非王道主人公の周りで起きるトラブルをこっそり解決する話

あくた

【1】まずは仕事をしなくなった生徒会の尻拭いから。

 生徒会室は特別棟の最上階に位置している。

 部活動が終わる午後七時前。見晴らしの良い大きな窓からは雄大な森が望み、静寂が広がっていた。背の高い針葉樹が風に揺れる様を見ていると、聞こえるはずのない木の葉の歌が、脳裏を流れていく。明日も晴れるだろうか。夕景が沈んでいく。

 彼はどかりと一番大きな椅子に腰掛け、仕事を再開した。生徒会室中央、正面。窓を背に、大きな事務机がまず一つ。真ん中に空間を置き、向かい合う形で右に三つ、左に二つ。事務机が合計六つ並ぶこの部屋の広さは、授業を受ける教室の半分ほど。机の数だけ居るはずの主。一人、持て余す。


 とうとう日が落ち、彼は手元のリモコンで照明の明度を上げた。机に広がる各委員会からの報告書。彼が行っているのは手書きされたそれらのデータ化。デスクトップパソコンに打ち込むキーボードの音は、室内の壁に並んだ資料棚が飲み込んで大人しいものだった。

 白く輝く紙の束。生まれる活字。ひたすら集中していた彼の耳に、届く振動。着信。胸ポケットから取り出した携帯電話が表示する名前を確認し、出た。

「お疲れ様です」

「お疲れ様。どうだい、調子は」

「いいですよ。もう、終わります」

「もうってのは、どれくらいかな」

「ええ、五分、てとこですね」

 壮年の男声と彼の滑らかな会話は、互いの親しさを表していた。落ち着いた雰囲気の中に混じるほんの少しの邪気。男声は、だったら面白いことになるなあ、と続けた。

「今そっちに生徒会役員が向かっている。転入生も一緒だ」

「へえ」

「どうする?」

「どうするもなにも、居留守しかないでしょう」

 答えるなり、通話の向こうから吹き出す声が聞こえた。居留守とは、と訊くので、逃げる時間がありません、と素直に答えた彼に二度目の笑声。じゃあよろしく、などと続け、通話はあっけなく切れた。彼は不通音を二つばかり数える。

 耳元から手元へと戻した携帯のディスプレイには、理事長の三文字。まさしく吹き出して笑っていた男の正体がそれなのだが、表示された名が待受画面へ逃げていくように、威厳のない飄々とした男だった。彼は自嘲した。昔から知っている。


 ここは全寮制の私立男子校。通う生徒はみな、家柄が良く将来を約束された子供たち。付属小学校から共に勉学に励み、国公立や有名私立の大学への進学率も高い名門校だ。だがそんな名門校が抱える異常性は、度を越していた。外部に漏れることのない数々の問題。一般的な学生生活では味わうことのない秘密。そんな歪な箱を所有するトップは、中を覗き込んで眺める奇特な男。そして、箱の中には自分がいる。彼は振り返った。

 背後にある大きな窓からはすでに暗闇だけがもたらされ、ひっそりとしている。彼は作業の続きに取り掛かり、その時を迎えた。


 がたん。がた、がた


 きたか、と彼は入口の扉へ視線をやった。横に伸びたドアノブが、施錠されているために下まで回りきらず暴れている。彼は入口から見て右に位置する扉の前に身を屈め、それを間近に確認していた。

 生徒会室の入口は最新のシステムが組み込まれた鉄製の重厚な扉だった。部屋の外側にカードリーダーが設置され、一部の教師と生徒会役員にのみ支給されるカードキーで施錠が解除できる。オートロックの上、入室の時にはカード使用者の名前が記録される。校舎の扉の一つとしては、実に有能だった。


 がちゃ、がちゃがちゃ


 その有能な扉は相変わらず無駄な足掻きを繰り返す。彼は耳を澄ましてみたが、鉄製の重厚な扉なだけあって向こう側の声はこちらに聞こえてこなかった。彼は少し残念そうにうつむく。

 すると叱責するように、があん、と強く扉が叩かれた。かすかに、叫声も聞こえる。どうやら、扉に体当たりをしながら声を発しているようだった。

 途切れ途切れながら、その音と声が明確な意思を伝えてくる。があん、があん。彼はふうっと息を吐いた。笑いが堪えられない。


 やく、てこい!

 め、わく、けてん、ねぇ!


 いくら体当たりをしても、扉は開かない。むしろ、壊れる可能性さえある。それに壊れるとするならば、扉の内部に搭載された精密機器で、扉そのものは沈黙を続けるだろう。しかし、体当たりを続けている誰かはそのことに気づいていない。しばらく続いた体当たりが終わった頃、彼は静かに生徒会室の内部で隣接する休憩室へ身をすべらせた。


 生徒会の仕事は、雑務がその殆どを占める。生徒の声を聞き、意見をまとめる。委員会を統率し、活動を取り仕切る。しかし実のところ、学業を優先するこの学校において、その仕事量はさほど多くはなかった。

 生徒会役員の顔が揃うのは週に一度、委員会を招集して行う会議は隔週に一度あるかないか。ところがただ一つ、学校行事の前になると途端に忙しくなる。学業を優先するからこそ、羽目を外せるイベントには心血を注ぐのがこの学校の常だった。生徒らの活動が活発になれば生徒会の仕事も多くなり、生徒会はもとより、各委員会の人間ですら校舎に泊まり込むことがあった。そのため特別棟には休憩室がいくつか設置され、生徒会室内部にもその一つが備えられていた。

 彼はそれに身を置き、しばし感慨にふける。壁紙は薄い青。簡易の給湯スペースが奥にあり、二人がけのソファが三つと腰ほどの高さがある木目調の本棚が一つ。中央に構えるローテーブルは銀細工の足が美しいガラスの高級品。今は紅茶を注いだカップが一組、ちょんと置かれている。ポッドの中には半分ほど残っているだろうか。これがこの城で飲む最後になるだろうと彼はカップを覗き込む。一週間、ここは彼の城だった。


 今しがた、二度目の着信があった。ドアノブ戦慄く生徒会室から優雅な我が城へ避難して十二分。紅茶をポッドから勢い良く落としていると、バイブ音が聞こえた。報告だ、と愉快そうな理事長の声が彼の耳に飛び込む。

 生徒会長が新しいカードキーを受け取りに来た。彼はそれを聞いて頷く。持っているカードキーが反応しないのであれば、カードキーを発行する理事長に説明を求めるのは当然の流れである。扉の前に役員達と転入生を残し、生徒会長が理事長室へと向かったのだろう。

 理事長は続ける。カードキーは一週間前に変えた。知らせなかったのは、生徒会役員は週に一度集まるからその時に気付くだろうと。そう言ってやったら、生徒会長は頭を下げ、新しいカードキーを受け取って戻っていったということだった。

 理事長の報告は嘲笑と雑談を交えて終了し、じゃあがんばれよ、と言い残されて通話は切れた。温い紅茶をすいと啜り、彼は溜息をつく。


 生徒会役員は一週間、生徒会室に足を運ばず仕事を放棄していた。あまつさえ、その事実を自ら理事長に知らしめた。新しいカードキーを手に、生徒会役員はここに舞い戻る。部屋の中を見て、一体何を思うのだろうか。彼は最後の一口を飲み干した。

 休憩室の扉は木製で、入口の扉に比べると簡素なものだった。内側からはつまみでの施錠ができ、外側からは鍵を差し込んで回す一般的な造り。もちろん、現在は施錠されている。その向こうから、声が聞こえてきた。生徒会役員が生徒会室に入るまで、およそ二十分。その足音は憤りを隠さず、雪崩込むのは、声。重なり合うそれらは彼の元まで漏れてくる。

「腑に落ちねぇな」

「鍵のことですか?」

「やっぱり、最後に出た人が電気付けっぱなしだったんだよ」

「そんな、こと、ありますか」

「あんたじゃないのー?」

「そうだそうだー」

「うっわー! 生徒会ってかっけー!!」

 生徒会室にある事務机は全部で六つ。役員の数に合わせて置かれ、中央正面が会長、左に副会長、会計、書紀、右に補佐が二つ。姿は見えないが、椅子を引く音が微かに聞こえる。それぞれがそれぞれの定位置に着き、残る七人目の声だけが部外者らしくはね回っていた。大きな声。脳裏にある生徒会役員の顔から、その声は聞こえてこない。つまりそれこそが転入生なのだろうと、動くことのない扉をじっと見つめて想起した。


 彼は転入生と同じクラスだった。肩まで伸びた癖っ毛の黒髪は手入れなどされず、黒縁が印象強い眼鏡のおかげで表情は窺えず、着崩された制服は無精そのもの。二学期から新たに仲間になった転入生に対し、クラスメイトのほどんどが良い印象を持たなかった。それからすぐ、転入生自身の言動がその印象を助長していく。

 大きな声。ままならない敬語。不躾な態度。はじめこそ慣れない環境だろうと手を差し伸べた数人は今、どん底にいる。心をすり減らし、後悔と嫌悪を片手に逃亡を図った。

 彼は転入生の人となりをあまり知らない。第一印象はほかの人とさして変わらないが、以降、無関心を通している。理由は一つ、授業に現れないからだ。

 姿を見る機会がなく、聞くのはクラスメイトが語る噂話。それも総じて繰り言であれば、聞き流すのも仕方がない。人気がある生徒会に取り入っているだとか、ズケズケと他人事に首を突っ込んでくるだとか、暴言暴力を振り回し都合の悪い事には耳を塞ぐだとか。散々たる評判は転入してからのこの半月の間にすっかり定着した。生徒達の目が語る。侮蔑。彼はそんな空気だけは感じ取っていた。


 いつの間にか扉の向こうが静かになって、しばらく。携帯を見ると、下校時刻の八時半が過ぎている。寮の側にある食堂は九時までの営業だが、特別棟はそこから離れているため間に合わない。彼は一つため息をついて、給湯スペースへ向かう。ポッドから紅茶を注ぎ直し、二歩、三歩。ローテーブルにソーサーを置き、ソファにぐっと沈み込む。どうやら生徒会の面々は帰路についたようだった。一口。人の気配は遠ざかり、ただ沈黙だけが広がる。

 しかし彼は結局、日付が回る頃まで休憩室に留まり、暗闇の中で帰宅した。用心を重ねた彼は難なく全寮制の自室へと戻ることが出来た。

 夏休みが明けて、半月。九月の中頃のある日の出来事である。

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