【18】一件落着

 風紀委員長が立ち上がり、しゃっくりが止まらなくなってしまった尾張を代わりに座らせた。二、三度頭を下げながらソファに落ち着いた尾張だったが、ハンカチを通り越して飛び出す痙攣を都築に笑われて、背中を丸めるしかなかった。会長すら、その端正な顔を和らげてみせ、思い立ったように携帯を取り出し、おそらく休憩室の向こうで待機しているであろう副会長に話が一段落したことを報告した。

 青い壁紙に沿うよう向かった簡易給湯室には一通りのお茶汲みセットがあり、風紀委員長はぬるめの煎茶を四つ用意して戻った。ちょうど会長の電話が終わったタイミングで、風紀委員長はまず尾張にお茶を差し出す。それとめてね、と言葉を添え、残りを二人にも手渡した。

 てっきり話は終わったものだと思っていた都築だが、どうやらそうではないらしい。煎茶を舐めて、風紀委員長と会長が話し始めるのを待つ。しゃっくりが止まらない尾張は、隣に座った風紀委員長に対して少しだけ慌てていた。

「おかわりあるから、ま、気長にね。それに一応丸く収まったみたいだからよかったよ。ねぇ、会長」

「ああ。殴り合いにでもなったら、と、少しは考えていたからな」

「ご心配をおかけしました」

 一方的に言葉での暴力は働いた気がするけど、と都築は思ったが口には出さなかった。

「都築は戻ってもらってもいいかな、ああでも聞きたいこともあるんだ。そっち先に聞こうか」

「なんでしょうか」

「最初っから犯人わかってたってとこ。全く、騙されちゃったよ」

「それはその……すみません。まさか本当に、こんな大事になるとは思ってなかったんです」

 都築にとって今回の事件は、尾張が友達作りを邪魔してきた、程度のことだったのだが、ここで問題になったのは被害者が都築だけではなく加賀見も含んでいたことだった。都築は嫌がらせが自分に向けられたものであり、とばっちりを受けたのが加賀見の方であるとわかっていたが、通報を受けた生徒会面々はそう思わなかった。すでに校内で話題となっていた加賀見は、渦巻く負の感情を実害として被る可能性が十分にあり、都築が巻き添えを食ってもおかしくない状況でもあった。そこで生じた齟齬が事態をここまでややこしくしたのだろう。

「加賀見に知らせなかったのも、それが理由か」

「はい。会長も言っていましたが、加賀見は正義感が強いですし」

「あ、じゃあ、実行犯の子たちも知り合いだったり?」

「そうですね。捕まったら尾張に命令されたって白状するように言われていたみたいで、でもしなかったでしょう」

「そうそう。指示書みたいなものは持ってたけど、でもなんかこう、誰かを庇ってるって感じでね。反省文は書いてもらったよ、もちろん」

「俺もあとで話聞きました。義理と人情の話をされました」

「うわあ」

「だから、捕まったこと尾張には言わないようにと。自首させようとかいろいろ考えてたらしいですがその時に、あの、昨日の放課後の」

「なるほどねぇ」

 ふんふんと頷く隣で、しゃっくりが止まった尾張は唖然としていた。実行犯が捕まっていたことを知らなかったからだろう。しゃっくりを止めたのはこの事実だったか。

「さて、これでいやがらせは一件落着かな。で、最後に」

「あいつ、捕まってたのか!?」

「うわっ急に大声出さないでよ」

 高級なソファが二人の体を跳ねさせる。尾張は泣いて赤くなった目を見開き、距離のある都築に声で迫った。あいつ、と言うだけで互いに浮かぶ顔があるらしく、都築は素直に頷いた。

「だから、あんな電話……」

「電話? 詳しく聞かせろ」

「そうそう、それこそオレたちが聞きたい話」

 会長と風紀委員長の態度はまるで二人の和解はついでと言わんばかりだが、尾張はそんなことよりも例の電話が気になっていた。自白のきっかけを与えたあの電話。その着信は、ロッカー荒らしを頼んだ先輩の舎弟からかかってきたものだった。

「知らない奴の声で、放課後いやがらせの件で追求されるぞって言われた。あの喧嘩の時に俺がなんか言ってたみたいで、それが証拠で……都築、お前のことも言ってた。俺のことも調べあげてるような……だからもう言い逃れできねぇと思って」

「具体的に何を言われた?」

「なんだったっけ……俺の家の事とか、都築が喧嘩が強い友人がいるって言ってて、それが俺のことじゃないって、だから」

「喧嘩が強い友人、とそう言ったの?」

「あ、ああ、はい」

「都築には喧嘩が強い友人がいる。都築、確かにそう言っていたな?」

「はい、言いました。犯人が尾張たちだってわかっていたので」

「そう。それでオレはその発言を報告書に書いたんだ。へぇ、そう、それはつまり、その電話の相手は報告書を読んでたわけね」

 報告書は非公式なものだった。風紀委員長はそれを提出した相手がただ一人であることを知っている。なぜなら、その報告書を書いたのも提出したのも、風紀委員長本人だからだ。まだ表に出すべきではない、しかし、放置すれば悪化する。手を打つために後ろ盾を得ようと、生徒会や前会長の親衛隊に手伝ってもらい、作り上げた非公式なそれ。読むことができるのは、この学校の頂点に君臨する男ただ一人。

「どうやらその電話の相手が愛しの隣人のようだねぇ」

「尾張、お前にはもう少し協力してもらうぞ」

「都築にもまだがんばってもらおうかな」

 一体、会長と風紀委員長の間でどういう会話が交わされているのか、内容を聞いていても尾張と都築には一端すら理解が及ばなかったが、二人揃って多大な迷惑をかけた自覚は十二分にあるので素直に従うことにした。

 しかし、扉の向こうで待つ面々がそろそろ痺れを切らすだろう。風紀委員長も尾張の自白を報告書にまとめねばならず、会長はいやがらせを知らされていないはずの加賀見に事の顛末を語らねばならない。一度ここは解散し、日を改めて協力を仰ぐこととなった。

 一番最後に都築が扉から出ると、加賀見が力強く抱きついてきてくれた。一度は締まったはずの涙腺は再び緩み、そして、全てが丸く収まった。


 彼が円満解決を聞いたのは夜遅くになってからのこと。自室のインターホンが鳴り、開けた先にいたのは理事長その人だった。唐突な登場はもちろん、ここに侵入するためか寮の清掃員の格好をしている姿に仰天し、悲鳴をあげそうになってしまったほどだ。慌てて扉を閉めてしまい、二回ほど深呼吸してから、ようやく理事長を迎え入れることが出来た。

 風紀委員会から、とりあえず、といった報告書が上がってきた。風紀委員長は会って口頭による報告を申し出ていたのだが、あいにく理事長は麓の事務所に出勤していたため叶わず、メールで報告書が送られてきたらしい。そして仕事を終えた理事長はその足でここへ飛んできたようだった。

 部屋に入るなり、ぎゅっと懐に包み込まれる。彼は平均身長より高いのだが、理事長はそれより大きな大人だった。背中から腰にかけて回される腕、掴む大きな手のひら。体温をわけあたえるような鼓動の連動。彼はささやかに、清掃員の青い制服を握りしめた。

 しばらくそうしていたが、理事長が名残惜しそうに身を剥がし、玄関から移動した。リビングのテーブルにつき、彼は簡易台所に立つ。手早く用意したのは紅茶だ。

「はぁ。安心したよ。大丈夫だね」

「電話でそう言ったはずですが?」

「ああ、そうだった」

 二人でカップを傾け、笑い合う。香り立つ穏やかな時間を共有した後、話を始めた。

 風紀委員会による自供の調書、生徒会で行われた当事者間での対話。詳細は詰められていなかったが、読んでいく限り、不和は感じられなかった。あとで正式なものが学校に提出されるということだ。

「良かったですね、尾張のこと心配だったんですが」

「ああ、雨降って地固まる、ってやつかな。これも君が動いてくれたおかげだよ」

「俺は雨を増やしただけのような気がします」

「そんなことはないさ」

 その雨は恵をもたらしたはずだから、と理事長は彼の頭をそっと撫でた。彼はその行為を享受する。頑張ったかいがあった。

「しかしなぁ、乾いていない地もある」

「と、いうと」

「尾張を問い詰めた電話。君の痕跡だ」

「ああ……大丈夫だと思います」

「そうかい?」

「お兄さんにおまかせしましたから」

「ほう」

 彼の頭を撫でる手がピタリと止まる。さっきまでご機嫌だった理事長の顔面に浮かび上がる嫌悪。彼から見たこの兄弟は仲がいいと思っているが、それはいわゆる、喧嘩するほど、ということなのだろう。

「もし君に何かあったら、あいつに責任を取ってもらおうじゃないか」

「それは、まあ」

 あの人がヘマをするとは思えないので心配無用だが、そういう信頼を見せるとまた面倒になりそうだ。彼は曖昧に答えるだけにして、話題をすり替えた。

「それ、新しく買ったものなんです。どうですか?」

「もちろん美味しいよ。はぁ、いやされる」

「良かったです」

「ああ帰りたくない」

「子供みたいなこと言わないでください」

 飲み干してしまいそうな勢いでカップをあおり、中身を残してソーサーを持つ。理事長は頬をふくらませて彼を見上げた。

「あと一杯。それで、はあ、帰るよ」

「わかりました」

「とにかく、助かった。ありがとう。お疲れ様」

「……はい、理事長もお疲れ様でした」

 席を立ってカップを受け取り、変装のために整えられていない髪を梳いて撫でた。二度、三度と往復させ、最後に頬へと滑らせる。大人の肌は少し、荒れていた。

「明日も頑張りましょう」

「ああ、帰りたくない」

 添えた手に擦り寄る仕草に一つ息を吐く。紅茶のおかわりを淹れることができたのはもう少し経ってからだった。

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