【17】都築と尾張の話

 生徒会室前。生徒会長を先頭に室内へ移動しようと、扉の前に立った。例のカードキーをいつものように機械に提示しなければならない。会長は内ポケットに手を伸ばしたものの、些細な抵抗にあう。制服の袖を脇に立つ人物がつついと引っ張ったのだ。

 言葉で聞くまでもなく、視線で意図を問うてみた。会長の横にいたのは珍しく、書記だった。一つ年の差のある二人は共に高身長なのだが、猫背気味の書記はいつも以上に背を丸め、会長からの視線を特に嫌っているように見える。反して袖を握る指先には力が籠っているのだから、会長はつい語気を強めて問い質した。

「なんだ、どうかしたか」

「……あ、の」

 会長は書記の能力を買っている。彼は確かに言葉少なな性格だが、自分の意見をしっかり持っていることを知っていた。これまで生徒会活動を共にする中、彼が言葉を選んで発言した内容は常に活動を円滑に進めるためのものだった。時には会長に意見することもあり、その話し合いが無駄だったことは一度もない。書記は書記なりに最善を考えて行動していることを会長は理解していた。

 だから、書記がこうして意思表示をする際には耳を傾けることに決めている。時間がかかっても、書記が選ぶ言葉を待つことには価値があった。

「どうかしましたか?」

「すみません、あの。いれ、て、いいんでしょうか」

「いれる、とは?」

 後ろで会計と話していた副会長がこちら側にやってきた。書記はいつもより慎重に言葉を選んでいるようだ。

「この部屋は、部外者は立ち入り禁止、ですよね」

「ああ、二人のことか。今は俺たちが付き添っているから問題は無いだろう」

「そうなん、です、けど」

「以前にも加賀見を招いたじゃないですか」

 一度、加賀見はここに来た。みんなの活動を見てみたいと目を輝かせて言うものだから、連れてきたのは記憶に新しい。当時、書記も抵抗なく一緒に訪れたはずだ。

「でも、ですけど、あの」

「……準役員のことが心配なのか? 安心しろ、それもあいつが聞き出すはずだからな」

「えっ……?」

「あいつが無理なら俺がやる」

 加賀見を連れて来た日。判明したのは正体不明の存在。部外者立ち入り禁止であるはずのこの部屋を、何者かが牛耳っていたという事実。書記は普段から変わらない無表情をくしゃりと歪め、不安そうに会長を見上げていた。その顔には年相応の未熟さがベッタリと貼り付いていて、会長は心がいきり立つのを感じた。

 会長は既にそのしっぽを掴んでいる。今は風紀委員長の手の内にいるあの生徒に聞けば追い詰めることは容易い。書記の危惧もわからなくもないが、会長にとっては解決したも同然だ。

「これからは俺がここを管理する。他の誰にも好きにさせないから、な」

「……大丈夫、です、よね」

「ああ。俺がそう言ってるんだ」

「加賀見のこと……大丈夫、です、よね」

「当たり前だろう」

 会長はその端正な顔をきりりと引き締めて告げた。ようやく書記は会長の服の袖を離し、彼らは生徒会室へと入っていった。


 連絡が来たのは三十分ほど後の事だった。聴取は概ね終了。尾張はいやがらせを全面的に認めた。ただ一つ、指示した相手だけは証言しないまま、全て自分一人でやったことだと一貫。実行犯が数人事情を聞かれていることを知らないようだったので伏せ、会長が都築に聞いたところ、都築から口止めが行われたとの事だった。その理由について、都築は話さなかった。

 加賀見が、尾張はどうなるのかと会長に聞き、処分が下る説明をした。今回は学校の備品の軽度な損壊となり、先生に報告して内申に反映されること、反省文の提出が課されることなどが考えられるといった内容だった。

「あとは、都築と話がしたいと、尾張は言っている」

「もちろん! ちゃんと話さないとな!」

「うん……それ、今日じゃなきゃダメ?」

「ダメだってば! もう!」

 頬を膨らませて跳ねる加賀見に、都築は顔を暗くする。

「尾張は謝りたいんだろう。それくらい聞いてやればいいんじゃないのか」

「……謝りたい、ですか。あいつ、いつもそうなんですよ。許してもらえると思ってるんです」

「許してもらうために謝るんじゃないか?」

「だから繰り返すんです。あいつはわかってない。ああ、でも。はぁ」

 会長の話に反論したいわけじゃないんです、と都築は付け加えた。

「今回が初めてじゃないので。だから、もう。巻き込んですみませんでした」

「あなたが謝ることありませんよ」

「ありがとうございます。話、してきます。最後までお世話になって、なんて言ったらいいか」

「友達なんだから気にするなって! な、みんな!」

 都築の決心が固まり、生徒会室内部に備えられた休憩室で話し合いが行われることになった。立ち会いは会長が申し出て、加賀見は入らなかった。

 連絡を取ると、尾張は風紀委員長に連れられて生徒会室へとやってきた。廊下で見た小さな姿はどこへやら、尾張は風紀委員長の後ろでしっかりと立ち、都築を見ている。他の人間など眼中に無いその様子から、都築は自身の中で言い表しがたい感情が湧いてくるのを感じる。それはグツグツと沸騰を始めていたが、かろうじて吹きこぼれることなく硬い殻の中に収まってくれていた。

 どうやら風紀委員長も立ち会うらしく、休憩室には四人で入ることとなった。

 休憩室にはローテーブルとソファが三つ、本棚も置いてある。どれも高級そうだが、壊れてしまいそうで近付きたくない。奥には給湯室みたいなものもあった。

 会長に促され、ソファの一つに座る。二人がけ。隣に会長が座り、九十度の角度に置かれた同じ二人がけのソファには風紀委員長が、尾張はローテーブルを挟んだ正面に立ち、頭を下げた。

「悪かった。俺が全部。すまなかった」

 その声は都築に向かって真っ直ぐに飛んできた。都築の心の中でカタカタと震える硬い殻にぶつかって、ヒビを作る。殻の中で湧く感情が温度を上げる。

「生徒会のみなさんや、風紀委員会のみなさんにも、頭を下げるつもりだ。迷惑をかけた人に」

 ひゅんひゅんと、軽々しく、その声は殻にぶつかっては弾かれて、ヒビを増やして消えていく。

 頭を下げたままの尾張には、そんな都築の鬱屈とした顔すら見えていなかった。

「許してくれとは言わない」

 それが最後の一撃。

「なにが、悪かった、だ」

「はっ……?」

「どこが、どう、悪いと思ってる? お前はいっつもそう。俺が本気で怒らないと思ってるんだろ」

「つづき……?」

「これくらいのことだったら許してくれる、そう思ってる、だから何度も何度も繰り返す。自分が何をしたかもわかってない」

「俺は、そんなこと」

「じゃあ、どうして俺が怒ってるか、言ってみろ」

 割れた殻は分厚くて、都築の心を血だらけにして砕け散った。昼休みにも言った台詞だ。あの時は勢いが勝り、自分で自分の台詞の意味がわからなかった。自分でも何に怒っているのかがわからなかった。

 ただ、今ははっきりとわかる。保健室に行くまでに話を聞いてくれた保健委員。保健室で相談に乗ってくれた保健医。そして、隣で背中を押し続けてくれた加賀見。思考を声に出して整理していくうちに、昼休みにどうしてあれほど激高してしまったかがわかったのだ。

 グツグツと煮えたぎる感情の根源。

「それは、ロッカーを荒らしたから」

「お前さぁ、本気で……本気で言ってるのか、この馬鹿」

「なっ……そうじゃない、のか」

「あのな。あのロッカー荒らしがお前がやらせたことだなんてはじめっからわかってたに決まってるだろ」

「えっ」

 これには隣に座っていた会長からも戸惑いの空気がじわりと漏れていた。風紀委員長はかすかに気付いていたのだろうか、ああ、とひとつ頷く。

「だから加賀見に隠して、匿名で通報してもらったんだ。まさか、会長さんやみなさんがここまで協力してくれるとは思わなかったけど」

「なんで、なんで俺に……っ」

「言うわけないだろ。俺が友達作ろうとしたらことごとく邪魔してきて、そりゃお前目当ての下心ある奴が多かったのは事実で、助かったこともあったけど、本気で友達になりたい奴も全部遠ざけて、感謝されようとして」

「ちがう、俺はただ」

「いや、いいんだよ。俺はいつもお前を許してきた。怒るのが、そう、面倒で。はぁ。だからダメだったんだ。怒るべきだった。加賀見の言う通り、怒ってよかったんだ」

 都築の周りはいつも静かだった。勉強に集中出来る素晴らしい環境を得ていたのは確かで、それは尾張によってもたらされている部分が大いにあった。

 尾張はいつも都築の手を引いて、前に立って導いてくれていた。その状態を都築は許していた。決して、悪い面ばかりではなかったから。

「別に、いいんだ。ロッカーを荒らしたいならいくらでもやればいい。イタチごっこを続けていればそのうち諦めるかとか思ってたし、そうじゃなきゃ、またいつもみたいに俺が折れたかもしれない。だから、つまり、俺が怒ってるのはそこじゃない」

「じゃあ、なんで」

「はははは。わからない? そうだよな。俺だってさっき……さっき気付いた。いや、気付いていたんだ。でも、言えないよ」

 湧く感情が、ぐるりと混ざる。ボコボコと泡立つ表層とは裏腹に、底に沈んだ重い何かが震え出す。口を閉ざしてしまいたい。逃げ出してしまいたい。ここでやめればまだ間に合う。

 けれど、それを、都築自身が許さなかった。自分自身の強い意志に気付いてしまった以上、否定したくないのだ。

「俺は俺の意志で加賀見の隣にいる」

 都築自身の強い意志だった。

「なのにお前、俺が加賀見と一緒にいたくないなんて、勝手に決めつけて、俺の意志を自分の都合のいいように」

「あれはっだって、お前迷惑そうにしてたじゃねぇか!」

「いつの話だよ」

 最初はうるさくて煩わしいと感じていた。うるさくて、楽しそうで、面倒で、愛らしい。一緒にいる時間を過ごす中で、加賀見の人としての魅力を理解していくことが出来た。きっと、加賀見も同じだと思う。つまり都築は加賀見を友達だと思っているし、また加賀見も都築を親友だと明言している。

 これは揺るぎない都築の意志だ。都築と加賀見を見ていれば、その意志は感じ取れるものなのだ。

 尾張は、感じ取ることはおろか、二人を見ることすらしていなかった。

「そうやって自分の都合のいいように……ずっとそうだった。後ろに隠して、守るふりをして、俺を閉じこめてたんだ。それに甘んじてた俺も、悪い」

「そんなふうに……思ってたのか」

「自覚はなかったけど、そうだったんだと思う。だから、だから俺は今こんなに……後悔してるんだ」

 分厚い殻の中で育っていた重い何か。心に湧く感情の正体が見えてくる。表層で煮えたぎる怒りの下、重く暗く濁った塊が転がる。

 後悔。

 深く根ざした重い感情だ。尾張のことを許していた自分に対する後悔。そして、尾張を責め立てることしか出来ない後悔。割れた殻が自分自身を傷つけるように、それは相手にも突き刺さる。

「言わなければ、尾張のこと、こんな……傷つけなくて済んだのに」

「え……」

「言いたくなかった。でも、言わなかったら、お前はまた俺の意思を無視する。ずっと繰り返す。俺はお前の後ろに引きこもって、意思もなく、ただ守られる。俺はそれでもいいって思ってた、言わなくてもいいって。でも加賀見は、加賀見はさ、ちゃんと話しろって。このままじゃ、ダメだって。怒って、いいんだって」

「……」

「加賀見は、俺のことも、お前のことも、しっかり見てくれてるんだよ。俺たちより、俺たちのこと、わかってるのかも」

「あいつがそんな」

「みんな、加賀見のこと、わかってないんだ」

 その瞬間、ふっと心が凪いで、湧いた怒りも後悔も溶けるように消えた。大きな声で明るく笑う加賀見の姿が脳裏に浮かぶ。次には心配そうな顔で寄り添い、辛そうな顔で背中を押してくれた。

 尾張に怒りをぶつけるということは、今までの二人の関係を否定するということだ。尾張が守り、都築が許す、生温い関係。でも、そこに悪意がないことを知っている。だから、それがどれほど辛いことか、また、尾張を傷付けてしまうことか、わかっていた。それでも、やらねばならないということも。

 加賀見は最後まで隣で、同じように苦しんでくれていた。だから都築は断言出来る。

「俺は親友だから、加賀見のこと、わかるよ」

 尾張は、思い出した。

 都築が隣にいたことなど一度もなかったこと。いつも、手を引いて前しか見ていなかったこと。

「……ごめん。ごめん、俺、おれ」

「やっとわかった? 俺も、ごめん。謝りに行くの、付き合ってやるから」

 いつから涙が溢れてたのだろうか。都築は会長から、尾張は風紀委員長から手渡されたハンカチで顔を拭い、次に目を合わせた時、自然と笑みがこぼれていた。

 都築と尾張は和解した。

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