僕の勤務している製薬会社の研究所は、都内から車で二時間ほど離れたところにあった。研究員として入社してから約三年になる。

 最近は思うように研究成果が出ず、夜遅くまで残って研究をしていることが多かった。レイネと出逢ったあの夜も、終電時間の間際まで実験をしていた。連日の研究詰めでさすがに頭も疲れてきているような気がした。

「おはようございます」

 研究室に顔を出すと、すでに出社していた同僚の下松くだまつにからまれる。

「よお、周防。おはよ」

 にやにやしながら朝から肩なんかを組んできたりして、絶妙にうっとうしいやつだ。ここ最近の研究詰めで、週末の金曜日なら下松の顔にも疲労の色が見えていた。年中うっとうしい彼のうっとうしさも週末ならちょうどいい塩梅だったが、休日を挟んだ彼のうっとうしさは、残念ながら初期化されている。僕は重い溜息をつく。

「朝から誰彼かまわず抱きついてくる下松のうっとうしさは、誠に遺憾ながらきょうも健在だよ。あきらめろ、周防」

 研究室の奥のソファから気だるげな言葉を寄越してくる眼鏡は、おなじく同僚のはぎ。僕と下松、萩の三人は、この製薬会社の研究職として同年度に入社した、いわば腐れ縁……じゃなかった、同期と書いてナカマと読む類の関係である。

「誰彼構ってないわけじゃねえよ。周防だから抱きついたんだ」

「なおさら気持ち悪い」

「言っとくけど、おまえが来る前に萩には抱きついといたぞ?」

「どうでもいいぞ?」しかもなんで真顔で言うんだ。「ば……ばかやろう、言うなよ」しかも萩はなんで照れたように顔を背けるんだよ!

 出勤したての格好だったことに気づいて、僕は自分のデスクに荷物を置いた。朝いちばんにきょうの実験計画を立てて、朝礼がはじまる前には使う器具の貸し出し申請を済ませておきたい。午前中は週明け一発目の会議もある。きょうである程度の進捗を取り戻さなければ、帰りがいつになるかわからない。あのビニールプールを長時間放ったらかしにしておきたくはない。

 端末を立ち上げてメールをさばいていると、そのようすをしばらく見ていた下松と萩が、眉間にしわを寄せて言う。

「なんか周防、気合い入ってねえ?」

「ああ。浮かれてる感じがする」

「……え?」

 僕が浮かれてるって?

「なんだよ急に」

「いつものやる気ねえ感じじゃねえな。この休日になんかあったか?」

「べつになんにもねえよ」

「さっきの下松の抱きつきで気合い入ったんじゃないのか」

「お? まじか。気持ちわる」

「おまえが言うなよ!」

 そこでふと、萩が神妙な面持ちになる。

「まあ、よかったよ」

 やけに落ち着き払った声を出す萩に、僕は怪訝な顔を向けた。

「なんだよそれ」

 すると彼はこんなことを言う。

「……安芸野あきのの事故があってから、おまえ、ほんとうに沈んでたもんな。見ててマジで辛かった。ちょっとでも気が紛れればいいんだけど」

「そうだな。いまのおまえ、やっと昔に戻ってきた気がする」

 下松までそんなことを言う。返す言葉がなくなって、僕はメールチェックに意識を戻すふりをした。

 安芸野の事故。

 それは、二年前のことだった。

 当時僕の恋人だった安芸野あきの水月みづきは、ふたりともおなじ製薬会社に勤務する新入社員だった。部署は違うところで、彼女は有能な室長のもとでやや危険な実験を担当していたらしい。それだけ優秀なんだよ、と安芸野本人は茶化していたが、僕は心配もしていた。

 二年前、僕の不安は現実のものとなった。安芸野たちが実験を行なっている実験棟で、爆発事故があったのだ。多数の負傷者を出す、全国ニュースになるような大事故だった。事故現場の中心で実験を行なっていた、ふたりの所員が死亡した。ひとりは、安芸野水月。もうひとりの死者である、有能な室長の人為的ミスによって引き起こされた事故だったらしい。

 それから、僕の心は暗い深海に沈んだかのようだった。安芸野の生命を奪ったに復讐を果たせないまま、ただ彼女を喪ったという事実だけを首にくくられて、しかばねのように生きていくしかなかった。

 そんな僕が「変わった」という。

 安芸野がいたころに戻ったようだという。

「……そうなのかな」

 そう独り言をつぶやくと、萩と下松がいやらしいにやけ顔で僕をのぞきこんできていた。



 腐れ縁たちの執拗な妨害行為により朝の貴重な時間は浪費していき、やがて朝礼がはじまった。朝礼では当日の予定の相互確認や事務的な連絡がほとんどだ。あまり目新しい光景もなく、はやく終わんないかなあ、とぼんやり考えていると、とつぜん僕の上司の課長がへんなことを言い出した。

「きょうは全員に連絡があります」

 ふだん聞かないような上司の声に、研究室のみなが注目した。五十代中盤のくたびれたおっさんの声なんて聞きたくもないが、ようすのちがう朝礼に否応なく反応してしまう。みなの注目を確かめた課長が、部屋のドアに向かって「どうぞ」と声をかけた。

 ドアが開いてひとりの人物が入ってくる。女性だ。すらりとした長身をパンツスタイルのダークスーツに包み、長い黒髪を後ろでまとめている。切れ長の眼の視線が合った。なにもしていないのに、僕は思わず目を背けてしまう。

「本社から査察官が来ることになりました。しばらくうちの室を査察されます。みんな、くれぐれも失礼のないように」

 部屋のなかは色めきたつ。二十人ほどの研究室はにわかにざわめきで満たされた。「査察官?」「査察ってなにするんだ」「こんな忙しい時期に」「美人だな」課長の何度目かの「静かに」でようやく室内は落ち着きはじめた。査察官と紹介された女性が一歩前へ歩み出ると、ふたたび静かになる。

遊佐ゆさです。よろしく」

 凛と澄んだ声が響く。あまりに簡潔で、あまりに完結している自己紹介だった。彼女の名前は遊佐で、これからこの室で世話になる、だからよろしく。それ以上はなにもないんだろう。僕たちに話すことはなにも。

「以上で朝礼を終わります」

 そう言って課長は、遊佐と名乗った女性を連れて部屋を出て行ってしまった。とたんに室内は騒がしくなる。

「こんな時期に査察なんて寄越すか、ふつう? 本社はなに考えてるんだ」

「ああ。すげえ美人だったよなあ」

 朝礼の最中に偶然合った、あの遊佐という人の目。彼女と視線が合ったとき、えも言われぬ感情が僕の心のなかに立ち込めたような気がした。

「成果が出てないうちの室への当てつけだろう。まったく癪にさわる」

「ほんとそれ。本社にはあんな美人がいっぱいいてうらやましいぜ」

 群青の夜みたいな色の感情。うだるような夏の真夜中の色。まばゆく反射する水に濡れた光。上がる水しぶき。ぽとりとしずくが弾けて、ぴちゃん、と音が響く。

「なあ、周防」

「なあ、周防」

「……え? ああ」

 萩と下松の言葉で我にかえる。「ごめんごめん。なんの話だっけ」

「おい周防、人の話はちゃんと聞けよ」

「そうだぞ周防、あんな美人はなかなかいねえ」

 うるさいふたりの会話を聞きながら、僕は部屋のドアを見遣った。ダークスーツの後ろ姿が消えたドアには、もう彼女が戻って来ることはなかった。



 レイネとの日々は穏やかに過ぎていった。

 僕の用意した大きめのビニールプールを、彼女はずいぶんと気に入ってくれたようだった。張った水に浸かりながら気持ちよさそうにゆったり泳いだり、縁に寄りかかって尾ひれをひらひらさせたりしている。そのようすが、社員旅行で温泉に浸かって「極楽極楽」とか言ってる上司のおっさんに似ていたので、僕は思わず笑ってしまった。レイネはそんな僕を不思議そうに見つめたあと、おんなじように笑った。

 彼女は人間の言葉を解さないが、心情はなんとなく伝わるようだ。僕が笑っていると彼女も微笑みを返してくれるし、僕が冴えない表情をしているとプールのなかから心配そうに覗き込んでくる。

 人魚と暮らすというのは、ずいぶんとこそばゆいものだった。人間の同居人がいるのとも、犬猫を飼っているのともちがう。世界にひとつしか咲かない花をこっそり摘んで、部屋の隅の陽だまりで育てているみたいな、背徳的な安寧があった。リビングで何気なくテレビを見ていても、その安寧は部屋に満ちていた。それに身を委ねていれば、窓から染み込んでこようとしている群青の夜から逃れられるような気がして、僕はひたすらレイネとの時間を過ごした。

 ずっと外食続きだった夕飯も、なるべく部屋で食べるようになった。人魚の主食がなにかはよく知らないので、最初は手探りだ。肉は食べるんだろうか、でも海には豚も牛も鶏も泳いでないだろうし。魚は食べるんだろうか、もしかしたら共食いになるのでは、いやでも魚類だっておなじ魚類を食べるだろうし。海底ににんじんとかピーマンって生えてたっけ、待て待てそんなわけないだろ、じゃあわかめとか海藻はどうか、あっ僕海藻苦手なんだった……思考回路はやがて堂々巡りになり、けっきょく到底ふたりが一晩では食べきれない量の食料をカゴに入れて、スーパーのレジに行くことになった。

 結果的には、レイネはなんでもよく食べた。人間と味覚は変わらないようで、僕とおなじメニューの食事もよろこんで平らげていた。スプーンを不器用ににぎりしめながらたどたどしく食事をする姿は、とても愛おしく思えた。

 それから僕の夕飯の買い物は、彼女と会う前の倍の量になった。ふたり分の食料が入ったビニール袋をぶら下げながら家路に就いていると、自分の部屋にいる彼女の存在を改めて認識して、また不思議な気分になる。うだるような真夏、群青色の夜のなか、その不思議な心持のまま、僕は足早に家を目指すのだった。

 家に帰り着いたとき、いやに部屋のなかがしずかな日があった。その日も僕はふたり分の食材を買い、ビニール袋をぶら下げながら扉を開けた。

「ただいま」

 靴を脱ぎつつ僕がそういうと、レイネはいつも尾ひれでぴちゃぴちゃと水面を鳴らす。彼女なりの「おかえり」の合図だ。しかし、その日はどうしてか合図がない。

「レイネ?」

 しんと静まり返っている。

 僕は不安になって、買ってきた食材も玄関にそのままにして、いそいでリビングに向かった。彼女になにかあったんだろうか。でも、今朝部屋を出たときはいつもと変わりなかった。じゃあ、いったい――。

「レイネっ?」

 リビングのドアを開けると、そこにはビニールプールにうずくまる、レイネの姿があった。あわてて入ってきた僕と目が合う。すると彼女は、わかりやすい表情であからさまに、気まずそうな顔をした。

「――」

 彼女のまわり、つまり水を張ったビニールプールのまわりを見てみると、てらてらと部屋の明かりを反射している。ゆらゆら水に揺れるように、その光は揺らめいて見える。こんなに床が光るなんてへんなこともあるものだ。まるでたっぷり湿らせた雑巾で水拭きしたように。レイネが僕にないしょで掃除でもしてくれたのだろうか。いや、いくらなんでも人魚に掃除なんてできないだろう。この部屋には雑巾なんてないんだし。そもそもこの床、湿りすぎじゃないか? ていうかこれ、湿ってるどころじゃなくて――。

「み、水浸し……」

 まるでプールの水があふれたように、床一面が水浸しだった。そばにあったカーペットやらテレビのリモコンやら会社の書類やらもびしょびしょだ。水の減ったプールのまんなかで、レイネが尾ひれを抱えてしょぼくれている。時おり僕の顔色をうかがって、その視線を空中にそらす。彼女の視線の先を見ると、部屋のなかに羽虫が舞っていた。たぶんあの虫を捕まえようとして飛び跳ねていたら、プールの水をひっくり返してしまったんだろう。

「ずいぶん派手にやってくれたなあ」

 レイネを見据えると、彼女はちらりとこちらを一瞥したあと、申し訳なさそうに床の水に視線を落とす。そのようすを見てると、部屋が水浸しになったくらいで目くじらを立てるのもなんだかバカバカしかったし、そもそもレイネに怪我もなにもなくてよかった。

 僕が一息ついて、「飯にするか」とビニール袋を掲げると、彼女は安心したように微笑んだ。つくっているあいだの待ち時間に、使い古したタオルで床やテーブルを拭いた。レイネもできる範囲で手伝ってくれた。綺麗になったテーブルに並べたパスタを、僕たちはふたりで食べた。

 こんなふうに続く毎日が、僕は満更でもないように思えた。


   ◯


 研究所では萩と下松にからかわれ続けた。

 ふたりとは同期のよしみでよく飲みに行くことがあったのだが、ある日からとつぜん付き合いの悪くなった僕を見て、「どうやら女ができたらしい」と吹聴して回っていた。根も葉もないまったくの嘘、と言いたいのになんだか後ろめたいものもあり、かと言ってほんとうのことなんて言えたもんじゃないので、ただふたりのニヤケ面を張り倒すくらいしかできることはなかった。「痛ってえ、暴力反対!」「実力行使か周防、いいだろう、これ以上悪事をはたらくならすぐに人事部に言いつけ……待て、ごめん、マジごめんって……んああッ!」

 夜あまり遅くなれないので、就業時間内に効率よく研究を進めるようになった。研究の成果も徐々に出はじめて、僕に対する課長の見方も変わってきた。五十代のおっさんに褒められても正直うれしくもなんともないが、ここは素直に受け取っておくことにする。

 とにかく不思議な気分の毎日だった。

 生活が大きく変わりつつあって、そのすべての中心にいるのは、ほかでもないレイネなのだ。

 さみしさの予感に充ち満ちたあの夜に出逢った人魚という存在に、もしかしたら僕は、救われているんだろうか。



 昼食後の休憩に喫煙所で一服やっていると、めずらしい人物が入ってきた。

「あ」

「……」

 珍獣かなにかを発見したときみたいな、へんな声が出てしまって気まずい。軽く会釈をすると、彼女も視線でそれに返す。彼女はつうっと喫煙所の奥の方に歩いて行った。頭の後ろで結ばれた髪がふわりと舞う。

 本社から来た査察官。

 遊佐。

 僕は彼女を注意深く観察した。間近で見るのはあの朝礼以来だった。こんな多忙な時期に査察官を寄越すなんて迷惑だし、もしかしたら萩の言うとおり、成果の出ていなかったうちの室への当てつけかもしれない。それか極秘の特命を受けたスパイ。不審な動きがないか、よくよく見ておこう。それに……下松の言うとおり、なかなか美人じゃないか……。

「むむむ……」

 穴が空くほど凝視していると、彼女は煙草をくわえながら自分のポケットを探りはじめた。銃か爆弾か、それともアヤシイ薬品でも出てくるかと思って身構えたが、彼女のスーツから出てくるものはハンカチくらいだった。彼女はそれを残念がっているように見える。

「……」

 ふと視線が合って、僕はまた思わず目を逸らしてしまう。近づいてくる足音が聞こえて、顔を向けると、目の前に遊佐が立っていた。彼女はあの凛とした声で言う。

「申し訳ないのだけれど、火、貸してもらえないか」

「……ああ」

 それくらいなら、とライターを差し出す。彼女は慣れた手つきで点火し、くわえた煙草に火をつけた。ふう、と一息つくと、喫煙所にゆらゆらと紫煙が立ち込める。

「ありがとう、周防くん」

 差し返されたライターを受け取りながらよほど表情に出ていたのだろう、彼女を怪訝な心持ちで見つめる僕に、遊佐は自分の左胸をとんとんと叩いた。それを見て合点がいく。名札だ。名前を胸にぶらさげていれば、だれにだってわかるだろう。

「でもじつは、名札だけじゃない。きみは最近、頑張ってるみたいだな」

 「頑張ってる」という言葉があまりにしっくりこなくて、僕は首をかしげた。遊佐は自分の煙草の光から出る煙の行方を見つめている。

「きみの研究から成果が出はじめていると聞いている。仕事にも熱心みたいだし」

「……そうでしょうかね」

「すこし前までは……前までは、そうではなかったようだけど。なにか変わったことでもあったのかい」

 遊佐の目の色が変わったような気がした。一瞬返答に窮する。この遊佐という女は、「査察」なんていう漠然とした職務で派遣されているわけではない。本社組織への引き抜き人材を選定するためか? 研究所の所属員の身辺調査でもしているのか?

 それとも……。

「……遊佐さん」

 僕は言った。「それじゃあまるで、それまでの僕が不真面目だったみたいじゃないですか。勘弁してくださいよ。僕はいつだって仕事熱心です」

 おちゃらけてはぐらかす。まともに取り合ってしまったら、レイネの話についていつを出してしまうかわからない。

 すると遊佐は、僕に突き刺すような視線を寄越した。

 これだ。この視線だ。

 彼女と目が合うたび、僕はえも言われぬ不安に襲われるような気がして、目を逸らさずにはいられなかった。今回も僕は、彼女と真っ向から目を合わせたくなくて、まだほとんど残っている煙草の巻紙の火を灰皿に押し付けた。

「戻りますね。失礼します」

 そう告げて足早に喫煙所を立ち去った。遊佐は動じることなく、ゆらゆらと煙草の紫煙を燻らせていた。自分のデスクに戻って深呼吸をすると、詰まっていた喉にようやく空気が通った。

 遊佐のあの目を思い浮かべる。突き刺すようなあの視線が脳裏に蘇る。

 

 その日の就業時間が終わるまで、こびりついた不安は拭えなかった。



 レイネとの共同生活もだいぶ板についてきた。

 買い物に行けば当然のようにふたり分の食材を買うし、部屋に戻れば「ただいま」と言うし、尾ひれの「ぴちゃん」でその日の彼女の機嫌がなんとなくわかるし、バラエティ番組ではおなじようなところで揃って笑うし、おなじ時間に寝ておなじ時間に起きて、顔を洗って朝食を食べて歯を磨いて、「行ってきます」と言って手を振り合って……そんな毎日が続いて、僕はすっかりいまの日々に落ち着いてしまった気がする。萩と下松にからかわれるのにも慣れて、やがて彼らもからかわなくなって、それが当たり前になって、しだいにレイネは僕の人生の一部になっていった。それが日常になっていった。

 だから、レイネからを受け取ったときはほんとうにびっくりしたし、ほんとうにうれしかった。

「レイネ、これって……」

 いつものようにふたり分の食材が入ったスーパーの袋をぶら下げて、部屋の扉を開けたときだ。レイネがビニールプールの底からそれを取り出し、僕に差し出した。わけもわからず、レジ袋をぶら下げたまま、僕は彼女の手のひらにあるそれを見つめた。それは光を反射して、きらきらと青白くきらめいていた。レイネがその身に纏う光とおなじ色の輝きだった。

「――」

 レイネはすこし不機嫌に水面を叩きながら、ずいっと手のひらを押し出してきた。「はやく受け取れ」という意思表示だろう。僕はあわててレジ袋をキッチンに置いてきて、彼女からそれを受け取った。

「……うわあ」

 僕は驚いた。

 それは、彼女の鱗からつくったブレスレットだったのだ。

 十数枚のちいさな鱗のかけらが、一本の糸でつながっている。そのかけらが放つ青白い光は、レイネの身体が放つきらめきとおなじものだった。いますぐこの手の上で消えてしまいそうなほどに儚く、そしてあまりにも美しかった。

「くれるのかい?」

 そう訊ねると、彼女はキッチンの方を指差した。そのあどけない顔には、意地悪そうな笑みが浮かんでいる。「夕飯を食べさせてくれたらね」とでも言いたげだ。まったく、と僕はわざとらく溜息をつく。はじめからそのつもりだったんだけどなあ。けれど、してやったりと言いたげな彼女の得意そうな表情を見て、くすぐったくなった僕は腰を上げてキッチンへ行った。

 ブレスレットを右手首につけて台所へ立つ。繋がれた鱗が光を反射し、きらり、と青白く光る。

 うれしかった。

 彼女はみずからの一部分を代償にして、僕への贈り物を用意してくれたのだ。

 安芸野を失ってからおよそ二年が経つ。レイネというひとりの人魚に、僕の心はようやく救われようとしている。

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