肆・夢想夜
「赤……兎……」
「またお前か――って、どうしたその血は?!」
カハッと咳き込むとまた血が噴き出てくる。ポタポタと木の床に赤黒い染みを作りながら赤兎の方へと身体を引き摺った。
「今日も……分けて……」
「阿呆、そんな身体で私のことを求めたら今度こそお前は死んでしまうぞ」
「いいよ、別に……お前だって、早く、苗床が欲しい、んだろ……」
ゼェ、ハァ、と息をする度に焼けた喉から血が溢れる。ぽたり、ぽたりと染みは増えていった。まだ死にたか無いけど、このまま命を狙われて情報を吐くくらいなら死んだ方が数倍マシだろうよ。元々俺みたいな奴なんて生きてても誰かの役に立つ訳でもないし、死んだところで悲しむ様な家族ももういない。もういっそ、このまま夜闇に溶けてしまいたい。
「最初こそそうだった。だが今はそんなのどうでも良い。詩、まだ死なないでくれ」
泣きそうな顔で眉を下げて此方を見る、月に照らされた麗しの彼女が居た。何故、そんなに悲しそうな顔をするのだ。お前は俺なんて苗床にしか思って無かった筈だろうよ。
「何故って――あれだけ毎日の様に求められ、慈しみの念を抱いて口付けされれば、二百の妖とて恋に堕ちても仕様が無いだろう? 今は詩の事も大切なんだ、まだ死んではならぬ」
そう言い終えると赤兎は傷付いた俺の身体を抱き寄せて、何も言わずに撫で続けた。嗚呼、とっくにバレていたのか……昔から他人を欺くのは上手い方だと思っていたんだけどな。矢張言ノ葉を司る妖相手じゃ分が悪いのだろう。小童小童と罵るから相手になんかされて無いんだと思っていた。……これでは死ぬに死ねないじゃないか。諦めかけていた姉さんの情報ももう少しで届きそうな気もするし、何より赤兎が俺を求めていてくれるというのなら、もう少しは生きても良いのだろうか。
「お前の燃える様な恋情など読み取らずとも伝わってきたわ。私を欺こうなど、あと百は生きても足りぬ」
「ハハ……流石だ。ケホッ。なぁ赤兎、俺、あとどれくらいで死ぬんだ……?」
まだ、死にたくないよ。その声は焼け野原に隠してきた。悟られてはならない。こうして何人ものヒトの命が絶えていくのをこの
「そう、だな……このままいけば、あと数年だろうよ。ただ――」
赤兎が言い淀むなんて珍しい。何をそんなに渋っているのだろうか。彼女の胸の中から続きを急かす。
「ただ?」
「うう、お前は……普段は敏い癖に、乙女の心を察するのだけは本当に苦手なのだな。とりあえず今日は消耗し過ぎだ。このまま眠るが良い」
何だよ、教えてくれないのかよ。
「今日だけ添い寝しててやるから、もうお眠り……」
赤兎の滑らかな純白の手に視界を遮られると不思議と瞼が重くなり、眠りの世界へと誘われたのだった。
***
その日、久方ぶりに姉とナツキの夢を見た。
「詩、ちょっとそこで待っててね」
いつも見るこの夢、姉とナツキが二人で何やらこそこそと会話するために何処かへ行く。毎度俺は置いていかれる。その繰り返し。けれど今回の夢は今まで見てきたそれとは違った。まだ幼い俺は、二人にバレないように尾行し物陰で話を聞く。スラム街の路地裏。
「春咲、ニホンに興味はある?」
笑顔で春咲に語りかけるナツキ。首を捻って考え込む春咲を目の前にナツキは続ける。
「もし、興味があるのなら――年後に行くと良い。花――ってところだよ。そこではね、不思議なことに――が――になるんだ」
「へぇ、面白そう」
思ったより求めていた反応が得られたのかナツキの顔に刻まれた笑顔の皺は深くなる。見慣れていた筈の笑顔に――この時何故かゾッとした。何故、と問われても分からない。けどその笑顔が酷くおぞましいものに見えたんだ。
「ついこの前ね、ヒ――っていう姉弟と――っていう子供で実験してたみたいだよ。ただあまり面白いことにはならなかったらしくてさ。二度目の実験が――年後ってことさ」
何か、二人の死角にいるから会話は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、何処かで聞いたことがあるような単語が並べられていた。花……ひ……ニホン……?
「次は人数を増やしてさ、暴走するまでやってみるんだって。面白そうでしょ」
「うん。ニホンって平和なところだと思ってたけど、案外そういう怖い一面もあるって聞いて少し安心した。ここだけじゃないんだって、思った」
「そうね、何処の地域でも殺し合いは絶えないものよ。ここは随分と荒れた地域だけれど、一見平和そうな場所にだって人間の闇は転がってるのよ」
嗚呼、なんて穢れた言葉たちなのだろう。赤兎に能力を授けられた今だから分かる、優しさを装ったナツキの口から発せられるものはどれも凄まじく穢れていた。不浄の文字列。怨念。なんと形容しても足りない汚れ。
……ああそうか、そういう事だったのか。本当に今になったからこそ分かる。花咲町、日向兄弟、そして――。
全てを理解した途端油断してガタン、と音を立ててしまった。
「誰?!」
ナツキから放たれた尖った声を背に、俺はひたすらスラムの街から逃げるように走ったのだった。
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