冥府の星々

相生薫

プルートの眼差し

 ストレルカⅡ(СтрелкаⅡ)は月の裏側に停泊していた。それ故、地球からはその姿は見えないが、巨大な核融合エンジンを搭載しているのだから仕方がない。強力な放射線を放つ核推進炎を地球に向ける訳にはいかないのだ。


 ストレルカⅡの核融合エンジンのすぐ前方にはホーキング駆動装置が取り付けられている。この量子船はこのホーキング・ドライブを使って時空を切り裂き光を超え、相対速度を無視して空間をジャンプすることが出来る。




 核融合エンジンもホーキング駆動装置も数年前に開発されており、別段珍しいものではない。すでに何十回も光速超えを実現している。


 但し、犬とチンパンジーは覗いて全て無人で。


 有人でホーキング空間に突入できたのは三ヶ月前が初めての事だった。

 量子化ポイントまで到達するには途轍もない加速が必要だったので、有人で量子化するのは困難だと思われていた。


 量子化するまで、最低でも120G。


 どんな人間でもケチャップになる加速度だ。


 しかし、遮蔽フィールドという船内加速度を相殺するフィールド場を作ることに成功し、それによってようやく人間が光を超えられるようになった。




 人類初の光速超え。


 その栄誉を授かる三人の中に知子の名前はなかった。



 その代わり、香織と儀一郎の名前が載っていた。

 なんという皮肉。




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 知子と香織は高校の頃からの同級生だった。

 儀一郎は一学年上で、彼も知子と同じ高校に通っていた。


 香織は頭もよく、無口で怜悧な顔つきで男子の憧れの的になっていた。

 どんな科目も、体育や音楽でさえいつもトップの成績だった。


 知子もトップクラスには入っていたが、いつも香織の下だった。

 香織は一番。知子はいくら頑張っても二番止まり。

 顔やスタイルだって、決して香織に劣ってなどいないと自分では思っているが、何故か香織の方がいつも目立った。


 無口で友達を作りたがらない香織は、教室の中でも浮いていた。

 しかし、悪い意味ではない。胸くらいまである緑の黒髪に透けるように白い肌。睫毛が長く大きな瞳。そして優秀な頭脳。

 彼女は男子からも女子からも憧れの的だった。


 どこか近寄りがたい美少女。それが香織だった。


 香織が知子と同じ「航空宇宙大学」を目指していると知り、知子は驚愕を覚えるとともに親近感を感じ始めた。


 やがて、図書館で香織に話しかけたのをきっかけに少しずつ仲良くなっていった。

 仲良くなったと言っても、相変わらず飄々としていた香織だったが、他の生徒より明らかに親しい間柄になっていた。



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 バイコヌール宇宙基地から飛び立ったロシアのチェルノーク(シャトル)は僅か三十時間で月の裏側まで到達した。


「やっぱ、デカイわね。近くで見ると…」

 今回のミッションで船長を務めるシューカ・サンタニウスがボソリと呟いた。


 正確に言うと実際に肉眼で見ているわけではない。

 ロシアのシャトルには有害な放射線を遮断するために窓は一切ない。

 極めて精巧なモニター・ディスプレイ越しに見ているに過ぎない。

 実際に写しているのは東京大田区下丸子に本社を構えるキャノン製のレンズだ。


「とうとう、来たわね」通信士兼機関長のネビュラ・シュヴァルツも溜息とともに呟いた。


 月面裏側の量子船基地、ポルト・ルーニに係留された巨大な燬光船、ストレルカⅡの姿がモニター一杯に広がった。


 香織を乗せたストレルカⅠにそっくりな量子船、ストレルカⅡ。


 知子は無言の儘、その巨体を眺めた。






Eine Widmung für unserem Chaos Klub.







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