【31】敗走
「だからッ!! 俺は何もやってねぇって!!」
生徒会会長の自室に轟く怒号。握りしめた拳は、震えていた。
騒ぎを起こしていた岩楯と引き離したあと、会長とともに落ち着きを取り戻していた加賀見の様子が一変したのは、この部屋に訪問者が現れたことがきっかけだった。
なぜ横塚の部屋にいたのか、会長が加賀見から説明を受けていた最中に聞こえた強いノック。部屋にいた会計がその人物を招き入れ、会話を交わす中で混乱は訪れた。
加賀見は吠える。
「俺は横塚に呼ばれて! 来て! そしたらアイツがいて!」
「落ち着け加賀見」
「だって! なんで!? 俺、悪いのかッ!?」
詰め寄る相手は訪問者だ。声を荒らげ混乱をぶつける加賀見を、会長が後ろから羽交い締めにしている。
「悪いのはあっちだろ! 俺は横塚に呼ばれて行っただけだ!」
「わかった、わかったから」
直前まで落ち着いていたはずの加賀見が、ここまで乱れるのか。そして、怒りを真正面から受け止める訪問者が沈黙を選んでいるのはなぜなのか。会長は加賀見を抑えながら、疑問を持て余す。
「っていうか、お前誰だよ!? なんで俺のこと責めるんだ!?」
「……俺は生徒会の顧問をしている高井だ。生徒指導の保坂先生もこちらに一緒に来て、岩楯のほうを頼んだ」
「連絡は誰からですか?」
「風紀の副委員長からだった。保坂先生は管理作業員に対する聴取の付き添いをする予定だったそうだ」
訪問者である生徒会顧問の高井教師は、加賀見には自己紹介だけを告げ、あとは出迎えから隣に控えていた会計に視線を飛ばして受け答えする。会長は腕の中の加賀見からふっと力が抜けるのを感じた。
なぜ、加賀見がここまで声を大きくしたのか。それは高井が現れてすぐに発した言葉にあったのかもしれない。会長は想起する。
ノック音が聞こえ、会計に出迎えを頼み、現れた高井。会長と加賀見の姿を認めると、そう、笑ったのだ。そして高井は言った。
こんなところにまで来て暴れるのか。こうも続けた。何度騒ぎを起こせば気が済むのか、と。まるではじめから加賀見を非難するつもりでここに来たかのような口振りだった。
加賀見の反応が過剰であることは否めない。だが、ほぼ初対面の生徒に向かっての発言として適切なのだろうか。
「何があったか、聞いたのか?」
「途中でしたよ、ね、会長」
「ああ。加賀見は横塚からメッセージを受け取ってここに」
「そこじゃない」
「えっ」
間抜けな声が出た。会長はそれが加賀見の耳に入ったら恥ずかしいと一瞬考えた。しかし加賀見は腕の中で俯いたまま、微動だにしていない。
高井の低く威圧感のある声が会長にのしかかる。
「岩楯と何があったか、だ。ずいぶん、やりあったと聞いたが」
「それは、そのようです。言い争いをして、手は出していないとお互い言っていました」
「言い争いというのはなんだ」
「それは、あの、高井先生。今はそれより、横塚のことを優先させてくれませんか」
会長が最初に現場へ駆けつけた時、岩楯は激しい怒りを顕にしていた。加賀見は呼応するように声を張り上げていたが、聞いている限り、岩楯の一方的な主張がその騒ぎの中心のようだった。生徒会役員総出で二人の距離を置き、今はそれぞれの部屋に分かれ、冷静な話が出来ている状態だ。どんな内容での言い争いか、それはおいおいでかまわないし、加賀見に関して言えば、岩楯の主張を整理してからの反論でいい。
そんなことより、会長が加賀見に聞きたかったのは、横塚の様子だった。そして、生徒会の顧問を務める高井にもその報告を優先したかった。横塚は今、異変を訴えているのだ。
「横塚?」
「はい。声が出なくなったようなんです。今は副会長と補佐の二人に付き添いをさせています」
「ふうん……それも、コレが原因じゃないのか?」
高井が言った瞬間、加賀見の体が強ばる。だが、会長の体温を感じているからか、先程のような混乱にまでは至っていない。
しかし、高井の発言に揺らいだのは会長のほうだった。知らず知らず、棘が生える。
「コレ、という言い方は、どうかと」
「ははっ。けどな、間違っちゃいないだろ。加賀見が来てから、お前たちも振り回されてるようだし」
「……加賀見が原因ではありません。自己責任です」
「どうだか。俺は生徒の自主性を重んじているから、何も言うつもりはない。でもまぁ、気をつけるんだな」
危惧する台詞に、言葉通りの感情は伴っていない。高井の態度は、非常に横柄だ。
「高井先生、どうしちゃったんですか?」
苦言を呈したのは高井の横にいた会計だった。
「前から俺たちのことあんまり好きじゃないんだなぁって思ってましたけど、そんなにあからさまじゃなかったですよね」
「はっ……?」
「なんか、ありました?」
これでも人を見る目はあるんですよ、とへらへらとした表情のまま会計が詰め寄る。口を結んだ高井は半歩後ずさり、はっと嘲笑を吐き捨てた。
「俺は生徒会顧問だぞ? 好きとか嫌いとか、馬鹿馬鹿しい」
「そうですか、そうですか。じゃ、出てってください」
「……なに?」
「俺たちは加賀見のことも、横塚のことも好きで、心配なんですよ。自主性を重んじてくれるんなら、荒らさないでくれます?」
「お前、誰に物言って……俺は呼ばれたから来たんだぞ!」
「加賀見が怖がってるんですよ、ね、会長」
ニコッと口角が上がった表情に穏やかな気配は微塵もなく、会長は久しぶりに会計の本質を見た。
「高井先生、あとで報告します。なので今は」
会長も会計と同じ意思表示をしようと加賀見から身を離した瞬間。加賀見が動いた。
「そっちが怖がってんじゃん」
嘲笑う声音。天井から垂れた糸に吊られでもしたかのようにすうっと、加賀見が姿勢を正す。
鋭い視線を感じたのはおそらく、正面にいた高井だけだ。
「加賀見?」
「俺は悪いことなんかしてない。してない!」
「……ッ」
その場から動いていない、さほど大きな声でもない加賀見の言葉は、高井を強くしりぞけた。それはその言葉が混乱から発生した癇癪ではないことを意味する。
「俺はお前なんか、怖くねぇ。お前の言うことなんか、聞こえない、聞きたくもない!」
力強い宣言だった。
「勝手にしろッ」
高井は敗走した。去り際、すでに笑みも失せた会計の表情を見つけたらしく、だん、と壁に体をぶつけてから出口の扉まで足早に消えていった。扉が閉まる音は乱暴で、負け惜しみにしか聞こえなかった。
沈黙の時間がしばし流れ、会長が加賀見に謝罪を口にしたところで再び聞こえてきたノック音。焦ったような連打は、すぐに収まった。会計からの目配せを受け、会長は加賀見を部屋の奥へと誘導した。
生徒会が使用を許されているこの階層の部屋は、間取りが豪華だ。さきほどまで話をしていたリビングに加え、個室と寝室が別にある。会長は自身が勉強のために使っている個室に加賀見を押し込めた。
新たな訪問者は、生徒指導を担当する保坂教師だった。その第一声は、憂いだった。
「風紀委員長のところで岩楯から話を聞いてきた。横塚もそうだが、加賀見は大丈夫か?」
会計に詰め寄る保坂に対し、加賀見を隠して戻ってきた会長が応対を継ぐ。
「加賀見は大丈夫です。横塚は副会長たちに付き添わさせています。岩楯の話というのはなんですか」
「ああ、それが……テストのことでややこしいことになっているんだ。高井先生はここに?」
「追い返しましたよ、ね、会長」
「追い返した? どうしてそんなことに……ああ、もう、あっちもこっちもだな」
保坂は文字通り、頭を抱えた。
「とにかく、加賀見が大丈夫なら、次に心配なのは君たちだ。こっちの委員長がテンション上がっていてな、もう、なんなんだ……」
なぜ委員長のテンションが上がるのか。気にはなったが、今聞くべきことはそこではない。困惑や憔悴が並ぶ保坂の台詞から憂いを抜き出し、会長が問い返した。
「保坂先生、落ち着いてください。俺たちが心配っていうのは?」
「横塚のことは知っているんだろう。どうやら発端はテストの盗難のようだ」
「テストの盗難? いきなり話ぶっ飛んでますね」
「え」
ピシリ、と音まで聞こえてきそうなほど、保坂は石化した。直前まで百面相でもできそうなほど危惧と憂いと困惑を交互に浮かべていた表情が、会計のふんわりとした笑声を聞いて固まった。リビングまで案内しようと歩き出していた会長も、その固まりっぷりに疑問符を飛ばす。
その様子を感じ取った保坂は、さらに目を見開いた。
「……もう、何がどうなってる」
「あれ、なんかまずいこと言った?」
「笑い事ではないということだろう。申し訳ありません、保坂先生」
「いや、違う……違うんだ……!」
保坂の顔はもはや、嘆願や切望といった、やりきれない感情に濡れていた。
「横塚から、何も聞いていないんだな」
「え?」
「ああ……あの子は言える性格じゃないな。だから口を閉ざした。許せないよ」
「先生、ちゃんと説明してくださいよ」
はぁっと吐き出されたため息は、廊下にどろりとたれこめる。発言を躊躇う仕草が一瞬見えた。一瞬だけだった。
「君たち生徒会にテストの窃盗容疑がかけられている。そのことで横塚は……脅されていたそうだ」
加賀見を隠していて正解だった。この事実を耳にすれば、高井に対して爆発させた怒りよりずっと大きな噴火が起きていただろう。しかしそれよりも、会長と会計の二人に沸きあがる怒りは、加賀見のそれより巨大なものになりそうだった。
保坂は一歩後ずさり、すぐに気合いを入れ直す。話はここからだ。
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