【26】担任の愚痴を聞く

 数学の教科書を手に職員室へやってきた彼は、担任に捕まった。思いもよらぬ展開ではあったが、これはこれでいいか、と担任が担当している英語の教科書を鞄から探る。それには前日のクラスメイトとの自習によって浮上した質問をいくつか挟んでいて、担任の机のそばで小さな講義を受けることにした。

 彼が職員室に来た目的は一つ。テスト実施時期について話を聞くためだ。だが、唐突にその話題を切り出すのはあまりに不自然だと考え、まずはテスト範囲からわからない部分を質問しに来る、という振る舞いをとることにしたのだ。

 作戦は概ね成功。普段から真正面で授業を受ける彼を好意的に思う教師は多く、遭遇した担任も彼が提示した質問に丁寧な対応を返してくれた。担任の言葉に頷きながら進む講義は作戦とは関係なしに有意義である。

 ある程度書き留めた質問メモを消化した頃合いに、彼はそういえばとわざとらしく顔を上げた。担任は訝しむ様子もなく、どうした、と優しげに笑い返してくれる。

「このテストってもっと早いんですよね」

「ああ、毎年休み明けにやっているからな」

「今年はどうして遅いんですか?」

 どこまでも自然な流れで切り出した本題。担任は少し躊躇したものの、質問に答えるため開いていた辞書を閉じて答えてくれた。

「大人の事情ってやつだよ。誰かがイタズラしたらしい」

「イタズラですか」

「それも……おっと、これ以上は内緒だな」

「ええ、教えてくださいよ。誰にも言いませんから」

 顔を寄せ、声を潜める。担任は逃げなかった。

「本当か? じゃあ、内緒だぞ」

 ここまで来ると担任は楽しそうにはにかんでおり、数学の教師からこちらに切りかえて正解だったと内心安堵した。教科書を立てて壁を作り、より顔を接近。担任はこそっと教えてくれた。

「驚くなよ、生徒会がテストを盗んだって話だ」

「えっ、それは驚きますよ」

「あはは。ま、噂だけどな。教頭の方針で全部のテストを作り直す羽目になったんだ」

 大変だったんだぞ、と担任は密談を終わらせるように丸めていた背中をぐうっと伸ばした。彼も一緒に背を正し、担任と視線を合わせる。その目に灯るほのかな棘。

「誰にも言うんじゃないぞ、もし言ったらわかるよな?」

「怖くて誰にも言えませんよ。でも、そうなんですね、そんなことが」

「あくまでも噂な。噂でテスト作り直しもキツイけど」

 彼は改めて、担任に労いの言葉をかけた。確かに小テストとは言え、一学期全てというテスト範囲を課した問題を作り直すのは一苦労どころではないだろう。

「お話、ありがとうございました」

「いいよいいよ、誰にも愚痴れんからスッキリした」

 この教師に対する口封じは徹底されるべきではないだろうかと要らぬ危惧を抱きながら、彼は一礼してその場を離れた。背中には担任からの、テスト頑張れよ、という激励を受けたが、本音を言えばそれどころではない。軽い会釈を残して机を縫う。得た情報の重大さは担任の清々しい笑顔などで上書きなどされず、職員室から出ていく時に必ずする一礼すら忘れてその場を立ち去っていた。


 疑問だったのは、なぜ生徒会の親衛隊たちが加賀見にあれほどの怒りを向けているか、だった。

 食堂脇にある購買へと向かう道すがら、彼は考え始めた。トラブルの根幹に関わるであろう疑問の一つ。答えを導くための推論は、別の答えを浮かび上がらせる。

 生徒会の親衛隊としての強い怒り。それは、生徒会からの好意を攫っていったことに対する嫉妬が発端だったんだろう。積極的に想いを寄せていない柿本ですら、苛立ちを抱いていたほどだ。見目に気を使い、努力を重ねている親衛隊からすればその怒りはご尤もである。

 ただし、あのゴール裏で聞こえてきた怒りはそれとは異なっていた。生徒会はすでに加賀見から離れているにも関わらず、怒りは増幅されていたのである。すでに怒りの源は、嫉妬から別のものに移動していたのだ。そのキーワードが、盗難だった。

 加賀見がテストの窃盗犯である。親衛隊たちはそう結論づけている。そして、怒っている。確かに窃盗そのものは犯罪であるし、現状、その犯罪は表に出ることなく、やり過ごされようとしている。このまま捕まらないのであれば、正義感を持つ者にとって見過ごせないところだろう。

 だが、よく考えれば、盗難が成功していたとしても、テストが作り直されている時点でカンニングは出来ず、計画自体は失敗しているのだ。もし、加賀見に敵意を抱いている親衛隊がこの事実を知った時、どちらかと言えば、ざまぁみろ、という感情を抱くのではないだろうか。証拠を見つけようものなら、糾弾し、学校を追い出すことすら出来るかもしれない。言ってみれば、これはチャンスなのだ。


 例えば、テストの作り直しを強いられた教師たちが窃盗犯に怒りを向けるというのであれば理解できる。この盗難において、実害を被ったのは教師たちだ。実際、さきほどの担任は窃盗犯に対し、怒りとまではいかないが、ささやかな愚痴を吐いていた。これこそが正しい反応であり、担任が愚痴を漏らす程度の怒りに留めていることを考えるとやはり、親衛隊の怒りは不相応に思える。

 怒りの源は加賀見による窃盗ではない。それを示すのが、担任の言葉の中にあった。窃盗犯、つまり愚痴の対象が生徒会であるということだ。

 担任の口振りから、加賀見に対して微塵も疑いを持っていないのは歴然だった。それは生徒会が窃盗したという噂が教師たちの中で共通意識として存在しているからにほかならない。職員室の中で囁かれる噂は教師たちの間で育ち、口や態度から転がり出てくる頃には立派な悪意となる。その悪意の矛先は、親衛隊が怒りを向ける加賀見ではなく、親衛隊が好意を寄せる生徒会なのだ。

 考えてみればこれこそが、親衛隊の怒りに繋がるのかもしれない。

 体育の授業中に盗み聞きした内容からテストの窃盗容疑を加賀見に向けていること、食堂での様子を思い出せばそこから怒りを増幅させていることは明白だった。親衛隊を代表する岩楯の生徒会を想う気持ちが何故、窃盗容疑から来る加賀見への怒りに繋がるのか。岩楯と斜森の言葉には怒りとともに憂いがあった。

 職員室から転がり出てきた教師たちの悪意。生徒会が対象となっている時点で彼らが当事者として巻き込まれていることを意味する。親衛隊たちは何かしらの方法で加賀見が窃盗犯であること、またその疑いが生徒会に向けられていることを知り、気付いたのだ。

 濡れ衣。岩楯は言っていた。生徒会が利用されているのだと。

 そもそも生徒会に接近していること自体、快く思っていなかった親衛隊たちが、生徒会に濡れ衣が着せられていると知れば、そのために近付いたのかと相応の怒りを膨らませることに納得がいく。さらには、カンニングの計画が失敗したタイミングで加賀見から生徒会が離れていき、新たな友人を囲んでいるとなれば、被害が増えていくと考えても不思議ではない。そして現在は濡れ衣を晴らす証拠もなく、膨らんだ敵意を尖らせるに留まっているのだ。


 前回のトラブルで加賀見が蚊帳の外であったように、今回もそうであると仮定するなら、感情の矛先は重要となる。尾張が都築を矛先にして感情を爆発させたあのトラブル。きっかけになったとはいえ加賀見はとばっちりを受けただけだった。今回もそうなのであれば、加賀見に怒りを向けること自体とばっちり、または利用されている可能性が高い。ならば、トラブルの核となる感情の矛先が誰に向けられているのか。それにはもう、答えが出ている。

 生徒会。彼らがトラブルの中心だ。

 問題は、誰が生徒会に感情の矛先を定め、攻撃しているか。彼が見つけるべき目標は決まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る