【番外編】欲しがる話。

前書き。

この話は連載している『非王道主人公の周りで起きるトラブルをこっそり解決する話』の番外編です。


本編7話 完全犯罪は大人と一緒に

10話 考える昼休み

14話 追求

に登場する管理作業員と、携帯を貸してくれた尾張の舎弟の話です。

高校生×管理作業員の年下攻め、年上受けです。

エロい話がどうしても書きたくなったので、脇CPで書いたものですが、ここではR-18部分は中略し、健全な内容のみの投稿といたします。

全文はpixivの方にR-18タグをつけて投稿していますので、そちらを検索してみてください。

それではどうぞ





 気をつけてくださいね、とあの子に言われた。もちろん、ヘマなどしない。自信満々に、胸を張って、ニヤリと笑い、頭を撫でてやった。あの子は呆れたように笑っていた。


 俺を含む管理作業員は校舎内で必要な雑務を全般的にこなしている。人員は七名。俺はその中で一番偉い立場なのだが、学校に従事する他の職員との連携という仕事をひとつ多く任されているだけのほかと差異のない普通のおっさんだ。規模が大きいこの学校では、寮で働く管理人、事務局で働く事務員、食堂で働く給仕や料理人と、職種は多岐に渡る。だからそれぞれの部署で代表がいて、互いに必要なものを要求しあっているわけだ。

 だから、偉いんだとでかい顔をしてふんぞり返ったりなんかできない。仲間と共に校内を見て周り、報告があれば点検、補修を行い、手が空いていれば掃除もする。そういう日常の片隅で、あの子の手助けをするのが俺の楽しみの一つ。

 いやがらせの一件は風紀委員会と誰かの親衛隊から協力を申し込まれ、思いもよらぬ実行犯の確保に繋がった。まさか現行犯を押さえられるとは思わなかったし、それがのちのち、あの子の役に立つとは予想できるはずもない。結果的にいやがらせの件は時間も掛からず丸く納まったと、あの弟から連絡をもらった。

 普段なら聞くことの無い弟からの感謝の言葉は、あの子が関わっているからこそ聞けた一言だろう。俺も役に立ててよかったよ、なんて穏便な会話を繰り広げてしまったくらいには拍子抜けした。

 あの子に甘い自覚はあるが、それも致し方ない。あの子の中で、俺が弟以上の存在になることはない。弟の中でもまた、あの子は特別である。だから、これくらいはな、とつい頭を撫でてしまうのだ。


 校舎内の設備は順次、最新のものに取り替えられていっているとはいうものの、ただでさえ広いせいで使われていない部分にはまだ行き届いていない。脚立を肩に校舎の端っこまで、仲間と共に蛍光灯を替えにやってきた放課後。外からは運動部の威勢のいい声が聞こえてくる。

 作業は滞りなく完了。他に切れた蛍光灯はないか、確認しながら戻ることにした。仲間は切れた蛍光灯をゴミ捨て場へと運んでくれることになった。

 一人、廊下の隅にあるスイッチの前に立つ。パチパチと切り替えると、長い廊下が明滅する。どうやら、ここではもう切れた蛍光灯はないらしい。三階か。作業員の詰所である管理作業員室は一階なので、降りながら他の階の確認も行うことにした。肩に乗せた脚立は軽い仕様のもので、辛くはない。

 一つ、階段を下りる。廊下には自習室が並んでいた。ここは三階よりも人の気配がある。ここに通う生徒は真面目な子が多い。あの子もきっとそういう一人だろう。

「うわ、力持ち」

「うわっ」

「あれ、軽い」

 無機質に続く扉を眺めていた背後から脚立を攫われ、間抜けな声が出る。取り返そうと慌てて振り返り、居た人物に面食らう。

「おまえ……」

「ども。これ、どっか運ぶの?」

 開いてるのか閉じてるのかわからない細い目をさらに細め、小首を傾げつつ、口角を上げる。派手に色を抜いた金の髪、耳を飾るピアス、一見すると人懐こい表情を浮かべて脚立を奪った制服姿に、見覚えはあった。

 一瞬だけ、心臓がきゅっと縮むが、すぐに戻る。大丈夫だ。問題は無い。

「いいや、作業員室に戻るんだ。返してくれるか?」

「そうなの? 残念、ご迷惑かけたお詫びに手伝おうかと思ったのに」

 今度は眉を下げ、口を尖らせる。ころころと変わる表情。生徒、つまり一回り以上は年が離れているにも関わらず、気だるげな言葉遣いで迫ってくる。その目は真意を語らない。この生徒は、最初の印象から、そうだった。

「ありがとな、気持ちだけもらっておくよ」

 にへら、と笑って見せ、脚立を返すよう促す。だが、相手はじゃあ、とその脚立を持ったまま身を翻した。

「もう少し、この気持ち、もらってくんないかな」

「おい、返せ」

「自習室の電気がさ、切れてる部屋があるんだ。見てってよ」 

「なに? 部屋を教えてくれれば」

「それが忘れちゃって。一つ一つ見てけばいいでしょ?」

 明らかに脚立を人質にし、誘導しようとしている。ニコニコと細い目で笑い、答えあぐねる俺をまっすぐ見つめる。わかりやすい罠じゃないか。呑気について行くほど俺だって馬鹿じゃない。

「作業員さん?」

「……わかった」

「じゃ、こっちこっち」

 とはいえ、点検をするだけならどうってことはないだろう。それに、俺の返事を聞いた少年のその顔は思った以上に嬉しそうだったから、思い過ごしなのかもしれないと少し反省する。こういった年頃の子供は、大人にちょっかいをかけることも、力になりたがるのも同じようなものだ。それに付き合ってやっても悪くない。多少の悪戯なら笑って許してやろうじゃないか。


 なんて、考えていたついさっきの俺を殴り飛ばしたい。

「おい、これ外せ!」

「うーん、そのお願いは聞けないなぁ」

 驚いた。何がって、その手際の良さにだ。コイツ、絶対に常習犯だ。間違いない。

「まぁまぁ。俺の気持ちを受け取ってくれればいいだけだからさ」

「断る!」

「残念、受け取り拒否できないの」

「うるせぇ! 触んな!」

 時は少し遡る。コイツに案内され、たどり着いた自習室は人気のない、明らかに普段から使われていなさそうな一室だった。鍵を使って扉を開けたコイツは、お先にどぞと言ってその扉から身を引いた。入るまでもなく蛍光灯を確認することは出来る。代わって覗き込めば、確かに蛍光灯は随分古びていたから、替えなきゃなぁ、なんてぼんやりと考えて天井を見上げていた。そうしたら、ドン、と一撃。倒れ込むほどではなかったが、一歩、二歩、と室内によろけて入ってしまった。

 何すんだ、と言おうとしたら、凄まじい勢いでバァン、と扉が閉められる。壊れてしまうんじゃないかと思うくらいのその衝撃音に、情けないながら、四肢がすっかり固まってしまった。直後、カチャリ、と鍵を閉める柔らかい小さな音が転がり落ちて、声が出なくなった。

 はっきりと聞こえる声量で、大丈夫大丈夫、と言いながら脚立を扉に立てかけるように置いたコイツは、振り向いたまま硬直する俺に近づきさらに、大丈夫、と重ねた。なにがだ、と思考が止まる。

 気付けば、両手首をぐっと掴まれていた。抵抗をしようとか、そういうことを思いつかない。まだ、扉が閉まるあの強烈な衝撃音が体を支配していた。

 するりと手の甲を撫でられて、コイツの細い目が歪み、どこから取り出したのか、ふわっとした感触のフェイスタオルが一枚現れる。

 そして、ようやく正気に戻った俺は、縛られた手首を振り回して暴れていたわけだ。

「なんのつもりだ……」

「だぁから、お詫び? 俺の気持ち!」

「これのどこが!?」

「落ち着いてよ作業員さん」

「お、ちつけるわけ……ない……なんだ、これ」

 自習室は大きな正方形の勉強用机が真ん中に一つと、椅子が四つあるだけの小さな部屋だった。本来であればここで生徒たちが教科書やノートを広げて勉強するのだろう。使い込まれた木製の机の椅子も、傷を保ちながらでんと構えている。その机を挟んでコイツから逃げるように立ち、声を荒らげている間に机の上を見て、俺は血の気が引いた。

「作業員さんまさか、童貞、なわけないか」

「ふっざけんな、お前、本気か……!?」

 置いていたのは、コイツの意図をわかりやすく示す、コンドームの箱とローションのボトルだった。

「よし、じゃあ言っちゃおう。そもそも俺って、そういうキャラだし?」

「はっ……?」

「バラされたくなかったら言うこと聞いてほしいな」

 間髪入れず、それはそれは楽しそうに、言い放った。言葉の意味が全く頭に入ってこない。ただ、楽しそうな顔に腹が立つ。

「なに、いって……」

「だぁから、なんだっけ、ええと。そう、ジュンヤクイン! 風紀委員長さんが今、すっごく探しててね」

 聞き覚えのある言葉に、ドクン、と心臓が跳ねた。

「ああ、安心して。まだ作業員さんのことは言ってないから。まだ、ね」

「おまえ、」

「でも、このままじゃあ、言っちゃうかも? わかる?」

 脳裏に過ぎる、あの子の呆れた顔。気をつけてくださいね、と心配してくれたあの優しい顔。

「俺の携帯、貸してあげたもんね?」

 目の前のコイツはそう、あのいやがらせの実行犯の一人で、俺が頼まれて携帯を借りに行ったヤツだ。

 そこからあの子が準役員として主犯を追い詰めたあの昼休みは記憶に新しい。そして、弟があの子に与えた準役員という肩書きに繋がる可能性を秘めた、いわゆる尻尾が、ここなのだ。

 実行犯として捕まえた時から、ただの生徒じゃないとは思っていた。簡単に探りを入れたら、予想通り裏社会に通じる家の子供だった。さらにそこから、尾張という長の息子に付き従う家系の子であることも突き止めた。でも、その調査の過程で感じたのは、尾張に対する純粋な忠誠と、姑息なことをするようなヤツではないという妙な確信。

 だから、とは言い過ぎかもしれないが、俺はこの誘導に易々と乗ってしまった。準役員に対して興味を抱いているのは生徒会とかのはずで、コイツが仕える尾張はさして気には留めていなかったはず。追求はさほど、強いものではないだろうと。

 所詮子供は子供。尻尾を捕まえて、捕まえた気になって、こんなことをしでかすうちは、子供に過ぎない。

「はっ……ははっ……」

「作業員さん?」

「ふははっ! ああ、そうか。わかった」

 多少、ビビったことは認めよう。大きな音とか、密室だとか、そういうものに心が乱されたのは確かだ。だが、それもここまで。

「言えよ。言っていいぞ?」

「え?」

「好きなだけ言いふらしてこい。はははっ俺が準役員。面白いじゃないか」

「ええー?」

「残念、だったなぁ!」

 何度か耳にしたコイツの台詞を奪って、頬を膨らませるその顔を笑ってやる。俺が準役員だと言いふらされたところで、あの子にも弟にも到底届かない。俺はなりすましたっていいし、適当にとぼけたって何も問題は無いのだ。

 バラされてもいい秘密のために、体を差し出す馬鹿はいない。さすがの俺も、これはわかる。っていうかそもそも、こんなおっさん捕まえて何言ってんだコイツ。今更すぎるツッコミが頭の中に湧いた。笑うしかない。

「さぁ、これを外してもらおうか? まったく、ビビらせやが、って、うわっ!」

 手首に巻き付く柔らかいフェイスタオルを掲げて、そんなことをのたまう俺は再び、大きな衝撃音に身を縮こまらせた。

 ガタガタッと、手前にあった机が揺さぶられ、目の前に顔が出現したことで、コイツが机の上に乗り上げて迫ってきたことを悟る。喉の奥がひきつり、バランスを崩して後ろに倒れてしまった。手を縛られていたために思い切り尻もちを着く形で。

「いっ、た、」

「作業員さぁん」

「ひっ……」

「ほんっとに、言いふらしちゃっていいのかなぁ」

 机の上でヤンキー座り。こっちを見下ろしているかと思えば、一瞬だけ腰をひねって何かを持ち出す。それは、例のコンドームの箱。かこ、かこ、と中身を揺らし、見せつける。俺を見るその目は薄く、開いていた。

「わかっちゃうんだよねぇ」

 何故か間延びした話し方に変わり、ねっとりと、言葉を落としてくる。

「俺さ、アンタと二度目に会った時にわかっちゃったんだよねぇ」

「なに……なんだよ……」

「いるんでしょ?」

「は?」

「誰かのために頑張るっていいよね、わかるよぉ。それが大事な人ならなおさら」

 かこっ。かこっ。人差し指と親指でつまんだ箱を揺らす音が、降ってくる。

「俺にもいるんだ。どんな事でもしてあげたい人。知ってると思うけどさ」

 かこっ。かこっ。一定のリズムで、俺を見る。

 どっ。どっ。心臓がうるさい。おさまらない。

「靴箱で捕まった時は仕事だからって感じだったけど、携帯を借りに来た時は、ほら、ぜんっぜん違ってた」

「何言って……」

「わかるわかる。最初はただの仕事だったんでしょ。でも、ジュンヤクインは違う。その人のためならなんでもしちゃう気持ちねぇ。お願いされて嬉しいよね? 俺もそうだからわかるよ」

 暗闇の校舎を二人で歩いた記憶が鮮明に蘇る。管理作業員としての日常の中の片隅で、あの子のために行動する瞬間。その向こうにいる、あの傍若無人な弟の存在がちらつく。

「なに、いってんだ!」

「アンタもそうだろ? ああ、俺がこんな話を言いふらしちゃったら、その人、どう思うのかなぁ? せっかく喜んでもらえたのに」

「やめろっ!!」

 かこん。

「じゃあ、どうする? 作業員さん」

 軽々しく箱が投げ込まれた。手首を縛られた俺がそれを受け取ることなど出来るはずもなく、胸の辺りに当たってコロコロと床に転がった。けれど、それを目で追うことすら、コイツは許さなかった。

 まるで猫かイタチか、軽い身のこなしで机の上から降りてくると、とうとうきりりと吊り上がった細い目を開けて、俺に噛み付いたのだ。上下セパレートのツナギの胸元を力強く引かれ、首の後ろに手を回し、逃げられないようがっしりと。

「ん、ぐ……ッ」

「あーん」

「……」

「そうこなくっちゃねぇ?」

 コイツは猫でもイタチでもない。狐だ。意地の悪い、狐。

 拒絶を示し、ボロが出ないよう、口を閉じる。殴ってやろうかとも思ったが、どうしても子供相手にそれは出来なかった。

 一センチにも満たない距離で、うっとりとする子供の顔と相対する。その瞳に灯る色に、背中を這う悪寒が止まない。

「はぁ、たまんね」

「っ、」

「もうさ、ほんと、かわいいよねアンタ」

「!?」

「よっぽど大事なんだ? このままヤられちゃってもいいくらい? そこまでできる?」

「……」

「できるんだよねぇ……だって、それしかできないから」

「う、るせ、……っは、ぅ……!」

 唇を噛みながらでも反論をして、待ってましたと言わんばかりに、押し込まれる。手を突き出して一度は体を離すことができても、緊張と緊張の隙間を突かれて口を塞がれる。胸ぐらを掴まれ、のしかかられ、開放されたかと思えば、膝で押さえつけられる。腕を振り回し、顔を背け、唸り声を上げて、殻にこもって抵抗を示す。じたばたと、そんなことを繰り返した。

 口の周りをべたべたに汚されながら、それでも身をよじって逃げた。殴るか、殴るかと何度も頭に過ぎり、結局できないまま、壁に後頭部をぶつけるまで追い詰められた。尻もちをついていた体はすっかり横倒しになり、意気揚々と跨られる。その口の周りも、てらてらと光っていた。

「はぁ、はぁ。どこまでいく?」

「いくわけ、ねぇだろ。俺は尾張じゃない」

「知ってるよ?」

「不毛なことはやめろ、俺もお前も、同じだって言うなら」

「それは無理」

「んぅ……っ」

 まともに口付けられた。コイツは舌まで狐のように長いのか、口腔をなぞるその動きは拒絶する俺の舌も巻き込んで、引き出していく。

「ふはっ、はっ、いい加減にしろ、俺はお前とは違う!」

「同じだなんて言ってないよ。わかるって言っただけ」

「わかってたまるか!」

「そりゃあ全部わかるとは言わないけどさぁ、でも、図星でしょ?」

「ちがうっ」

 かし。質量のない何かを押し潰した感触。それは、転がっていたコンドームの箱だった。いつの間にか、俺の腰の脇に転がっていたらしく、肘が当たったようだ。

「あーあ、潰れちゃった。中身は大丈夫かなぁ」

「なぁ、もうやめないか」

「やめてもいいけど、いいの?」

「言いふらしたいなら、好きにすればいい」

「違うよぉ」

「なにがだよ」

「ここでやめても、誰も褒めてくれないんじゃない?」

「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ……」

 いやらしく笑いながら、潰れた箱から中身を取り出す。見知ったパッケージ。それを一つ摘んでひらひらと、煩わしい。

「俺もさぁ、若を……あ、尾張のことね、尾張のことを第一に考えて生きてきた。何をするにも優先して、尾張が大事にしてるものは俺にとっても大事」

 摘んだ一つを俺の体の上の放り出すと、次には潰れた箱をひっくり返してバラバラバラ、全部吐き出した。

「そう教え込まれたから俺にとっては当然のことで、疑問も湧かなかった。一番大事な人。その感情が忠誠だったのか恋慕だったのか、その時は区別してなかった」

 俺の上に散らばるコンドームを数えるように、まだ若い長い指がトントンと跳ねる。欲望を数えて心臓に触れる。

「だからね? アンタを見た時、わかっちゃったんだ。区別できたんだよ。俺は尾張とヤりたいと思った時があったけどそれは、ただの性欲だけだったんだよねぇ」

「はぁ……」

「だからもうすっごく、アンタとヤりたくなった」

「はぁ!?」

 宣言したその表情は、いっそ清々しかった。

「だからヤろう!」

「いやいや。ん? 急に話の流れ変わったな!?」

「つまりわかりやすくいえば、一目惚れ!」

「その前の話の流れどこ行った!? そこは尾張とどうこうしたくなるんじゃねぇの?」

 年相応の爛漫とした表情で、いや、それよりかはもう少し淫靡に、頬を染めてのたまう。意地の悪い狐のイメージが、尻尾を振る犬のように変わった。

「ないない。尾張は俺のことなーんとも思ってないの。で、俺もそう。お互いに、大事な人ってだけだし、それで十分なんだ。そのことに気付いたあの瞬間、青天の霹靂ってやつ。もうさ、世界が変わったんだよ」

「ええー……?」

「わかるでしょ? アンタもそうなんだから」

「そうって、なにが?」

 人はこうまで卑しく笑えるものなのか。瞬く間に狐に変貌したその顔をぐわっと近づけてきて、小さな声で、まるで俺にすら秘密にしたいかのように、告げた。

「アンタの大切な人、アンタとどうこう、絶対しない」

「……ッ!!」

 それは今まで暴かれてきたどの図星より、鋭く、長く、突き刺さった。

 ドクドクと心臓が強く脈打つ。

 至近距離にある細い目から覗く瞳、ドバドバと溢れる色情。向けられる、熱。

「ね? だから、わかるんだよ。だって俺は尾張とヤりたいって思っても、ヤらないもん。尾張は俺のこと、大事にしてくれてるからさ」

「おまえ、おまえッ」

「アンタも大事な人から大事にされてるでしょ。だから、動けない。ね? 裏切れない」

「うるせぇ、うるせぇ、」

「そんなアンタとヤりたい。我慢してるアンタ見てると、抱きしめたくなるの」

 注がれる濃い色。うっすらと開いた細い目から、とくとくと。目眩がしそうになって、手を振り回す。

 我慢なんかしていない。抱きしめられて、何になる。

「ふっざけんな! どけ! 外せ!!」

「やーだ。あーあー、泣かないでよ」

「なっ……ない、?」

「ほんとに大事な人なんだ?」

「違う、やめろ、近づくなッ」

「大丈夫だよ。ねぇ、どうして、その人のためなら、アンタはなんでもしちゃうんだろう」

「さわるな、やめろ」

「ずっと、こうされたかった? なんでもしてあげれば、いつか、返ってくると思った? キスされて、愛されたい?」

「ちがう、おもってない」

「そうだね、でも、欲しかったでしょ? 我慢してたでしょ? 俺があげる。最初に言ったの覚えてる?」

「さいしょ……?」

「俺の気持ちをもらってって。なんでもしてあげる。欲しいもの全部、俺があげる。なぁ、欲しいだろ? 我慢するなよ」

「ああ、くそ、クソガキが……ッ」

「愛してほしいって言えよ」

「言えるわけ、ねぇじゃねぇか」

 頬を撫でる手のひらが、襟を開く指先が、熱く、柔く解きほぐさんと滑り出す。涙を拭う舌が口の中にまで優しく侵入してきて、俺は絶望した。

 きつく閉じた瞼の裏。暗闇に明滅する残光の中。自分とよく似た男の顔が、現れたからだ。

 俺はコイツの言う通り、求めていたのだろうか。絶対に割り込めないあの子と弟の関係を割くような、そんな劣情を。違うと言い切れないから、俺はその後の抵抗が出来なかった。しなかった。



(中略)



 ボロボロになった俺の体に甲斐甲斐しく世話を焼き、身支度を整えるその姿はやはり楽しそうだった。背中があざになっているのを見つけた時は耳を垂らした犬猫のように背中を丸めて謝罪を口にしていたが、これは同意の上だからとその落ち込む頭を撫でてあやした。

 大人用のジャージはサイズも悪くなく、下着も難なく装着出来たので、あとは少し休んで足腰を回復させれば作業員室に戻れそうだった。持ち歩いていた脚立が軽いタイプのもので良かったと、妙なところで胸を撫で下ろすこととなった。

 勉強机に付随する椅子は木製のもので、座っても心地いいとは言えなかったが、床に寝転がっているわけにもいかず、それを利用した。学校指定の体操着のジャージを着て隣に椅子を持ってきたヤツは、背もたれを抱くようにして座っている。

「無理させちゃったね」

「本当にな。まだケツん中変な感じ」

「癖になっちゃいそう?」

「……」

「エロい目で見ないでよ」

「蔑んでるんだよ」

 ため息には呆れだけではなく、笑いも多少含まれている。コイツとのやり取りを楽しんでいる気持ちがあるから、嫌いにはなれないだろう。

 だからこそ、さっさと核心をつく。

「お前、尾張のこと好きなんだろ?」

「へ……? いやぁ、それはヤる前に言ったでしょ」

「俺にしたみたいなことを尾張にしたかったんだろ」

「何言ってんの?」

 最初から貫かれてきた軽い調子が、ここにきて初めて強ばった。そういう顔には凄みがあり、血筋を感じさせる。とはいえ子供だ。細い目を真っ直ぐ見つめてやれば、そこに宿る怒りは容易く見つけられた。図星。

「大事だから手を出せない、ていうのも、尾張がお前をなーんとも思ってないっていうのも本当なんだろうな。尾張のことが好きすぎてひねくれて、こんなおっさん捕まえても仕方ないなぁ?」

「作業員さん、仕返しのつもり?」

「無体を強いられたんだからちょっとはやり返させろよ」

 ニヤリと笑う。相手は背もたれに顎を乗せてむっと顔をしかめた。腕を伸ばせばその頭に手が届き、傷んだ金糸が指に絡まる。

「尾張には都築がいるし、それを壊したいとは思わない。だからそばで守ってやってる。頭ん中では犯しながら」

「俺ってサイテーじゃん」

「尾張に対して実行してないんだから良い奴だよ。それに、青天の霹靂だったんだろ?」

「……?」

「自惚れちゃいないが、俺を見て思ったんじゃないのか? 尾張だけを守らなくてもいいんだって」

「ええ? 確かに、作業員さんのこと可愛いとは思ったけど」

「かわいかねぇが……誰かのために奔走する俺が、都築に振り向いてもらおうと暴走する尾張と重なった」

「そんなことないけどね」

「それとも、尾張に尽くす自分を見たか」

 わしわしと撫でくりまわす手をパシンと叩かれる。痛くはない。

「作業員さんは何が言いたいの」

「なんだろうなぁ。ははっ。俺さ、長男なんだ」

「いきなり身の上話?」

「うん、そう。弟がいるんだよ、俺が持ってるものを欲しがる弟。いつもいつも、俺はあいつに欲しいものを譲ってきたし、それは兄として当然」

「その弟くんが大事な人なわけだ」

「……正確には、あいつが手に入れたもの、だけどな」

 脳裏に浮かぶ、無邪気で生意気な弟と、素直で従順なあの子の姿。一緒にいる場面はあまり見ないが、それでもなお、二人の間にあるものの強さを常に感じる。実の所、俺はあの二人を完全に理解しているわけじゃない。ただ、弟はいつものように俺を頼ってきて、その端々にあの子が現れるようになり、二人を知るようになっただけだ。

 特別な何かで繋がる二人を、羨む気持ちで見ていた。割って入ることなど許されない、強い絆。

 それは、幼なじみとして繋がる尾張と都築、そして二人を守るコイツという構図にも当てはまるんじゃないだろうか。

「兄としてそれを取り上げることなんて出来やしないだろ? 今までずっとそうだった。欲しいものを欲しいって言えなかった」

「作業員さん」

「お前も、そういう性質なんじゃないかな。だから、はは。おお前はそういうつもりじゃなかっただろうし、俺もそういうつもりじゃなかったけど、お前が、言っただろ? 欲しいもの全部くれるって。それが、突き刺さっちゃったわけだ」

「……俺は作業員さんに、俺の気持ちを受け取って欲しかっただけ」

 境遇が似ていれば、欲求そのものが似る可能性は十分にある。コイツにとっての、欲しいものを全部あげる、という言葉は尾張に捧げる無償の愛の捌け口だった。そして俺にとっては、兄として抑圧を受けていた気持ちを甘えさせてくれる都合のいい言葉だったのだ。誘導尋問によってあの子や弟へのありえない劣情に惑わされてしまったが、本当の図星はきっとこの部分だったんだろう。

「うん、お前はそういうつもりだったんだな。でも、ああ、言うのは恥ずかしいが。恥も外聞も全部捨てて、あんな……ねだって、子供みたいに、欲しいって声を上げたのは久しぶりだった」

 二人の絆を見守るだけで、その中に少しでも入り込めるような気がしていたけどそんなことはなく、弟の力になっても、あの子の手助けをしても、俺が欲しいものは手に入らなかったし、これからも手に入ることなどない。その事実に気付いていながら、ただ兄だからと、いつまでも見栄を張っていた。

 目の前のコイツがそんなことまで見透かしてあんなことを言ってあれだけのことをしたのかといえば、絶対に違うと思う。それでも、突然現れて、閉じ込めた箱の中で、俺がずっと欲しかったものを与えてくれたのはコイツだった。

 叩き落とされた手を再び伸ばす。髪を梳き、目尻を撫で、頬をさする。若々しい肌は手のひらに吸い付くようだ。

「たまたま最初に見つけたのがこんなおっさんで残念だが、まぁ先は長いんだ、他にも良い相手はいるだろ」

「……ん? 最初? ちょっと待ってよ、どういう意味?」

「だからお前はさ、まず。お前の気持ちを、ちゃんとした相手に伝えるべきだと思う。とりあえず尾張に玉砕してくれば? そうすれば新しい相手も探せるし」

「ないない! っていうか、え!? なんか話おかしくなってない!?」

「なってないだろ。今回のことは、気の迷いってことだ、お互いにな」

「違う違う!」

 ガタン、と椅子を前に吹き飛ばしながら、大仰に立ち上がった。その音に相変わらずビビってしまう俺だったが、それよりも差し出していた手をがっしりと掴まれていることに困惑する。

「え、なに、流されただけ、なんて言うつもりなの作業員さん!」

「尻軽みたいに言うな。……いや、まぁ、そんなもんか」

「違うでしょ! 待ってよ、俺は作業員さんだからここまで計画して……!」

「だぁから、その時点で気の迷いだし、尾張以外に目が向くようになればいくらでも相手は見つかるから安心しろ」

「作業員さん……うそでしょ……本気で言ってる目じゃん」

「お前こそ大丈夫か?」

 偶然が重なった。俺があの子と弟の二人を羨む気持ちと、コイツが尾張と都築に向ける感情には似てる部分があった。だから、コイツがくれる言葉と、俺が欲する言葉が、偶然、そう、偶然重なっただけなのだ。

 じゃなきゃ、拘束が外れたあの時に、逃げ出さなかった理由がない。欲しいものをくれる相手に縋る素直な気持ちが俺にあったんだなぁなんて、感慨深くもなる。

「さて、そろそろ戻るか。下校時刻も近いし」

「待ってよ、終われない! 俺、このまま帰れないから!」

「人生、まだまだこれからだ。おっさん一人抱いたところで笑い話が一つ増えただけだろ」

「今の状況は一切笑えない……!」

 ああ、確かに。たらりと流れ落ちる汗やら、眉間に刻まれた深い皺やら、深刻そうに揺れる瞳やら、その表情から笑みは一欠片も読み取れない。でも、それも時間が経てば解決するだろう。なにせ、コイツはまだ高校生なのだ。

 未だ力強く握りめられている両手。そういえば最初もこうやって拘束されるところから始まったんだったか。何度でも逃げ出せるチャンスはあったにもかかわらず、最後まで致してしまうとは思わなかった。

「ああもう。じゃあ、せめて」

 苛立ちすら含んでいそうな声音で台詞を吐き捨てたそのまま、椅子に座る俺に被さるよう前に立つ。パッと離れた手。熱が消え、あ、と追いかけようとした視線は、顎を掴まれて阻止される。頬を両手で包むように固定され、降る口付け。

 今更拒絶するつもりはなかったが、顎の先に添えた親指がくっと下げるように力が込められ、僅かにこじ開けられた口腔へ舌が侵入する。わざとらしく音を立て、角度を変えて何度もくわえられ、呼吸すら食べられながら、ついさっきの情動を思い出させられる。

 自分でもわかるくらいに体から力が抜けて、頼るようにジャージを掴み、とろりと視界がぼやける。酷使したあの場所がじん、と甘く鳴いていた。

「っは、ぁ……っ」

「俺以外に、そんな顔見せないでね……?」

 細い目に灯る深く熱い色。さっきまで困り果てていたはずのその表情は、容赦のない快感をもたらす雄の顔をしていた。

 瞬間、俺は考えるのをやめた。

 お前の方こそ、なんて、思うわけない。それを欲してはいけない。

 甘えるのは、これが最後だ。我慢するのも慣れている。だから、大丈夫。

 無理矢理に体を引き剥がし、足腰を叱咤して立ち上がる。突然の行動に驚く相手の体を引きずって、汚れた服や脚立を抱えて自習室を出た。

 そこから、どうやって管理作業員室まで戻ったのか、正直よく覚えていない。でも、なんとか辿り着き、仲間と合流し、その日の業務を滞りなく終わらせた。

 今日は夜勤ではない。麓にある自宅までの帰路。ふいに、あの子の顔が頭を過ぎった。呆れたように笑いながら、気を付けてくださいね、と俺に言ってくれた優しい子。

 大丈夫。俺は今まで通り、管理作業員の一人として学校に従事し、時折あの子の手助けをしながら日々を過ごしていく。

 気を付けることなんてこれ以上ない。


 家に帰って、着ているジャージをどうするか、悩むのは明日以降のこととなる。


おわり。



後書き。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

前書きにも書きましたが、全文はpixivの方に投稿していますので、よかったらそちらを覗いていただければ幸いです。


本編にさほどBLっぽさがないので、このように番外編で発散していこうかと思っています。

基本的に登場人物のほとんどをCP固定しておりません。主人公である「彼」には相手を考えていますが、それ以外は宙ぶらりんです。

もし本編を読んでいて、こういうCPが見たい、と思うものがあれば教えていただきたいです(例えばですが、この管理作業員は最初、昼食を運んでくれた白衣の給仕人との大人同士のCPも考えていました。最終的にはせっかくの学園モノだからと今回のCPに着地しました)。

読んでくださっている方の需要にお応えしたいと思っていますので、お気軽に投げかけてみてください。


では、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

本編も書き進めていきますので、どうぞよろしくお願いします。

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