【25】友人の友人
朝食の最中、着信音が鳴った。隣に座る友人のポケットから聞こえたので、出なさいな、と声をかける。友人は謝罪とともに立ち上がり二歩三歩、跳ねる声には親しさが浮でいた。朝の挨拶、小さな会釈。例のお友達かしら。
すでに人も疎らになった食堂。膳に並ぶ空の食器を持て余し、給仕人たちの緩やかな足音が鳴り響く。友人の通話が終わったら教室に向かうつもりで、お茶をあおった。ここはどこもかしこも最高級を置いている。予鈴まであと少し。そんな中、数えるほどの人の波が、時化った。
「会長、おはようございます」
「あっはは。何言ってんのよ」
小さな嵐の原因が、そばまできてぴしりと背を正す。低く丁寧な声であるくせに、健気で自信がない。そのギャップに騒ぐ心を落ち着かせ、肘をついてゆらりと見上げる。特定の地域に多いお節介な淑女さながら、手で相手を仰ぐ仕草を繰り返しながら返答した。
「今の会長はあなたでしょ。しっかりしなさい?」
「俺にとっては、やはりまだあなたが会長です」
「そんな風だから、ダメなんじゃない」
きりりとした端正な顔。発育のいい体。礼儀正しく、真っ直ぐな性格と、強情さ。自身の後を継いだ新しい会長は誰が見ても完璧で雄々しい頼りがいのある男だが、そればかりでもない。
今もこうして、前任の会長に頭を垂れているのがいい証拠だった。
「大変、ご迷惑をおかけしました」
「やりたくてやったんだからいいのよ。気にしないで」
「後日、改めてお礼に伺います。みなさんにもご挨拶を」
「いい、いい。みんな勉強で忙しいし、あたしが代わりに伝えておくわ。そうね、その時お茶を飲むから、ちょっといいお茶受けをくれれば十分よ」
「……ありがとうございます」
前会長の厚意を素直に受け取る会長は、それでもなお深く眉間に皺を寄せていた。
「どうしたの? 問題は解決したのよね?」
「はい。ご協力をいただき、無事に解決しました。ですが、その過程に問題が起きまして」
「あらそうなの。あたしにできることがあるならなんでも言ってちょうだいね」
「いえ、そのつもりは。相談をしに伺うかも、しれませんが」
「ええ、いつでもいらっしゃい」
およそ一年と少し同じ生徒会に所属して時間を共有してきた二人。小中高と附属学校に進学し、互いの存在を知ったのは随分前ではあるが、中学校から生徒会に所属していた会長に対し、前会長が生徒会活動を始めたのは高校に入ってからだったため、二人が実際に接したのは高校からである。
生徒会活動において、実績という点では中学時代から会長を務めていた現会長のほうが上であるにも関わらず、やはり学生が積む一年の経験の差は大きく感じられるのか、現会長が前会長に向ける信頼は厚かった。もしくは、中学時代の生徒会活動と比べて思うところがあるのかもしれないと、前会長は考えることがある。
「あたしはいつでもあなたの味方よ。あたしのお友達もね」
「すみません。珍しいですね、電話」
「そう、そうなのよ! あたしをほっからかしちゃって。なんだか、新しいお友達ができたみたいなの」
「新しい……?」
「あたしにも教えてくれないのよ」
ふと話題にのぼったのは、会長の登場にも気付かず背を向けたまま電話を続けている友人のことだった。いつもなら前会長のそばに寄り添い、一語一句聞き逃さず補佐する馴染みの顔。その友人が前会長を意に介さず、携帯での通話に集中しているのだ。
二人が視線を注ぐ中、友人は携帯を手元に戻した。操作を続けながら、こちらに振り向く。
「あら、終わったみたいね」
「おまたせ。って、会長! いらしてたんですか?」
「おはようございます」
「おはようございます。すみません、気が付かなくて」
通話を終えた友人と、相変わらず礼儀正しい会長が頭を下げ合う。前会長を通じて見知った仲であるため、挨拶は短く済んだ。
「いいえ。それでは、俺はこれで失礼します。今回のこと、助かりました。ありがとうございました」
「僕はやりたいことをやっただけですから気にしないでください。ああ、もうこんな時間」
「そうよ、あなたの長電話待ってたんだから」
「ごめんごめん。でもそんなに長くなかったよね」
会長が立ち去るのと同じく、二人もお盆を持って席を立つ。並んで歩く二人はともに美少年と呼べる見目麗しさを保ち、会長とは違う波を起こしていた。
しかし、当人らは我関せずといった調子で歩を進めていく。
「誰だったの? 例の新しいお友達?」
「そうだよ。明日、会う約束をね」
「あら。あたしとレッスンの予定は?」
「ごめん、時間ずらすようにはするけど、間に合わないかも」
「先約なのよ、もう」
「だからごめんってば」
返却口に食器類を置き、柔らかな愚痴を投げあいながら食堂を出た。予鈴まであともう少し。
約束を取り付け、彼は人気のない階段の踊り場でほっと胸をなでおろしていた。
明日は週休二日制を採用するこの学校における休日、土曜日だった。主に自習と補講、部活動が行われ、学校としては平日と同じ運用をしている。時刻通りに鐘が鳴り、教師は教室で補講授業をし、生徒はその授業を自由に選択出来る制度となっていた。部活によっては全日の活動が行われ、自習室は通常通りに貸し出しされている。
自由行動が許されているので、学校には行かず寮に留まり休日として休む生徒も多い。外出は申請次第で可能となるが、外泊は原則禁止。日曜日もほぼ同様である。
その土曜日。彼はさっそくコネを頼ることにした。電話がつながり、挨拶の後にすぐさま交渉へと移った彼を、相手は笑って許してくれた。受験生である三年生の貴重な休日を割いてくれるという言葉には頭が上がらず、重ねた謝意は何回だったか。予鈴が近づき、話の流れで食堂にいるのだと聞くと、確かに背後から内容まではわからないが会話が漏れてきていた。朝食までお邪魔をしてしまい、と何度目かの謝罪はそうそうに遮られる。明日は楽しみにしているよ、と優しい笑みが伝わってきた。
無事に電話を切り、踊り場から脱して予鈴響く教室に戻る。まだ騒がしいその中、柿本が転入生加賀見に絡まれていた。教室後方。楽しそうな笑い声が響いている。
彼はそれを教室前方の扉から入って観察した。加賀見と都築、そして柿本。不穏な空気は感じない。クラスメイトたちも、加賀見のそばに柿本がいることで敵意が削がれているようだ。視線を外して一番前の特等席に座り、教材を並べ待つ。
先生が入室すると加賀見の周りも解散し、柿本が隣席へ収まった。その頬に残る笑みの欠片。
「おはよう、柿本」
「はよ。朝からうるさいよ、まったく」
「ああ、うん。そうだな」
目の前で私語を交わす彼と柿本に、担任の視線が刺さる。しかし、本鈴にかき消され、ホームルームが始まった。
休み時間の度に、柿本は席を立って加賀見の元へと向かう。最初は、そんなに加賀見が気に入ったのかと思っていた彼だったが、そうではないらしい。前日の夕食時と同じく、加賀見から彼を遠ざけるための策のようだった。
昼休み前の授業が終わって、すぐに席を立つ柿本に彼は慌てて声をかける。
「なぁ、あんまり気を使うなよ」
「何言ってんだ。普通にあいつ、しつこいからさ」
「だからって、自分から行かなくても」
「昼飯も約束してんだよな。めんどいけど」
柿本はそう言いながら、彼に笑顔を見せる。
「お前は今日、昼どうすんの?」
「購買に行って買うつもりだけど」
「じゃあ、食堂には来ないな。よし。来るなよ」
念を押す柿本は、彼が引き止める間もなく足早にその場を去っていった。加賀見はまだ隣の都築と話をしていて、柿本がそこに加わる。ぱっと花が咲いたような明るい声が輪を描いて広がり、移動していった。
席に座ったままそれを見送った彼は、小さくため息をついた。大丈夫だろうか。柿本のことをよく注意しておくべきかもしれない。でも、あいつはそんなやつじゃない。今まで普通に友人として関係を築けていたのだ。目を瞑る。首を振る。彼は空席となった隣を見た。
「……はぁ。嫌になる」
二度目のため息は深く重く、その場に垂れ込めた。それでも、彼は動き出さなければならない。教科書やノート、財布も入った鞄を手に、教室をあとにした。
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