【28】生徒会会長の失意
生徒会室は沈黙に包まれていた。各々が自身の机に向かい、作業を進めていたからだ。放課後。キーボードを叩く音。夕空。
全生徒に電子端末を配布し、教科書から課題、連絡事項などをデジタル化する方針は大人たちの間で決まっているらしい。若い世代はその方針を強く支持し、推し進めようとする動きはあるのだが、現状、生徒会室に積まれている紙の資料は膨大なものだった。
扉にカードキーを備えるような財力はあるというのに、部活動の部費を決める活動報告書やら、委員会の予算を決める提案書やらは紙で配られたものに手書きで内容を記していくアナログっぷりだ。こういうものこそ、校内でローカルネットを繋ぎ、ウェブ上での提出、管理を行えばいいだろう。そうすれば、ここでの作業も一気に減る。大人たちだって面倒が減るはずだ。なのに、なぜ動かない。教師がテストを紙で作っている状況で、デジタル化はまだ早いというのか。生徒会長はデスクトップのモニターを睨みつけながらそんなことを考えていた。
一学期、そして夏休み中の部活動の活動報告書。委員会の活動報告書。使われた部費、予算。そして、二学期からの活動予定表。行事の進行表。また、生徒たちからの要望や、苦情などを求めるアンケート用紙は各クラスごとに設置してあり、それもまた、手書きで書き込まれ熱が籠っている。
生徒会の主な活動は、生徒たちの活動をとりまとめることだ。そしてそのために最も多く時間を割くのは、こういった紙の資料の精査である。
「こういっちゃなんだけど。すごいな、これ」
沈黙を破ったのは、会計だった。数字を取り扱う会計の前には、領収書や請求書、それに伴う申請書などが積まれていた。
「融通効いてるよ。これダメじゃんってやつ、去年許可通ってるからオッケーってなってる。でも、要確認だって一つ一つチェックついてる」
「ええー? 去年のも見てるのー?」
「ええー? それって怖くなーい?」
たった半月。その間に積まれた紙の束。それらのほとんどが、正しくデータ化されていた。生徒会が本来果たすべき、責務である。
「こちらも、誤字脱字のない完璧なものになっています。苦情や要望の分別も例年に倣っていますね」
「さすがに、部費や予算の判断を下すまではしていないっぽいけど」
「あはは! こんなの空欄にしてるだけじゃん!」
「あはは! こんなの穴埋めすればいいじゃん!」
その仕事ぶりは、モニター越しに伝わってくる。見れば見るほど、確認すればするほど、もはや狂気を覗き込んでいるような気さえ起きる。
会長はモニターを睨む切れ長の目をさらに吊り上げた。
「一体、何者だ……」
「データからは几帳面な人物であることはわかります」
「これといった個人情報はないねー。部活とか委員会に入ってたら、贔屓しちゃってたりするかもって思ったけど……それもナシ!」
「いっそさー、指紋とか取っちゃう?」
「それともー、そっちを調べちゃう?」
庶務の双子の片割れが、キャスター付きの椅子を滑らせて体の向きを変えた。連れ立って、もう一方の片割れも滑っていく。そこには、隣の休憩室に繋がる扉があった。
「このカギ、なかったもんねー」
「このカギ、あやしいもんねー」
元々、この休憩室に鍵はついていなかった。いつ、どうしてつけられたのか。理事長から鍵を受け取ったのは新しいカードキーをもらったあとのこと。この生徒会室に舞い戻ったあの日、開けることができなかったこの部屋に準役員がいた可能性は高い。
「休憩室を利用していたんでしょうか」
「これだけの作業をしていたんだ、おそらく、茶を飲むくらいはしていただろ」
「痕跡、残ってるかなー」
会長を始め、副会長と会計が席を立つ。双子たちもそれについていこうとして、ふと大きな影が固まっていることに気付いた。
「何してるの、横塚」
「行かないの、横塚」
いつものように軽い調子で声をかけたつもりだった。書記の横塚は根が真面目だ。だから双子はからかうのが好きである。でも、今は会長たちの真剣な空気を壊すべきじゃないと思い、からかう意図を削いで声をかけた。軽い調子で、次の行動を促しただけだった。
返ってきたのは、怯えた目。双子は急いで立ち上がり、書記の元へと駆け寄った。
「どうしたの?」
「何かあった?」
「……っ」
「どうした?」
その様子に、会長の意識が向く。
「大丈夫か?」
憂う呼びかけ。副会長や会計も同じように心配そうな表情を浮かべていた。
対する横塚は、どんどん顔色が悪くなっていく。
「何か見つけたか?」
「……あ、ちが……その」
「落ち着いて、横塚」
「大丈夫だよ、横塚」
「……大丈夫? 大丈夫、大丈夫……」
「保健室に行きましょう、それとも保健医を呼びますか?」
横塚はその大きな体を丸め、息も絶え絶えにブツブツと、大丈夫を繰り返していた。それはどう見ても、大丈夫ではなかった。
「呼ぼう。横塚、無理はしなくていい、しっかり呼吸をしていろ」
「休憩室のソファに寝かせよー。椅子のまんま行こっか」
「任せて!」
「任せろ!」
会長と副会長が保健医を呼ぶために保健室へと向かい、会計と双子はキャスター付きの椅子ごと、横塚の運搬を開始した。生徒会室で使われている椅子は値が張る質の良いもので、男三人ならいくら体の大きい横塚であってもなんなく移動することが出来た。
休憩室で椅子から二人がけのソファへと横塚を移す。仰向けになった横塚は呼吸をしようと努力しているように三人には見えた。声をかけるのは憚られ、今日一番の重い空気がずうんと休憩室に広がっていった。
保健医の診察で貧血を指摘された横塚は、しばらく休むと立って歩けるまで回復し、下校時刻までには特別棟を出ることが出来そうだった。生徒会の面々は横塚の看病によって休憩室の調査は行えず、明日に持ち越すことを決め、今日の生徒会活動を終了した。横塚の付き添いは双子が名乗り出て、副会長と会計は食堂に先回りして横塚の食事を注文しておくことにしたようだ。事情があれば寮に持ち帰ることは許されるはずなので、二人は横塚のカードキーを預かって先に生徒会室を出ていった。
会長は生徒会室の戸締りを担当することになり、横塚たちを見送ってから部屋の中を点検、確認して回る。パソコンの電源が落とされているか、紙の資料が整っているか、休憩室には給湯器なども設置されているため、ガスや水道の元栓も見ていく。
全てを確認し終えてから、会長が向かったのは書記の席。デスクトップのモニターは暗い状態だが、電源を示す部分にはオレンジの淡い光が点っていた。スリープの状態だ。
キーボードのエンターを押す。スリープが解除され、横塚が最後に見ていた画面が映し出された。
白い背景に、文字が並ぶ。よくあるプリントのレイアウトだ。どうやら、何かの原稿らしい。だが、それは学生にとってよく見覚えのあるものでもあった。
「……これは、テストか?」
テキストファイルのタイトルを確認し、目を疑った。
「夏季休暇明けの実力テスト……なぜだ? テスト期間がずれ込んでいたが、まさか……」
会長は他のファイルの有無を確認しようとし、一度は握ったはずのマウスを手放した。パソコンには常に、動作を記録する機能がある。ファイルを操作すれば、その日時が上書きされていく。下手に触るべきではない。
そこまで冷静に判断できていながら、会長はその整った顔を歪め、ぎりりと歯を食いしばってから、強く、強く息を吐いた。
「横塚はこれを見て体調を……一体、何が起きている……ああ、くそ。違う!」
会長の憤りは、自分自身に向かっていた。
「俺のせいだ……どうして、どうして俺は加賀見を選んだ……! 俺がやるべきは、ここで、あいつらと生徒会を執行することだったのに!」
ダン。憤りは拳となって机を襲う。その瞬間、タイムアウトによってモニターの画面が暗くなった。
「なにも、できていない……都築と尾張のことも、準役員のことも、今の、これも、俺は、なにも」
真っ暗な画面に、今にも泣き出しそうな顔が映り込んでいた。
「……俺は、どうすれば」
目の前の泣き出しそうな子供に、その答えは導き出せない。それは会長自身が一番わかっていることである。
「準役員、お前なら解決できるのか……」
その呟きはすでに、嘆願に近かった。
会長はしばらく暗闇に自問をぶつけ、そして生徒会室をあとにした。
その後、横塚は声を出せなくなった。
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