009《銀髪》
———総合暦1900年5月10日・早朝
朝日が昇りだした頃、政府が設営した仮拠点から金属の打ちあう音が聞こえる。
何度も何度も繰り出される甲高い音と少女の咆哮が辺りを響かせる。
「タァーーーーッ‼」
紅の剣を両手で握りしめる体操着を着用した少女と竜骨という貴重な素材をベースに腕利きの鍛冶師に作らせた至高の短剣二振りを使いこなす白いジャージ姿の銀髪教師に立ち向かっていた。
「…………ッ‼」
赤い髪を揺らしながら、絶え間なく振りかざしてくる一撃の一つ一つをしっかりと処理しながら反撃の機会をうかがっているシルバーヘアー。
赤髪少女が繰り出す若さの詰まった重い一撃を
一度間合いを取った二人は集中力を切らさないようにじっと己の敵だけを見つめている。そして、再度一気に距離を詰めてかかった。
「はああああああああああああああああ‼」
勢いよく上空へとジャンプし、四メートルほどの高い場所から重力を駆使した渾身の振りかざし。そのまま技をくらえばひとたまりもない攻撃。
一見強そうなこの攻撃だが、それは彼女が見せた隙であると銀髪は反応した。
上空を舞う剣姫の落下点を予測し、彼女が着地したところで狙う作戦を脳内でメイクした。
そして、赤髪の少女が落下する寸前に銀髪がすかさず後ろを取った。舞い上がる砂煙の中、大体の居場所を予測し距離を詰めていく。
「…………」
息を漏らさないよう、そして素早く。
銀髪が近づいていることに気付いていない赤髪は、振りかざした時の衝撃による反動で一瞬動けなくなった。
そこを人生の先輩である銀髪教師が経験の差であると見せつけるかのように純白の柄を握りしめた短剣で首筋を突き刺す寸前で止めた。
空気で感じ取った赤髪の少女は握っていた紅剣を地面に落とした。
降伏の合図として両手を上げている生徒に銀髪教師は短剣を下ろす。
「…………リール先生。参りました」
降伏宣言がなされた後、銀髪教師リールは二振りの短剣を鞘に納めた。
勝利した銀髪教師は視界を遮っていた髪をかき上げる素振りを見せ、悔しそうな表情を浮かべている未だ後ろ姿しか見せない赤髪の少女に声を掛ける。
「———って言っても、これはあくまでもお稽古。参るとかなんとかいう前に敗因を考えることは大切よ」
「——ッ‼そ、そうですけど。私は精鋭部隊の一員であり、しかもチームリーダーという重要な役職です。そんな私が一介の教師でしかないリール先生に負けるなんて…………ハッ⁉す、すみません。言い過ぎてしまいました」
負けてしまった悔しさを隠しきれるわけもなく、拳を握りながら自身の敗北を必死に受け止めようとしていた。
学園の代表としての自覚、プライドをしっかりと持っているエリンに関心しかないリールは自分を悪く咎めた彼女を特に怒ることはしなかった。
「別にそんなことは気にしないよ。ただ、あなたに稽古を頼まれたから一生懸命応えた結果だし…………まあ、朝は動きにくいっていうからさ。そこまで自分を責めない方が良いよ」
「…………はい。わかりました」
後ろを向き続けていたエリンだが、ようやく敗北したことを冷静に受け止めれたらしく先ほどまで戦っていた銀髪ジャージ姿の教師の方へ顔を見せる。
瞳に雫があるように見られなかったが、エリンは先日敗北しかけたことを思い出した。あの時も今と同じような苦しい気持ちに押しつぶされそうになっていた。
「(そう、私はもっと強くならないといけない)」
心に深く刻み込まれている思い。だが、その思いを一蹴するかの如く、リールは心が傷ついている彼女に言った。
「絶対に強くいなければならない。そう感じるのはあまりよくないよ」
エリンは心が見透かされたと感じた。
リールが魔法によるリーディングを行ったのではないかと怪訝な表情を浮かべるもリールには魔法を使用した様子は見られない。
おそらく、リールがエリンの様子だけで判断した結果である。
「私もね、昔そんなことを思ったことがある。で、その言葉通りのことを突き詰めた結果、自分が自分じゃなくなってた。それからは徐々に皆の足を引っ張るようになったりしたし」
「え…………それって、まさか」
エリンは「もしかして」と訝し気な表情を浮かべた。
以前聞いたことのある噂に『この学校の教師に元精鋭部隊の人物がいる』という根も葉もないものがあった。
在籍していてもおかしくはないが、歴代精鋭部隊を務めていた人物の進路のほとんどがエリートコース…………謂わば、高級官僚のようなものだ。
だから、専門職や公務員などを目指したものは滅多にいないというのがこの国の常識だった。
信じるに値しない噂だったものが、この場において真実であるということを教えられたのだ。
リールは知っているでしょう?というような顔をしてくるあたり、エリンの考えていることは真実らしい。
「うん。まあ、少しの間ではあるんだけど…………あなたと同じ立場に置かれてた。だから、気持ちが痛いほど理解できる。でも、あなたのように一年生の時からリーダーを任されて、多方面から受ける嫉妬や期待とかを受けながらとか…………私には正直考えらえない」
「…………」
「だから、高級官僚とか一流の会社に入るという選択もあったけど私はこうして教師を選んだ。———あの時のように責任を負い続ける職にだけは就きたくなかったというのもあるけど。生徒たちと触れ合うことも一つの選択かなって思ってさ」
エリンはリールの説得力のある自伝に心の中がえぐられるような痛みを感じた。
「あとね。少し話変わるけど、今日の稽古に付き合った限りを見ると、あなたは自分を過信し過ぎているように見える」
「そ、それは…………」
ごもっともな指摘にたじろぐエリン。
それをわかっていながらもリールは話を続けた。
「わかるでしょ。今日の戦闘なんて、技術の欠片もないただの剣を振り回すだけ。しかも片手で剣を使えないなんて…………今までの輝かしい功績は、本当にあなた達五人が必死こいて頑張った結果とでもいうの?悪いけど、今日の対戦から考察してみてもあなたは弱すぎる。それに今回の敵は古代兵器…………勝ち目なんてあるわけない」
「…………そ、そんな言い方をしなくてもいいではありませんか!私達は公式の結果が残っている通り———」
「本当にその結果は、敵をあなた自身の手で倒して逃げずに戦った証とでもいうの?」
「⁉…………そ、それは」
エリン自身、この結果にはかなり曖昧で不鮮明な箇所が多いと感じていた。そう思い始めたのがいつからかをはっきりとは覚えていない。
ただ、一年生の後半から学園の精鋭部隊として任命されて、メンバーが固定された時から増えてきた感触はある。
その為、何故か勝利していく自分たちが連戦連勝を重ねると周りがチヤホヤし始めてきた。それがなんともたまらない優越感に浸れる唯一の機械。
欲しがるあまり、無理難題な案件を引き受けたことがある。それでもいつの間にか勝利を収めていた…………。
そのことがエリンの心の奥底に引っかかっていたのかもしれない。
そして、それらの事実を目の前にいる人物に丸裸にされようとしている。
「私、昨日から少し考えていたことがあるの。あなたの
突然の彼———エリンの監視者の話に移った。
何故死ぬほど嫌いな彼の話を聴かされなければならないのかと、エリンは苛立ちを覚え始める。
「———何がおっしゃりたいんですか」
強めの口調で返す。エリンは外面にも苛立ちが漏れ始めていた。
「あいつ…………ユウヤは、多分強い。私達が相手にならない程に」
「いえ、そんなことは断じてないかと。それは私が保証します」
「じゃあ、あなたは彼が戦っている姿を実際に見たことがあるの?」
「い、いえ。ないですが…………あんな無礼な人間が強いわけない」
いつもよりも速い回答。そして普段よりも頑なな態度をとるエリン。
腕を組みながら木にもたれかかるリールはエリンの悪態をつくような態度に対しては特に何も感じないが、雄哉をバカにされるのは少々気に食わなかった。
子どものようにうるさく言うつもりはないが、冷静な口調を保ちながらエリンと雄哉談義を継続する。
「———知ってる?
リールはじっと見つめてくるエリンに対して、本来は打ち明けてはならない《
無知だったエリンは「一介の教師」とリールを罵ったことを思い出す。本当に申し訳なかったと感じているらしく、顔を逸らしてしまう。
リールは目の前で俯く赤髪の少女に対して、言葉を連ねた。
「———だけどね。私達の代は約八百人の教師からたった十人にまで絞り込まれるっていう、超難関年だったの。例年の倍以上だったし」
リールは自分たちがどれほどの確率でこの地位にいるのかを語った。
「その年にね、本当に異例なんだけど一人が試験も受けずに追加合格したっていう話が国中に広まってね。その人物のことは全く公表されなかったけど、残った十人は全員顔を合わせていて全員覚えていたの」
「…………」
「だけど、新任式の時に見たこともない教師が一人だけいた。しかも、監視者資格を有していて、残った十人の中にはいなかったはずの人物…………」
「———それが私の
「そういうこと。しかも、後からそのことについて聞いても何も答えてくれないし。だからそのことには触れてこなかったんだけど、この二年彼と付き合ってみてよくわかった」
エリンはこの曖昧な記憶の原因が解けそうな気がした。
根拠はないが、このごちゃごちゃな心の中を整理できるキーワードが聴けそうな気がした。
リールは怒りを振りまいていたはずのエリンがどんどん落ち着いていくのを感じ取り、エリンが何か心当たりがあるだと確信した。話を締めにかかる。
「彼は———澤部ユウヤは実力だけで僅か数パーセントの席を確保し、秘密裏に政府との繋がりを得ている」
「そ、それって…………」
推測を確信へと導いていく。
「ユウヤを観察していて分かったの。あなた達が出撃した翌日にかなりの確率で遅刻、もしくは睡眠不足になっているの。この意味、もうわかるでしょ」
エリンが求めていたこのモヤモヤを解放するためのカギを見つけた気がした。
「———私の
心に掛かっていた南京錠、壊そうとしても壊せない錠にカギ穴が差され、ガチャっと開くような音がした気がした。
リールもエリンの反応を頼りにここまでの回答を導き出せることができた。それには少し感謝しているが、いつまでも雄哉の名を呼ばないことに不満を募らせる。
ただこの話を通して、お互いの心の中には太陽が昇ったようだ。
「…………まあ、そういうことで間違いないと私は睨んでる。確証はいずれ掴むとして…………今気になるのは、どうしてユウヤがこの討伐隊に参加していないのかということ」
「それは…………今の話から考察すればそう言えますね。実力で奪った監視者資格のイス。まさにイレギュラーと呼ばざるを得ない人物」
当然、彼女たちが雄哉不参加の理由を知るはずがなかった。そこまでの情報は無いにしても、彼女たちは社会の裏の一部を暴くことに成功した。
それはおそらく、政府にとっては白を切るしか方法はない。だが、それらがバレるのは時間の問題だろう…………。
そして、彼女たちの話題の中心となったイレギュラー教師ユウヤ。
彼は今、討伐隊たちとは別件に野暮用で呼び出されているのだった。
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