【22】柿本の受難

 放課後の勉強会は有意義な時間だった。下校時刻ギリギリまで机に向かい、帰路はすでに日が落ちていた。食堂の営業終了までは残すところ三十分。これはいわゆるラストオーダーの時間で、注文さえしてしまえば食べ終わるのを待ってくれる。帰寮を促す放送が校舎内に響きわたり、彼とクラスメイトたちは急いで食堂へと向かっていた。

 鍵の担当を申し出たのは珍しく、柿本だった。自習室は職員室で使用を申し出てから鍵を借り、終わったら鍵を返さなくてはならない。職員室は食堂までの道中にあり、その扉の前で柿本から洋の日替わりで、と頼まれた。


 食堂は閑散としていて、給仕人たちは持て余すように彼らを迎え入れてくれた。もちろんいつもの席は空いている、かと思ったのだが、そこに見えたのは先客。クラスメイトたちも少々眉をひそませる、あの集団だ。

 すでに夕食をほぼ終えているように見えるその集団は、雑談に興じているようだった。クラスメイトと何度か顔を見合せ、二つ離れたテーブルについた。集団の中心である例の声は、人の少ない大きな空間にはよく響き、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。そして恐ろしいことに、そこから彼らが選んだテーブルを挟んで反対側には、今日の授業でサッカー対抗戦を繰り広げた一年A組の岩楯を含む親衛隊隊員たちの姿があったのだ。

 その方向からはおどろおどろしい空気がずぅんと立ち込めているのがもはや見えるほどだ。他にも食事をする生徒はちらほらあるのだが、ご飯をかきこんで逃げ出そうとするか、野次馬精神で居座っているかのどちらかだった。

 とはいえ、彼らも自習を終えた脳を筆頭に空腹である。テーブルについてタッチパネルをのぞきこんでいる間は、外の空気を感じることは無い。今日の日替わりの洋定食はオムそばで、和定食は豚汁。彼は柿本から預かったカードを用いて、言われた通りの注文をしておいた。


 片方からは楽しそうな雑談が、片方からは重苦しい沈黙が、食器の擦れ合う微かな音と重なって共鳴する。彼とクラスメイトはそのどちらにも気を配りつつ、小声で先程までの自習内容をお互いに復習しあっていた。

 そうこうしているうちに入口から見慣れた友人がいささか小走りで現れた。そして、些細な悲劇が起きる。

 何か気がそぞろになることでもあったのか、友人柿本はほぼ一直線に、あの集団へと邁進した。普段の柿本であれば、いつもの席にいるのがいつもの友人たちではないことに、おそらく入口付近ですぐに気づいただろう。運が悪かったのは、彼やクラスメイトが座った机が入口から離れた場所だったことだ。彼が呼び止める間もなく、小走りの柿本は悪い悪いと軽い調子を携えて机に飛び込み、捕まってしまった。

「あれっ……お前!」

「ん? あ、あー……間違えまし」

「クラスのやつだよなっ!?」

 がたん、と椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった転入生は、そのまま柿本の腕を取った。

「そうだよなっ!?」

「はぁ、まぁ。ええと。約束してるんで」

「なんだよ、そんな他人行儀な言い方すんなよ! な、ここで食べればいいじゃん!」

 華やかに笑う転入生と困ったように笑う柿本。唐突な出会いでありながら、転入生は新たなる友人の獲得を目指し机にあったタッチパネルを柿本に差し出した。そこに無粋な邪気はなく、柿本はさらに困る。

「いや、とも……あ、ええと」

 柿本は頭を振って、いや、振ろうとして、やめた。転入生越しに夕食を共にする彼やクラスメイトの姿が目に入ったようだ。

 一瞬、彼と柿本の視線が交わる。彼は早くこちらに来い、と心配も込めた意志を乗せたのだが、柿本から注がれたのはそれに対する同意ではなかった。

「なんか、もう帰っちゃってるみたいだし、俺も部屋戻るわ」

「え? 何言ってんだよ、みんな一緒に食べようぜ? 約束って」

「いやいや、俺の友達って薄情なの。だからコレはなしてくんねぇかな?」

「そんなことないだろ! まだ注文できるよな? な、そうだよな!?」

 転入生は机を囲む集団に問いかけた。その中の一人が携帯を取り出し、時間を確認する。まだギリギリラストオーダーには間に合うため、転入生の問いに優しく肯定していた。柿本の腕を掴む手に力がこもるのが、その袖の生地のシワの深さから見て取れる。

「じゃあ、お前もさ、友達ここに連れて……」

「だぁから、いないって言ってるだろ? 俺帰るからさ、勉強もしなきゃなんないし」

「なんで嘘つくんだよ!!」

 バリバリと空気を割る大きな声。

 ここで彼はようやく、柿本の意図に気付いた。柿本は転入生から彼を隠そうとしているのだ。

「落ち着けって。わかった、俺がここで飯食うからさ」

「でも、友達と約束してんだろ!? それ守んなきゃ!」

「後で電話一本入れておくわ。別に一回約束すっぽかしたくらいで怒るやつじゃないし」

「そう? そっか、そっか。じゃあさ、一緒に食おうぜ! でも、俺たちもうほとんど食べちゃってるけどさ!」

「じゃあデザートとか頼めば? 俺いいの知ってる」

 柿本は結局、その机についた。いつもの快活な性格そのまま、転入生に向ける敵意も上手く隠している。集団は柿本の提案を受け入れ、全員でタッチパネルを覗き込んでメニューの相談を始めたようだった。


 事の顛末を見定めている間に、給仕人が彼らの机に注文の品々を届けてくれた。ハンバーグやらカレーやら、いい匂いと温かな湯気が食欲をそそる。彼の目の前にも豚汁をメインに据えた和定食が置かれ、隣席はオムそばメインの洋定食のため空けておいた。しかし、残った給仕人の手には何も乗っていないお盆だけが抱えられており、ふと見上げればそこには、昼にも出会ったあの給仕人がニコリと笑ってそこにいた。

「あ、あの」

「カードをお預かりしましょう。渡してまいります。時間を置いて、先程の注文をあちらに」

 それは全てを見通した提案だった。

「ご友人にもそれとなくお伝えします」

「すみません、何から何まで」

「そこは、すみません、ではありませんね」

「……ありがとうございます。助かります」

「いいえ。俺も、まぁ、あんたと似たようなもんっスから。……失礼」

 彼が柿本のカードを渡すと、給仕人は恭しく一礼し、机の付近をくるりと見渡してから適当な場所で一度屈みこみ、そして、柿本がいる机に向かった。


「柿本さんでしょうか」

「わっビックリした。あ、お昼の!」

 柿本に声をかけた給仕人は丁寧な所作でカードを差し出した。その姿に転入生やその仲間の内の何人かは尊敬や羨望の眼差しを向けている。

「こちら、落としてらっしゃいました」

「えっ?」

「悪用されては困りますからね。もし不正な注文や重複があった場合はその日のうちにご連絡ください。食堂での注文であれば、私たちが出来うる限り対応いたします。ご安心を」

「重複……ああ、なるほど、それは助かる! ありがとうございます!」

 やっぱりこの学校はすごいな、と柿本が転入生に同意を求めると、転入生は同じように頷いて、嬉しそうに笑った。柿本の話の本質は別のところにあるが、転入生には関係がない。

 楽しそうにタッチパネルにカードをかざし、やがて柿本はその集団の雑談に飲み込まれていった。


 豚汁は出汁はもちろん、しょうがが効いていてとても美味しかった。柿本からもらうはずだったオムそばは、別のクラスメイトのカレーに変わり、王道なメニューをあまり注文しない彼は久しい味に舌づつみを打った。食事を終えるころにはすっかり夜の気配が押し寄せていて、食堂に残っている生徒も数える程しかいない。

 あの集団に関して言えば、すでに食堂をあとにしていた。柿本の洋定食は他のデザートと同時に運ばれ、それを完食したあとすぐに出ていってしまった。連れ去られた柿本の安否は現在、不明である。

「そんじゃ、俺たちも帰ろうぜ」

 クラスメイトの一人がそう言って手を合わせた。決まり事ではないのだが、全員で食後の挨拶を揃えるのが常だ。彼も一緒に手を合わせて、ご馳走様、と声を出した。

 では、とお盆を持って立ち上がろうとした時、背後に人の気配を感じて何気なしに振り返った。その動きを察するように、あの、と控えめな呼び掛けが落ちてくる。

「ごめん、柿本君と仲の良い……」

「あれ、岩楯じゃん」

 隣にいたクラスメイトが指摘する。そこに居たのはまさしくA組の岩楯と斜森が率いる親衛隊隊員たちだった。可愛らしさを保つその表情は、弱々しさを抱えて儚く見えた。

「さっきの、どういうこと?」

「さっきのって柿本のあれか?」

 ははは、とクラスメイトたちからは笑い声が漏れる。岩楯の心配そうな顔に降り注ぐには少々、無粋だ。

 遠い机にいた岩楯たちには柿本と転入生の会話は聞こえなかったのだろう。彼は簡単に説明した。

「俺たち、いつもあの机使ってたんだ。鍵返してくれた柿本はちょっと遅れて、俺たちがあそこに座ってると勘違いしたみたいで」

「そのまま捕獲されたってわけ。間抜けだよな」

「そうだったんだ。あの柿本君がアイツなんかと、有り得ないって話してて」

 軽く悪態をつく岩楯の表情には安堵の色があった。柿本は親衛隊隊員の一人として十分認められているのかもしれない。そのため、彼は黙っては居られなくなる。

「実は俺が転入生のこと苦手なんだ。だから、こっちに連れて来ないようにしてくれたみたい」

「えっそうなの? あいつってそこまで良い奴だっけ?」

 カレーを分けてくれたクラスメイトがそう言って笑うので、彼もつられて笑い返した。そのやり取りを見た岩楯は俄然納得がいったようだ。

「自分からアイツに近づいているように見えたんだけど、そういうことだったんだね」

「柿本って岩楯の仲間なの?」

「仲間かなぁ。柿本はこっち側じゃないと思う」

 こっち側、という表現に昼休みの柿本との会話を思い出す。二人で岩楯と斜森を、ガチ、と言い表していたのと同じように、岩楯は柿本をこっち側とあっち側に分けて判断しているのだろう。その違いにどういう意味が含まれているかはまた別の話だが。

「一年の親衛隊の集まりにたまに顔出すくらいだし、僕たちほど熱心ではないんじゃないかな。でも最近は……」

 言い淀む岩楯を、周りの親衛隊隊員たちが囲んで慰める。その姿は彼が知る女の子よりも女の子らしいと、感心せざるを得なかった。

「大変だよなぁ、あの転入生のせいで」

「でもさ、今は生徒会が離れたじゃん。岩楯たちも安心なんじゃないの?」

「そうだ、岩楯って書記の横塚の親衛隊だし……」

「簡単に言わないでよ!」

 ビリビリと弾けた癇声は、軽々と会話を続けていたクラスメイトの肩を震え上がらせるほどの強さだった。

「何にも知らないで……」

「ごめんね、ボクたちにも色々事情があってさ」

 唇を噛む岩楯に代わり、斜森が頭を下げた。続くように岩楯を囲む親衛隊隊員たちも口々に謝罪をこぼす。転入生の存在は、彼やクラスメイトたちが思うほど易いものではないらしい。

「俺たちの方こそ悪かった」

「調子乗ってた。ごめん」

 発言をしていなかった彼もクラスメイトたちと一緒に頭を下げ、この場はお互い様という形に収まった。

 それじゃあ、と岩楯を先頭に親衛隊隊員たちは机を離れていく。重苦しい空気を背中に負いながら、それでも前を向いて歩いていく姿に漂う哀愁。その儚さに、この学校に存在しない女の子が求められる。

 最後尾を務めた斜森が、立ち去る前に彼の耳元へ言葉を寄せた。

「柿本君に限ってそんなことないとは思うけど、転入生には近付かないよう、注意していてあげて」

「わかった。俺が言える立場じゃないけど、あんまり根を詰めたら気が滅入るだけだから、楽にね」

「ありがとう。君も転入生には気をつけて」

 可愛らしさを追求し、見目に気遣い美しさを保つ努力がその悲哀を一層際立たせていた。転入生の何が、この愛らしい集まりをここまで追い詰めるのだろうか。

 その後すぐに彼とクラスメイトも食べ終わった食器を片付け、それぞれが自室に帰っていった。

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