【15】委員は忙しい

 理事長の言った通りになった。風紀を束ねる風紀委員長は内心、苛立っていた。

 今朝の呼び出しを受け、授業の合間の休み時間で会長と連絡を取り合った。昼休みには風紀室で資料を再考し、実行犯からの聞き取りを放課後に変更。その連絡を回すため部下を呼び、この件において協力してもらっていた前の会長の親衛隊からの報告もあわせて精査、風紀委員たちが黙々と作業を進めていた中、風紀室内にある内線電話がけたたましく鳴り響いた。

 委員の一人がそれを取り、二つ三つ頷いて、こちらに受話器を寄越す。向こうは会長だという。

 一年B組の教室で騒ぎがあった。収まったというが顔を出せと、ことのほか落ち着いた声音で告げられる。断ることはない。会長が出した名は、例の都築と加賀見、そして尾張だった。

 予鈴までさほど時間はなく、教室に向かう途中で会長とその仲間たちと合流した。会長はB組にいる親衛隊から回ってきた通報を生徒会室で受け取ったらしい。道すがら、顛末を聞く。

「その時、教室には加賀見と都築は戻っていなかった。そこに尾張が訪ね、クラスメイトに詰め寄り、一悶着あったそうだ」

「尾張がねぇ」

「そこまではまだ、一悶着、だったと聞いています。騒ぎに発展したのはやはり、加賀見たちが戻ってからだそうです」

「B組には副会長の子飼いもいるの?」

「その言い方はやめてください」

 軽くいなす副会長が、それでも冷静に続ける。

「言い争いに発展したそうですが、主に声を荒らげていたのは都築だったと」

「都築? 尾張、いや、加賀見じゃなくて?」

「加賀見がどうしていたかまでは、わかっていません」

「じゃあよっぽど、都築が荒ぶっていたのかねえ」

「今は尾張が廊下に出ている状態で待機しています」

 つまり、都築に火を点けたのは尾張だったということか。風紀委員長は昨日の騒動を想起していた。あの時は加賀見と尾張が喧嘩をしていたはずだ。その聴取は今日の放課後に予定され、尾張と加賀見にはそれぞれ一日大人しくしているよう指示されていた。その上で、指示を破る形で尾張は行動に移した。結果、尾張と都築が衝突した。理由は想像に難くない。例のいやがらせだ。

 生徒会準役員の仕業か。会長からの電話が思いのほか落ち着いたものだった理由は、騒動の原因に思い当たる節があるからにほかならない。理事長のあの鼻につく態度が脳裏を過る。

 特別棟から一年B組の教室まで、すれ違う生徒達は揃って目を丸くしていた。風紀委員長を先頭に生徒会を従えて突き進む様子はただならぬ雰囲気を醸していたのだろう。呼び止めるような者もなく、予鈴が鳴るまでに到着できた。報告の通り、数人の生徒に囲まれて廊下の壁にうなだれる尾張の姿がある。

「こっちはオレが。会長たちはそっちをよろしくねえ」

 まるで追い払うかのように、風紀委員長は尾張の周りを綺麗にして目の前に立った。

「さて。事情を聞こうかな?」

「ああ」

 尾張は頷いたように見えたが、俯いたまま停止した。さてどうしたものか。背後では会長がほかのメンバーを教室へと促している。どうやら、会長はここに残るつもりらしい。風紀委員長は構わず尋問を続ける。

「どうしてここに? 昨日のことがあって注意を受けていたよねえ?」

 尾張は動かない。

「もうすぐ予鈴が鳴るんだけど。このままじゃあいろいろ面倒なのわかる?」

 顔を上げた。

「やっぱりお前じゃないのか」

 その尾張の一言は風紀委員長と会長の二人を緊張させるに足るものだった。

「それ、どういう意味?」

「お前じゃないというのはなんだ」

 固くなった声音に襲われた尾張は、壁に背中を押し当てるようにして姿勢を正し、一度だけぐっと口を結んでから、はぁっと息を吐きながら開いた。

「全部、俺がやりました。悪いのは俺です」

「どういうことだッ」

「会長落ち着いて」

 詰め寄る会長を片腕で制し、風紀委員長は尾張に向き直る。尾張の目にはしっかりとした意思が見えた。

「その自白、長くなるよね。わかるよ。だから今は、教室に戻って授業を受けようか」

「お前、何を悠長な」

「ここで話を聞くわけにもいかないでしょ? 幸い、当事者達はクラスが違うんだし」

 尾張は一年C組である。さらに言えば、校舎の構造上彼が授業を受ける教室は角を曲がった先にあった。大した距離でないのだが、それでも隣同士ではないというだけで違いがあるものだ。

「このあとの授業で移動教室は?」

「ない、です」

「うんうん。だったら放課後まで教室を出ずに授業を受けて。で、オレが迎えに行くまではクラスの風紀委員と一緒にいること。できるよね」

 風紀委員長の言葉は断定的だった。

「はい」

「決まり。じゃあ、お前だったっけ」

 周りに待機していた生徒の中からC組の風紀委員を見つけ出す。彼に教室までの付き添いを指示し、放課後までの監視も命じた。気付かなかったが、既に予鈴は鳴っていた。

「次は中だけど?」

「あ、ああ」

「しっかりしてよ、会長サマ」

 廊下の野次馬はとうに各々の教室へと避難している。廊下には風紀委員が数名残るのみで、会長を除いた生徒会面々は未だここにはいない。教室の中は解決していないということだ。風紀委員長は風紀委員達を解散させ、会長と連れ立ってB組の教室へと侵入した。

 中は静かだった。都築は教室後方にて、加賀見、副会長と話をしており、それ以外の生徒会役員らはそばで待機している。クラスメイトたちは自席についていて、都築たちを気にする者、授業を待つ者、それぞれだった。

 会長が前を歩き、副会長に声をかけた。加賀見が会長の名前を大声で叫ぶ。

「違うんだってば! 都築はちょっと怒っただけで!」

「はははは」

「都築、ちゃんと説明しねぇと!」

「ははは、はぁ。うん」

 会長に対して、おそらく、副会長に対してもそうだったのだろう、加賀見は懸命に、そして真摯に騒動の顛末を話そうとしていた。都築の腕を取り、時に乱暴な仕草で説得を試みる。会長と副会長の目を真っ直ぐ見つめ、拙いなりに言葉を選ぶ。しかし、都築が加賀見の説得に応える様子はなく、加賀見の努力をぶち壊しているのは紛れもなく都築その人だった。

 会長には加賀見が言わんとすることがかろうじてわかる。何故、都築がこうまで心を乱し、隣にいる加賀見がこうも言葉を尽くしたがるのか。都築と加賀見に尾張がした行為を思えば、全てとはいかずとも、わかるのだ。だが、同じようにわかるのは、輪の外にいる風紀委員長だけだった。副会長らは態度には出さず、困惑していただろう。

 次第に都築の顔からは乾いた笑みが剥がれ落ちていき、暗く濁った吐息がどろりと教室のフローリングへと垂れた。

「いい加減にしろって、都築! なんでだよ、怒ったっていいじゃん!」

「落ち着いてください、加賀見」

「違うんだよ、都築は」

「もういいよ加賀見」

「よくねぇ! 言いたいことは言わなきゃ!」

「言ってどうなるの」

「言わなきゃ始まんないだろッ!!」

 副会長の制止を振り切り、加賀見はなおも都築に説得を続ける。周りにはどう映っているんだろうか。一歩引いた場所にいる風紀委員長はぼんやりと考えていた。殴打するように吐き出される言葉の粒。説得、には聞こえないだろう。もし、自分がいやがらせ云々を知らなければ、加賀見の言葉を殺しているのが都築であることに気付けたのか。

 これ以上は無意味だ。都築には何も届かない。

「はい、そこまで」

 パン。手を打って、輪の中へと踏み入る。会長や加賀見はもちろん、都築もこちらへと視線を刺してくれた。

「もう授業が始まる。受けられる?」

「そんなことより、尾張と話をしねぇと!」

「残念。オレたちの本分は学業なんだよ」

 風紀委員長は改めて都築に問いかける。すると、いともあっさり降参した。

「腹痛で保健室に行っても?」

「かまわないよ。保健委員はいるかなあ?」

 振り返ってクラスメイトたちを確かめれば、一番前の席の一人が立ち上がった。黒板の方を見たままだったのは気にかかったが、都築がそうそうに教室の外へと向かって歩き出し、それを加賀見が追おうとしたために意識が外れてしまった。

「加賀見は一緒に行くな」

「な、んでだよ、離せ! 都築待てッ!」

「ダメだよ加賀見、都築くんはお腹痛いんだよー」

「そうだよ加賀見、お腹痛いから行くんだよー」

「何言ってんだ、なんなんだよ、なんでだよ!」

 暴れる加賀見を生徒会役員が総出で引き止め、都築は前を向いたまま扉を開けて出て行った。風紀委員長はそのあとをついていき、教室前方の扉から出てきた保健委員に任せるため、一度都築を引き止めた。都築は抵抗しなかった。

 廊下で顔をつきあわせた保健委員は真面目そうな生徒だった。

「付き添いをお願いできる? 先生にはこっちから話を通しておくよ」

「はい」

 答える保健委員は風紀委員長ではなく、都築に視線を刺し、すぐに逸らした。

「ごめんね、巻き込んでしまって」

「いや、保健委員だから、まぁ」

 憂いが染む都築の声音からは言葉通りの謝意が感じられ、風紀委員長は安心して踵を返した。保健委員が一歩前に出て、二人は歩き始めた。

「大変だな」

「え? ああ、うん、そうだなぁ。怒られる方が楽なんだね」

 教室からは加賀見の声がまだ聞こえる。会長に任せてあれは落ち着くのか。最後の一仕事だと息を吐く。

 そのため、保健室へと向かう二人の会話を聞くことは叶わなかった。


 都築の付き添いは階段を降りるところまで到達し、保健室がすぐそこまで迫る中、のんびりとした二人の会話は続いていた。腹痛の原因の口裏合わせから始まり、騒動の内容に触れ、次第に都築の愚痴へと発展。彼は途中から聞き役に徹していた。

「昔からあいつはああなんだ。いつか、いつか言ってやろうって思ってて」

「そのいつかが、今日?」

「俺だって今日になるとは、ううん、本当に言うことになるとは思わなかった。別に、言わなくても良かったことなのに」

「でも言ったわけだ」

「だって……あいつ、ほんと……馬鹿だよ」

 詳細を語る気のない都築の話は脈絡がなく、また抽象的で、予備知識がある彼ですら理解が及ばなかった。ただなんとなく、都築が示すあいつに向けた感情が悪意だけで占められているわけではない、ということはわかる。

 都築はため息をついた。じわりと染み入る都築の感情を、彼は感じ取っていた。

「いい、友達なんだ」

「それは、尾張のこと?」

「尾張……うん、そう。友達」

 都築が俯いて立ち止まり、彼が前を行くとそこはもう保健室の前だった。連絡が届いていたのだろう、ノックをすればすぐさま扉が開かれ、都築は招かれた。

 保健室で保健医に都築を預け、彼は教室に戻る。道中、携帯を取り出した。あたりの静けさを確認し、階段の踊り場で停止。そこで慣れた名を電話帳から引き出し、かけた。

 コールは四つ。

「おや。どうしたんだい」

「昼休みに尾張が都築に謝罪をしに来たらしく、ええと」

「ん? ははっ君が言葉に詰まるなんて珍しいな。いや、待て、今は授業中だろう?」

「保健委員なので」

「うん、もう少しわかりやすく頼むよ」

 快活な笑い声が聞こえてきて、彼は体温が上がるのを感じた。

「声に出して、整理したくて」

「そうとう動揺したんだね。本当に珍しい」

「まさか保健委員だとは思わず」

「保健委員がどうかしたのかい?」

「いえ」

 解きほぐすように添えられる大人の声は、彼の動揺を撫でた。

「昼休みに尾張を問いつめたんですが、そのあと、尾張は都築に会いに行ったようです」

「ほう。それはまた」

「昼食をとってから戻ったのでその内容は言伝でしかわかりません。ずいぶん、その、荒れたようで、今は都築を保健室まで送った帰りです」

「ああ、なるほど。それで保健委員ね」

「はい。あの」

「なんだい」

「これで、よかったんでしょうか」

 撫でられた動揺は未だ震えが治まらず、彼は強く携帯を握りしめた。心の奥底から湧く感情の名を、彼は知っている。これは深く根ざした後悔だ。重く暗く濁った塊。

 電話の向こう、理事長は彼の変化にようやく気付き、走り出してしまいそうな体を押さえ込んだ。まだ、声は届く。言葉を捧げ、心を差し出す。彼を彼たらしめるその性質を、抑える。

「落ち着きなさい。君が今抱いているそれは、君のものではない。自覚しなさい。思い出しなさい」

「はい、はい……」

「大丈夫。私は君を信頼している。心から信頼しているよ」

「はい」

「私を思い出せるかい?」

「はい、すみません。あなたは、私です。俺はあなたです」

「そうだ。簡単だろう?」

「はい。落ち着きました」

「良かった」

「電話をして、正解でした」

「君がこんな風になるのも懐かしいじゃないか。かまわないよ。授業には戻れるかな?」

「はい。ありがとうございます」

 安堵の吐息が互いに行き交う。また放課後に、と理事長が電話を切った。彼はしばし携帯の画面を見つめていたが、自動で消灯された暗闇にうっすらと映り込む影を確認してしまい、音にならない慟哭を吐き捨てて階段を上り始めた。

 そこに見えたのは、誰の顔だったのだろう。

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