【24】そういうもの

 携帯電話を取り出したのはその直後。電話番号はもちろん暗記しているが、いつもの通りに電話帳から馴染みの人物を呼び出した。

 コールは四回。出なかったため、麦茶のグラスを先に洗うことにした。向こうの手が空けば折り返しがある。流し台のそばに携帯電話を置き、チラチラと視界に入れながらスポンジを握った。グラスは二つ。寮は消灯時刻を迎えていた。

 洗い終わっても折り返しはなく、個人部屋に戻った。明日の時間割を確認し、準備する。自習用のノートを取り出し、そしてようやく、携帯電話が震えた。

「もしもし」

「おや、ずいぶんと前のめりだね」

「あなたが言っていた意味がわかったので」

 壮年の男声は、湧く声にくすりと笑みを零した。彼はその嘲笑を飲み込む。ほんの少しの苛立ちは、語意の強さに現れていく。

「気付いたかい? というよりは、本当に気付いていなかったんだね?」

「ええ。驚きました」

「そりゃあ驚くだろう」

「あなたの強欲さに、ですよ」

「あっははは!」

 カウンターを決められたとばかりに電話の向こうの理事長は明快な声を叩きつけた。それすらも飲み込んだ彼は、夜の気配を窓の外に確認して言葉をひそめた。

「あなたはアレも所有するつもりですか?」

「もちろん! と、言いたいところだがね」

 否定的な台詞に彼は安堵する。互いに一考を挟み、彼は仕切り直した。理事長が傲慢であることは知っている。しかし、この件に関してその傲慢が発揮するとは到底思えなかった。

「ではどういう経緯で、この学校に?」

「それがねぇ。押し付けられた、という表現が一番正しいだろう」

「アレをですか? そんな無責任な」

 理事長による傲慢でないことには安心したものの、その思いもしない経緯には新たに頭を抱えてしまう。

 それは理事長も同じのようだった。

「全くだよ。もしかしたら、君の存在を加味していたのかもしれないが」

「ありえません。モノはモノを所有できません。管理も同じです」

「……ああ、そうだね。厄介だよ、カガミというモノは」

 悩みの種として語るのは、転入生加賀見の正体そのものについてである。

「このような扱いまず考えられません。放棄されたのですか?」

「私にもわからないが、現状を見るとそうだったのかもしれないね」

「管理も所有もしないだなんて……」

「磨いていたかすら怪しいものだ」

「何故こうもトラブルが続くのかわかりました」

「だから君を早くに動かしたんだ」

「……安全に囲うため、ですね」

「ああ。まだ対処出来る範囲のトラブルだろう?」

「犠牲という程の被害はまだ」

「放置すればどうなるか、私は、ああ、君も知っている」

「ええ、知っています。ですが、それも一時しのぎに過ぎませんよ?」

「手に余る。わかっていても、手を出すしかない。そうだろう? 私は後悔などしていないよ。後悔させるつもりもない。もう二度と、ね」

 もう二度と。加速する二人の密談を、その言葉が停止させた。それは過去の出来事を指している。

 二人の間にある共通した過去。重い犠牲を生んだ悲劇。その悲劇は、今も尚終わっていない、一時しのぎを続けている最中である。

「……わかりました。では、一つだけ」

「なんだい?」

「俺は適任ではありません。さっきも言いましたけど、モノはモノを所有したり管理したりできません。なにより、互いを認知しにくいんです」

「なんだって?」

「あなたが知らないのも無理はありませんが……アレは俺を見つけられないし、俺もアレが見えにくい状態にあります。これは、防衛のひとつとして備えられているんですよ」

「なんだいそれは。厄介というよりもはや、いっそ、不可思議だ」

「俺もそう思います。だから、動かせる駒がほかにいるのなら、そちらにも協力を」

「ああ、わかった。ただし」

 まくし立てる彼を押し留め、理事長はゆっくりと言い聞かせるように説いた。

「私が一番信頼しているのは君だ。君だけだ。それだけはわかっていなさい」

「ありがとうございます」

 その言葉が嘘か真実か、彼にはわかる。わかってしまう。嫌になるほどに。


 彼は浮かぶ涙を拭い、一呼吸置いた。急くように電話をかけた彼の話はここで終わりである。しかし、理事長が通話を切る気配はない。予感はあったが、的中した。

「さて。本題はここからだ、私から電話をかけようと思っていたのだよ」

「やはり、次のトラブルですね」

「今回は君も察していたか」

 なら話は早い。理事長は前回同様、手元に資料を置いているらしく、紙をまくる微かな音が聞こえた。

「私のところに警察がたずねてきたようでね」

「警察、ですか。そこまでは予想していませんでした」

「ははは、さすがの君もね。私だって仰天した。でも、そこまで深刻ではないようだよ」

 彼はノートにペンを走らせた。 

「内容を聞けば思い当たるんじゃないかな。盗難だ」

「盗難。ああ、はい、思い当たります」

「ほう。君の話は後で聞こう。盗難と言っても、学校内に侵入者があったのではなく、内部で起きたことらしい」

「はい、それもなんとなく」

「……君、もしかして全部わかっているとか?」

「まさか。関連する話を耳にしただけですので」

「なら、盗まれたものがなにか、までは?」

「テストだと」

「正解だ。私たちが察知しているトラブルは、同じもののようだね」

 違っていたらそれはそれで面白かったね、と理事長は言った。見えないが、その顔は悪戯っぽく笑っているに違いない。

「学校関係者だと名乗った男から、テストの問題と答案が盗まれたと通報が警察にあったんだ。所轄の者が実際に学校へ話を聞きに行くと、最初はそんな事実などないと突っぱねられた。一度は引き下がったが、通報がもう一度ね」

「そこで、あなたに話を?」

「いいやまだだ。ただ、通報の中に長期休暇明けのテストが延期されている事実があったそうだよ。所轄の者が突きつけると学校側が盗難疑惑について白状。その報告が私のところに届いたのが四日ほど前だったか。で、警察はいよいよ私に事情を、ということだ」

「なるほど。なんだか、妙な話ですね」

「そう、そうだ、君の言う通り」

 事の発端はおそらく、夏休みが明けて数日のうちに起きていたと考えられる。しかし、起きた事の重大さはさして大きく感じない。

「盗難そのものは確かに問題だ。だが、この学校で犯人探しなど有り得ない」

「そうでしょうね。それに、テスト期間を遅らせるという解決策をすでに実施しています」

「新しくテスト問題を作ったのだろう。私としては最善策だと褒めてあげていい」

「すでにテスト期間の告示も終えていますし、テストは行われます。盗難はなかったことにするという判断を下したと考えていいはずですよね」

「ああ。ならなぜ、トラブルとして発展しているのか」

 この学校に通う生徒はあらゆる親の子供だった。例えば財閥の子息であったり、大手企業の後継であったり、聞けば慄く名家の跡取りであったり、つまり、厄介事は存在してはいけないということが根底にある。もし厄介事があったとしても、揉み消すのがまず第一。優先事項なのだ。

 その根底を徹底されているのが、この学校に勤める大人全員だ。教師はもちろん、事務員、作業員、食堂の給仕人も料理人も、寮の管理人や清掃員の一人に至るまで、研修期間中に教え込まれる事柄の筆頭だ。その大人達は、盗難という厄介事に対して正しい判断を下した。盗難などない。ただほんの少し、テスト期間が遅れただけ。そう処理した。

 そして、その正しい判断を阻害しているのはただ一つ。

「見つけるべきは、通報者ですね」

「ああ。正義感かあるいは、悪意を持って行動している」

「せめて前者であって欲しいものです」

「本当だね。でも、君には心当たりがありそうだ」

 電話の向こうから革張りの椅子が軋む音が聞こえた。背もたれに身を預けたのだろう。心地よさそうな音だ。

「今日のことですが、生徒会の親衛隊に属している一年のグループがしていた話です。どうやら、テスト期間がズレたのは転入生のせいだと思っているようです」

「はぁ……やはり、トラブルの中心にはあの子がいるわけだ」

「管理も所有もされてないのなら、暴走させるのもわかりますよ」

 漏れるため息。たとえはじめから加賀見の正体を知らされていたとしても、食い止めることなどできなかっただろう。加賀見がそういうものであると、彼も理事長も思い知っていた。

「うむ、どうにかしないとねぇ。ひとまず、今起きていることから片付けよう」

「はい。理事長の話と総合するに、テストを盗んだ犯人が転入生だということになっているんでしょう」

「だということになっている、とは?」

「アレはそんなことしません」

「……説得力が凄まじいね」

「誰かに所有されていたなら話は別ですが、今の様子から鑑みるに、それはないでしょう。アレは盗難の犯人ではありません」

 断言する彼の声音はいっそ、清々しい。

「わかった。ならどうして犯人にされているのかな?」

「それはまだ。親衛隊達の嫉妬からくる悪意の結果かもしれませんし、通報者と繋がるかもしれません」

「犯人と思い込んでいるのは親衛隊諸君のみか。ならばまず調査できそうなのはそこかな」

 当面の方針が決まる。彼には思い浮かぶ顔があった。

「実はコネが一つあるんです」

「おや、珍しい」

「俺も驚いてます」

「どういうことだい、それ」

 作為的な笑みが多い理事長の、漏れるような笑声が聞こえた。笑わせる気などなかった時のこういう反応には気恥しさが勝る。

「では、今日はこの辺りにしておこう。駒の件は考えておくよ」

「お願いします。おやすみなさい」

「おやすみ」

 短い挨拶が交わされ、切れる通話。画面に残る理事長の文字はすぐに消えて、初期設定の待ち受け画面へと戻る。机に置いていたノートには走り書きのメモが残り、彼はその上に少しだけ熱くなった携帯を置いた。

 置いたまま、人差し指を画面の上で滑らせた。真上から覗き込み、目的の人物を探し出す。

 連絡は明日にしよう。彼は携帯を充電し、そして就寝した。

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