月の裏側にて

「君達の勇気と使命感には本当に敬服するよ」

 量子船宇宙港の司令官、サビツカヤ大佐は目尻に笑い皺を寄せて三人と握手した。

「この第二次探検隊の栄光こそが真の栄光だ。帰還して初めて挑戦は評価されるのだ」


 サビツカヤ大佐もまた、このセカンド・ジャンプに関して「救助隊」という言葉を一言も使わなかった。


「第一次探検隊からの消息が断った。恐らく、通信システムに何らかのトラブルがあったんだろう」


 ヒューストンからテレビ電話をかけてきたアーガソン長官も冷静な表情を崩さなかった。

「何、あれだけ離れてるんだ。レーザー通信もこの距離だと極めて微弱になるのは君も知っているだろう?心配する必要はない」


 ストレルカⅠの失敗を誰も認めたがらない。それともジャンプだけは成功したのだから、それで満足してしまっているのか。


 ホーキングジャンプの成功は政治的、経済的な問題なのだ。



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 知子が航空宇宙大学に入学できたのは、香織のおかげだと知子は信じていた。


 ある日、高校の図書館でB3サイズの大判写真集を見ていた知子に香織の方から話しかけてきた。


「ふ~ん、貴女も星が好きなんだ」

 その時、知子が見ていたのは「星雲・星団写真集」で、ちょうどバラ星雲のページを開いていた。


 そして、その時、香織も宇宙が好きで、航空宇宙大学への進学を希望していると知った。その時から二人の間に友情らしきものが芽生え始めた。


「友情」といっても、香織は人間関係を極端に嫌う性格だったので、ベタベタとしたつきあい方は全くしなかった。


 程よい距離をおいて刺激しあう。そんな関係だった。

 それでも、知子は高校で彼女と一番親しい間柄だったといえよう。


 まるで、月と地球みたいだ。と、知子は感じていた。

 こんなに近くに見えるのに、手が届かないほど遠い天体……。




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「ご覧の通り、ホーキング空間からの脱出と減速は正常に行われた」サビツカヤの副官、ナザレフ中佐が大型モニターを指差して説明した。


 モニターには文字と数字が羅列させ、上から下へスクロールしていた。

 素人には何の意味もない文字記号と数字の集まりにしか見えないが、量子船の操船技術を学んだ人間には、量子船が予定通りに実体化して無事減速したことを示しているのは明確だった。

「問題は冥王星に接近してからだ」ナザレフ中佐は顎を撫でながら渋顔を作った。「段々と通信障害が酷くなる様子は君達もリアルタイムで知っている筈だな」


「問題は音信不通になって三ヶ月も放ったらかしにしていることです」シューカが怒りを隠そうともせず、上官に吠えた。「マスコミにはミッションの延長をしたなんて出鱈目言って!」


「これは非常にデリケートな問題なんだよ、ミズ・サンタニウス」ケープ・カナベラルから派遣されているマクゲイリー中佐が表情を変えずにシューカを見つめた。


「送信記録があると聞きました……」消え入るような声で知子が言った。


「細切れのデジタルデータだけだよ。データ修復には当分時間が掛かる」ナザレフは優しく諭すように作り笑顔を見せた。


「いや、一つだけ、一言だけ、ちゃんとした音声データがある」マクゲイリーは真剣な顔で知子を見つめた。

「ちょ、ちょっと、中佐!」ナザレフが慌ててマクゲイリーに手を振った。


「彼女たちには本当のことを知らせたほうがいい」マクゲイリーはなにか閃いたような顔つきだった。「三人のクルーのうち、二人はアメリカ人女性だ。アメリカ人女性にハッタリを言うと思い切り貴方を殴って、扉から出ていきますよ。ロシア人女性のようにはいかないのです」


 シューカもネビュラも黙って頷く。


 ナザレフは困った顔をして俯いた。

 知子達三人に逃げ出されては困るのだ。


 ストレルカⅠが完全に消息を絶ち、深刻な問題になってきた頃、クルーたちの間である噂が広まった。

『ホーキング空間は人間の脳に深刻なダメージを与えるのではないか?』そんな噂が広まった。


 犬やチンパンジーでは何の問題もなかったが、複雑で高等な人間の脳には何か影響をおよぼすのではないだろうか?


 そんな噂のせいで、ストレルカⅡの搭乗候補たちは次々と辞退した。そのお陰で、知子が候補リストに上るようになったのだ。



 シューカとネビュラはナザレフを睨みつけるように凝視した。知子も負けじと、ロシア人士官を見つめた。


 マクゲイリーは、お手上げだ、という顔をしている。


「仕方ない、これはオフレコだぞ」ナザレフは目の前のPCのキーボードを叩いた。「これはツープ(ЦУП)とNASAの上層部しか知らないことだ」


「彼等はホーキングドライブを成功させたよ」ナザレフの指先を見つめながらマクゲイリーが言った。「ちゃんと生き延びたし、冥王星まで辿り着いてる。解るのはそこまでだが」



 PCのスピーカーから流れてきたのは、香織の声だった。しかも、英語ではなく日本語でしゃべっていた。つまり、このセリフは紛れも無く香織自身に語っている独り言だった。


「この言葉の微妙なニュアンスも既に解析している。何でもないといえば、何でもない言葉だが、我々は重大な事実が隠されていると睨んでいる」マクゲイリーの声は低く重かった。



 スピーカーから流れた声は……。


「眼だ。眼でひきあってる!」







 Eine Widmung für unserem Chaos Klub


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