【19】モブっぽい朝

 今朝の食堂はなんとも言い難い妙な雰囲気だった。清々しい初秋の空が広がり、衣替えを考えてもいい時節。勉学を始めとした日常の繰り返しの中。それぞれのテーブルで各々が食事をとり、数多の生徒が一日の始まりを迎えている。

 食事に集中する者、仲のいいグループで雑談する者、今日の時間割を思い出す者、過ごし方は様々だ。ただ、その意識は目の前の食事や友人に向かっているとは限らず、とあるテーブルのとある集団に注がれているのがほとんどだった。その中心にいるのは言わずもがな、あの転入生。しかし、その雰囲気を作り出す原因になっているのは転入生その人ではなかった。そのテーブルで一緒に食事を囲む、人々。その空気だった。

 さほど人が多くない朝早い時間に、彼は友人の迎えを受けて食堂へと向かった。珍しいこともあるものだ、と笑ったら、食堂で何か起きたら見届けたい、と笑い返された。今までも先に彼が食堂にいて、あとで友人が現れて朝食をともにすることは多かったが、彼の他人に対する興味のなさ故に騒動を共有することは無かったのだ。

 二人が座る席はだいたい決まっていて、早い時間のためいつもより楽に陣取ることが出来た。机ごとに置かれたタッチパネルを覗き込み、別々の定食を選ぶ。しばらくすると他のクラスメイトも姿を現し、タッチパネルを渡して相談が繰り広げられ、やがて給仕の人間が配膳しにやってきた。さて、と手を合わし、友人とおかずを一つ二つ交換して味噌汁のお椀を持ち上げる。そこに、例の集団が登場だ。

 食堂入口の観音扉は開きっぱなし。時間が経つにつれ増える生徒。出入りは激しくなるものの、特に気になることなどない背景が、重みを発する。強烈な存在感は、声によって拡散される。

「お、きたな」

「朝から元気だなぁ」

「いつにも増してって感じ?」

 鮭を解し、醤油につける。友人は食堂全体が見えるようにと壁際を背にした席に着き、彼はその正面にいた。わざわざ振り返らなければその存在を確認することは叶わないが、響き渡る声だけで十分だった。

「ってか、増えてる。あれ、あいつも入ってる」

「ん?」

「ええ、あんなに喧嘩してたのに、すっげぇ仲良くなってんじゃん」

「喧嘩って、都築のことか」

「それとあのもう一人、たしか尾張だっけ?」

「尾張ねぇ」

 鮭とご飯を口の中に放り込んでから、腰を捻って背後を見る。その集団はテーブルの合間を縫ってなんやかんやと騒いでいた。人数は思っていたより多い。転入生を中心に八人ほどだ。

 その中には都築と尾張がいた。そして、おそらくだが、尾張の舎弟っぽいのが一人。もしかしたらあの携帯電話の持ち主じゃないかと思ったが、ここからではわからない。その他の面々は見覚えすらなかった。生徒会でないことは確かだ。

「うっわ、眠り姫もいんじゃん! なぁ、あれそうだよな?」

 友人は隣に座るクラスメイトに問いかけていた。他人に興味のない彼に聞いても仕方がないと判断したのだろう。友人とクラスメイトたちは転入生を囲む面々について盛り上がり始める。彼はご飯が残るお茶碗を持ったまま、ようやく決まったらしいテーブルへと移動していく転入生たちを視線で追った。眠り姫らしき人物を含め、皆が皆、顔が良い。

「うっわぁまた敵増やしそうなメンツ連れてる」

「見事に親衛隊持ちかぁ。尾張も実は隠れファン多いって聞いたけど」

「なんか先輩に多いんだって?」

 それは舎弟だろうな、と彼は心の中で指摘した。

「都築だってあの中で浮いてないし」

「つか、あいつだけ汚すぎるだろ」

 一度おぼんに向き直ってサラダをつまみ、再び振り返る。タッチパネルを交換し合う転入生たちは比較的落ち着いていた。

「で、お前の感想は?」

「ん? 鮭が美味い」

「一口くれ」

「玉子もらうぞ」

 咄嗟に伸びる互いの箸。それをきっかけに彼は正しく席に着いた。腰が痛い。

 そこからなんとも言い難い妙な雰囲気が広がり始めるのだが、それは友人が最初に感じ取った感想が全てだった。二日前に寮で起きた騒動、そして前日の昼休みにB組で起きた言い争い、それを経た結果があの仲良しこよしなのである。放課後に生徒会や風紀委員会の介入によってことの解決に至ったということは、生徒たちの間でも何となく察せられなくもないのだが、それにしては、解決しすぎではないかと。

 特に話題の中心に上がったのは都築と尾張である。二人の仲睦まじさ、それを取り持つように振る舞う転入生という構図は、無条件に嫌悪や侮蔑を向けていた生徒たちにとって理解し難い光景となっていたようだった。


「で、満足したか?」

「ううん、いや、よくわかんねぇよー」

 時間をかけた朝食を終え、教室まで移動してきた友人に問いかけた彼は笑っていた。友人はなんとも言い難い表情でロッカーの前に立ち、教材を整えていた。

「昨日のあれ、すっごかったんだぜ? 都築のあんな顔、初めて見たもん」

「もんって」

「尾張もそうとうやばかったし」

「仲直りしたんならいいじゃないか」

「見てないから言えるんだよそれ」

 昼休みの言い争いはそれほどに激しいものだったのか。彼はそのほとんどを見ることが出来なかったのだが、尾張の悲壮な表情だけはハッキリ覚えている。

「洗脳でもしたんじゃね?」

「こわ」

「そうか、あの転入生の魔性っぷりは洗脳だった……?」

「一人で適当な結論出すな」

「お前はどう思うんだよ?」

 教科書やノートを持って黒板前の特等席へ向かう。後ろから下敷きでペシペシと叩かれながら、彼は彼なりの考察を吐露する。

「でも確かに、あの転入生には何か秘密があるのかもな」

「やっぱりそう思うだろ? 催眠術?」

「あんなに声の大きい催眠術師見たことないけど?」

「そうだな!」

 あっけらかんと笑う友人が隣に座り、彼も静かに着席した。催眠術や洗脳なんて専門的な技術をあの転入生が持っているとは思わないが、もっと別の部分で大きな秘密があることは確実だ。

 彼の脳裏に浮かぶのは、理事長の言葉。かつて転入生について説明を求めた時、その口振りには明らかな意図があった。

 その時、話題の人が教室後方の扉から勢いよく現れた。大きな挨拶、都築のささやかな悲鳴。相変わらずの騒々しさはもはや、安定感すらある。友人は眉をひそめて振り返り、彼は正面を向いたまま、呟いた。

「あの理事長が犠牲を払うほどの秘密がなぁ」

「え? なんて?」

「いいや、なんでもない」

 予鈴が響き渡り、ほどなくして担任が現れた。


 問題というものは、表に現れた時にはすでにある程度進行しているものだ。それも、突然ではなく、小さな積み重ねがあって、気付かないうちに育ってしまうものだと思う。それは例えば、努力に似ている。彼は教科書を睨みつけながら唸っていた。

「数学苦手だもんな」

「テスト週間は来週だったっけ?」

「それさっきも言った」

 一時間目が始まる前のホームルームで、担任から連絡事項があった。夏休み明けの実力テストの実施だ。

 といっても、それは成績に反映する定期考査とは違い、休み中に勉強を怠っていなかったかを確認するだけのもので、一週間かけて各教科の授業の半分ほど時間を割いて行われる小テストだった。ただし、小テストだからと気を抜くことは出来ない。テスト範囲は一学期の復習とあって広く、なおかつ、この実力テストにはある措置が取られる。

「ちなみに成績を貼り出すのはさらに翌週」

「わかってるよ」

 ケラケラと笑いながら告げる隣席の友人に苛立ちすら覚え始めた彼だったが、もう何も言わなかった。一時間目の数学でテスト範囲を改めて通知され、それを確認するだけで精一杯だったからだ。

「図書室で勉強会しようぜ。俺も現代文とか教えてほしいし」

「ああ、うん。それにしても、遅くないか」

「そういえばそうだな。実力テストって夏休み明けすぐって話だった気が」

 彼らは一年なので初めてだが、小中高と系列学校上がってくる中で情報は簡単に手に入る。実力テストの有無も、その成績が校舎の入口に貼り出されることも、その実施時期も当然知っていた。

 テストの目的が夏休み中の怠惰を引き締めるものだとしたら、既に半月が過ぎて授業が進んでいる今、適正だと言えるのだろうか。

「とにかく、頑張るしかない!」

「正論だな」

 学生らしく意気込む姿は褒められるべきものだろう。教室後方の騒がしい例の転入生は、テストなんて嫌いだ、と声高に叫んでいるようだった。

 そして、テスト実施時期に関しては意外な場所から問題提起されることとなる。

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