一章 二節 solve

 二人組が余裕の歩みで十メートルほどによって来たところで藻間は口を開く。

「やあやあ。そちらも随分仲がよさそうだね」

 俄かに目つきが鋭くなった迷彩男と、一切気にする様子の無い大男に、言葉を続ける。

「一つ提案なんだがね。二手に分かれてやり合おうじゃないか。その方が何かと都合がいい」

「自信があるようだが、都合がいいのはむしろこちらだ」

 迷彩男は存外ハスキーな声で答えるとじりじりと藻間から垂直方向に歩みだす。それを合図に藻間も滑るように歩み去る。背中向きでひらひらと掌を揺らしている。

 二人が大型ビルの中に消えたところで、大男が初めて口を開く。

「手筈通りだと、俺は時間を稼ぐことになっている」

 抑制された低く渋い声。

「そんなこと言っていいの」

「どうせ守らないから関係ない」

 体を捻って肩、腰、足首と筋を伸ばしていく。

「あの軍事オタクは一対一に絶対の自信があるようだ。自然なタイミングで別れられればと強く言っていた」

「わざわざこっちにまで言ってくれたもんねえ。必要ないと思うけど。自信があるんだろねえ」

「ここは素晴らしく居心地がいい。まだほんの少し準備運動をしただけだが、みるみる意識と体が馴染んでいく。さらにさらにと一致していくのがわかるんだ。もっと強く、速く、意のままに体が動くようになるだろう。楽しくて仕方がない」

「そうかい」

 視線がかち合ったまま静寂を迎える。互いの意識が一点に沈み込む。

 瞬間、大男が爆発的な加速で国松に直進する。陸上選手のそれのように一瞬で最高速度へ。

『シールドォ!』

 発光を伴って国松の正面に一畳ほどの半透明の壁が現れる。

 大男は目を見開く。最小限の減速で、歩幅を小さく刻み、重心を中心に残したまま左右に体を振る。

 国松が左腰に無造作に差し込んでいた刀を握りこみ、視界を斜めに横切るように一息に引き抜く。

 大男が瞬間、己の左方にかじを取り、卵殻の軌道で壁をよけつつ最短のコースで距離を詰める。引き抜いた刀を持つ右腕。伸びきった右腕。そこからさらに振りぬくことはかなわなかろう。精々かざして防御するのみ。

『刀ぁ!』

 咆哮と同時に空気の奔流が国松の左手を包み、その手に剥き身の日本刀が表れ、握られる。かざして大男の進路を阻むと思われた右手と刀が高く持ち上げられ、その空間に左の刀を張り手の如く無理矢理に、横薙ぎに叩きつけるように振りこむ。

 国松の左手に煌めく刃を視界にとらえ、大男は瞬時、右足に力を入れる。それを自分と国松の間、垂直になる角度で地面にかませ、撥ねるように鋭角に進路を変え、距離を開ける。遠ざかりながら、眼前を走る刀の軌道に描いていた自分の姿が重なることを感じ取った。

「鞘はいらねえもんなやっぱ。思ったより融通がきく」

 右の刀を握りしめるように振り払うと刀身から鍔、さらには左腰の鞘も粉々に砕け散る。

 つま先を軸にして足首をぐにぐにと動かす大男。

「凄い運動能力だけど、長物があればまあ怖くない程度だわ。なあ」

「今は、な」

 左手の日本刀、その刃部を挟み込むように右手で支える。

『短く』

 カッターナイフが柄に収納されていくようにスルスルと全体が縮み、脇差ほどの形状になる。

「ほー。出来るもんだね。便利便利」

「長物とは言えない様になってしまったがいいのか?」

「重くて上手く振れないより百倍良いんでね」



大通りに面した中型ショッピングモールのほぼ真ん中。小ぶりな噴水のある広場の上方は大きく口を開けて四階まで吹き抜けになっている。その空間に面した二階部分が爆音を伴い燃え上がる。

「粗いね。どうにも」

 藻間の視線の先の空間、しっちゃかめっちゃかに大小多種が散乱するなか、棚の陰に腰を下ろして迷彩男は返事をしない。

「防護服、手榴弾、狙撃銃、ナイフ、あとは名前よくわからいけど、ソウイウ物を調達する力なわけだ」

 舞う火の粉も熱風も不自然に彼女の目前で遮られて上に立ち上っていく。

 口角を持ち上げて笑みを浮かべる藻間。

「だけどそういうのってうまく扱わないと役に立たないんでしょう? 最初からそうだもんね。止まっててもろくすっぽ当たらない」

 右手、二メートルほどにある棚が大きく音を立てて熱にひしゃげる。

 直後、ソフトボール大の重厚な塊が物陰から投げ込まれる。視認するとすぐさま頬と肺を大きく膨張させ、いっぺんに空気の塊を吐き出す藻間。猛烈な勢いを与えられた空気の塊によって手榴弾はあらぬ方向へ飛び立ち、むなしく爆裂する。余波も金属片も藻間には一切届かない。

「折角の才能がそんなんじゃ、涙が出てくるよ」



 細胞の一つ一つまで力がみなぎる。神経が従順に、瞬時に指示を聞く。満身が思う様動く。

「あはああああぁぁぁああああはああ」

 大男の右拳が国松のとっさのガード、左肘にめり込み、そのまま振りぬかれる。

 転がる体をなんとか制御して国松が前方を見ると、既に大男が至近に。

『シールド!』

 前方から左後方に斜めに延び及ぶ壁が出現。

『刀ァッ!』

 右手に脇差を握りこみ、限定したルート、大男が壁をよけて迫り来るはずの右前方に振りだす。

「あぅ!」

 大男はそれを視認してから跳び上がる。鋭い跳躍、襲い来る刃を最小現で飛び越え、すれ違いざまに国松の振り抜いた右肩を鷲掴みにし、自らの勢いをそのまま移し替えるようにその体を高々投げ飛ばす。

「どんどんかみ合ってくる。全身の何億という歯車が、かみ合っているようで祖語のあったそれらが完璧にかみ合っていく……」

 大男の動きは既に国松の知る人間のソレではなかった。交錯の中で俊敏性、操作性、出力がみるみる向上し、今では完全に自在な盾と矛という強みを圧倒するほどの差が生まれていた。体中の生傷、痣がじくじくと痛み、思考も落ち着かない。

「素晴らしい。素晴らしいな。取り巻く時間がスローになったかのようだ。なあ少年。米を箸で摘まむことさえいくらでも時間をかけてもいいなら容易なものよな。そんな感覚だ。速く、力強く、自在に動く」

「ハイになってんじゃねえ。気持ち悪いんだよ」

 その瞬間。

『bang!!』

 彼方からざらついた声と、火薬のような大音量が響く。

 大男が一つの無駄もない動作で身を後方に引く。

 右足のあった位置のアスファルトがはじけ飛ぶ。

 大男の左後方上、国松の右前方上に両者視線をやると、モールの四、五階、砕けた窓から身を乗り出す藻間の姿が飛び込む。二階部分からは大きく火の手が上がり燃え盛っている。

 右手を真っすぐに伸ばし、左手はその手首辺りに支えるようにして添えられている。人差し指と中指が前方を指し、親指が天を衝く、見るからにその右手に拳銃が模されていた。

「こっちは終わった! 足を手酷くやられたから駆け付けはしないが、支援しよう。『bang』で普通の、『shot』が散弾!」

 大きく張り上げた声が驚くほどくっきりと脳まで届く。

「グズめ。半端に動けなくさせれば面白みすらないというものを。まあいい。わざわざ説明までしてくれて対応も簡単。そうでなくても今の俺なら銃声を聞いてから避けられる。しかしなんとも、お互い余計なことを話す相方だな」

『シールド。二つ』

 国松の声に呼応して発光。両サイドに巨大な壁が平行に展開され、切通しが如く、大男から国松まで幅一メートルほどの一本道が形成される。

『刀。軽くて、長いの』

 拳二つ分ほど開けて並べた両手が一メートルを超える長刀の柄の下端上端を握りしめ、刀身が斜め前方にゆらり伸び及ぶようにして構えられる。

「耐久性はいらない。薄く、軽く、長い刀。この袋小路で真っ二つにしてやる」

「お前も馬鹿だ。動きを制限した壁で、俺は射撃から守られる」

 大男がストンと膝の力を抜き重心を下ろす、地面を噛む足裏、力を送り込む下半身の作用でもって、自然体からの瞬時の加速を見せる。これまで幾度となく見せたように、唯々真っすぐに、速く。

 長刀を右肩に担ぎ上げるように振り上げる。柄の下端を支える左手がちょうど右胸の前で構えられ、力が込められる。

 大男は一切の躊躇なく直進する。如何に刀身が長かろうと、幅がなかろうと、刀が振り下ろされ始めてから、動いてから、それを目視してからでも、今の自分なら確実に対処できる。絶対の自信がある。鋭敏化する感覚の中で、圧縮された体感時間の世界で、国松の腕が動くのを待つ。まだか、まだ動かぬか、既に相当接近しているが、避けられ続けてきた記憶がある分致し方ないか。さあ動いて見せろ、さあ、さあ。

 影が重なる距離まで接近。リミット。直ちに振り下ろさねば間に合わない、避けるまでもなく振り下ろす前に大男の攻撃を許すというその限界の機会。

 国松の左手の指が、滑らかに開く。薬指、小指を握りこみ、親指は天を指し、そして残る二本が――

『shot!!!』

 轟音と衝撃、火柱。その向こうで、大男の体を、その至る箇所を、小さな小さな鋼鉄が破壊をもたらしながら押し進む。

 コントロールを失った百キログラムの塊がそのまま国松に直撃し、諸共に後方に吹き飛ぶ。

 車道に転がる二つの体。一つが鈍い動きで先に体を持ち上げる。赤く辺りを染めるもう一方は、呻くばかりで起き上がらない。

「自意識過剰男め」

 国松が立ち上がったころ、横たわる大男は何とか体を両の腕で支え、上半身のみ起こして見せた。赤が滲む傷は下半身に集中している。

「ア、アァ……。足が。ア、ウァ!」

「さっきみたいになんか喋ってくれよ。なあ」

 うつむき自らの下肢を覗き込んでいる大男の正面、およそ五メートルほどの距離にいる国松が、右腕を持ち上げる。

『bang!』

「ガァアッ!!」

 大男の右ひざが弾ける。だらりと垂れさがり、赤は勢いを増す。

「調子がいいと気持ちいいよねえ。でも大人ならそうじゃなくても取り繕わなくちゃ」

「ウァ……アァッ……」

「追っかけっこしようよ。左ひざをこいつで壊したら開始ってどう?」

『bang!』

 凄惨な光景が繰り返される。

「体動かすの好きなんでしょ。ほら、走ろうよ。足が使えなくても動けるでしょ。ほらほら体動かして」

 歩み寄って、苦痛を全身で表すこと以外何もできずに転がる体をつま先でつつく。

「がんばろ。足が動かなくても懸命にがんばろ。『人並み』に歯を食いしばって何とかしがみつく姿を見せて」

 呻きが聞かれなくなる。

「あらら気を失った。あとは、待ちか」

 二分強が経過して、微動だにしない大男の体から湯気が立ち上り、見る見るうちに小さくなる。

「わかりやすいのね思ったより」

 最後の一片まで、血の一滴まで霧散した。

 瞬間、目を見開き硬直を見せる国松。その時間二秒。

「オマエェェッ!!!」

 身体を翻し、左腕を指先まで真っすぐと伸ばす。その根元、左肩と顎の接するその位置に銃を模した右手が添えられる。左腕全体が砲身となり、遠地の標的を確実に仕留めるという意思を強固に示す。

 左の手指の延長には藻間中瀬の鷹揚な笑顔がある。

『bang!!!!!』

 高速で奔る破壊の塊を、藻間はいとも容易く、半身を出していた窓からついに全身を投げ出すように、滑り落ちるようにしてかわす。重力に飲み込まれゆく姿勢のままで、建物の中に視線をやり、銃を模した左手を突き出す。

『bang』

 二メートルの距離、双眼鏡を構えて陰から外を見ていた迷彩男の首から上がはじけ飛んだ。



――君も経験者なんだろう。上手く話したね――

――残った方を狩れば済む。厄介な万華君とやらが落ちるといいのだが――

――よく見ておいてくれ。間違っても姿を出すなよ――

――『bang』――

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