キチジョウソウのせい


 ~ 十一月二十八日(水) 翠玉 ~


   キチジョウソウの花言葉

     祝福/吉事/喜び/祝い



 重要なテスト前だというのに。

 どうにもここの所意識してしまうのは。


 昨日、俺の胃を苦しめた元凶、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はポニーテールにして。

 その結び目に、赤紫のキチジョウソウの穂を一本ぷすっと挿しています。


 今日こそがっつり勉強するぞと。

 嫌がる穂咲の腕を引きながらこいつの家に到着するなり。


 俺は、頭を抱えることになりました。


 俺の家のお隣りさん。

 つまり穂咲の家はお花屋さんなのですが。


 それが、おかしな事になっているのです。



「おかえりほっちゃん! 道久君!」

「ただいまなの、ママ。……これ、なに?」

「おばさん。何の真似でしょうかこれは」


 お店にでかでかと掲げられた横断幕。

 運動会でよく見るちり紙のお花で飾りつけられたものに書かれていたのは。



 『祝! 道久君がほっちゃんに

  「俺、浮気なんかしてねーから」

   って言った記念大セール中!!!』



「…………お巡りさん呼びますよ?」

「やーねー! お巡りさんじゃなくて牧師さんでしょうよ! 間違えないでよ!」

「間違えるわけあるかい」


 呆れ果てて物も言えない俺に。

 至近距離から浴びせられる無洗米。


「母ちゃんまで一緒になって、何をしていますか」

「紅白饅頭作ってご近所に振舞っといたから!」

「余計なお世話です!」


 ああもう、なんでこんなこと口走ってしまったのでしょう。

 俺は紙吹雪のトンネルをうな垂れながら抜けて。

 穂咲の家にあがらせてもらいました。



「……なんだか、凄い盛り上がりだったの。なんなの?」

「気にしないで勉強しましょう」

「嫌なの」

「前に約束したじゃないですか。期末で、クラスのワースト・ワン、ツーから脱出しないと大変なことになるから頑張りましょうよ」


 生徒指導室に呼び出されまでしたのですから。


「先生も、今回は本気です」

「でも、去年みたく冗談かもしれないの」

「本気です!」


 俺が口を尖らせながらダイニングの椅子に座って教科書を広げると。

 穂咲も渋々腰かけて、鞄からぽんちょなにがしの本を取り出したので何やってるのさ君は!


「教科書出しなさいよ! あと、こいつのせいでおかしな事になっているのです。勘弁してください」

「だって、今回は結構勉強してるの。そんなにガリ勉しないで平気なの」

「平気くないのです。ほら、苦手な数学からいきますよ? 教えますから」


 ぷっくり膨れた穂咲の前に、教科書を広げていると。

 廊下からうるさいのが顔を出してきました。


「分からない所があったら教えてあげましょうかあらやだお邪魔しちゃ悪いわねおーっほっほ!」

「…………ほんとにお邪魔で悪いのであっち行っててください」


 この環境、最悪なのですが。

 だからと言って、穂咲は見張ってないと勉強しませんし。

 うちに帰るわけにはいきません。


 しょうがない。

 俺は諦めて、椅子にどすんと腰かけました。


「そして君は。ぽんちょ読まない」

「……鬼軍曹なの。鬼久君なの」

「鬼久君で結構! ほら、この例題からやってごらんなさい」


 再び膨れた穂咲さん。

 渋々シャーペンをかちかちさせると。

 唇を尖らせたまま教科書を見つめます。


 やれやれ、ほんとに面倒な奴です。

 危機感ゼロということにもイラっとしますが。

 それ以上に、こいつより俺の成績の方が下ということが心底納得できません。


 授業中はこいつが遊び出すのを注意しては、いつも俺だけ立たされて。

 仕方が無いから、家で頑張って勉強しているというのに。

 君はその間、ドラマを見ながらせんべいかじってるだけでしょうに。

 ほんとに納得いかないのです。


 ここの所、ちょいと意識していたせいで。

 勉強がおろそかになっていましたから。

 天秤を、強引に『嫌い』の側に倒して。

 俺も苦手な物理から挑みます。


「……ちゃんとやってますか?」

「難しいの。でも、例題はできたの」

「じゃあ例題通りに、下にある問題に取り掛かりなさい」


 ちょこちょこ正面を確認して。

 筆が止まっていたら教科書で頭を叩いて。

 たまにぽんちょで叩いて。


 三十分もそんなことを繰り返していたら。

 ようやく集中し始めたようですね。



 かつては勉強に集中している間は下唇を突き出して。

 背中を丸めていたものですが。


 今は、集中すると背筋が伸びて。

 ちょっと凛々しい表情を浮かべるようになりました。


 たまにつかえた時は、ペンのお尻を柔らかそうな唇にぽつりと当てて。

 はらりと垂れる髪を耳に掻き上げて。


 …………意識せずにはいられません。


 日に日に大人への階段を上る君は。

 望んで美しい蝶へなるべく羽を広げ続けているのでしょうけれど。

 俺はそんなものを望んでいないのです。


 でも、望む望まないにかかわらず。

 時が勝手に少女を大人に変えていく。


 それを面白くないと考えるのは。

 男の我がままというものなのでしょうか。



「…………あんた、穂咲ちゃんに見惚れてばっかで一ページも進んでないさね」

「ぎゃっ!」

「いいんじゃない? 今はその方が重要なんだろうし。むっつりも男には大事」

「なんで二人揃って廊下でお茶飲んでますか!」

「気にしないでいいさね!」

「気にしないでいいわよ?」

「気になるわ!」


 がはははは。

 うふふふふ。

 じゃ、ありません!


「俺も集中したいのですからあっち行っててください! せめてこいつを抜かないと男として情けないでしょうに!」


 ……あれ?


 変なことを言ったつもりは無いのですが。

 あなた方のその盛り上がり方、一体なんでしょう?


 急にきゃーきゃー言いながら外へ飛び出して行きましたけど。

 怪しいったらありゃしない。


 慌てて廊下へ飛び出してみたら。

 二人揃って道行く皆さんに向けて。

 メガホン片手に大騒ぎ。


「ただ今! お花の無料配布中さね!」

「とうとう年貢米が! 我が幕府へ納められました!」

「道久は観念したようです!」

「ついに飛び出した、『こいつの男』宣言!」

「言ってねえ! どう聞き違えたらそんなことになるのです!?」


 ああもう、二人を止めないと!

 俺はあわてて靴を履き始めたのですが。

 そんな肩を、ぽんと叩かれました。


「道久君」

「ちょっ……、穂咲も手伝って! あの二人に説教なのです!」


 するとこいつは、はあと大きくため息をついて首を左右に振ると。

 優しい笑顔で諭すように言いました。


「少しは真面目に勉強するの。あたしを見習うの」



 がーーーーん!



 あまりのショックに。

 泣きながら家に帰りました。



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