escape the garden

亜未田久志

隔たる壁の、その先へ


 『箱庭』での暮らしになんの不満もなかった。

 幸せだったと言ってもいい。

 『外』に出た今でもそう思う。

 確かめるために、少し振り返ってみよう。


 カランカランと来客を告げる鈴が鳴る。

 扉が開かれていき、店の中へと銀の髪を揺らしながら少女が入ってきた。

「いらっしゃい、メル」

「こんにちは、リズおばさん」

 奥のカウンターでコップを磨く赤い髪の女性へと挨拶するメルと呼ばれた少女。

 そのまま、そのリズという女性の目の前にある椅子に座る。

「いつものかい?」

「プリン、十人前」

「ふふっ、そんなスッとした顔で言うセリフかね。それ、ちょっと待ってな」

 時刻は三時、二人のやり取りからして、いつもこうして、ここでオヤツを食べるのがメルの習慣になっているらしい。

 カウンターから奥の厨房へと入っていくリズ。

 その姿を眺めるメル、顔を見ただけでは分からないものの、身体を揺らしてどこか嬉しげだ。

 そんな時、カランカランと鈴が鳴る。

 入ってきたのは赤い髪の少年。

「あれ、メル、もう来てたんだ。今日はなんだか早いね」

「違う、ロディが遅い」

 自分はいつも通りだと胸を張って主張するメル。

「ごめんごめん、もうプリンは頼んだの?」

 申し訳なさそうに頭の後ろを掻きながら、メルの隣へ座るロディ。

「うん」

「でもホント、毎日十個も食べて飽きないの?」

「飽きない、むしろ足りない」

「あはは、メルはホントすごいや」

 心底、感心したという様に笑う。

「フツー」

 なんのこともないと返す。

 そんな風に話していると、厨房から皿に山盛りのプリンを乗せたリズが現れる。

「おまたせ、おやロディ帰ってたのかい? じゃあちょっと悪いんだけど、裏庭にある荷物を、厨房の中に運んどいてくれないかい? あたしじゃ重くって……」

「いいけど、父さんは?」

「仕事よ、の」

「壁……」

 ピクリッとその言葉に反応するメル。

「メル? どうしたの?」

「なんでもないモグモグ」

「ああ。ごめん、食事中に話しかけちゃって、えとじゃあ裏庭だっけ行ってくる」

 席を立って、カウンターの中へと入る扉へ行ってそのまま厨房へと向かう。

「頼んだよ、ホントに重いから気を付けてね」

 その時だった、メルがゴクンと軽快な音と共にプリンを食べ終えた。

「私も手伝う」

「え、そんな、いいのに」

 メルはロディを見つめて言う。

「プリンのお礼、それに私、力持ち」

 ふんすっと力こぶを作って見せる、もちろん出来てはいない。

「二人でやったほうが確実かもね」

「母さんは?」

「あたしは店番しとかないと」

「この時間、メル以外、ほとんど誰も来ないじゃない」

「うるさいわねー、ほら行った行った」

 シッシッと追い払われてしまう二人。

 しかたなく厨房の中を進み、裏庭へ向かう。

 その途中、冷蔵庫をじっと見つめるメル。

「……多分、もうプリンは入って無いと思う」

「ざんねん」

 裏庭には積み重なった段ボール箱。

 いくつもの種類の野菜が入っている。

「スープの材料?」

 メルが首をかしげる。

「そうだね、ウチの看板メニューだし」

 重い箱を一つ二つ抱えながら、裏庭と厨房を行き来する。

「ホントに力持ちなんだね、重くないの?」

「フツー」

 全てを運び終えた頃には、少し日が暮れ始めていた。

「もう夕方だ」

「ロディは、お店の手伝い?」

「うん、この時間から忙しくなるからね」

「じゃあ、またあとで」

「えと、店を閉めた後でいいんだよね? 第三公園に」

「そう」

「分かった、なるべく遅れないようにするよ」

「待ってる」

 そう言って二人は裏庭で別れた。


 これも幸せな記憶の一つ、というかほとんどこの繰り返しだったけど、でも幸せだったのは間違いない。

 じゃあ、この先は、なんで私が外にいるかを話そうか。


 夕焼けに染まる街並み、果てに見える壁の影もどんどん濃くなっていく。

 壁には足場が組まれ人が行ったり来たりしている。

 だがそのほとんどはもう、帰り支度をしている感じだ。

 メル、商店街を抜けて、草原に出る。

 岩や草ばかりで何もないところを進んでいく。

 その先に、一軒だけ家が見えた。

 小さい家だった。

 白くて四角い箱だった。

 ノックもせずに中に入る。

 誰もいない。

 あるのはベッドと冷蔵庫と本棚。

 メルは棚から一冊、取り出すと、ベッドに座り読み始める。

 題名は「ガリバー旅行記」。

 ページをめくる音だけが、部屋に響く。

 だが、その途中、歌声が混じる。

 静かな歌声、しかし、聞く者がいたら、間違いなく立ち止まって聞き入っていただろう。

 その本は、もう、ボロボロになり始めていた。

 それだけ読み込んでいるということだ。

 ただそこに、一つだけおかしな点があった。

 メルは

 裏表紙から表紙へ。

 彼女の幸せな旅を願う歌が、部屋に寂しく響く。


 夜もすっかり更けた頃。

 いくつかのベンチと、二つの椅子が揺れるブランコが一つの公園。

 メルはブランコに乗って、勢いよく揺られていた。

 白いワンピースがはためくのもお構いなしだ。

「おそい」

 そう思わず言葉を漏らした時だった。

「はぁはぁ、ご、ごめん、今日、すごくお客さん多くて」

 息を切らして荷物を背負ったロディが現れた。

 ブランコを止めて無表情に見つめる。

「じゃあ、しょうがない」

「ありがとう……座っていい?」

「どーぞ」

 隣のブランコにゆっくりと腰かけて、ふう、とため息を吐く。

「疲れてるの?」

「ちょっとね、それよりも話って?」

 ロディがメルを見つめる。

 最初は目を合わせていてメルだったが、ふいに顔を逸らして、前を向いてブランコを揺らしながら語り始める。

「私ね、『箱庭』の外に行きたいの」

 その言葉を発した途端、ロディは思わず息の呑んだ。

「……そんな、危ないよ、何があるのかもわからないのに、それに『箱庭』に居ても、なんの不自由もないじゃないか」

「でも、される服、いっつも同じ、このワンピース」

「それは……僕も緑の上下ばっかりだけど、でも別にたいしたことじゃ」

「このチョーカー、みんな付けてる、女の子にはリボンも」

「……えっと、それが?」

 メルは勢いを付けてブランコから立ちあがった。

「この『箱庭』は、きっと馬に管理されてる」

 ロディの頭から疑問符は消えない。

「馬?」

「そう、それを確かめたいの」

 メルの真剣な眼差しが、ロディを射抜く。

「えっと、この『箱庭』が、馬……か何かに管理されてるかどうか?」

「そう」

 メルは箱庭の果ての壁を指差す。

「外に行けば、きっと分かる」

「……ホント、メルはすごいや」

 どこか呆れたような、どこか憧れているような声。

「ねえロディ、いっしょに来てくれる?」

 手を差し出す。

「ああ、メルが行きたいっていうんなら」

「ありがとう」

 メルが微笑む。

 ロディはそれを見て、『箱庭』を出たい発言を聞いた時。以上に驚いていた。

「どうしたの?」

「い、いや、メルの笑った顔、初めて見たかもって」

「そう? フツー、だよ」

「今日、もう行くんだよね……」

 どこかまだ不安気な様子。

「もう荷物も用意した」

 ブランコの横に置いてあったリュックを背負うメル。

「ロディもしょってる」

「まあ、用意するようメルに言われたし」

「行こう」

「うん」

 二人は公園を出て、壁へと歩き出した。


 壁の補修用の足場を昇っていく。

 普段は関係者以外は入れないようにカギがかかっているのだが、ロディの父親がカギの当番であり、家に持って帰ってきたモノをくすねていたのだ。

「だけど、この足場はあくまで補修用だから、上までは通じてないよ?」

「大丈夫、まだ補修が終わってないところがある」

「えと、それで?」

「そこはでこぼこしてるからよじ登れる」

「な、なるほど」

 そう言ってる間にもずんずんと足場を昇っていく。

 冷たい夜風に晒されてなお、汗が出てくる。

 それでも先へ、先へと進んでいく。

 そして辿り着く、頂上、一番上の足場。

「あっち、補修がまだ」

 メルが指差す方向へ向かう。

 確かにそこには、手や足を掛けられそうなでこぼごした壁があった。

「登れるかな?」

「できるよ、二人なら」

 なんの根拠もない言葉、しかし、ロディは深くうなずいた。

 出っ張りを手で掴み、へこみに足を掛ける。

 へこみに手を掛け、出っ張りを踏みつける。

 そんな繰り返しでどんどんと上へ、上へと進んでいく。

 途中、ボロリ、とロディが掴んだ壁が崩れてしまった。

「う、うわぁ!?」

 だがロディは落ちなかった。

 メルが手を掴んでいた。

「二人なら大丈夫」

「うん!」

 二人は支えあいながら壁を昇り切る。

 壁の上、

 そこから。

 見える。

 外の景色、

 それは――――――――


 そこから先の話?

 今、ここにいるんだからしなくてもいいんじゃない?

 だけど、そう、それでもいくつか言葉を足すなら。

「馬はいなかった」

「キレイな景色もあった」

「汚れた場所もあった」

「それでも、『世界』は、箱庭の何十倍、何百倍も広かった」

 それだけかな。

 二人の旅の話?

 そうだな、もう夜も遅いし、それはまた次の機会にしよう。

 今日は、おやすみ。

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