気にいらないセカイで生きていくことの意味を問う少年少女たちの精神セカイが生み出すナニカ

 ある団体が、あるイヴェントで、話題にさせようと死人を出した。爆破事件も起こした。だがその死人も言葉だけの死人だ。


 僕は高跳びが嫌いだ。高身長デカチンでカラダは育ち良いが体育の授業は苦手なんだ。

 高跳び、幅跳び、どっちがどれなのかもわからなくなるぐらいに嫌いだ。だからいつもテキトーに跳んでいる。

 テキトーすぎて、ベリーロールかなんなのかもわからない跳び方で飛んでいる。自分は不真面目は嫌だがそうやってテキトーに跳んでいる、嫌いすぎて制御不能で、跳び越えた先には美女がいると思って跳んでいるが、それだとその美女が潰れて死ぬだろと思い自重した、今度は巨大なおっぱいがあるんだと思うことにする、そのおっぱいは巨大すぎて、身長180センチで51キロの僕が乗ってきても、痛くないんだよ、僕はモテる方だから、きっとモテない男よりも僕のほうがぶつかってきてよろこぶんだよって思って、跳んでいるんだ。きっと、理解できないルールに従うのが恥ずかしいんだよ、でも僕は不良とは相容れない。と、ある底辺校の卒業生が、卒業して約5年も経つが今になっても思っている。ちなみに彼は、ヲタクだと名乗ってないのにヲタクだとバレたこともある。べつに嫌ではないようだが。


 閑話休題、僕の名前は中神美邦、そう、ビホー、さ、ナカガミビホー。性別は男、でもロン毛。その髪の毛は腰まではいかない、せいぜい肩程度だ。ロックロックでロックンロールな日々、って言うわけでもないが、ロン毛。そうだ、振り返ってみれば、すごいのは大抵がロン毛な音楽界。母は、その僕のロン毛を嫌う、そして、すごいのはロン毛だよと言って説得しようともしたが、無駄だった、”あんたがすごくなれるかとは別問題”という、もろに思考停止的な反論を堂々とされたよ。

 高校の勉強で忙しいから、街には出ていない日々が続いたが今日は街に出ている。前街に出たのは、十二階以上のところにある本屋に行った、エスカレーター登るのにも手間なんだ、あそこ。それで、僕は、計量士と、無線の合格率5%以下の資格の参考書を買って帰った。

 最近、この辺ではサナネ争奪戦とやらが行われているようだが僕はそんなのは無視、僕は、映画館と、本屋の併設した店屋に向かうんだよ、その本屋は前行ったところではない、今日行くところは一階に本屋があるんだ。


 僕からこの時代を僕でいう過去から見ている人らへ。この時代のコンテンツは、いまでいう、”過激”だ。ありのままの未来をうつさなければ嘘を言っているのと同等、ショッキングであろうことも言っていくよ。それと、この世界は、もしかすると、何らかの手によって、再生した世界でも読まれたりするかもだ。が、その世界はこの世界とは絶対に別である。だから、たとえ、”世界再生回数”の違う世界でも同じなのもの、似た外見のもの、パクり扱いされるような作品名が登場してもそれは別物なのだ。


「変乳生を紹介するぞ」男性担任は言った。

 紹介された編入生(変乳でもあるが。貧乳ではない)、その名は”タケミヤユユコ”。

「おおすげえ、かわいい」クラスメート・ムードメーカーが言う。

「なにか言いたいことは」男性担任は言う。

「武宮ユユコです、お願いします」編入生は言う。

(かわええ、勃起してきちゃった)クラスの男子全員は思った。

 98センチKのそのデカチチは、冬用の制服を普通に着ていても充分に張っていた。

 放課中。

「ねえそのおっぱい何センチあるの」女子Aは言う。

「98」武宮はさらっと言う。

「でかっ、そんな数値聞いたこともねえよ」女子Aは言う。

(きぃーちゃった)クラスの男子全員は思った。

 次の放課。

 あるヲタクたちが屋上一歩手前の廊下の踊り場で。ちなみにこいつらダンスしたら全員シュールである(べつにその踊り場でもないが)。

「なあっ、あの子って、ウウ様っぽくないか?、『北方』の」普通なメガネ男は言った、北方とは、クリエーターのSYNが作るゲームのことだ、どういうわけか、最近エロゲー化した、まだSYNの息子は幼いというのに。ウウ様とは、”トウギョウ・ジ・ウウコ”のこと。おっとり系で母性あふれる癒やしキャラだと知られ、南方のサナネと並んでヲタクのズリネタとしても大変人気である。

「確かにw、大きいおっぱいとかあの清楚系なとことかもw、生で見てなくても18禁だろぉ!w」デブなメガネ男は言った。

「エロアニメのおっぱいだってぇ!、アレぇ!」エロガキじみたのは言った。

「久々に三次とヤりたいと思えた気だわ」なんか無駄に強気なヲタクは言った。

「じゃあ前のはいつヤりたいと思ったんだよ」なんか無駄に強気なヲタクの友人は言った。

「中坊の、なんか、すっげえカオスで性欲狂ってて、よくわからん変な女でもハニトラされたら童貞紛失しちゃうような年頃に、ブスを。タケミヤユユコ、あんないい女いない。俺の知る範囲では」なんか無駄に強気なヲタクは言った。

「やっぱりか」なんか無駄に強気なヲタクの友人は言った。

「ゆゆこさんすげーw」そこにいたヲタク一同は言った。

 一方ユユコ、良い男に飢えている。

(なーんか退屈だ。かっこいい男もいないしな。ネタになりそうなこともない。はぁ)ユユコは思った。

 ユユコは作家になりたくて、奮闘。でも前いた学校ではそのせいで上手くいかないこともあって、周りから変な目でも見られたりもする。作家にはむいてない、何度もそう思わさせられた。よってその学校では確執もあって、編入。編入する前から変乳だが。


 昼放課の過ぎたころだった。授業のチャイムが鳴った。

 教師はまだ来ていない。が、ある男が一人入ってくる。

 こんな時間、ノリ的には社長出勤かと言われそうだが不良なんだろうか。いや、違う。オーラがそんな低俗なものとは一緒ではなかった。彼は”越後涅槃”。21歳で、3年も留年した男。テキトーに生きていた。が、ユユコを見てそれが一転した。ユユコも彼を知ってからその瞬間に人生が変わる。ふたりの世界のイロが塗りかわる。


 編入日の帰り。ユユコは構わなかった、この学校で、続かなくても越後さえ今後かかわれさえすれば。

「すいません」武宮は言った、そして、大好きな男に声をかける、これだけでも、イった、妄想のイったかもだが。

「ん」越後は言う。

 越後、彼は校内でもトレンチコート、そしてもちろん校外でもそれを学校で着続けていて、茶色の社会人用のローファーに頭の上に乗せるようかけているのはレンズの片方に涅槃の涅、もう片方に涅槃の槃と文字の入った金縁サングラスをしていて恰好も異質であり、姿形は2次絵師が絶世のイケメンをえがくと大抵彼と似てるような顔になる系の顔。腰までも届くロン毛に黒髪で、前髪は眉上で切られ四分六分け。コートの下に詰め入りの学ランを金色の全ボタン閉めて着ているがコートのボタンは全開。コートも学ランも黒色。学ランは改造されてないが彼のスタイルが抜群すぎて上着が短く改造してあるように見えなくもない。学校用の鞄は持ってきていない。

「彼女、わたしじゃ駄目ですか?、無理なら友達程度でも・・・・・・」武宮は言った。

「ちょっとこっち来て」越後は言う。

 ラヴホに連れてかれた。そして、部屋に入って。

「ずっとお前のことが好きだった、一目惚れだった、数時間前から!」越後は言う。

 情熱的に抱き合って、互いに求め合い、吐息をかけ合い。

「ほんとに綺麗な女だ。国宝か、お前は」越後は言う。

 越後はペニスを出す。フル勃起で33.8センチ。

「でかぁっ!」と言って武宮はUFOを見た子供のように驚いた。

「フッw、だろw、お前ぐらいの良い女の前ではマスターベーションも見せつけたくなる」越後は言う。

「これ、我慢汁」武宮は言った。

「そうだぜ、しょんべんじゃないんだぜ」越後は言った。

「オチンチン硬い」武宮は言った。

「だろ、生命の神秘だろ」越後は言う。

 重くぶら下がった乳房をゆっくりと服を脱いで出す武宮。チブサが完全に露出した、そしてそれにしゃぶってしゃぶってまたしゃぶってむしゃぶりついた越後、武宮の乳首をトグルスウィッチのレヴァーやアンテナのように硬直させる。

 武宮は自分の乳首とつゆだくの亀頭をキスさせて、それを徐々に離して糸を引く。

「すごい伸びるんだね、これ」武宮は言う。

 越後「お前のおっぱいもな、餅のようだ」乳房をスライムみたいな玩具のように伸ばして遊び越後は言う。

 何度も越後は武宮のデカチチを伸ばしてもてあそんだ。

 越後は武宮の背中を舐め始める。

 越後は武宮の陰核を高速な舌遣いで舐める、武宮をイかす。

 武宮のマンコにベロをインサートした。

「お前の乳首色のゴムで、ハメようかそれともナマか」越後は言う。

「お願い、ナマで、ナカに出して」武宮はいった。

 事後。

「ふーん。作家になりたいんだ。べつにないな、俺には。そういうのは」越後はいった。

「でも、それも貴方と出会ってからは、幼稚だったかもって。貴方というもののほうが本当の崇高に、わたしの生きる理由・・・・・・」武宮はいった。

「なんでだよ。そんなにできに自信がないのか」越後は言う。

「わからない・・・・・・でもわたしは、作家志望の変態だ」武宮は言う。

 武宮はその不安をまぎらわすかのように今度は自分からペニスを挿入、腰を振りだした。

 数日後。

「もう俺はあそこに六年間ぐらいいるんだ。仲よくするつもりはないが、俺の持ち前のモテ力ってかそういうのが発揮されてか教師からある部屋のね、管理人を任されているんだよ」越後は言う。

 越後の管理する部屋、そこは元々は文藝部の部室である。だが潰れ、部員でもあって長年かよっていた越後は、もう何年か前に退職したそこの顧問から、引き続きあそこにいてくれと思い出としてゆえか任され、そこは越後の部屋ともいえた。もう文藝部の存在自体はないに等しい、そして部員も数年前に全員卒業、ほとんどの人の記憶の片隅にさえも残ってはいなかった模様。退職した顧問の精神は鬱だった模様。持参したその大量の本も越後に譲った模様。なにか自暴自棄になり気味だったようだ。その原因は、実は越後にあった。でも気に入られてもいる越後。

 多分やさしそうではあるが、見た感じ普通のおっさんのその顧問の木林清正(きばやし きよまさ)は、哲学的というか、どこかオカルトチックでもあり、不良ではなかったが、ガイキチともいえた。非常に読書家で、最終学歴は中央大学法学部。身長は約180センチで、おっさんの割には高い。体重は50キロ台の後半である。カリスマもないわけではない。だが越後のほうが上だった。実はペンネームで作家をやっていたらしいが越後と出会ってからはこれが一転。創作意欲が消失し、なにかネタ切れでむなしい作家と思わせたくなかったゆえ、死んだということにした、病気で。越後と出会った途端にアートする気が失せるのは武宮と似ている。でも越後になら自分の領域を越してもらいたい、もう越されたからにはそれが頼り、そちらのほうのが寧ろ楽でもいい、となって越後を作家にしようとしたが、拒否られて、退職。でもいつかまだなってくれるチャンスは数回だろうがあると思って期待はしているようだが。


 クリエイチ部室、その越後の部屋でもある廃部室は、現在は武宮とのセクスバ(セクス場)だ。でもこれも部活だという、越後は。

「これがクリエイチ部だ」越後はいった。


 太田順也の存在:太田順也(フトタ・ジュンヤ)という男がいて、彼は、肥満児だが、あの『北方』の作者と顔が似てるとクラスで言われていた。彼はジュンヤと呼ばれていた。希望するペンネームは”JUM”。

「ユユコ、なんで。高3で、降参ってか。せっかくここで通い続けたってのに、やめちまって」ジュンヤは言う。

 ジュンヤは、武宮が編入したと噂の地域で散策。すると、さっきの独り言を聞いていたある男が。

「ユユコ?、おまえ、彼女ねらってるのか?、こんなこと言うと夢壊すかもだけど、やめとけ、彼女は男持ちだ、しかもかなりの色男だった」ひょろそうな男は言う。

「まじかよ・・・・・・」ジュンヤは言う。

「おまえと俺は、似てる・・・・・・」ひょろそうな男は言う。

「俺とおまえは、似てる・・・・・・」ジュンヤは言う。

 ひょろそうな男、彼の名前は太田シュンヤだった(※オオタ・シュンヤ)。越後と武宮のクラスメートでもある。

 一方越後と武宮といえば、モテない男女たちを無視して、草原でセックス、電車でもセックス。それが彼らの日常。

 晴空の日に草原で全裸になってやるパイズリに越後は大量射精した。

 ユユコの陰毛は、もうボウボウだ。かといっても普通の量、ようは量は普通でもぼうぼうだって言うことだ。それはセックスアピールであると越後はいう。彼らは近い将来、自分たち用のレジャーランドを造る予定だという。でも遊具は女体と男体のみのようだ。その光景を見ている変態がいた。ものすごい形相で、このようなことを呟いて、”���c����̗J�T�ȓ��X”と。そうだ。言葉になっていないのだ。大変怖い変質者だろ。

 びっくりした。僕と同じ名前のやつが、主役に嫉妬する非モテキャラだなんって。オチとして出てきたが、一応、主人公、でもこんな扱いじゃ全然嬉しくないな、しかもこの写実のイラストも僕そっくり、でもこれを訴えても恥ずかしいよ、なんでか?、恥ずかしいんだ、僕の直感が言っている、でも野生動物はこういうの恥としない、そうだ、野生動物は強そうで鈍感、ケンカで強くても頭が弱くちゃ恥ずかしいよって。作者の名前は、FDK。本のタイトルは、『クリエイチ部の部訓;キサナドゥ×ドルチェヴィータ=快楽園(倫理崩壊的安泰)+1』だ。巻数が増えるごとに、プラスの数が1増える。全巻8巻ある。8は、本を横にすると∞だ。つまりこれは、8で、無限の領域を持つ本だと訴えていると作者もあとがきで訴えていた。僕はその本をチラ見した程度だ、1巻もよく読めていない、また続きを読もうか。

 F.D.K.の本もある、これはさっきのFDKと同一人物なのか。


 不人気キャラのことを語るのなら1ページでもいい。

 フニン・キオナ(仮名)、18歳。身長159センチ、好きな男の身長は177センチで。この特に意味のない身長差。いわゆるメガネっ子の括りにもされないが眼鏡で、目を隠したいのか白くスモークがされてあり、ほとんど目は見る側としてはわからない。胸も特になくて、まず体のことで話題にされることはない。毛は結構短くて、男並みとも言える。

 脱ゆとり世代に当たるらしいが、脱ゆとりといっても特にこれといった象徴的なものにはならないためゆとりのがどうせならよかったとのこと。

 こんな彼女にも非日常的な出来事はある。クラスメートが自殺したということだ。だが彼女にそれは大した影響を与えていない。自殺者とは大抵理解されずに忘れ去られるものである、パンピーに。

 キオナのクラスメートにはこんな女子もいる。自殺志願サークル的なもののメンバーで、そのサークルの活動はこれといってない。だが好きな男のことなら語り合っている。芥川龍之介や、カートコベイン、と、自殺したアート界のカリスマ的存在が彼女らの好きなタイプ。だがこんなことで楽しめるなら彼女ら、べつに自殺したいと思ってないのではないかとも思ったりも。

 芥川の放つあの雰囲気、ああいったものは彼が自殺志願的傾向があるゆえのものなのか、麻薬やってるからあの人のオーラはカリスマなのかなどの話し合いも彼女らはしている。

 ちなみにキオナ、彼女にはこういった自殺系グループとのかかわりもまずないに等しい。

 キオナはある日告白した、その177センチの男(仮名はイナナシチ、略称はイナシチ)に。だがフラれた。その男は学校にはよく緑っぽいカーヂガンを着てくる。学校一のイケメンとされている。自殺志願者ではないのにカートコベインをリスペクトしているという辺りは、矛盾のようで実際は昇華的もので、その点もイケメンだと言えよう。彼はカートコベインリスペクトした結果か、毛は結構長いが精々肩程度。

 ある日のことだった。

 薬を乱用した結果、イナシチは吐き気に襲われて、誰かに抱きつきたくなった結果、キオナに抱きついた。が、キオナ、バカである、毎回距離を遠ざけている。

「ギャアアアアアアアアアア!」キオナは叫んだ。イナシチが抱きついてきたと思わなかった模様。今日は学ランで緑のカーヂガンもわからない腕をしている。焦ってその場から去ろうと思った、が、吐き気がきついので、まだがっしりとキオナの胸部を掴んでいるこの男。振ったというだけあって興味はないがいままで誰にもしたことのないような強い感情での抱きつきをした。

 吐き気で誰かに抱きつきたくなるというこの感情、これは実際なってみればわかることだ。だからってそれで誰かにセクハラの如く抱きついても許されるわけではないということは当然であるわけだが。

 吐き気が治まり、が、キオナはそれを気づかない。

「ギャアアアアアアアアア!」と、キオナが。まだ言っているこの女。

「くそっ!」そう言いながら自分にイラついたイナシチ。

「え、貴方様だったの・・・・・・?」キオナが言った。そう言う頃にはもうイナシチは教室に入っていてその声は届かなかった。

 廊下で派手な抱きつかれ方をされても噂されないとは相当な不人気さがよくわかるともいわれる。

 キオナは黄緑のカーヂガンを羽織っているが、これはイナシチの真似で、でもイナシチのは黄緑ではないもっと濃い緑だ。


 ある日のことだった。夜(夕方終わりごろ)。キオナは町を歩いていた。すると不審者が。

 キオナは狙われていないが被害妄想で逃げた、近くに知っている家はイナシチの家しかない。

 イナシチの母が出てきた。

「お子さんに前抱きつかれたクラスメート!」と名乗り出て侵入。

「おい、なんでいるんだよ」イナシチは言う。

「さっき不審者がいて・・・・・・」キオナは言う。

「まあ前体調不良で抱きついた時の分ということでよってけよ、あの抱きつき、あれは好きでああやったわけではない、すまんな。でもな、俺、こういうの、貸し借りっていうのか、いちゃもんとかも面倒で好きじゃないんでね、清算つけようもないってか、だからこれ終わったらチャラだ」イナシチは言う。

「はい、ありがとう・・・・・・」キオナは言う。


 キオナ、彼女でも一応主人公っぽくはできる模様。

 ちなみにキオナ、きっとこの女は男体化すると今と大した変化もない。


 またFDKの本を読んだ。2冊目読んだフニン・キオナの話は、短編であり、つまらないものは長く書く必要はないというメッセージ性も込めて短編にしているんだと。

 映画館に向かって、現在映画館。映画を見ることに。

 この世には、映画を五千本近く見たという人がいる。もっと多い人もいる、彼らはなぜそこまで見れたのか、マラソン感覚なのだろう。いわゆるヲタクな人でもそれはやらないから、それやれる人は真のヲタク、真のヲタクは世間では語られないなにか、であるともいえる。


 ”この映画の内容は、すべて、フィクションであり、原作者のFDKさんは、この世界を舞台にするほど、けがれたものを好んでいないとのことで、その意味でも、この映画の内容は実在するものと一切関係はありません”と、注釈的解説から始まったこの映画、いや、まだ始まりというのは違うのか、この辺は。

 またFDKだ。

 パルパサクプキュポフ、そう呼ばれる家がある。白い家だ。屋根は緑で。場所は愛知にある。長野県との境界の辺りの愛知県。そこは入ったら出れないらしい、まずは。出れないというのか、幻影、嗅いだこともなく惹きつけられるような薬物臭によって侵入者は進んでいき最深部に行くと、ポーション(ラヴポーションという。無名同人ゲーム、『東西南北方』の作者はこの家に入って飲んだ経験がある説も(名古屋寄った時にその辺も行って偶々見つけた、で、気になって入った)。無名同人ゲーム『逃亡プロジェクト』の曲にも似たような題名の曲がある)があって、それを飲むと、もう一生幻覚が付き纏うようだ、その状態で酒で酔ったらそれはハードドラッグ並みの効き目になる模様。

 実はある作家の家らしく、と言ってもどこか家というよりもゲームで出てくるギミックだらけのダンジョン的なようなものだ、よって脱出するのも困難で、落とし穴も数箇所あって、妙である。しかし侵入者は廃墟だと思って入っていっている。

 人の家を勝手に廃墟だとしないように。

 それと、なぜそう呼ばれているのか。

 それはそのポーションを飲んだものが決まってその言葉を発したからだ。最初に発したのはその作者だったようだが。パルパサクプキュポフ、と。

 さっきまで流れていたのは、別作品の宣伝のようだ。

  ”この映画の内容は、すべて、フィクションであり、原作者のFDKさんは、この世界を舞台にするほど、けがれたものを好んでいないとのことで、その意味でも、この映画の内容は実在するものと一切関係はありません”、と、まただ。本編はこの後からのようだ。

 CIAで今話題の、ズュンアヲォタ、というユーマがいるとのこと。飽くまで噂ではあるが。これも噂だが、その正体は、あの、『北方』の、ヅンだとのこと。格ゲー化したら武器はトランペットか酒が入ってた瓶とのこと。実際今CIAはFBIと一緒にその格ゲーで対戦している。”ヅン(『北方』作者)、対、伴龍郎(ネコネコ動画運営)”で。まあこれも噂だが。ちなみに、『北方』のコスプレ会場で実はCIAも参加していた模様、これも噂だが。


 ズュンアヲォタ(ニックネームは、太田 順也)、彼は、20代頃になるまで、自分がユーマの捨て子であることを知らずに育った。ある飲食店に放置されていたため、その店主たちに、そして店員たちや客に囲まれて幼少期を過ごした模様。今の順也からしたら似合わないと言われそうだが幼少期は四国の旅にいっていたりと保護者らと旅をしていた。その旅路の中、ある巫女服を着て、異様なオーラの女性と出会うが、その出会いは順也からの求愛的なものが多分に含まれていた、ある意味決めつけの出会い、向こうは順也に意識はしていなかったであろう、なにせ順也は彼女の後姿を追っていったのだから。ユーマゆえに見えるものか、それとも船酔い防止(※今は自宅に『缶これ』部屋造って『缶これ』に酔ってるんだとか。缶これとは、缶詰を船にしたり、缶詰コレクションする話で、でもその缶詰が美少女で擬人化、というわけだ)のために飲んだ酔い止め薬の見せた幻覚なのか、謎だが、奥に滝の流れる、川へと辿り着いた、バーベキュー(※順也曰く別表記:BB⑨)が似合いそうな場所。さらに奥へ、魔女服を着た赤毛の少女が、順也は、彼女にも惹きつけられ、さらに奥へ、入って、森の最深部へ。場所的には麓、さっきいた女がいない。女が落ちてきた、順也は潰された、修行中ということもあって数日洗っていないノーパンな陰部と順也はキスをした。順也がクッションに曲がりなりにもなったためか、その魔女っ娘は怪我はなかったようだ。彼女の名前はゲンコ。漢字表記では「幻子」。

「ありがとう、ゴメンね!」とゲンコが。

「ンフフ、お姉ちゃんのあそこくさ~いw」と言いつつも興奮気味だった順也、べつに臭いもの好きとかではないが。と、そのような返事を順也はして、ゲンコとの先程の会話を成り立たせていた。

 ゲンコ、彼女は自称見習い魔女、大魔法使いの卵らしく、空飛ぶ練習をしていた模様。さっき見た巫女服の女の名前は幻女、ひらがなに崩すと「げんじょ」。彼女は途中から順也のストーカー性行為に気づいて、がきんちょってのもあって内心興奮していた、気分はハニトラ感覚で。順也が自分じゃない女といちゃついていたゆえ、悔しくなったのか、その後、順也は3Pした。結果、順也の精通は、白馬村で、快挙となる。しかもその年で美女(年頃そうな)と乱交したというこの“実績のロック解除”は白馬のみならず長野でも最年少、いまだかつてないことであったとされた。この体験は、『同方プロジェクト』という作品を生む、つくりあげていく大きな基盤になったんだと、ツンさん(噂によれば同人界の権威者の一人)が。勿論これも噂です。ちなみにツンとは、順也も同じペンネームを希望中で、これはまぎらわしいんだ、ってさ。まあ、順也はほかにもいっぱいいるから、ほかのまぎらわしいはまだまだあるが。

「僕順也」順也が言う。

「ジュンくんって呼ぶよ」ゲンコが言う。

「嫌だ、それまぎらわしいから。純訓、とか、準訓、とか。でも普通こんなふうには使わないか」順也が言う。

「ならどう言おう。ジンくんは?」ゲンジョが言う。

「嫌だその名前嫌いだ僕の美学に反するんだ。でも”如月ジンタロウ”とかならありかもな」順也が言う。

「ならズンくんは?」ゲンコが言う。

「いいよ、気にいった!、僕はこれからズンなんだ!」順也が言う。

 もう少し先程の話をするとしましょう、あの修業は、その森の上にある丘からのもので、ゲンコはその丘から箒を持って、それを跨ぎ飛んでいこうとした、さっき失敗したが、また試した。そもそもどうして順也は肉体関係を絶世級と呼べなくもない美女たちと結べたのか、それは、オカルトは真相だと平然と思い込んでいるそのふたりの“世間では異端な痛い人とされる性質”が、順也のユーマ特有の、伸縮自在といえるような勃起力、分厚すぎる陰部の血管、多大なる精液量、動くたびに揺れ動く異様な玉のデカさからあふれ出す淫猥さ、急に立ち上がった毛、急に筋骨隆々としだす肉体に、「彼、この子はユーマだ、結婚したい」、と、悟ったからだという、悟ったと言っても煩悩まみれなわけだが。順也はみなさんのお察しのとおり幼少期の頃から酒豪だったため、その酒の知識は大変多くて、自分で酒を保護者の化粧品から作れてしまうほどだった。そういうところからもズンが理系且つ家庭的(倒錯な)とも言える一面がややあって、順也特性のカツ丼があるのだ、その作り方はハンターチックでもあって、このハンターチックはのちに順也がハンチング帽をやたらと被るきっかけになったんだとかならないんだとか。ではレシピを紹介するとしよう、カツ丼といっても特殊的であるので、実は権威者のほうの、ツンが順也のこれらのエピソードののちに命名したという説もなくもない、「カズゥーン」としておく。なぜカズゥーンなのか、これは外国語を交えるとこう読めなくもないとのこと。


 カズゥーンのレシピ(永久保存版):鹿の肉を利用して、米の代わりに麴を使う。鹿の角を粉末にして乗せて、これを順也の彼女に振る舞うときは卵とマヨネーズの代わりに精子を撒く。

 閑話休題、先程の修行の話の続きをするとしましょう。ゲンコはまた失敗して、今度は仰向けになって勃起チンコを愛撫していた休憩中の順也の約30センチペニスを挿入するように落下、「胎盤がぶっ壊れるぅーっ!」とのこと、ゲンコが。順也は、勃起時のエネルギーを利用して脳の神経分をペニスに移動させるという能力を持っているので、順也の脳はペニスともいえた。結果、ズンはその衝撃で混乱、ゲンコが二人に見える、「ゲンコツー」だと、命名、性交、ズンは、そういうパターンでも3Pして、ステージクリア(ナカダシ)。ゲンコツーはあくまでも二人、よってゲンコが進化したら、「ゲンコトゥ」と言わないと駄目だとのこと。


 ズンは夕方になって、孤独ではないが孤独を感じた。

「姉ちゃん、もう俺そろそろ親のもといかねえと。ほんとはふたりとも結婚したいぐらいなんだが・・・・・・こんな綺麗な人ら会ったの初めてだ・・・・・・そうだ、ここって?」

「遠野の森」二人の美女は言った。

 その後。

「ねえパパラッチ、じゃなくて、パパらってさ、遠野の森ってとこ、行く気ない?、いいとこなんだ、さっきパパらが売店いた時僕そこ行っててさ」

 だが、その辺にはそういった森はなかった。そして順也が、十年後ある薬に手を出したぐらいで、またイケた。それは、長野でのことだった。「またいっちゃったよ。そうか、確かに彼女らは、現実の女には見えない、幼心ゆえだろう、なぜか彼女らが自然に見えた、そうか、あれは、現実なんかじゃない、長旅の疲れか、寝不足で見た、幻影だ。僕は寧ろ、彼女らがリアリティな存在じゃないことに快く思うよ、寧ろ、そっちのほうが、本当の美だって思う、さまざまなものが渦巻く、すべてが嫌なものに感じてきてしまう世界、の通念と逸脱したところの世界の美、これこそが可能な限り究極の美を再現した姿、そこの美には理論はないとも言える、ただ、よければ良い、それだけ、「美人」が人の形じゃなくたっていいさ、極端な話、僕は2次元ならイケメンなんだ、現実よりかは、でしょ?、試しに僕誰かイケメン風に描いてよ、クソハーコーな感じにさ、ゲス顔で。きっと、ネコ動(※動画サイト)運営の伴タツイチロウとかで描いてもそれほどかっこよくはならないと思うよ、ようは僕それだけイケメンって話ね。ホウジョウきゃんたま(霊体祭というイヴェントの出演者)?、あれは瘦せれば結構いけてると思うよ、それ描けば僕ぐらいにはイケメンに描けるかも、でも別人すぎるから「フォージョ」って呼んだ方がいい。まあ僕いまあの人とこんな呼び捨てで呼ぶ関係じゃないんだけど。音楽でも、理論ばっかの低能いる、結局音はいいか否か、それだけだ、いくら高度な理論上に位置するものだったとしてもそれが聴くに堪えないものなら聴く価値はない、でもやっぱ勉強はしたほうが結局強い、可能性的にいいものは生める、理論はある意味“語るためのもの”ではない、ただの“いいものを作るための手段”に過ぎない。ロックも結局ビートルズ初期ぐらいまでがロック、それより後はロックという蓋をしたロック、名前だけ、きっと彼らもこう思ってる、「ロックなんかと一緒にすんな」と。まあ無論もろに初期のほうのロックアーティストのようになりたいんだってのはそっちのほうがいいとは思ってるよ、でも中々そういうのはいないよ。実際ロックってなに、ヒップホップってなにって、いうロックやヒップホップはある、そういうのを敢て作ってるとかは措いといて結局ジャンルなんてその程度の意味しか持ってないってことだよ、直感がジャンルを決めるんだ、結局ね。だから僕も「ロックスター」って名乗ればプログレとかオルタナのほうのロックマンとされるんだよ、ある意味。ただロン毛でなんも演奏もない歌唱もない、これでもロックって言えば充分にそれ、恰好だけでもある意味ロック、ようはロックってべつにどこでもできる、小説家だってロックスターにはなれるんだよ、寧ろその挑発的態度が真のロックなのかもしれない、大して本場な人間の立場でもないくせしてロックスター名乗ってロックをも否定するゆえにロック、これが真のロックってね。話し戻そう、だから僕はこのおっさんの年になっても2次元の美女は嫌いになれないんだ、幻覚中では結局やっちまっている、3次の女とやりまくってるってのに。僕は80’sの頃からもいまの時代より未来をいったアニメな映像を幻覚中に見てきたよ、幻覚をアニメにした方がなんか頑張って作るより大抵おもしろい、そろそろ僕もアニメーターになろうかな、僕の作品のアニメ化はしないけど。だって僕のアニメにすると貶されるから、つまらなすぎて。不思議なんだ、なによりね。例えばサイケデリックソングのなにをヒントにしたのかも謎な感じのあのサウンド、才能で作ったかどうかはさておき、とりあえず不思議、ああいう不思議を映像とかで再現されるとやっぱ「ああいいわこれ」って認めちまうのが人の性、結局人って麻薬的なものが大好きなんだ、少なくとも僕は。僕よく徹夜しないけど徹夜してイライラの中やってく時もある、でもやっぱいいものは嫌いになれないよ、そういうイライラの中でも、でもさ、イラつきが萎えになってアートが結果そぎ落とされるとなんか垢抜けた感はあるけど、ジン魂(※ギャグ漫画)みたいなノリが消えちゃうんだ、僕はジン魂詳しくない、でも見てないわけではないよ、文句言うからにはある程度は真剣に見てる。でも僕はこう思ってる、なんか小学生の人気者の作った漫画って感じかなって。いいでしょ、この例え、なんかクラスのムードメーカーでお調子者の口達者みたいなのが漫画描いた、みたいな、でも小学生。お世辞にもリスペクトはできない。でも才塚はリスペクトしてるよ僕、あれはいいってわかる、才塚作品は育ちいいエリートが描いた漫画的な印象はある。烏山も中々、あとゾニックシリーズ(※ゲーム)も結構好き、最近のは恐らくつまんないけど90年代から0年代ぐらいまでので、アド2ぐらいまでは僕主役にしてリメイクしたい、酔っぱらった僕ならきっとゾニックみたいになれる、宇宙で駆けずり回りながらポールアクションだって余裕だよ。いやあれはレールアクションになるのか、ワイヤーアクションもしたいところ。僕子ども向けとかでもいいものは正直にいいって堂々と言えるタイプなの。田舎のデパートとかのおもちゃ売り場とかで並んでる作品でも全然余裕で興味あるね、御遊戯皇(※漫画原作カードゲーム)とかもさ、あれ昔すごいかったw、なんか限定付録付きとかのときだけチャンプ(週刊少年誌)買ったりとかさ。レアカード当てたくてみんな擦るからさ、それ防止に擦れないように売られだしたんだよねw、あれきっと2007,8年のころからだな。御遊戯皇は僕の周りみんなやってたよ、不良でも。不良はどうしてああいういいものも見てるのに不良やめれんのかと思うとより残念なやつらだと思えるわ。ボケモンは小学校ぐらいで見捨てられたのに不思議と御遊戯皇は勉強できるのでもやってたよ、高校になってもやってるのもいた、ていうか地元のカードショップで30代ぐらいのヲタクのおっさんがガキと一緒に御遊戯皇みたいのもあった、まあいまもそういうのはあるだろうけどね。ゆとり(※世代)は小学校上がる前から御遊戯皇、それぐらいにヲタクする土台にも恵まれていた。でも今の御遊戯皇はなんか魂感じないな、作者変わったのかなってなる。昔のがオーラっていうか、なんか新鮮だった。こういうね、昔はよかったけどいまのは馬鹿げてるよ、って世界を壊そうとするような、僕はそういうことしない、寧ろそういう昔のこと知ってたほうのができないね、そういうのは。ロックも、昔のこそロック的なふうに映ってきちゃうんだよね、実際新鮮だからね不思議と。なんか莫迦にされてるようなのも評価僕にとっては高いことあるよw、トータルイクイクリップスとかさw、あれはw、オープニングで台無し感は特にある、あと結構作画が雑で使いまわしが結構多かったんだよなあw、一部のヲタクには受けてもなんかこれじゃない感はあるかなって思うあのOPは。ヲタク街とかじゃなくても外とか出ても普通に店屋でも聴いた、あの曲は、思わず笑ったよ僕あれ当時ネコ動で見てた、ネコ動で見てないとあれはきっと普通見たくないと思うな。マラヴヴ(※トータルイクイクリップスはこれから派生した)ってまあ有名なほうなんだけど、きっとそのファンもあのTE(※トータルイクイクリップスの略称)ってアニメにはファンしたくなかっただろうなってほどにネコ動では莫迦にされてる印象はあったなーw、懐かしい。べつにクソアニメ愛好家とかじゃないよ僕は、いいクソアニメで上位に来るのは最近のでもワルシャワブレ(※ラノヴェ原作アニメ。ワルシャワに対するディスではないがそのような略称ができた)かな、ワルシャワブレの最初のほう、まあ持っても3話行くか行かない程度だけど、あれはギャグとしてみるとおもしろいね、でも終盤もたまに変なところがあるんだよな。サーナイトエドワードランパードとかさ、あれいいキャラ、ラノヴェでもまあまあのやり手はいるな、とはワルシャワブレ見て思ったよ。でもワルシャワブレは、そのギャグ要素で割と禁書(※影響力はあったが発売禁止になったとあるラノヴェの愛称)ともいい勝負だと思う、ヘイト(※ナス・キナコによる作品)とかでも。だからただのいいクソアニメというのだけは済まされないだろ。ちょっと未来的アニメの片鱗みたいなのは感じたな、あれでも。でもあのアニメでなんか社会現象起きないのは悲しいなあw、イヴンゲレオ(※過大評価されがちなロボアニメ)とかあんまよくないののほうが評価高くってさ。だからこれからなんかいいってのは堂々と持ち上げるといいよ、恥ずかしがらずにさ、そのほうが人生たのしいよ。ヲタクって莫迦にされがちだけど、アートやってるとよさは否めないな、まあ元からヲタだったってだけだったからなのかもだけど。そうだな、0年代のアニメで一番いいのはなんだろうな、一部かなり良いとかもあるしまあはっきりとは言えないけど総合では切望先生とかいいと思う、漫画も全巻買った。一本シャフト(※アニメ会社)はあれがベストだろう、牛勿言吾シリーズよりはいいと思うね。リリカルなのわ(※魔法少女ものの作品)はなんか店とかでフィギュアだけ見ると神アニメ感あるけどキャラ目当てで見てもつまらないよw、あれはw、なのはが成熟するのはいい描写でも、イターナルプレイズがいい曲でも、つまらないんだよなーw、なのはこそキモヲタ向けだよ、なのに氷瀬いのりは、なのは結構好んでるっぽいからちょっと意外だ。メジャも結構おもしろいよ、特に道路オブメジャが歌ってる時の。そうだな、最近のキャラクターでいい主役っていったら遠山ケンジとかかな、でもあいつ背小さいからな、185センチぐらいあればもっとかっこよかったよ、ラノヴェのキャラクターで主役は男ならできるだけ長身のがいいと思うな、2m超すとなるとまた別になるが。ラノヴェってそういうものだと僕は思う、イケメンで長身の主人公であってこそラノヴェだなって僕は思う。だってさ、ブサメンで小さいのが主人公のラノヴェは最早ただのギャグノヴェルじゃんかって、それでもおもしろそうだけど。急にそいつがワルになったりとかな。低くても173センチぐらいはあったほうがいい、173なんて別に大きくはないが。チビで主役はありだけどブスで主役はギャグになるからもっとこういう不細工主人公のを狙って出してやるのがいいよ。問題はそいつがどうやってそこからモテていくかだけどな、こういう時に特殊能力は便利だけど、特殊能力系はもうはやれないかもってのはなんか予想ができる。でもイレズミだらけの不細工チビが主役のラノヴェとかすげーラノヴェ、それだけでも傑作とされるべきだよ。表紙からしてもうやばいよね、ヲタク界の革命だ、こういうの取り入れることでヲタク界はバカにされずに済めるんだと思うよ、いるからね、ヲタク界毛嫌いするの、ああも頭ごなしに否定してくる理由はよくわからない。ああいいのがあった、すげえ変なワル主役でそいつが片想いし続けるだけでヒロイン出す、結局好きなのは相容れないカタギ、でも自分はワルをやめる気はない、的な、ワルの負け組であるという本質をもろに描いていくラノヴェ、いいと思うわ。オチはレイプな、出てくるヒロイン全員たて続けで。でも真のオチは本当にラノヴェ主役するべきような男との対決でその男はヒロインの彼氏でその男に殺されて終わるというな。タイトルは『僕は女友達がいない』これでいいか。缶これ(※缶詰集めて擬人化妄想するキャラゲーでもある)も見た、これはもう0年代終わっちゃってるけど。でもあれはいいのはエンディングくらいかも、缶むすとか嫁に人気でもいまいち可愛いとかは思えないな、きっとこれ古参ほど思ってると思うよ。そう思うと缶これ終わった辺で日本のアニメが萎縮した感があるんだよな、それより後になんかいいって感じのあんまないから。NTR +(※ゲーム会社)系はなーんか秋葉系のくせしてエグイとかきしょいなあ的なのはあるけどべつに否定はしていない、いいものもまあ持ってるといえば持ってる、べつにリスペクトはしてないけどね。テイルスもやったことある、キャルマOPのジエイビズとかね、ベサピレヤだっけ、なんかタイトルがかっこいいの、リッタとかかわいいと思ったけど微妙かな、伴タツイチロウは好きそう。でもあれはゲームの操作上か結構最初のほうで莫迦らしくなって飽きたな、なんかちょっとチープなところも目立つ、僕的に言えば。タリヤだっけ、あれはなんかアリシヤマーガトロイドに似てると思ったのは僕だけじゃないはずw、ンフフw、なら僕は『パラノイド・マーガトロイド』をヒホウファンクラブ(※ツンの作品で登場するファンクラブ名。ヒホウは、秘宝館から来ている)的な立ち位置で出していこうかな、新作w、ンフフw、いいゲームができそうw、その先思いつかないけど。僕が気にしたゲームといえばそうだな、ダ・メルのアトリエシリーズとかかな、特にトレレとロネネがお気に入りで、でもママルはあんま好きじゃない印象がある、結構胸ありそうだけど貧乳なほうに魅力負けてるとかw、相当イイ女じゃないんだろうな。ダ・メルもよく名古屋で育ってああいうことできるようになったっていうとこも結構関心はするなー、僕。名古屋実際行ってみればわかるよ、ヒントゼロだから。長野に生まれてよかったと思ってる。誰か名古屋舞台にして『ヒント/ゼロ』って作品作ってよ、日常もの。旅行ものでもいい、売れると思うから、下らなすぎて。旅しててヒント得てネタにするっていうのも手なのは僕はよくわかってて、でもね、結局それが実際であったことの話とか実話になってちゃうほうのがラヴコメ、ようはロマンスっぽいってことのが多くてなんかその意味でも創作ってなんか下んねーなってなるんだ。僕出身国っていうのもあるからどうしても日本に贔屓しがちだけど海外はアートに必須、海外は好き嫌い別でアートにしないとなぜか安物的になるね。アートってそういうなんか神秘的視点が出てきちゃうからなんかそこも狂気があるんだよって。そういう視点で外国にも興味持っていってこそ高度理論派な旅行家だよ。パーソナ5はもうなんか興味はないからやってないよパーソナ。パーソナは結構やってるほうでもなんかおもしろそうなだけ感もあるといえばあるなでも特に2、3の主役っていうか主人公はかっこいいかもキャラデザが。ピト修羅は別の意味でステキかも、僕ああいうのもいけるからね、ゲーム化。ああいうのでもかっこいい人こそイケメンだよ。パーソナはTVアニメになる前にと言うかTVアニメは見ないでゲームだけのがいいかもね、なんかそのほうがおもしろい気がするから、特に4は。パーソナ3フェスはなんか難易度ちょっと上げてあったがメギャティンⅢと一緒程度か、パー3即ちパーソナ3は作業感目立ったかな。トラクエは最近のはどうも興味ないな、鳥山かかわっててもべつにって感じ。8まではよくやった、パフパフ小屋とかにも行ってね、グリンチューイングガムの鞭入手したりとかさ、バグで空飛んだりとかもね。アニメの話に戻すけど缶これも評価は高くはない、でもエンディングはなんかいいと思った、カラオケによそうw、僕カラオケとか趣味じゃないけどw、なんか歌えよってなったらダゼかあれがいいw、ダゼいいw、一本六角シャフトの曲でもっともいいのはダゼかもしれない。勿論キモヲタ向けとかへ嫌悪感は抱いていない、キモヲタにもべつに差別する気はない、でもキモヲタで淫夢語しか使う気ないようなのは「なんだこいつキメエw」とはなるよ。そもそも『南方』がそういう印象もっともまでいかなくても相当強いんじゃないの?、ヲタクっていうか。まあそこのところは作者がヲタク、どう見てもアイドルっぽくないからなんだよ実はw、南方の作者が絶世のイケメンだったらそれすごいことだったよ、世界が変わった。キモヲタ向けって、印象としては原作が同人か、PCゲーム的な、でも僕ああいう界隈が一番ハーコーだっていう魅力は感じてる、プロイケてもそっちでやりたいって思うね。ラッパーでよくラップ業界がもっともクール的なのいる、僕もああいう感じに同人ヲタク界がもっともハーコーなんだよーyo!、って言いたい、彼らにも、アニメ化したら彼らの曲使うから認めさせたい、まあ絡みたくねーよキモヲタってなりそうだけど、向こうから。チャンプだから嫌いとかそういうのは特にないよ、まあべつにチャンプで好きなのこれといって挙げる気はないけども。寧ろネット小説とかああいうほうのがなんかどうかなって、思ったりあるけどいろいろあって結局そういうのもいいなってなる、まあ他人のすることだでその辺は許容はできるって話、僕はあんまり安っぽい見せ方したくない派なの、だからああいうふうに本は見せたくないんだ、コミケ参加してやってる・・・・・・え?、コミケも安っぽいって?、いや、まだ”商品”って感じがあるから人をひきつけれるんだろうって僕は思ったの、そういう意味ね。でも全然凝ってなくていくて質素に美を見せていきたいとも思ってる、だから南方ってシンプルっていうか、絵が雑っていうか、そういうとこからも若干闇は出てるんだよ?、ギャグものやれる人への嫉妬とか思われるかもだけど全然そんなんじゃないよ、嫉妬で本音言わないのは変だ、僕はそういうことはしない、実際ぼくは漫才師とかああこの人リスペクトできる、結果的に行き着くとこが一緒だったってだけだけど、みたいなのはいる、でもジン魂、あれにはそれすらも感じれないんだよ。でも嫌いじゃないよ、ただ興味がないってだけ。ようは世間的なウケとか病的っぽいけど結局普通っぽいものはイラついてたらかけないんだ、ホントにイラついてると「あーこれ相当病んでるな」っての、僕の作品でもたまに出てるよね、わかる人はわかる、出ちゃうんだよ。特に病んだのがプログレやると大変なことになる、作品もその者の人生も、下手こくと自殺に至る。作品が短くなりすぎると大衆の不満にも繋がってくるからその辺難しい。僕は、こっちの世界はあんまり好きじゃないんだ、実はね。でも全部嫌ったわけじゃないよ、僕の正義に従わないやつには許さない、僕は正しい、確かに僕は正義、正義と親和性が高い人間が人生の勝者だ、それは僕だ」

 2016年。

「南方やってる?」20歳前後のが言う。

「やってないw、新作は出るのたのしみ?」10歳前後のが言う。

 2017年。遣り取りは数秒。2016年から、2017年になるには一秒もいらない、あたりまえだが、正月。

 映画が終わったようだ。と、思わせて、オマケなのか、制作陣のインタヴューが始まった。

 たまに、というか結構二次元を否定したがる人が、いる。あれは実は、二次元というものと自分が似合わない、劣等感や、単に二次元に負けたと思っていたり、二次元と比較されるのが怖い、と、ようは二次元的文化は否定する必要はまずない、クソつまらない莫迦なプライドが結果的にそういう態度に繋がってるだけデース。実際二次元否定はなのにナルシストなやつを知っている、それは勘違い色男ってものだよ、二次元すらもどうでもいいとする自信がない外見だってことだよザコ三次。実際アニメ化できまらんような男は変だよ、でもそういうのでもアイドルにはなれる、アイドルで売れてるからってホンモノじゃないことが大抵だ、カリスマはないに等しい、例えばアサハラショコとか美化なしでアニメ化したらただの変質者だろ。二次元の存在は少子化とは関係はほとんどない。そもそも少子化は三次元の女が傲慢になったことが、起因する(べつに男がお利口とかの意味ではない)。最近(と言っても結構前から。46億年的視点から見ればとても最近というだけ)の三次女は傲慢になると同時に、鬱なのもいる。この鬱、とは、この男とは結婚もしたくないよ、と、そういうのをより高めている。二次元否定でなにか解決されるとは思うなよ、寧ろ、それが、より、良くないほうにいく、三次の気持ち悪さをより多くの人が知ることになる、それは三次派が勝手に狂いだす場合のが多いくらいだよ、大好きな“おめでた三次元(笑)”でね。二次元のエロとかグロはまず見てる人は多くない、三次元のエロ、グロのが大問題、それに二次元のエロいの否定していたら、三次元の女のレイプ被害者は増えまくる可能性もありえることだ、当然だ。ちなみに自分は、「ヲタク界は廃れてきてる」と思っている、これは2015辺りから確信的に思ったことだ、でも今でもヲタクの新入りはいるし、自分はそういう人たちにも昔のような勢い、ノリを感じ続けてもらいたいと思っている。だからそんな弱ってしまってるかわいそうな界隈を否定しないであげろ、べつにワルじゃないんだ、そういうの書くのいても少ない、なんかヤバそうだけど作家さんは案外まともの多い、ヲタクだってキモがられがちだが、確かにキモいというのはあるが案外正常、イケメン俳優とも大差ない、外見も。2015年で一番よかったアニメは『缶これ』だ、が、おもしろいとは言ってない、おもしろさで言えば評価は低い、おもしろいのはその年で一番はワルシャワブレ。きんたまモザイク二期があるが一期より安定感が欠いているから評価が悪い、だが一期は『缶これ』のアニメよりも断然よい。きんたまモザイクはおそまつちゃんの8倍ほどいい。でもその評論もかなーりのマニアックさからのもので一般的にあるいいものとは反す場合が多い。一年前にもっともよかったのはメキャヤキュ、だが、ぢん(P、の作曲力の補整が強い、おもしろいかどうかは微妙だが二周以上は見た、ダゼは10年代前半のOP曲ではベスト10に入ってても全然不思議ではない、作曲者もある程度の作曲の技巧的知識は確かにあるし才能もあるほうだからそういうとこも含めるとなおいい、売りようで余裕でビルボード一位はいける作曲力。2014のアニメは特にしっかりと見すぎた、でもそれがおもしろかったからとかとは別。

 ある男がこう言った。「麻薬キメながらの二次元チックな幻覚見るのが最高に気持ちいい」、と。だがよい子は真似してはならない。でもこちらに、よい子が真似したらどうすんだと訴えられるようなこともする気はなく、麻薬は否定は、麻薬は怪しく危険なものだよということのほうのが、伝えたいのだ。

 相対的に三次元を見たとしても、二次元のがダサくない、書き手の魂も顕在化する神秘、二次元否定派のどっかの誰かよりも宇宙からの素晴しい贈り物だ。


 映画が終わった。あの映画はセリフや解説全部が字幕で表現されたものであった。

 僕はまた、本屋にいる。

 僕は僕のようなのが嬉しくない形で出てきたあの本の続きが結局気になって、見にいった。買った。


「あの」夕方と似合うユユコに似た女は言う。

「ん」越後は言う。

「いえ、すみません。初めてみたかっこいい人と私と似ている人がいたから確かめに」ユユコに似ているが、腰以上の毛の長さの長髪な女は言う。

「絶世の美女だもんなァ」越後はべつにキレていないが言葉で言うとキレ声と誤解される感じの声で感嘆。

 夕方出会ったユユコ似の女は十三歳で、166センチ、おっぱいのほうは128センチPカップ。おっぱいがでかすぎて、下手したら逆に平然と触られそうである、詰めてるだろとか言われて。

「名前は」越後は言う。

「竹宮ユユヨ」ユユコに似た女は言う。

「奇遇だな。この彼女も武宮。ユユコって」越後は言う。

「運命を感じますね」竹宮は言う。

「なら記念にこれから一緒にすまねえか」越後は言う。

 竹宮と越後は一緒に住むことになった。

 なぜ竹宮と武宮は似ているのか。人の外見が似ている、これはただの偶然と済ましても普通なことであるが、彼女らたちぐらいに美形になるとそれもそうでもない。竹宮は特殊な遺伝子を普通の人よりもはっきりとわかる程度に持っている女で、ある意味純日本人ではない。でも竹宮のほうはべつにそうでもないというわけではないが竹宮のほうよりかは日本的であった。

 越後はこれから二人の女と性生活をおくっていくわけだが、なぜ本妻の竹宮はこれを許すのか。顔が似ているとこの辺は浮気じゃないから許せる、だそうだ。


 ユユヨの過去。学校に行けない女だった。ストーカーやら、おっぱいはすでに十分デカいのについつい飲んでみたバストアップ系のサプリが原因で屁が大きく臭くなってからかわれ、軋轢があった模様。そして、厨二病で、”2014”を、”ふたまるひとし”と読んで発表したという件もあって、学校では黒歴史としているものが多いんだと。越後はそんな彼女を庇護するように、家に住ませ続けることにする。越後の約百坪の実家に。ちなみに越後は、大きくくさい屁も、好きな音なのなら興奮するとのこと。

 ユユヨはパイパンだ。そうじゃないかもだがそうと言っていいほど体毛が薄い。

「これもこれでありだよな」パイパンの恥丘にペニスを擦り付けながらそう言った。陰毛に性的興奮をする越後でも気に入ったそのパイパン。

 PとKという巨乳の域を超えた爆乳以上の二人に抱きつかれ風呂に入る涅槃。

「ハハハ、いいユだ」越後は言う。

「こうやって笑いあって素敵な殿方とイチャイチャするのが夢でした。こんなに勃起もしてくれて、嬉しい」ユユヨは言う。

「10歳近くも年離れると、なんかユユヨが娘みたいだ」と言いながらもズボズボといった要領で、耳を掃除する耳掻きではないが、それと似た要領でヴァギナに侵入するマラ棒に、P乳を吸いつく口そして中出し。

 まだまだ何度も出し入れされるマラ棒の描写は、ノンケの男ですらも見ていて勃起ものだと言う。

「マッサージもののAVなんて比にならないほどのマッサージしろよ」越後は言う。

 乳首愛撫されるのが大好きな涅槃。マッサージされると乳吸いはセットだ。

 がっつきあう男女。この女側は、本当の好きな人になら、甘えてもらいたい模様。

 一方その頃シュンヤは本日二度目の射精の下準備をしている。ジュンヤもそうだった。二人は同時にイった。彼らは別の血のものであり、イった地も別。シュンヤのほうはスクリーンへ、ジュンヤのほうは卒アルへ、かける。同時に出していたのはほかにもいた、越後だ。でも彼は彼女ら二人の顔面にめがけて出して、その精子は二人の顔に見事かかった。ユユヨのほうに目をつむらせユユコの顔にかかった精液をなめさせ、その後ユユコがユユヨについた分のを舐めている。シュンヤとジュンヤの二人が抜いたのは、爆乳ものの、過激AV。Pカップ女優のAVをネットで見て、妥協しながら抜いている。だがその女優はデブだ。

 ユユヨはデブではない。98センチKカップで身長164.8センチ、体重52キロのユユコよりもやせている。


 人間関係の難しさ、単なる一般社会のコミュ力ともこれはまた違ってくるものなわけである。アーティスト特有的な悩みだ。と、急に僕は思ったんだ。これがヲタクの魂なのか、とも。ヲタクはなぜか、共感がしにくい体質にも僕は思う。ヲタク感でもだよ、結局僕は僕の趣味とあった人と会ってはいない。


 一方、サナネ争奪戦とは、どうなったのか。

 サナネ夫候補でありながら、サナネ争奪戦脱落者、不参加者たちのエピソードを語る。

 脱落者: 常盤 寛和(ときわ ひろな)。彼は音流村の学歴(飛び級で海外の一流大学卒業して、その後東大に再入学)にビビった結果逃げてしまった男だ。

 彼もサナネ争奪戦の話を噂で聞いて、結構上位にいるということである種の界隈では有名だった音流村に勝負を仕掛けたものの音流村お得意の記憶力での威圧にビビって逃げてしまったのだ。休みの日でも外に出るときは学校のブレザーを着ている寛和は見た感じは優等生である。とても学校をサボりまくってる高校生(底辺校)には見えない。彼は学業を疎かにしており、特に中学を行っていなかったということもあり、底辺校に行くことをほとんど余儀なくされたパターンだ。身長は180cm近くあり、顔も女からもウケがいいほうだ。サナネ攻略には熱を入れていた寛和なのであったが、果たして彼はそんなことであきらめてしまってよかったのであろうか、彼はもう返事する気力もない。東風サナネ攻略において学習能力がどのように作用するかは、また、次の機会にでも……いや、次っていうのはいつだと言われそうだ、こういうのは駄目だ、いま言おう、たしかにサナネが理系で勉強かとかなら、理系のが良いかもだ、が、あえてそこで文系彼氏もありだろう。まるで勉強しないのは魅力低減といえる。


 東風サナネの夢も見て、東風サナネを夢見た男。

 不参加者:練生川叡明。

 これはまだ2015年の新作、『南方キャンタマデン』発売前のことだった。

 練生川叡明はこう考えた。彼はまだ、若かった。だがべつに幼いわけではない。

「オレは、サナネに飽きたのかもしれない……そもそもオレはサナネに欲情さえすることなく長いこと生きてきたんだ、まあ飽きるのにも無理もないか……」叡明は言う。

 叡明はもうサナネに飽きたかと思わせた、しかし……続きがあるようだ。「飽きた、だと?、そうだと思ったか?、オレは手にした、サナネという存在を飽きるとか飽きないとは別の次元で見てゆく視点を!」彼は真剣だが、どこか狂気を感じさせる表情でそう言う。「絵だろうが死んでいようが問題ない。実在する誰かがいくら良い条件を持っていようがオレは東風サナネを間違いなく一番愛している。誰よりもな」

 サナネに対する、新たな視点、そこから彼の旅は始まった。しかしもう遅かったようだ。

 もう許嫁はそろそろこの勝負に切りを付けようとしだしていた。

「もうこれで満足か?」シュは言う。

「オレに訊くなw、オレだって頼まれたからお前に頼んだんだ、でも今度はこれをやってもらう」許嫁は言う。

「いいだろう、言え」シュは言う。

「なら今度はオレとお前、どちらが東風谷早苗に相応しいかを!w」許嫁は言う。

 ちなみにシュはその許嫁の許婚だ。そして許嫁は、東風サナネを東風谷早苗と言ったが、これは言い間違えであり、彼はそれほどにゲイなわけで、東風サナネにもその東風谷早苗にも興味はない。

 一方、宇宙では。

「退屈だ、こんな世界管轄するに能わぬ。やるよ」と言う創造主はそれをヂックに言った。

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