002《二次元世界=妄想と正反対》

 三次元世界からの来訪者は二次元世界にてごく普通の生活を送りながら、この世界での名門私立ターヘル学園に通うというある意味多忙な日々を過ごしていた。ここに来てから、実に二年が過ぎようとしていた。


 「あ、ああ。今日も睡眠二時間足らず…………やばい、死ぬ」


 清々しい風に吹かれながらレンガ造りの道を歩いてゆく雄哉。そこへどこからともなく風に乗って鼻をくすぐるのは紛れもないパン香り。その源はこのアベニューの朝の香りを支配するとある店のもので、本来なら雄哉は今からそこに向かう予定。だが、今は少し時事情があってその店の前を通り過ぎなければならないのである。雄哉はあまりに良い香りに釣られないように若干の行列ができている朝の台所の前を通過する。内心、「クッソオオオオオ!」って感じているだろうか、雄哉は速足でその場を去った。だが、雄哉を襲うのはパン屋だけではない、あちこちにお店が点在するこの通りは「フランドリーアベニュー」通称「飯通り」と呼ばれるほどに無数の店が存在する。全長は約一キロ弱、長いかと言われれば長いが、この街自体がまだ小さい方なので世間的に見れば普通くらい。眠気に襲われる雄哉はパンやらコーヒーやら様々な誘惑を断ち切らないといけないという思いを無意識に捉えているために本人は意識せずにここを通っている。それでも前述したとおり「チキショオオオオッ!」とは思っているだろう。


 「で、なんで今日に限って俺が当番なんだッ!つい二時間ほど前までカリカリと勉強机に向かっていた俺がよ…………ああッ、優雅な朝を過ごしてぇぇぇ」


 イライラというよりは眠気が原因な所もあるだろう。彼は朝から憤りを隠せずにいた。幸いなことにこの場を歩いているのはほんの数人。だだっ広い道の隅を歩く雄哉は影に隠れてさらに陰気さを増している。雄哉は着崩したワイシャツを直さず、ベルトも緩く完全にだらしないの象徴のような格好をしているために目の下のくまと合わせれば酔っ払いにも見えなくはない。彼はチラッと自分の左手に付けている白銀のメッキに包まれた腕時計を見た。


 「げッ、既に六時半回ってんじゃん。これはまた急がないと大目玉だな」


 「学校がそんなに嫌なら行かなければいい。だって、勉学できることは贅沢なんだから」って、元の世界で母親に散々言われた記憶がある。当時の雄哉は正直気にしていなかった。学校の成績も上の中ぐらいで悪くなかったし、スポーツの成績も学年トップテンに入るくらいには凄かった。だが、正直勉強をした、というほどの記憶もないくらいしなかった。それなのに、母親は口酸っぱく何度も言ってきた。別に勉学が嫌いとは一言も言っていないのに何故か言ってきた。それが未だに理解わからないのだが…………。という話が急に脳裏をよぎった。


 「なんで今そんなことを思いすんだよ…………ま、いっか」


 雄哉はさっさと先ほどのことを忘れて学校に早く着くことだけを考えながら歩く。それらを忘れることが出来そうなのは良かった。しかし、今度は物理的な邪魔が雄哉の前に立ちふさがることとなった。


 「あら、これはこれはユウヤ?なんでこんな時間に歩いて…………ああ、そうだった。今日はユウヤが当番だったよね?朝早くお疲れなことで。私は一時間後くらいに行くから」


 「…………リール。またこの店で朝食かよ。ほんと飽きない奴だな」


 「いえ、ここのホームメードコロッケがいけないのよ。私に毎朝早起きさせてまで買いに来させるこの中毒感。中はしっとりなのに外側はサクサク…………はぁ、一体誰がこのような美味なものを考え出したのやらね」


 雄哉の目の前でコロッケの詰まったアツアツの紙袋を熱を感じないかのごとく自然と持つ銀髪ショートボブの若干大人な女性。今は春だが、いかにも夏っぽい白のワンピースを身に纏い、靴は明らかにヒールのついたサンダルである。季節感無視のファッションで佇む彼女は綺麗な青の瞳は地球を宇宙から見たようかのように美しく、美女と言っても申し分ない人物である。名は白石リールと言う。

 リールは雄哉に話しかけるとまた一口、手元にあるコロッケを頬張った。


 「―――で、また雑談で俺を遅刻させる気か?さすがに今日こそはヤバいんだが…………」


 「うん……まあ、今日は特に話すことはないし。別にスルーしてくれてもいいよ」


 「お、珍しく話が分かるじゃねえかよ。どうしたんだよ急に?」


 「だって、話したところで特に変わらなそうだし。今日は放置しておいてもいいかなってね」


 「―――おい、何が言いたいんだよリール?俺はこのままいけば確実に間に合う…………」


  ふと、雄哉は何かが気になったのか急に自分の背筋に悪寒が走るのを感じた。何かを勘違いしているような、そんな気分だった。別に関係ないとは思っているのだが、気が付くと何かに怯えている雄哉がいた。そして、その答えをリールの視線によって誘導された先で知ることとなった。そこにはこの通りで最も大きく雄大なが堂々とそびえ立っている。その時計の指針を見ると、長針と短針が数分前に見たものとは少し……いや、かなりかけ離れていた。その光景に雄哉は己を疑った。そして、己の左腕にある最近新調したアレを見た。


 「って、俺の時計ズレてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ⁉」


 「今更よね。ま、最初に会った時に気付いてたけど…………」


 「それも俺の時計は四十分を指してるのに…………現時刻は」


 リールは雄哉に少しの憐れみを含んだ目で言った。


 「―――七時、丁度なんだよね~。そしてぇ、ユウヤの門限は残り…………十分ってとこかな?」


 「う、嘘だあああああああああああああああああああああああああああ‼」


 眠気も覚める事実に雄哉はじっとしてられなくなった。まさかの事態だったことで現在、彼はパニックに陥っている。そして、その叫び声は地面で眠るアリまでもを起こしそうなぐらいの爆音。悲しいことに雄哉に残された道は一つだった。


 「―――走るしかない。全力で走るしかないッ‼」


 「うん、じゃ、がんばってね~私はこのまま食べ歩きでもしてくるから」


 「あああああああああああああああああああああああああああ‼」


 雄哉はリールの皮肉を含んだサヨナラの挨拶を聞くこともなく持ち前の脚力でコロッケ店を後にした。まるでF1を思わせるかの走りで、その通りで働く者や通行人などの目を飛び出させそうなレベルで速い…………と、誇張できるくらいには確かに速い。雄哉は額の汗を拭いながら疾走していった。それを見送るリールは実にほほえましそうだった。


 ★


 ―――私立ターヘル学園高校・第一ゲート前


 現在時刻は午前七時三十分。壮大な城を見ているかのように大きいゲートはターヘル学園高校の象徴と呼べるべきものにふさわしい。白い外壁に包まれた学園内に入校することのできる門の一つだが、ほとんどの生徒は裏の第二ゲートから校内に入っていく。だが、この門から誰一人入ってこないというわけではなく、単に使用できる生徒が限られているというだけである。

 そんな特別扱いされた生徒を待つ門の前で、綺麗に身なりを整えているにも関わらず地面に胡坐をかく一人の男性がいた。しかし、よく見ると彼の目が燃え尽きたように真っ白になっていた。


 「なん……で、おれ………が、こん…………な、こと」


 話す気力が既に無い。このようになった過程としては正直庇いようが無いほど全面的に彼が悪い。時間をミスり、危うく遅刻しそうになったところをギリギリ間に合わせるという神業的なことを成し遂げた代償の結果である。言うなれば、救いようのないバカということだ。そんな彼―――澤部雄哉は正直死にかけていた。


 「飯は食った………だが、学園に着いた瞬間にトイレでリバース。そのせいで俺のストマックは空っぽ…………ヤバイ、死にそう」


 来る途中で出会ったリールからでコロッケを一つぶんどれば良かったと思うほど、彼の身体はボロボロになっていた。この哀れな男性に食べ物を分け与えてくれる、そんな神様みたいな人間はいないだろうかと願ったその時。雄哉は後ろから声を掛けられる。


 「よっユウヤ!元気にやってるか?ま、見た感じはボロボロだが…………」


 「う、おぉ。レギウス…………あのさ、なんか食べ物とかないか?俺はとにかく死にそうなんだ」


 「開口一番が飯くれかよ。ハハッ、ユウヤっぽくっていいが、生憎手持ちは無い」


 「おいおい、何か持ってきてくれたって良かっただろうによ。いつものことだからわかるだろう?」


 「ハハハハッ。ユウヤは相変わらずな奴だな。でも、そんなに飯が欲しいなら俺があとで奢ってやるよ。ま、先日のこともあるしな」


 「うおおおおおお!さっすがレギウスッ!さすがは心の友だぜ」


 後ろから現れた大柄の男性。彼の名前は夕実ヶ原ゆみがはらレギウスといって、かなりイケメンな割に身体ががっちりし過ぎていてあまり女子人気があるとは言えないとても残念な男。身長は日本で言う百九十センチと言ったところだろうか。レギウスも雄哉と同じ黒のスーツに身を染めている。因みに彼は大柄な男で怖そうなイメージがあるが、実は超優しい。

 そんな残念男レギウスは雄哉の隣に立ち、ダンディな声で談話を始めた。


 「なあ。ユウヤは今日で当番は取り敢えず終わりなのか?俺はあと二日連続あるが…………」


 「いや、俺もあと二日連続。―――と言っても、今日で十日連続なんだがな」


 「ま、それにしてもユウヤは遅刻し過ぎだ。この状況はペナルティが重なり過ぎた結果だ。だから俺にはどうすることもできない」


 「あぁ、正直な所、今まで全部俺が悪い。わかっているつもりではあるんだが……」


雄哉は反省の表情を浮かべ、猫背になるほど首部を垂らしている。相当堪えているに違いないが、自業自得の雄哉に手を差しのべる者はレギウスくらい。その他の人々には眼中にない無関係な状況。雄哉を気にかけるレギウスは正に真の友と呼べる存在。

そんな雄哉の心の友、レギウスは話題転換を計り、最近のことについて語り始めた。


「なぁ。ここ最近のターヘル地方が少し物騒な所になってきているのだが……そう感じないか?昨日も一昨日もあちこちで事件が起こっているらしい。まあ、この学園に危害が加えなければ別にいいと思っているのだが」


「あぁ………確かにな。俺も気にはなっていたところだ。しかも、捜査をしてんのにも関わらず犯人が未だに解らないとか言いやがって、さらに言えば本気で捕まえる気があるのかってくらいに市内警察は動かねぇし」


「そう言われてみれば警察は動かないな。あれだけ爆発とか繰り返してるのに、確かに変だよな」


二人が絶対に壊れないだろうと誰もに思わせる頑丈な門の前で語るのは最近の世の中について。なんでも、雄哉達が住んでいるこのターヘル地方で爆発やら火事やらが多発しているのである。しかも、決まって夜中にである。その度に地域住民は避難勧告を受けながら警察らの誘導に従うのだが、あまりにも頻発するので住民たちはおろか、誰も避難しなくなるという異常な光景を生んだ。

 その光景の異常さについて、春のそよ風が吹く中レギウスが雄哉に問いかけた。


 「――ほんと楽観的な住民が増えたもんだよ。遠くで砲弾が飛び交う音を聞きながら眠れるような人間に変わったんだ。…………ところで、このようになった理由、ユウヤは知ってたりするのか?」


 雄哉は胡坐の体勢を崩しながら右手を床に突いて立ち上がる。その動作中に雄哉はレギウスの問いについて答えた。

 

 「…………さあな。多分だが、。ほら、今俺たちが待ってる『あいつら』だよ」


 レギウスは「ほほう」と言った感じで自分の顎を撫でながらニヤついた。そして、天を見上げながらゆっくりと言った。


 「ほぉーう。ユウヤが彼女らのことを『あいつら』と言える身分にはいないだろうに」


 「まあな。たかだか平民ごときの俺が校内でその言い方をしたらおそらく懲戒免職ものだろうな。だが、ここならレギウス以外の人間はいない。レギウスがチクらない限りは罰されることもないから大丈夫だ」


 「はははっ!そうだな、ここなら誰にも聞かれることはない」


 「ザッツライト、そゆことよ。」


 といいつつも雄哉は腕を組み、少し納得のいかない様子で不貞腐れている。多分、この街で誰よりも働いているのはあの五人組でもなければ、警察でもない。。しかし、とある理由から公表されることなく、その事実は深い海底の土壌に埋もれている。掘り返すことは極めて困難なまでに。

 個人的な談話を終えた二人は日頃のストレスが募り、そのせいかかなり疲れているようで首を回したり、肩を上げ下げしたりとまるで準備体操のように動かしている。そして数分後、レギウスが何かを察知したらしく急に襟元などの身だしなみを整え始めた。それを見た雄哉も同じく身形を整える。


 「さ、朝の仕事だぞユウヤ。昨夜の戦闘で酷くお疲れになってるようだからな、丁重に扱えよ?いつものようにきっちりこなすぞ」


 「あいあい、いっちょやりますかぁッ‼」


 雄哉が気合を入れ、押忍のポーズをとった刹那。学園第一ゲート前にいかにも高級そうな黒塗りのセダンが音もなく進入してきた。そして、二人の目の前で止まると運転席から一人の老父がきっちりとタキシードを着こなした状態で出てきた。雄哉、レギウスの両名は老父と軽く会釈を交わし、レギウスが老父の代わりに後部座席のドアを丁寧に開ける。その間に、雄哉がトランクから荷物を運び出す。

 後部座席を開けながらレギウスは車内から降りてくる人間に話しかけた。


 「おはようございます、エリン様。やはり春と言っても早朝は冷え込みますね」


 レギウスのたわいのない掛け言葉にエリンと呼ばれた女子降車しながら答える。


 「おはようございます、ミスター夕実ヶ原ゆみがはら。今日の気温のことですが、比較的暖かくなる予報ですよ。この寒さも朝方で引くみたいなのです」


 「そうでしたか、情報提供の程非常に感謝いたします。――おっと、足元にお気をつけて門へとお進みください」


 「お気遣い感謝いたします」


 すると、彼女――有栖川エリンは門の方に向かうことなくこの場にいるもう一人の男性の方へと歩みを進めた。そして、彼女から放たれたこの一言。


 「ねえ…………そこの男性教師?早くバッグを渡して頂戴。急いでるから」


 先ほどとは打って変わって口調が完全に上から目線。雄哉がこれには堪えたかと思いきや、いつもの調子で返す。


 「おい有栖川。仮にも俺はお前の担任、そしてこの学院規則で定められている『監視者オブザーバー』なんだぞ?もう少し、距離を詰めてだなぁ…………」


 「うるさいですよ。さっさと渡してくださらない?その役は先日解いたはずですよ。学院が承認しないだけで、貴方は私の監視者ではなくなっています。どうかお引き取りください」


 雄哉は正直頭にきていた。自分だけがこのような扱いを受け、いつも皆のために必死で働いているにも関わらず、生徒にはこの仕打ちを受ける。これが彼のこの世界での学園生活。しかも、という重要な立場に置かれている。前の世界ではただの高校生に過ぎなかった彼はいきなりジョブチェンジを強いられた挙句酷い扱いを受ける。誠に残念な男なのである。

 エリンは雄哉から自分のバッグをぶんどり、そそくさと学園内に入って行った。そこへ先ほどのやり取りを見ていたレギウスが近寄ってきた。


 「おいおい。まだあの調子か?それも自分のクラスの生徒だろう。全く、大丈夫なのか?あの調子じゃこの先……………っておい、ユウヤ。聞いてんのか?」


 レギウスが雄哉をみた時には、白く灰になりそうな勢いで凹んでいた。口をみっともなく開け、エリンの後ろ姿を見つめている。その後ろ姿がどんどん離れいくのを感じている雄哉は今にも倒れそうなオーラを出していた。


 雄哉は前の世界で「有栖川エリン」と言う女子を…………いや、キャラを推していたた。どのキャラよりも並々ならぬ愛情を注ぎ、発売されるグッズはどのファンにも負けないくらいのスピードでアニメショップに行っていたくらいだ。自分の嫁と豪語していたが、今ではその面影も見られないくらいにカオスな状況が生まれている。一番愛情を注いだであろう推しキャラに名前も呼んでもらえないくらいに、さらにはののしられるという一部のコアなエム体質をお持ちの方にはご褒美のようなことをされているのだ(雄哉はエムではありません)。振られる以前に相手にされない。嫁にすると言ってやって来たのに、蓋を開けてみればこの世界に何をしに来たのか分からなくなる始末。すべての愛を尽くしたアイドルに卑下される彼を助けてくれるものはこの世にはいない。


 しかし、これが波乱の夜明けだった。

 雄哉とその周りの者達は次々にめまぐるしく動く出来事の渦に飲み込まれていくこととなった。


 

 



 

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