カトレヤのせい
liquid-kaleido crystal 第二話
~ 十二月二十三日(日祝) 藍玉 ~
カトレヤの花言葉
成熟した大人の魅力
小さな頃は、簡単に解けた。
『好きの方程式』。
『好き』という言葉を因数分解して。
そこから導き出される解答は。
『
ずっと眺めていると。
最後は『き』になっているのです。
この解の意味を。
俺は深く考えたことが無かったのです。
明日も素敵な思い出を作りましょう。
そう言って別れた後も。
すぐにトランプなど始めましたし。
いつもと同じ。
別れ際に、『気』になることなど。
すでに無くなっているものですから。
でも、あと何度。
こいつにまた明日と言えるのでしょう。
高校二年生も終わりに近づくと。
こんな簡単な問題が。
途端に難しくなるもので。
いつまでも割り切れない円周率のように。
ずっと、また明日と言える関係になるためには。
『
割り切った『
『人』という端数をつけて。
永遠に割り切れないものにしなければならないのです。
でも、これがほんとに難題で。
なにが恋愛なのか。
なにが恋人なのか。
好きなのに、なぜくっ付かないのか。
好きなのに、なぜ別れるのか。
どれくらい好きなら付き合えばいいのか。
嫌いな所があるのに付き合っていいのか。
考えれば考えるほど。
分からなくなってしまいます。
……彼女のせいで。
そう、彼女は。
俺の数式をこんなにも狂わせる……。
「何の真似ですか、そのカイゼル髭」
「お土産物コーナーで売ってたの」
売ってた。
から。
君が装着するまで。
その過程を知りたいのですが。
君はいつもそうやって。
俺が真剣に考えるのを。
邪魔してしまうのです。
「なんか、事業でぼろ儲けしたイヤミなおじさんに見えるのです」
「ほっほっほ。こんなとこにもビジネスチャ~ンス」
左手で髭先をくりくりといじりながら。
逆の手でカメラのシャッターをぱちぱち押して。
外観でも撮る気なのでしょうか。
外に出て行ってしまいましたが。
ほんとに、ちゃんと役に立つ写真が撮れているのでしょうか。
昨日はちょっとサボりがちだったので。
今日は朝からみんなして。
宿の写真の撮影会。
そんな中。
意外な事実を知ることになりました。
「もうちょっと、下から……」
「それ以上下はありませんよ晴花さん」
床に寝そべって。
綺麗なロビーを随分なローアングルでカメラに収めようとしていますけど。
「意外でした。なんですか、そのカメラ」
「今話しかけないで。……ここは逆に、露出絞るか……」
プロのカメラマンみたいなごっついカメラで。
一回シャッターを切る度に、何連射もしてますが。
写真、ご趣味だったのですね。
意外過ぎます。
さて、俺も負けていられません。
被写体を探して携帯を廊下へ向けると。
フレームに入って来た絵が。
あまりにも幸せだったので。
思わずシャッターを切りました。
宿に泊まっていた知らない兄妹。
妹に意地悪していたお兄ちゃんを、日向さんが叱っています。
「だめっしょ。ケンカをすると、あとで嫌な気分になるっしょ。優しくすると、その後幸せな気分になるっしょ。どっちが正解?」
「……ごめんなさい」
思わずほっこり。
日向さんは、相手が同級生でも同じことをするので。
彼女の魅力を収めた一枚になりました。
「いや、違いました。宿の写真撮らないといけないのに」
「まったくだな、秋山」
「げ! こ、これは違うのです!」
音もなく近づいていた宇佐美さん。
恋人の写真を勝手に撮られてご立腹?
でも、慌てて振り返ってみれば。
予想に反してにっこり笑っていたのです。
「……あとでくれ」
「ええ、もちろんです。素敵な写真なので」
「ほんとに。……あいつと恋人になれて良かった」
「過去形みたいなのです」
苦笑いと共に口にした言葉。
でも、宇佐美さんは。
酷く真面目な顔になって。
首を横に振るのです。
「そのうち……、近いうち必ずそうなるだろ。お互い、素敵な男性と出会ったら自然と別れるさ」
この返事に。
否定も肯定もできない俺なのです。
「……でも、お二人ともお似合いなのに」
「女同士なのにか? お前は変なことを言う」
珍しく。
くすくすと笑った宇佐美さん。
俺に小さなデジカメを向けてシャッターを切ると。
そのカメラを、兄妹と遊ぶ日向さんへ向けるのでした。
「そのお言葉、ちょっと冷たいなって感じます」
日向さんと子供達が、そろってピースをするのに合わせて。
「だってあたし達の恋人関係、ただのファッションなんだぜ?」
宇佐美さんは。
ぱちりとシャッターを切りました。
~✌~✌~✌~
「白い白の中に、黒い白が輪郭を作ってるの」
「確かに。そのすべてを白と呼びたいですけど、濃淡があるのです」
昨日に引き続き。
俺のお隣りで景色を堪能する穂咲さん。
ピンクのニット帽に
やはり昨日のようにピンクのお花。
カトレヤを一輪挿しているのです。
二日目の午後にして。
ようやくペースをつかみました。
スノーボードを楽しんで。
疲れてぽかぽかになった体を。
景色を見ながら休ませる。
こんな時間の使い方。
なんという贅沢なのでしょう。
「リフト怖いの」
「そうですね。俺も、未だにちょっと緊張します」
「車で送って欲しいの。……はっ!?」
ミトンを外して、ポケットからカイゼル髭を取り出すと。
鼻の下に張り付けて、先っぽを捻り始めました。
「ビジネスチャ~ンス」
「その低い声は面白いですけど、付け髭を持ち歩くのはやめなさい」
雰囲気的にはそれなり高貴。
そうですね、君のことはこう呼びましょう。
「それで? 何がビジネスチャンスなんです、男爵」
「送迎するの。タクシーで」
「滑ってる人、ひきまくりですよ」
この真っ白なゲレンデが。
あっという間に赤く染まるのです。
「それに、タイヤじゃ無理。雪の上を走れないでしょうに」
苦手な物理学ですけど。
これは理屈で分かります。
「タイヤの幅を広くすれば潜らないの」
「はあ」
「あるいは、エスカレーターの手すりみたいにしたら滑らなくない?」
凄い。
君は時たま天才ですね。
俺はすっかり感心しながら。
指をさしました。
遥か彼方、リフト乗り場のそば。
エスカレーターの手すりみたいな無限軌道で走るスノーモービルを。
「負けた!」
くそうと、髭を地面に投げつける穂咲さんを。
笑いながら見ていたら。
すぐ背後に、誰かが止まる音。
宇佐美さんでした。
「……二人とも、気付けば座ってるけど。せっかく来たのにもったいない」
「とんでもない。俺達が一番有意義に楽しんでいます」
皆さんが三回リフトに乗る間。
俺達は一度しか乗ってませんけど。
一番楽しんでいる自信がありますよ?
穂咲の向こうに腰かけた宇佐美さんは苦笑いしてますが。
そう言えば、お一人で滑っているのですか?
「晴花さんと日向さんはどうしたのです?」
「あたしだけ休憩してて、今追いかけて来たんだ」
「二人なら、さっき通り過ぎてったの。あそこで千歳ちゃんが転んでるの」
え? ほんと?
穂咲が指差す先には。
確かに見覚えのある二つのウェア。
そのうち、アースカラーのウェアの方が。
ボードを斜面に突き刺してもがいています。
……君、文化祭の時も。
鋤をそんな感じにステージに刺しましたよね。
あれ、どれだけ力をこめても抜けなかったのですが。
自分でそうして抜こうとすると分かるでしょう。
バカ力の程が。
さて、助けに行かなきゃ。
そう思いながら立ち上がると。
既に、颯爽と現れた男性四人組に助け出されていました。
が。
「……ナンパされているのです?」
助けた流れから。
男性四人に話しかけられているようなのですが。
あの二人なら大丈夫?
半分の不安と半分の安心。
微妙な気持ちで様子を見守っていたら。
穂咲が俺に身を寄せて。
小声で、とんでもないことを口にしたのです。
「あの人、にゃんこ大橋の、ちゅーの人なの」
「え!? ほんとに???」
頷く穂咲の視力は本物で。
疑う余地は無いのですが。
それにしたってなんという偶然の再会。
よく見れば、晴花さんが随分はしゃいでいるようですが。
橋の上では、あんな別れ方をしたというのに。
今は、どんなお気持ちでいらっしゃるのやら。
そのうち、六人で滑り始めたのですけど。
これってどうなのでしょう。
「……やれやれ、邪魔しちゃ悪いよな。穂咲、一緒に滑ってもいいか?」
飄々とした宇佐美さん。
彼女の気持ちも量り知ることはできません。
いつもの口調。
いつもの表情。
穂咲の手を掴んで立ち上がらせて。
一緒に、のんきに滑り始めましたが。
そんな背中を見ているうちに。
彼女が口にした言葉が脳裏をよぎります。
『ファッション』。
朝、コーディネートで悩んで。
一日をおしゃれな気分で過ごすと。
夜にはそれを脱いで眠って。
翌朝には違う服を体に当てる。
「……俺には、やっぱりわかりません」
俺は、そんな二人が転ばないように。
すぐ後ろについていようと滑り出しました。
でも、あっという間に追い越して。
今日もネットに命を救われることになりました。
~🏂~🏂~⛄~
「あれ? 晴花さんがいないのです」
お風呂と夕食を済ませた後。
六本木君と共に、お隣りへお邪魔したのですが。
畳の上には四人だけ。
その理由を、日向さんが教えてくれたのですけど……。
「そうそう! さっきゲレンデで元カレさんと偶然会って、今はデートに行ってるっしょ!」
「「「ええええ!?」」」
六本木君と渡さんが。
大声をあげたまま固まってしまいました。
でも。
声をあげた人が一人多いのです。
「君は見ていたでしょうに。なぜ一緒になって驚いてますか」
「だって、関係は知らなかったの。そいつはドラマの予感なの」
確かにそうですが。
でも、それなり予想つきましたよね?
びっくりトリオは顔を寄せて。
どんな展開が待っているか。
勝手に予想して盛り上がっていますけど。
そんなびっくりトリオが。
まさか、一瞬で解散することになるとは。
だって、日向さんの話の続きを聞いたら。
びっくりカルテットにならざるを得ません。
「そしてあたしも、すげえかっこいい人とお付き合いすることにしたっしょ!」
「「「「ええええ!?」」」」
さっきのナンパ四人組のうちお一人とでしょうか。
「やっぱ大人の魅力っていいっしょ! そんじゃあたしも、デート行って来るっしょ!」
さすがに呆然。
そして、自然と一人の顔に視線が集まります。
「……なんでこっちを見るかな。くっ付いて離れて、自然なことだよ。それより女子同士の付き合いの方が断然不自然だし」
「あたしはこのまんまでもいいかって思ってたんだけどさ、レイナがいっつも言ってたからね、いい男見つけたら噛みつけって!」
「ちきしょう、あたしが先にいい男見つけるつもりだったんだが」
「にゃはは! そんじゃ、ちょこっとだけ会って来るっしょ!」
いつも嵐のような人ですが。
俺達の頭をしっちゃかめっちゃかにかき回したかと思うと。
スキップしながら出かけてしまったのです。
そんな、呆然とする四人を尻目に。
クールな宇佐美さんはため息をつきます。
「おいおい。お前達だってカップルだろうに。今更同級生がお付き合いするって聞いて驚くのか?」
「いえ、若干二名はカップルでは無いのですが……、宇佐美さんはショックじゃないのでしょうか?」
いつものクールな表情のままなので分かりません。
やれやれと言ったため息すら。
あまりにもいつも通りなのです。
「こら、カップルじゃねえってなんだよ。……ちょっと外に付き合いな」
そんなことを言い出して。
コートを羽織った宇佐美さん。
六本木君と渡さんは。
どうしたものか分からないらしく。
しきりに視線で会議を行っていますけど。
穂咲は、俺にいつものタレ目を向けて。
こくりと頷いたので。
仕方なく、ウェアを着込んで。
先に廊下へ出てしまった宇佐美さんの後を追いました。
月が驚くほどに白く輝いて。
薄雲に、まるい虹をかける静かな夜空。
宿から続く白い道路は。
積もった雪が凍り付いて、慎重に歩かないと転んでしまいそう。
息もすぐに結晶に変わるほどの冷たさは。
きっと、北の大地のせいじゃない。
俺は、宇佐美さんの背中を見つめながら。
何となく、そう感じ始めていたのです。
「……恋ってなんだろう。その答えが出るまでは、このままのつもりなのか?」
ぱきり、ぱきり。
宇佐美さんの靴底が、何度雪を割り進んでも。
俺は返事が出来ません。
だってその言葉は、図星であり。
だってその言葉は、逃げ道の無い罠でもありますので。
恋人の定義。
そんなものは、きっとちっぽけで。
もっと大切なものが。
もっと大きな事がこの先待っているのに。
何を悩んでいるんだい?
俺に、そう語り掛けてきたのは。
月夜が作り出した壮大な景色。
針葉樹に挟まれた道が開けると。
青く、白く輝く大地が見果てぬ先まで続いていたのです。
「それ……、答えを出さないといけない事なのでしょうか」
「当たり前だ。……穂咲が、可哀そうだ」
そう。
もう、ずっと前から気付いている。
今の関係は。
ひょっとしたら、彼女を傷つけているのかもしれない。
……でも。
たった一歩、一度でも踏み込めば。
もう、子供に戻ることはできないんだ。
「慎重にもなるのです」
「臆病なだけだ」
「いいえ? ……俺は、慎重なのです」
「言い切るね。……なんでだ?」
「俺は……」
ようやく追いついた宇佐美さんの肩に手を置くと。
彼女は足を止めてくれました。
そして、恋愛に正解などどこにもないことを暗示するほど広い大地の真ん中で。
小さな小さな月に照らされながら。
正直な、ありのままの気持ちを白状しました。
「もう少しだけ、見守っていて欲しいのです。……慎重にもなるのですよ。だって俺は、あいつに、そんな顔をさせたくないから」
――いつからでしょう。
ずっと流し続けていたのですね。
そんな涙を見せることなく。
俺の胸に顔をうずめてしがみついた宇佐美さんは。
心が張り裂けるほどの声をあげて。
俺に、どれほど本気で彼女を愛していたのか気づかせてくれました。
そんな叫びが風になり。
白い大地に落ちた結晶を舞い踊らせると。
彼女たちはくるくると月へ向かって帰りながら。
宇佐美さんの肩を抱きしめてあげることの出来ない俺を笑うのでした。
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