008《紅考》

 夜九時を超える頃、彼女たち———《FreshOrange》が宿泊する簡易コテージのとある一つの部屋に明かりが灯っていた。

 一番奥の部屋に振り当てられた人物は自分の監視者を酷く嫌う火属性の使い手。風呂上りで、まだ湯気立つ彼女は一人で考え事をしていた。

 いつでも戦闘が可能なように、着替えやすさ重視の純白のネグリジェを着用している。


 「(どうして、あの夜の戦闘で私は助かったのだろう?)」


 記憶を約二日ほど前に戻す。その時のことを脳の奥底から引っ張り出して、真相解明を行おうとしていた。


 「(———あの汚らわしい行為をしてきた男性に襲われた日。今思い出すだけでも寒気がするからあまり想像したくはないのだけど)」


 人生で初めて、男性というケダモノ生物に跨られ卑猥なことをされかけた上に、夢にまで出てきそうな今までで一番最悪だった仕事。

 ただ、あの時エリンは絶体絶命だった。いつの日か誰かに嫁いでいく自分の純真無垢な身体に風穴を開けられ、気絶しそうになっていたのだ。

 そして、その日の記憶に残る最後のシーン。


 「(そして突然跨っている敵が吹き飛ばされたあれは、魔法によるものだった)」


 しかも、エリンと同じく。よっぽど重い衝撃を与えられたのか、吹き飛ばされた男性の身体からバキバキッというような音も聞こえた。

 エリンは自分が知っている火属性魔法に質量体を飛ばすようなものが存在したか、魔法の種類を近くにあったメモ帳に書き出していく。


 「(【フレイム】、【豪火ファイヤーブースト】、【炎風ブレイズウィンド】…………)」


 書き出した数々の魔法。しかし、使えるのは最初に書いた三つだけ。

 だが、二つ目に書き出した火属性魔法はエリンしか使えない彼女だけの秘奥義と呼べる魔法。威力はそれなりにあるといっていいが、人を吹き飛ばすような力は存在しない。魔法を浴びれば消し炭と化してしまうだけ。

 それに、あのような威力が出せたとしてもコントロールが効かない。どの部分を燃やすかは運次第と言ったところだろうか。

 考えても全く思いつかない名門学校の秀才は使い切った頭脳と共にベッドへ横たわった。

 けれど、諦めの悪いエリンはよくわからないなりにも、一つの答えをひねり出した。


 「(大きめの石に炎を纏わせて…………そのまま投げる、とか)」


 実に原始的な発想である。名門お嬢様学校の天才が導きだしたとは到底思えない結論だ…………と、あの男なら言うかもしれない。

 その男はろくな魔法が使えないような顔をしていて、生理的に受け付けない人物。普段の彼の授業はあまりにも完璧で何故か気に食わないとエリンは感じている。

 あの男だけには死んでも助けられたくない、そして死んでも触れられたくない。

 一年と少し前に起こした彼の騒動で、エリンはこのような思考にならざるを得ない記憶を植え付けられた。騒動より前に確定していた監視者としての関係が醜くて仕方なかった。

 何度も学園長に抗議したが通用するわけもなく、そのまま月日が流れている。


 「(まあ、あの男にこんな芸当は不可能よ。そう、考えるだけ無駄なんだから。今はあの古代兵器討伐に専念しないと…………名門家と学園の威信を背負ってここにいるのだから。毎回結果も出しているわけですし)」


 偽りの結果であるということにエリンは気付くどころか、余計に自分の力を認める材料になってしまった。記憶が無いほどまでに一生懸命戦っているのだと、そう自分に言い聞かせながら。

 いつも記憶の最後は敗北寸前、そのことだけはどうしてもわからなかった。

 極稀に勝利する記憶が残っているときもある。けれど、その時のことは自分の家に着くときまではっきりと覚えている。

 エリンは脳をフル回転させた後の反動と日々の緊張感からの解放からか、いつの間にか夢の世界へと誘われていた。



 ★



 外は真っ暗で何も見えない状況になること約六時間。

 時刻が深夜零時を回りかけた時のことだった。

 闇夜に包まれたマーレン山を駆け回る影が一つ。視認しにくい障害物を華麗に避けながら走る人物の持つポテンシャルは間違いなく一級品。

 腕には鮮やかな気品あるルビーのブレスレット。その影の纏う服装は明らかに山とは相性の悪いであろう黒スーツ。ひたたり落ちる汗と比例するかのように息が乱れ始めていた。


 「見つけたぞ。お騒がせ標的ターゲットを」


 呟きながら走っている彼は何かを発見したようだ。発見というよりは元々追っていたものがそこに現れた、と言うべきだろうか。

 胸ポケットにしまっておいた無線機を起動し、とある場所へと連絡した。


 「————もしもし、こちら捜索員のオルタ。たった今我々の標的を発見しました————ええ、彼女たちには後程伝えます————わかりました。このまま追跡を————はい————了解、しました。本部に連絡しておきます」


 オルタという捜索員は連絡していた相手との通話を切り、今度は別の場所へ無線機を繋いだ。標的に気付かれないように小声で話す。


 「————こちらオルタ。奴を発見しました、すぐに彼女たちの出撃を…………って、そこにいるのは誰だッ‼」


 無線機に話しかけていたオルタは後ろから向けられる二つの視線に気づき、後方を振り返った。

 その視線に殺気を覚えたオルタはすかさず、ズボンの後ろポケットに隠しておいた銃の銃口を向ける。その先にいた何者かが誰とも分からない、他にも捜索員が散らばっているがそいつらの視線とは違う。 

 何より、プレッシャーのような威圧感が尋常ではない程に彼の全身を震わせてくる。


 「そこにいるのは誰だッ‼姿を見せないのなら撃つ」


 オルタは一応警告をして、隠れたままの相手に威嚇する。万が一の場合、相手がたまたまこの山にいた一般人という場合があるからだ。

 けれど、先ほど感じたものには少なくとも一般人には決して存在しない、ゾッとするものがあった。

 オルタは運動後に噴出する汗と一緒に冷汗までもが一緒に出てきた。握っている拳銃には手汗がべったりと付着し、今にも滑り落としそうだ。

 なかなか出てこない不審者に苛立ちが出たのか、オルタは一発の銃声を鳴り響かせた。


 「———今のは牽制だ。次は外さない」


 弾丸を撃ち込んだ樹木に敵がいると見込んでいたのだが、どうやら誰もいなかったようだ。

 オルタの思い込みが杞憂に終わり、その場を後にしようとしたその時だった。彼の胸から血塗られた刀剣の刃が出てきたのだ。それも、何故か体が濡れていくような感覚とオルタから出てきた汗が剣先が出ている場所に侵入し、それが激しい痛みを感じさせる。


 「ウッ…………ハァッ…………ゲホッ」


 口元から赤い鮮血が瑞々しい緑を赤に変えた。

 自分の置かれた状況が飲み込めないオルタは恐る恐る後方を振り向いた。

 ただ、目を見開いて驚いた。そこにいたのは…………。


 「な、なんでお前が…………ど、どうして…………」


 振り返ると、そこにいたのは二つの人影。

 大柄で厳つい面を持つ男性と剣をオルタの胸に突き刺している人物でかなりスタイルのいい美女。

 オルタの表情から察することのできる驚き様、どうやらオルタはこの二人をどこかで見かけたことがあるらしい。


 「お、お前ら…………今まで、ど…………どこに…………」


 最後まで言葉が続かず、オルタはその場に倒れ込んでしまった。

 辺りを血液で覆われていく中、二人の男女は笑みを浮かべる。


 「さてと…………レイラ、この無線機は始末しておけ。カスみたいなバカ女どもを相手するのに動向を調べることなんぞ不要だからな。邪魔者だけを消す、それが今からしなければならない最優先事項だ。手下の奴らには悟らせるなよ、今回の面白そうな事件を起こして奴等をいたぶるのが目的なんだからなッ」


 重圧感ある図太い声で隣に侍る女性剣士———レイラにそう告げた。

 男の命令に従うように、レイラは死体の横に転がる無線機を一閃した。

 そして、血濡れたままの刀剣を鞘にしまいながら男に喋りかける。


 「手下に教えたくないことを私に教える。それって、私をゴミのような奴らと同等の扱いをしていないということ。あなたの邪魔をする気なんて全くないけど…………その面白そうな喧嘩に少しは私を参加させてくれる、ってことでいいの?」


 レイラは自分が特別扱いを受けているのか、という確認を男に促す。

 男は「もちろんだ」と言いながら、ズボンのポケットに手を突っ込みとあるものを取り出した。一見薄いだけの白い石にしか見えない。


 「ねぇ。それって、この前あの政府の裏切り者たちに取りに行かせたのコントローラーでしょ。今日も実験したみたいだけど…………一体何をする気なの?」


 「ハッハッハッ‼アレを使うんだぜぇ?俺がザコ女どもを屠る寸前まで追い詰めるなんて、直接するとでも思ったか。そんな面倒ごとなんかしねぇ、そんなことはアレにやらせて、ボロボロになったアイツらをじっくりいたぶるんだよぉぉぉ」


 「———私も当然」


 「参加してもいいぜ。だが、俺にもやりがいがあるように加減しろよ?」


 クズの極みのような会話を続ける二人。おそらくアイツらとはこの付近で仮設拠点を置いている五人のことだろう。

 男はアイツら———《FreshOrange》を正々堂々と戦って、完璧にぶちのめしたいと思っている。特別な性癖を持つ男に特に違和感を持たないでいるレイラも相当なSだろう。

 チヤホヤされている、目立ちすぎ、英雄気取り…………どれも巨漢男が大嫌いな人間の特徴。それらにドンピシャとハマったFreshOrangeに矛先が向いたのだろう。無茶苦茶にできる日が近づいていることを日々実感している彼はもう止まらない。


 「おいレイラ。仕掛けるのは準備が整い次第にする。まだアレの使い方に慣れていねぇし、楽しみをとっておくのも悪くないからなあぁ」


 「———仰せのままに」


 血塗られた木々を後にした二人は不気味なオーラを放ちながらその場を去ったのだった。


 

 

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