マダムヴィオレのせい


 ~ 十二月二十日(木) 真珠 ~


   マダムヴィオレの花言葉 気まぐれな気品



 一昨日の、お姉さんな姿を見て。

 一緒にお買い物をしている間もドキドキしてしまい。

 素直にそんな感想をもらしたら。


「……昨日に引き続き、今日もなんの真似です?」

「お姉さんなの。授業中以外で百回お姉さんしてこいとの勅命なの。あと、そんな勅命を出したママの足をずっとマッサージしてたから手が痛いの」


 口を尖らせながら文句を言うこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、もこもこに積み上げて。

 かんざしで止めていますけど。


「お姉さんというか、マダムです」

「マダムなの」


 そんな髪のてっぺんには、まさにマダム。

 マダムヴィオレの妖艶かつ高貴な薄紫色が、シルクのように滑らかな光沢を放つのです。


「というわけでロード君! 本日はマダムな昼食なのだよ!」

「急にスイッチ入りましたね、教授。マダムな昼食の意味は分かりませんが」

「本日は教授ではなく、お姉ちゃんと呼びたまえ! 大人の味をご披露しよう!」


 なにをバカな。

 恥ずかしくて呼べません。


 そんな教授の大声を聞いて。

 クラスのそこかしこからひそひそ声が上がりますが。


「お姉ちゃんって呼んでるの? なんだか……」


 久しぶりに。

 神尾さんが妄想に突入してしまいました。


「ちょっと。何を想像していますか」

「ひうっ!?」

「呼びませんよお姉ちゃんなんて。こいつですよ?」

「こいつではなく、お姉ちゃんと呼びたまえ!」


 そんな教授は、タッパーからえらい数の小鉢に食材を並べて行きますが。

 ああ、俺が神尾さんに話しかけたから、おすそ分けなのですね?


「どうやら、教授の実験に神尾さんも巻き込まれたようなのです。覚悟してください」

「あはは……。お手柔らかに……」


 お手製のお弁当を片手に。

 穂咲の席に椅子ごと移動してきた神尾さん。


 いつもの苦笑いと共に。

 教授から渡された小鉢を受け取ります。


「えっと……、ほさ……、教授。これは、なあに?」

「ふむ! シェフの気まぐれランチ、大人の気品を添えて、なのだよ!」

「お料理名はいい感じ……」

「ですね。でも、このたらこみたいなのはなんなのです?」

「からすみなのだよ!」


 へえ、これが。

 ボラの卵巣という知識はあるのですが。

 目にするのは初めてなのです。


 俺の前にも小鉢が置かれて、ホカホカご飯とお味噌汁を前に手を合わせて。

 いただきます。


 未だにマダムモードの教授と同時に箸をつけて。

 からすみを口へ放り込むと。


 ……ううむ。

 有名ですし、さぞ美味しいものと期待していた分。

 思ったほどでは……。


「塩辛くて、ちょっと癖がありますね」

「道久君は、だからお子様なの。マダムならこの味が分かるの」

「じゃあ、一生俺には分からないじゃないですか」


 俺がいつか、マダムになったらびっくりです。


 呆れ顔で教授を見ると。

 その向こうでは、神尾さんも口にお箸を入れたまま固まっていますが。


「美味しくないですよね?」

「ううん? 美味しい」

「え?」


 ほんと?

 お口に合うのですか?


「いいんちょも、マダムなの」


 あらいやだ、おほほほほなんて。

 お二人して。

 マダムのランチタイムを楽しんでいらっしゃるようですが。


 大人の味を。

 分かるふりしているだけでは無いのですか?


「それにしても、気まぐれすぎです。一品だけですか?」

「ふっふっふ! 次のお皿はこれなのだよ!」


 ああ、そうでした。

 小鉢、いくつも準備していましたよね。


 ええと……、これは?


「ままかりなのだよ!」

「ああ、サッパですね」


 ニシンの仲間です。


「さっぱりじゃなくて、ままかりなの」


 眉根を寄せていますけど。

 説明するのも面倒なので無視です。


 サッパの酢漬け。

 ひかりものは苦手なのですが……。


「もぐ、もぐ。……やっぱり口に合いません」

「美味しい」

「当然なの。マダムなの」


 ねー、とか。

 顔を見合わせていますが。


 お二人とも、大人の舌をお持ちなのですね。

 ちょっぴり悔しいのです。


 ようし、三品目は。

 ちょっとウソをついて味について語ってみますか。


 なんて思っていたのですが……。


「次は、このわたなのだよ!」


 ナマコの内臓の塩辛ですよね。

 これはもう、食べる前から分かると言いますか。


「しょっぱ! あと、この苦みが俺には無理なのです!」


 ご飯で慌てて流し込みましたけど。

 舌の上に、苦みが残ったままなのです。


 だというのに。


「美味しい」

「当然なの。マダムなの」


 うふふふふ、素敵なランチねえ、ではなく。


「二人とも、これはおかずと言うよりはお酒のおつまみですよ? マダムじゃなくて、おばちゃんなのです」

「ひうっ!?」

「はわっ!?」


 俺の指摘に、慌ててお茶をずずっとすすって。


「ほんとは、いまいち美味しさが分からなかったの」

「あはは、私も……」


 なんだか、怪しいことをつぶやく二人なのです。



 シェフの気まぐれランチ、大人の気品を添えて、は。

 星ゼロ個なのでした。


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