【2】生徒会会長の私語
生徒会長は訝しげに首を捻った。切れ長の目はいつにも増して鋭く、曇っていた。
携帯を覗くと、時刻は八時過ぎ。窓の外はすっかり暗く、校舎内は無機質な蛍光灯の明かりが支配していた。会長を始めとした七人は、足早に食堂までを突き進む。長い廊下。まだもう少し。
歩き慣れた道程。毎日通っていた生徒会室。特別棟の三階は生徒が利用する教室の中で一番高い場所。この部屋の主となったのは夏休みが明け、三年生が退いた二学期。受験を控える三年生から一学期の間に仕事が引き継がれ、選挙ではなく任命という形で役員達が発表される。会長は一年の頃から補佐として生徒会に参加し、任命はさも当然の流れだった。
生徒会に配布される専用カードキーは、会長が補佐だった当時から変わっていない。一握りの生徒にしか与えられない特権の象徴。特別棟の入口と生徒会室の扉を一瞬で開くはずのそれ。意味を失っていた事実に気付くまで、一週間。
一階、人気のない普通教室の前を歩く。そろそろ校舎の出口が見えようかという距離、しんがりを務める会長は隣にいる副会長に問いかけた。
「電気、ついてたよな」
「ええ」
会長と同じく眉を顰めた副会長が小さく答えた。
副会長もまた、一年から生徒会に参加する二年生。会長が勇壮な青年であるのに対し、副会長は沈着な性格である。人を惹き付けながら、多少強引に先を行く会長の後ろを、須らくまとめあげ、整えながらついていく副会長。そんな二人は共に責任感が強く、また見目もいい。生徒達からは厚い信頼を寄せられ、親衛隊という組織まで結成されるほどである。
そして、それは会長と副会長に限ってではなく、前方を進む他の生徒会役員達も同じだった。転入生を囲み、わいのわいのと歩く会計、書記、補佐の二人を合わせた計四人。学年こそ違うが、二学期からの新体制に向け、夏休み前から集められていた。
会計は会長らと同じ二年生。状況判断能力に長け、人と人とを結ぶことを任され抜擢された。軽い調子の青年だが、誠実さは持っている。書記と補佐二人は一年生。言葉少なな青年である書記は、その態度に反して強い積極性があり、いずれ会長を継ぐ優秀生徒として今から生徒会に属していた。補佐の二人は一卵性の双子。常に行動を共にしながら互いを補い合っているらしく、それぞれの得意分野を持ち、生徒会ではその協調性を買われ、選ばれた。
そんな彼らの騒然が、静かだった廊下に響き渡る。会長が抱く危機感は、その声に誤魔化されない。食堂まであと少し。廊下を煌々と照らす照明を見上げ、脳裏に浮かぶのは久しく踏み入った生徒会室。会長は副会長に話を続ける。
「あの明るさは、暗くなってから明度を上げたはずだ」
「生徒会室は外の光が入りますからね。机は見ましたか?」
「ああ。仕事が片付けられていた。全員の分、な」
「まだ中に誰か居たのでしょうか」
「休憩室だろう。鍵なんかついてなかったはずなのに」
「理事長のところへ?」
「……いや、明日にする。今日はもう遅い」
「そうですね」
そのとき、二人の密談は大声で遮られた。けたたましい足音とともに、小さなシルエットが飛び跳ねる。どうしたどうしたと、会計と書記、補佐達を置き去りに戻ってきたその大きな声は人のいない廊下によく響いた。
なんでもない、と会長が諌めて低い頭を撫でてみせるが、その下で頬が弾けた。小さなシルエットは声高に叫ぶ。
「なんでもないわけないだろう、そんな顔で!」
投げつけるような語気。怒りを隠そうともせず、質す。会長はその様子に一つ息を吐いてから、表情を解いた。射抜く目を向けてくる愛おしい存在にゆっくりと笑いかけた。
「悪い悪い。でも、こっちの問題なんだ。気にするな」
「俺を除け者にするのか!」
「そういうわけではありませんよ。さあ、食堂へ急ぎましょう」
「うう、なんだよ、なんだよ!」
不満げに喚く口を手のひらでぽすりと覆い、小さな体を抱えるようにして前を向いた。会計達が待つ進行方向へ再び歩き始め、揃って行く。話は、間に合うかわからない食堂での夕食へと切り替わっていた。
騒がしい一団はあっけなく一般棟の正面玄関にたどり着く。そこから道が一本まっすぐ伸び、途中に右へ曲がる道が現れる。まっすぐ行くと寮が、曲がると食堂がある。
お腹が空いた、とそれぞれが足早に校舎をあとにする中、会長は立ち止まり、ゆらりと空を仰ぎ見た。高くそびえる一般棟の校舎は、五百を超える生徒を飲み込める豪奢な造りをしている。その向こうに、漆黒の夜空と数えられない星が広がっていた。
「……突き止めてやる」
生徒を代表し、統率する生徒会長という立場。与えられる仕事と責任。整えられた環境と義務。しかし、今日、それらは役に立たないカードキーという形で打ち崩された。
小さな私語は誰に届くことなく、吐息に混じって霧散していった。
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