シクラメンのせい


 liquid-kaleido crystal 第一話



 ~ 十二月二十二日(土) 瑠璃 ~


   シクラメンの花言葉 はにかみ



 雪の斜面に腰を下ろすと、無限に視野が広がるのに。

 どこまで遠くを見ようとも、その世界のすべては白の砂細工。


 遠くの山も、ふもとの街並みも。

 ちょっぴり下手くそなジオラマみたい。


 でも、目の前の斜面が風に吹かれただけで。

 こんなにもキラキラな粒が舞うので。


 きっとふもとでくしゃみでもしたら。

 あんなに小さな街並みが。

 どこかへ飛んで行ってしまうことでしょう。



 子供たちが作った真っ白な砂の工作に。

 うっすら白くて、イチゴの香りがするフィルターをかけるのは。


 いつものお隣りの風景画。

 藍川あいかわ穂咲ほさきなのです。


「白い景色は綺麗なの。きっと、瞳の色が黒いから際立って見えるの」


 真っ白な息が視界を包むので。

 ホットストロベリーシェークの香りが鼻腔を満たすので。


 いつもの、妙なお伽噺すら。

 不思議と信じてしまいそうになります。


 そんな言葉をつぶやく真っ赤なほっぺたが。

 楽しそうに揺れ始めると。


 遠く、ふもとまで続く斜面が流れる雲を吸い込んで。

 光の粒を辺り一面に散らします。



 ピンクのニット帽の上にはシクラメン。

 雪をかぶった花びらも、お揃いの色にキラキラ輝いて。


 白い絵画の中に迷い込んだ穂咲は。

 粉雪を被ったままつぶやきます。


「綺麗なの」

「ほんとですね」


 そんな幼馴染と。

 素敵な時間を共有なのです。



 好きなのか、嫌いなのか。


 穂咲と一緒にいる時間よりもずっと長く付き合い続けてきたこの言葉。


 そんなシーソーは。

 こういったきっかけで。


 かこんと倒れるのです。




 ……嫌いの方に。




「寒いのです。早く滑りましょうよ」

「それがね? 不思議なの。中学生の頃教わったはずなのに、どういう訳かまったく思い出せないの」

「滑り方?」

「滑り方」


 やれやれ。


 リフトから降りて、ちょっとの間に十回くらい転んだあと。

 かれこれ三十分くらいこうしているので。

 凍えてしまいそうなのですが。


 その間にも。

 他の皆さんは二周目に突入していたようで。


 リフトの上から。

 楽しそうに声をかけてきます。


「追いつかれては恥ずかしいのです。頑張って滑りましょう」

「もうちっと待つの。尻餅つき過ぎたから冷やしてるの」

「餅が固まっちゃうのです」

「ちょうどいいの。時期がら」


 なるほど。

 今年の藍川家の鏡餅は。

 桃の形と言う訳ですね?


 そんなやり取りをする間に。

 とうとう追いつかれてしまいました。


「道久! いつまで休憩してるんだよ。一緒に滑ろうぜ?」

「休憩中ではなく、冷却中らしいのですが」

「秋山、妙なこと言ってないで隼人をお願い。これと一緒に滑ってたらただのジェットコースターよ。私はゆっくり滑るわ」


 そう言いながら、穂咲の手を取って立ち上がらせる渡さん。

 うまいことパートナーをチェンジしてきましたね。


「勘弁してください。俺だってこいつと滑ったらスノーボードじゃなくなってしまうのです」

「ほう? ボードじゃなきゃ何になるんだ?」

「スキージャンプです」

「なんでだよ」

「俺、曲がりかた分からないので」


 俺が、『危険』と札の立った崖の方を指差しながら答えると。


「…………K点は越えないように」


 こいつは俺に曲がり方も教えることなく。

 強引に背中を押しました。



 ~⛄~🏂~⛄~



 ふもとのレストランは。

 疲れた体にとても優しい木目で統一されて。


 弱めの照明が、少し眠気を誘うのですが。


「これ、ゲレ食とは思えない美味さっしょ! 写真の他に感想も添えるっしょ!」

「ほんとだね、カレーもなかなかだ。千歳のパスタ、ちょっと貰うわよ?」

「いいよ~! じゃあレイナのカレーもいただき! って、フォークじゃ、うまく取れねえっしょ!」

「……ほら、あーん」

「あーん! ……うめえ!」


 日向さんと言うLEDライトがいるせいで。

 優しい眠気もあっという間に吹っ飛んでしまいます。


「……ひいらぎさん。午前中はあたし達に付きっ切りでありがとう。悪かったね」

「ううん? 二人とも運動神経良くて教え甲斐があったわよ! もう、私と滑る速さも一緒だし、午後も一緒に滑っていい?」

「もちろんっしょ! ……あ。ひょっとしてレイナ、あたしと二人っきりがいい?」

「別にそんなことないけど……、おいこら、ひっつくな」


 腕を組んですり寄る日向さんに文句を言いながらも、まんざらでもなさそうな宇佐美さんですが。


 確かに、せっかくの旅行ですし。

 二人きりでいたいのかもしれないですね。


「あ、あの……、道久君?」

「はい」

「千歳ちゃんとレイナちゃんって……」

「ええ、恋人かっこはてなという関係のはずなのです」

「そ、そうなの? ……じゃあ、ひょっとして私だけ独りぼっち?」


 なんでそうなるのです?

 ああ、穂咲と俺をバーターにしてしまうと確かにそうですが。


「俺と穂咲だって独りぼっちチームですし。なんなら付き合って一年半にもなるこいつら老夫婦がいつでもパラでお相手しますので、ご心配なく」

「誰が老夫婦だ!」

「そうよ。こっちより、秋山たちの方が大ベテランでしょうに」


 仲良くおかずを半分こして、唐揚げナポリタンを食べる六本木君と渡さんですが。


「おかしなことを言わないで欲しいのです。俺達は付き合っていませんよ? そうやって仲良く半分ことかしませんし」

「そうなの。道久君、あたしのカレー、カツカレーにしたいからカツを全部貰うの。あと、デザートのフルーツ杏仁もいただきなの」

「ほら。全ぶんこなのです」


 一同揃って大笑いしてますが。

 味噌汁とご飯だけ残された俺に同情とかないのです?


「しょうがねえなあ。じゃあ、おかずやるよ」

「唐揚げ定食について来ていらなくなった白米をどうおかずにしろと?」

「あたしもやるよ」

「ミートソースのかかってないパスタをご飯の上に乗せられましても」


 逆炭水化物ダイエットになりそうなのです。


「それにしても……、女の子同士なんて。最近の子は進んでるのね……」


 晴花さんが、五目うどんの具を俺の丼に乗せながらつぶやきます。


「ありがとうございます。でも、最近の子から言わせていただきますと、我々全体が進んでるわけじゃないのです。この二人、すっごいレアなのです」


 有難く、かまぼこをちびりとかじって白米をかっ込みながら答えると、日向さんもそうそうなんて首肯します。


 ただ、宇佐美さんはいつものクールな表情のままで。

 意外なことを言い出しました。


「……あたしたちよりべたべたしてる連中なんてざらにいる。そいつらと何にも変わんねえよ。柊さんには分かると思うけど、付き合ってるって宣言してるのは、ファッションみてえなもんだ」


 そんな言葉に、みんなが目を丸くさせます。

 いえ、みんなと言うのは言い過ぎですね。

 日向さんは、そりゃそうだなんて笑っていますし。

 穂咲はカツカレーに夢中ですし。


「レイナちゃん、大人ねえ……」

「逆だよ。本当の恋愛なんて分かんねえ子供だからほいほい付き合ってるなんて言えるんだ。渡達みたいに、憧れるほどの関係のやつらは数少ない。でも、ファッションとしての恋人宣言だって分かってても、あたしらはそいつに憧れるんだ」

「いやいや。宇佐美、お前めちゃめちゃ大人なこと言ってるぜ?」


 六本木君が食事の手を止めてまで突っ込みましたが。

 ほんとにそう思うのです。


 確かに、恋愛うんぬんというものは良く分かりませんが。

 恋人がほしいと思う気持ちは先に立つのが普通だと思うのです。


 そんなファッションを求めていると表現することは。

 とても的確な気がするのです。


 ……でも、逆に言えば。

 俺と穂咲はどうなのでしょう。


 恋人だと宣言することがファッションで。

 実質的なことに意味があるとして。

 このまま過ごしたとしたら。


 そう、恋人にならなければ。

 あと一年と少しで。




 俺達は、離れ離れになるのです。




 そういった意味での恋人宣言も。

 必要なのでは……?


「どうしたの? あたしの顔見て」

「いえ、やっぱり必要ないかもしれません」

「なにがなの?」


 きょとんと俺を見る穂咲さん。

 その箸でつまんだ見覚えのあるかまぼこが。


 俺のシーソーを。

 セメントで嫌いの側に固定しました。



 ~🍛~🍝~🍚~



 白磁を思わせる高級な外観。

 それが、お部屋は純和風。


「ギャップ……」

「なんだ道久? ゲップくらい気にしねえでしていいぞ?」


 とは言え、テーブル付きのバルコニーとか。

 お隣りの部屋と繋がっている扉とか。


 細かな配慮が嬉しい作りではありますね。


「二家族の旅行用でしょうかね?」

「だな。こっちは寝るだけの狭い部屋だし。隣行こうぜ?」

「いえいえ。もうくたくたですし、お腹もいっぱいですし。俺は寝ます」

「ろくに滑ってねえのにくたくたなのか?」


 まあ、確かにそうなのですが。


「六本木君の運動神経が恨めしいのです。俺、立ってるのは得意ですが、曲がれませんので」

「いやいや、お前には驚かされたが?」

「崖に突っ込んで、ネットに何回くるまったと思っているのです?」

「だから驚いたって言ってんだ。お前、良く生きて帰って来れたな」


 ほんとです。


 さて、眠いことは眠いのですが。

 顔が焼けて、熱いのです。

 ちょっとだけ冷ましましょうか。


 浴衣の上からウェアを着込んで。

 バルコニーへ出てみると。


「あ」


 やれやれ。

 気が合うのです。


「顔がほてって。冷ましたいの」

「俺もです。ちょっと冷まさないと眠れそうにありません」


 バルコニーは繋がっていませんので。

 いつもより遠い距離。


 なのに。

 いつもより近くに感じます。


 不思議ですね。


「……月、綺麗なの」


 そう言いながら、暗がりに目を細める穂咲の横顔が。

 うっすらと白く照らされて。

 幻想的に感じます。


「それ、アイラブユーの和訳って話、知ってます?」

「…………そんな訳した人がいるの?」

「はい」

「その人、バカなの?」

「日本の宝に謝れ!」


 きょとんとしなさんな。

 なんてこと言うのです。


「……昔から、男性は口下手だったようなのです。二人で月を見ながらそう言うのが愛の告白の限界という事なのでしょう」

「それじゃ、伝わらないの」

「いいえ、きっと伝わるものですよ」


 俺がにっこり笑いかけると。

 こいつは急に、タコみたいにくねくねし始めたのですが。


「あた、あたし、言っちゃったの!」

「は? なにを?」

「こここっ、こくはくしたにょ?」


 え?


「いえいえいえいえ! ぜ、ぜんぜんそんなこと言ってないですにょ!?」

「そうにゃにょ!?」


 タコ踊り、伝染しました。

 ふたりでわたわたと慌てふためいて。

 冷ましに来たはずの顔が熱くて堪りません。


 そのうち穂咲がえへへと笑うと。

 俺もなんだか楽しくなって。

 えへへと返します。


「……今思ったのですが。月が綺麗ですねという言葉に思い至るまで、候補は沢山あったと思うのです」

「なるほどなの。……明日も、素敵な思いで作るの。とかは?」

「おお、センスいいのです。ひょっとしたら、それがアイラブユーの和訳になっていたのかもしれませんね」

「えへへ。……月が、ほんとに綺麗なの」

「はい。綺麗ですね」

「明日も、素敵な思いで作るの」

「はい」

「…………ふふふ。変な道久君なの」

「そうですか? ……へへへ」


 肌を切るような寒さの中。

 俺達は、ぽかぽかな気持ちで笑い合います。


 言葉なんか無くても。

 宣言なんか無くても。


 ひょっとして、俺達の関係は……。


 …………。



 確認したい。



 そう思ったら。

 急にドキドキし始めたのですが。


 でも、今を逃したら。

 チャンスはないかもしれません。


 俺が意を決して。

 冷たい空気を胸いっぱいに入れたその時。


「あーもう! ちょうじれったいっしょ! イライラする!」

「ほんとよ! なんなのあんた達は! 寒いのに我慢してるってのに!」

「まったくだね。ふふふ、へへへじゃねえ!」

「てめえ! なんかあんだろ! もっと気の利いた言葉が!」


 ……邪魔されました。


「ねえ、道久君。なんでみんな怒ってるの?」


 そうですね。

 六本木君に言われたので。

 せめて。

 気の利いたことくらい言いましょうか。


「……みんな、明日じゃなくて今から、トランプでもして思い出を作りたいと言っているのではないでしょうか」

「それは、アイラブユーより熱烈なの」


 ほんとですね。

 と、言う訳で。


 俺の中では『トランプしようぜ』が。

 『アイニードユー』の和訳に決定しました。


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