【14】追求

 昼休み。早くも実行の時がきたのかと、緊張を交えた自信を胸に抱きながら、彼が向かったのは管理作業員室だった。人払いを頼んだ廊下はいつにも増して静かで、彼の足音は宙を舞って現実味がない。鐘が鳴ってすぐさまここへと向かい、迫る空腹から目を逸らしつつ、目的の扉を前にした。一抹の不安が過ぎるが、置いてきた遠い雑踏がかき消してくれた。

 ノックをし、入室する。あるべき顔が、やはりそこにあった。

「待ってたぞ」

「お待たせしました」

 青い作業服を着た馴染みの作業員は、普段ならいたずらな笑みを浮かべ片手をひらひらしながら出迎えてくれる。おおらかな態度に甘えて室内に踏み入るのが常だが、今日は違っていた。踊らぬその手には携帯電話が握られ、穏やかな顔には呆れた笑みが少々。その声はいつもより硬く感じられた。

 靴を脱いで座敷に乗り上げ、彼は作業員から携帯電話を受け取る。薄くて軽い最新式。カバーがなく、油断すると取り落としてしまいそうなそれを正座して覗いた。すでに待ち受け画面を表示しており、動作可能な状態だ。

「よけいなところは見るなって釘刺されてっから」

「見ませんよ。借りるときにはどう伝えたんですか?」

「協力してくれってだけ。察しはついてんだろう」

「そうですか」

 手つきは慣れている。呼び出すのは電話帳。カテゴリには数字だけが並んでいたため、五十音順に探す。すぐに見つかったのはその名前が早い場所にあったことと、そもそも登録されている名前が少ないことが理由だった。目的の人物は隠されることなく表示されていた。

 壁に掛かった時計を仰ぐと、昼休みが始まってすでに十分が経過している。彼は通話ボタンを押した。

 コールは三つ。相手は静かに応答した。

「もしもし、何の用だ」

「ああ、もしもし」

「はっ……誰だ、お前」

 さして緊張のない彼の応答に、電話の向こうで声音が変わる。動揺を繕う声は厳しい。聞き覚えのある男声だ。

「名前を言うことは禁じられているから、その点に於いて話すことはできない。本題に入る」

「ふざけんな、持ち主はどうした」

「その持ち主から了承を得て電話をしている。賢い部下だな?」

 息を飲む気配がした。それは通話相手がこの通話の意味を早くも掴んだことを表していた。

 だからとは言わないが、彼の声は早くなる。

「本題に入る。今日の放課後、昨日の騒動について生徒会から事情を聞かれることになっていると思うのだが」

「……それがなんだ」

「尾張、きみは別件について追求を受ける」

 電話の向こう、応じる尾張は存外、素直である。昨夜の激高とは打って変わって、正体不明の相手からの言葉を受け入れる姿勢はあるようだ。事実に反論をするつもりはないということか。

 次の一手が始まりだった。

「転入生とその同室者に対して行われていたいやがらせについてだ」

「なんだと」

「君が指示していた。ああ、電話を切るなよ」

 釘を刺し、捕らえて離さない。尾張はまだそこにいる。

「昨日の発言の中に秘密の暴露があった。思い当たる節は?」

「んだよ、それ」

「ロッカーが荒らされていた件だ」

 尾張の気配が揺らぐ。図星か、はたまた、今気付いたか。

「当事者すら知らない被害を、きみはなぜ知っていたか」

「……さぁ、なんのことだか」

「この携帯の持ち主はわかっているね」

「持ち主が何か言いやがったか」

「いいや、逆だよ。何も言わずにこれを貸してくれた」

 失言が重なる。

「何か、言われて困ることがある、そういうことだな?」

「こいつとは、長い付き合いだから」

「だから、実行を頼んだ?」

「……」

 ついに沈黙。彼は追撃をやめない。

「俺はてっきり、喧嘩の強い友人というのはきみのことだと思っていた。だが、それは間違いだ」

「なんの、話だ?」

「きみには人脈があり、その人脈のことを都築は知っていた。そして、薄々気付いていたんじゃないだろうか。だから、わざわざ証言したんだ」

「だから、なんのこと……」

「きみの親はとある筋では有名な組の長であり、従える舎弟が多くいる。この電話の持ち主もその一人であり、きみの入学時にはすでにその舎弟たちが上級生にいた。入学式後、彼らに囲まれたこともあった」

「なんで、てめぇがそんなこと知ってんだ……ッ」

「部活の勧誘のようだったと、噂でね。つまり、きみを慕う者は多いということだ。そして、その者達は、喧嘩が強い」

「だったら、なんだってんだ」

「都築はこう言っている。自分には喧嘩の強い友人がいるから大丈夫だと。都築という生徒一人を見れば、優しくて人当たりのいい性格に喧嘩という文字はどうにもそぐわない。きっと、それこそが答えだったんだろう」

「あい、つ、が……言ったのか……?」

 彼が与える推論の波に、尾張はゆっくりと飲み込まれていく。溺れていることにすら気付けないまま、喉に張り付く。瀕死の声音は悲鳴にすらならず、渦巻く。

「何故、大丈夫と言い切れるのか。その理由は一つ。大丈夫だとわかっていたからだ。自分には喧嘩の強い友人がいる。都築は喧嘩でこの件を片付けようなどと思う人間ではない。つまり」

「ッ言うな!!」

「喧嘩が強いその友人こそ」

「言うんじゃねぇ!!」

 音割れが起きるほど大きな声の向こうから、冷たい空気が伝わってくる。尾張がどういった状態でこの通話を続けているかはわからない。ただ、尾張はその場で完全に浮いているのだろうと、彼は声を潜めた。

「きみだってわかっていたんじゃないか? むしろ、待っていた」

「まつ……? 俺が、何を……?」

「都築からの糾弾だよ」

 ぶつり。電話は一方的に切られた。尾張は彼の言葉を、拒絶したようだった。

 どうしたものか。彼はしばし携帯のディスプレイを眺めたが無機質な初期設定の待受画面は、黙して語らず。耐えかねた末、隣に座ってじっと話を聞いていた作業員に視線を投げた。

「お前、あいつにそっくり」

「へ?」

「理事長、俺の弟、お前の飼い主。言葉責めそのまんま」

「そう、ですか?」

「鼻につく言い方っつうか、なんつうか。まぁ悪かねぇけど」

 ははっ。そう笑う作業員は決して、いい顔はしていなかった。

「んで、どうすんの。今ので自白するかぁ?」

「わかりません。ですが、かけ直すのは厳しいかと」

「録音されるとまずいしな。それは返しとく」

「よろしくお願いします」

 電源を切った携帯電話を手渡し、いつの間にか置かれていた湯呑みを代わりに持ち上げる。冷めてしまったらしく、湯気は立っていない。すすると少し渋かった。

「じゃあ、追求する側をつつくか?」

「生徒会ですか。リスクが高いですよ」

「風紀は?」

「同じく、です。それに、手段がありません」

「乗り込むわけにはいかねぇもんなぁ」

 ううん、と作業員が頭を捻らせる。そのとき、コンコンと軽いノック音が扉から聞こえてきた。途端に作業員の顔が華やぎ、体は音のした方へすっ飛んでいく。

 開いた扉の隙間から、何とはわからないものの腹の虫を騒がせる芳しい香りが侵入してきた。彼の脳裏に駆けるのは、以前奢られた絢爛な中華料理。計画を前に、昼食の段取りをすっかり失念していた。

「すみません、また」

「いーのいーの! 今日も手ぶらだろ?」

 二度目となる配達は洋食で揃えられていた。もちろん二人で食べ切れる量には見えず、仕事で校内へ出払っている仲間の分もあるのだろう。同じ中華じゃ芸がないしな、と自慢げに笑う作業員に対し彼は一瞬、頭を抱えた。しかしそんな苦悩は台車に並ぶ様々な料理の前では、無意味だ。運んできた人間は作業員とともに手際よくそれらを室内のちゃぶ台へと移していく。彼が手伝おうと伸ばした手はいとも簡単に押しやられた。どうやら奢られるしかないらしい。

「戻って食べるつもりだったんです」

「はいはい。そうだ、お前も食ってく?」

 彼の些細な嘘も空振り。最後のコンソメスープを受け取った作業員は、白衣の背中に問いかけた。それは前回と同じ人間だったようで、迷惑そうに頭を振って、台車のハンドルを握った。

「俺、怒られたんスからね」

「だぁから、悪いと思ってんだろお?」

「今日は事前に連絡あったからいいスけど」

「チップ弾むって言っといて」

 期待してません、と口を尖らせた白衣の男はあとで食器取りに来るス、とため息混じりに続けて出て行った。そもそも食堂で振る舞われる食事の配達は行われていただろうかと彼は短く思案し、やめた。目の前にいる男は校舎内の雑務を請け負う作業員である前に、学校を統べる理事長の兄なのだ。あの傲慢な男の兄が、傲慢でないわけがない。本人に言えば厳しく否定するんだろうなと、彼は手を合わせながら結論づけた。

 オムライスに舌づつみを打ち、コンソメスープで気分を変えながらサラダを味わう。やはり、この学校は細やかな部分にまで金をかけている。彼はそう確信しながらトマトを口に放り込んだ。見れば隣の作業員も同じように食事を進めていて、山のように盛られたキャベツにフォークを突き刺し持ち上げていた。はらはらと空を飛ぶ千切りが口元に飛びついて、彼の視線はおのずと作業員とかち合い、逃げるようにそらした先にはちゃぶ台の隅で口を結ぶ携帯電話がころり。

 意識の対象は携帯電話そのものではなく、その向こう側、ついさっきまで言葉を交わしていた尾張だ。作業員はわざとらしくごくりと嚥下した。

「目星つけてたのか?」

「……そう、ですね。いや、まだだったんですけど」

「曖昧だな」

 笑う作業員に首を振る。

「嫌がらせは転入生への悪意だけではなく、都築に対する好意の裏返しも含んでいるのだとわかったので、二人を観察すればと」

「ほう?」

「尾張は都築と転入生を引き離したい様子でしたし」

 彼は教室で見た尾張と転入生の言い争いを語り、作業員はカツレツを頬張って頷いた。都築を迎えに来た尾張の姿は、転入生に対する苛立ちを隠そうとしていなかった。生徒会を慕う者なら同じように抱いているであろう苛立ち。尾張がその苛立ちの裏に隠した感情は、実の所、転入生になど向いていなかったのだ。

「そんな時に、昨夜の騒動でした。転入生への悪意を持つ生徒は多いですが、都築への好意もとなると」

「ああ、つまり、嫉妬ね」

 カツレツで口の中をもごもごとさせながら、作業員は相槌を打つ。

「その嫉妬心を向けたのは転入生でしたが、気づいて欲しい相手は都築だったと」

「めんどくせぇ女かよ」

 飲み込んだカツレツの味が変わってしまったのかと思わせるほど、作業員の顔が歪んだ。彼ははたと思い出す。これはこの人から教わったのだ。

「青い、ということなのでは?」

「なるほどな」

 作業員は愉快そうに笑って見せた。

「ああ、でもいやがらせが好意の裏返しって言ってたがあれは?」

 口直しのインゲンをまとめて放り込む豪快さに呆れつつ、彼は答えていく。すでに箸は置いていた。

「それは荒らし方です。ロッカーや靴箱に入れられていたのは、丸めた紙くずや、かわいた雑巾でした。書かれた罵詈雑言は丸められた内側に書かれていて見えない上に、雑巾も埃っぽいくらいで」

 実際に掃除を手伝ったことで彼は悪意の本質を見た。見た目の衝撃は確かに大きく感じるが、触れることに躊躇いを覚えるほどではない。今朝は彼の手もあったが、見回りを担当していた件の先輩一人だったとしても、片付けに時間はかからなかっただろう。現実に彼が非常識な登校時間を選んでいなければ、今日も事なきを得ていた。

「誰が登校してくるかわからない短い朝のうちに掃除が終わらせられるよう、配慮してたんじゃないでしょうか」

「本気のいやがらせじゃあなかった、だとするなら、お前の言った通りかもな」

「なんですか?」

「都築に怒られたかった、ってやつ」

 ケタケタと作業員は笑い、また一つ、インゲンが串刺しになった。


 彼が予鈴が鳴る前に戻った教室では、都築が吠えていた。尾張の望みは叶ったのだろうか。彼が見たその表情は、絶望に満ちていた。

 

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