものだな。懐かしい顔に会えた」

 会いたくなかった男は、濡れた銀髪をかきあげて口角をあげた。

「で、何だ、その小さいのは」

「貴方には関係ないでしょう。用がないなら我々はこれで」

「まあ待てよ」

 立ち去ろうとしたが、腕を肩に回されて身動きが取れなくなった。

「ちょうどいい。聞きたいことがある。この近くで最近、低級な悪魔を集めている家を知らないか? 新しい契約主を探していてな。他の奴らが目をつける前に、囲っておきたいんだが」

 内心で舌打ちをする。一人なら誤魔化して終わりだがすぐ側に花織がいる。、子どもを抱えて逃げ切れる自信はない。

「さあ」

 知りません、と続けようとした矢先だった。

「それ、わたし」

 すぐ横で、少女が余計な口をきいた。口を塞いでおくべきだった。

「お前が?」

「うん。お兄さんは魔人なの?」

「ああ、そうだ。『時を司る魔人』と呼ばれている」

 花織の表情がぱっと輝いた。このままでは、恐れていた事態が現実になってしまう。

「わたし、魔人を喚びたかったの。お兄さんはどんなことができるの?」

 尋ねられて、『時の魔人』は近くにいた女に声をかける。

「おい、見せろ」

 偉そうに命令された女は、不服そうな顔で、上着のポケットから懐中時計を取り出した。

「いい子だ。これは、万物の時を操る道具だ。過去も未来も思い通り。生物の寿命すら狂わせる力を持つ」

 花織が目を見開く。『時の魔人』の話に興味を持ってしまった。まずい。

「魔人を探していたんだろう? 俺がお前の魔人になってやろうか。丁度、今はフリーなんだ」

 花織の肩に伸ばされた手を払いのけたが、『時の魔人』と少女は意に介さず話を続けた。

「あのお姉さんはいいの?」

「あれは契約主じゃない。魂じゃなくて、身体(うつわ)の方が欲しかったんでね。そこにいる『契約を司る魔人』に頼んで、特殊な契約を結ばせてもらった。お嬢さん、君と結ぶのは魂の譲渡契約だ。それでいいかい?」

 花織が頷きかけたところを、青年は必死で止めて後ろに隠す。

「おいおい、邪魔するなよ」

 尚も手を伸ばそうとする男の前に立ち塞がり、睨みつけた。

「手出しはさせません。それ以上するなら、もう契約書の作成は請負いませんよ」

「そりゃないだろ。そちらのお嬢さんだって望んでいることじゃないか」

 それを聞いた花織が、再び頷きかけ――その場で静止した。

「行って」

 女が懐中時計をかざして、『時の魔人』の前に立ち塞がっていた。

「あんた、しっかりしな。私とこいつの契約が有効な限り、この時計の所有者は私。その間、こいつは時を操る力を使えない。きっちりその娘に伝えとくんだよ、いいね」

 『時を司る魔人』が憤ったのが分かったが、女は彼に向かっても微笑む。

「あんたにとっても悪くはないでしょ。時計を使った分だけ、私の身体はあんたの所有物に近付いていく。余計な欲は出すんじゃないよ」

 女が『時の魔人』に話しかけながら、目配せしてくる。

 静止したままの花織を抱え上げ、青年はその場から走り去った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る