光の森のはじまり

篠岡遼佳

光の森のはじまり

 それは伝説の迷いの森。

 恋に破れた魔女リブリアは、誰にもたどり着けない場所に棲んだ。

 守護者となった彼女は、迷ったものを連れて行く。

 そのまま食べてしまうか、それとも――。



 ――生まれ変わるなら鳥がいい。空を飛んでここから逃げたい。

 それにホウキがなくても飛べるじゃない。


 私は学校の二年生。

 明日は最悪最悪な日が来る。

 授業参観の日だ。

 いつもなら楽しみなのよ、パパもママもくるから張り切るわ。

 でもね、明日のはホウキの実戦魔法なの。

 それだけはとてつもなくいや。


 「迷いの森」が近くにある、私の学校。

 森の魔力をわけてもらって、明かりを付けたり大がかりな投影魔術スクリーンで授業をする。

 立ち入りはもちろん禁止で、けれど入り口付近には錆びてぼろぼろの鎖があるだけだ。みんな、言い伝えを恐れて入らない。


 その言い伝えは、こうだ。

 「迷いの森」の魔女に出会ったら、頭から食われてしまうというものだ。

 今の魔女では考えられないけれど、昔はそうして魔力を取り込んでいたらしい。

 大人も、子供も、誰も入っていかない森。

 私はコインを持って、ベッドに座った。賭けよう。


 表が出たら、森へ行く。

 裏が出たら、授業参観。


 キン、と高い音を立ててコインははじかれ、床でくるくると回って、示した。

 そう、もちろん、――裏が出た。


 授業参観は最悪だった。

 ホウキになんて乗れるわけがない。

 どうしてみんなはあんなに簡単に長い距離乗っていられるんだろう?

 私は校庭を一周する競争で何度も落っこちて、友達や先生、他のご家族から声援をもらった。

 なんて恥ずかしいんだろう。

 私はもう消え入りたかった。

 消えたかった。


 私はそのまま走って家へ帰った。

 ママのホウキを勝手に借りて、迷いの森に急ぐ。

 誰にも会いたくない、誰にも見つかりたくない。

 なんでもいい、迷うなら迷ってしまえ。


 息を切らしながら、目印なんて付けずに、下生えをかき分けて進み続けていると、一軒のおうちが見えた。

 とても立派なお屋敷だ。

 その大きなドアの前に、古い黒のローブを着たおばあさんがいた。

 ねじれた杖に、鷲鼻。絵本から出てきたみたいな魔女。

 私はおばあさんに挨拶をした。

「はじめまして、おばあさま」

 おばあさんは半分眠っているような瞳を開いた。

 魔力を表す金色の瞳。この人は本物の古い魔女だ。

 今の私たちより、ずっと長く生きて、ずっと強い力を持っている。

 まさか、森の守護者?

「はじめまして。あたしはリブリア。

 あんたのことはよく知ってるよ。ホウキに乗れない半端魔女」

 ケッケッケ、と引き攣れた声でおばあさんは笑った。

「どうして私を知っているの?」 

「あんたには才能がある」

「ないわよ、ホウキにすら乗れないのよ、魔女として終わってるわ」

「それは間違いだ。あんたにしかできないことがあるよ」

 おばあさんは杖に寄りかかりながら、ゆっくりと立ち上がる。

「それは、ここに自分の意思で来たことだ。めったなことじゃできない。あたしが作った"迷い"を破って、あんたはここに来た。

 だから、さあ、取引をしようじゃないかね」

 じろり、と金色の目が私を見た。私はなぜか恐れる事無く、はっきりと望みを言った。

「どんな話でもいい、ホウキに乗れるようになるか、一生あそこに戻らなければ」

「いい覚悟じゃないか、ヒッヒッ、向こう見ずな小娘。あたしが欲しいものはその若さだ」

「頭から食べるんじゃないの?」

「馬鹿をお言いな。あんたはここにいればいい。あたしは出て行く。だけどあんたは二度とここから出られない」

「かまわない。じゃあ、私の要求を」

 私はため息をついた。

「もう何もかも忘れたい。みんなの記憶もなくしたい」

「いいね、そいつはおもしろい。迷いに記憶をかけると、どうなるか、ひとつやってみようじゃないか」

 おばあさんは両手を挙げ、いくつかの精霊の名を言った後、大声で呪文を唱えた。

「恋の傷は癒えた! あたしはリブリア、迷いの森の守護者! 昨日のことは忘れちまいな! ここでは明日のことしか考えられない!」


 リーーーーーーーーーン…………!


 鈴の音が森に満ち、昼なお暗い森がざわめいた。

 きっと今ので、大人たちは私を探しに来るだろう。

「私、捕まりたくないのだけれど」

「馬鹿をいうんじゃないよ。今の呪文で何が起こったか、あんたにだけは教えてやろう。

 この森にいると、古い記憶からどんどん消えていくんだよ。そして最後には赤ん坊みたいに何もできなくなっちまう。そしてその魔力は森に還る。いい思いつきだったね、半端な魔女」

「ホウキに乗れないだけよ。そんなに半端じゃないわ。光を出す魔法は得意なの」

「そうかい、ならば出口までついておいで。足元が暗くてかなわない」

「いいわよ。だったら、私はこの森を光の森にするわ、守護者リブリア。管理人は私よ。最高に楽しい森にするわ」

 私は笑った。やっと笑えた。

 大人たちがだんだん全部忘れていく様子は、きっとおもしろいに違いない。

 クックック。

 私は笑った。

 ヒーッヒッヒ。

 若さを奪われながら。



 ――光の森は、迷いの森。すべてが照らされ、忘れたことも忘れる森。

 半端な魔女は昼寝をしている。小鳥になる夢を見ながら。



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光の森のはじまり 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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