生活という困難

韮崎旭

生活という困難

 生活することはひどく憂鬱にする。ものを食べるたびにこのような卑しいことをしなくては何もできないのだが、何かする必要性などそもそもなく、存命をのぞむ身体の命令に奴隷的に従っているに過ぎないことを思い知りひどくみじめになる。生きている必要は必ずしもないのだ。それにもかかわらず、私は死を何か不吉なもののように恐れ、崇高なもののように憧憬し、特別なもののように愛でる。これは耐え難い話でこのような卑しい生の終わりであるからには死でさえ、美しくも崇高でも不吉でさえない。それらのものになることはできないしありえない。

 私は風景を見ないためにノートパソコンに向かった。それは懐かしい箱庭であり、とはいえ入力する感慨は、入力の資源は、忌まわしい現実からきている。これは残念な話だ。処理された情報しか見る体力がないと、言っている。その不必要に詳細な細部にめまいを催しながら、整備された情報がいかに私を助けてきたのかを考える。不用意な、時には無秩序な情景と叫び声。抑揚に、陰影。見せないでほしい。なにかわいせつ物とかを目の前にしているような名状しがたい厭な気分になる。その生々しさが標準装備であることは明らかに生活をして苦行たらしめていた。

 私の、触覚や温感の喧騒。視覚・聴覚への無許可のアクセス。かかわりを閉じようと必死で、耳をふさぎ目を閉じて、うずくまる。それが傍から見てどうであろうとそのようなことは問題ではない。存在しないことが、安らぎになるような時間を持ってしまっている。しかもその時間自体が私であるような。だから、「疲れたから甘いものでもつまむ」ことができずに際限なく疲れていく。嫌気がさして自身へ投与したカフェイン錠はその作用としておそらくは過敏さに拍車をかけたように思えるし、常態からしてが感覚が過剰だったからこれは明らかに必要物資の買い出し……ああ、必要なものなど本当はありはしないのに、しいて言えば死それのみなのに……がさらに苦痛なものになった。幼稚園児相当の年齢の人間がそのおそらくは親であろう人間の成獣に連れられて外出しており、ものによっては思い思いの喚き声を上げていた。こんな声を出さないとその場にいられないような生き物は明らかに精神病だから精神科をどうぞ受診してほしいしジアゼパムなどの鎮静剤をどうぞ投与されてほしい。確かに、休日に中心市街地などに出かけ、それも百貨店や商店街に行くのは愚かだ。しかしそうでなければ、どこに、ものが豊富にあるというのか? ああ疲れた。疲労の感覚をなくしたい。そうしてわきに置いてある焼き菓子に手を伸ばそうとして、ためらう。これは私を害する。私をより悪くする。私を肥えさせ、生者のような、生き生きとした健康そうな見かけを作り出し、私に味を感じさせて、私が人間であるいう自覚を私に持たせる。冗談じゃない!

 省略をする必要があるのだ。たとえそれがどれほどおろかしく滑稽であっても。人間は文語に通ずる会話をしてしかるべきだし、過剰なほど抑制を持とうとそれは不十分の域を出ない。別れを告げるアスファルトの路面は嘔吐を誘うような光沢で、指に寒さを知らしめる空気から意識を切りはなしたくて、


車道

 進行方向

  前方のライト

   呉れ方だった

    ヘッドライトだったか

     その目もくらむような光

      に身投げし、


 私は病院で今、石膏ボードの天上の模様を眺めながら怖気を催している。どうして? わたしは、失う、フラッシュバックを、遠くに、痛みの記憶が抜け落ちる、光、サイレンがうるさい、うるさいと当然想定されるからそういった偽記憶があるだけかもしれないな、鋏、紙、白紙撤回、A4、白紙撤回、首尾よく、車道へと、ここは? そうだ、死ななきゃ。死なないと。私は、生きて? いるのであればそれは死の条件だ。死なないと。死なないと、死なないといけない死なないと死なないと死なないと死なないと死なないと。食事があなた、またうっとうしく経管栄養される前に、死なないと、死なないと。死なないと、勝手には死なないから、死なないと、死を、はやく。

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