悪鬼の晩餐

家宇治 克

鬼の棲む山

 昔、男がいた。

 男は旅をしていたが、ふらりと立ち寄ったある村には、老人しかいなかった。馬の世話も畑仕事も全て老人だけで行う光景に違和感を覚えながらも、その村のおさを務めるおきなの家に泊めてもらうことになった。翁は大層喜んで男を手厚くもてなした。

 食卓には魚や白い米を並べ、男にどんどん食べさせた。たらふく食べさせると、翁は畳を敷いて囲炉裏に火をくべた。

「いやいや、このような所にお若い方がいらっしゃるとは嬉しい限りですな。なんせ見る顔は全てシワだらけ。若いお方は我々にとって眼福の極みでございます」

 翁はそう言って囲炉裏の炭をかき混ぜる。男は村で見たことを素直に聞いてみた。

「この村には若者どころか、赤子ひとりいない。老人ばかりだが、一体どういう事なんだ?」

 男に問われると、翁は長いヒゲを撫でて答えた。

「実を言いますと、この山には鬼が棲んでおりましてな。毎晩若者を襲っては喰らう、大変恐ろしい鬼でございます。どこに隠しても見つけて喰らうため、若者は減っていき、この村に残る若者はあと三人だけ。鬼に喰われまいと皆隠しているんですよ。お陰で畑は荒れ、村は廃れ、ほとほと困っているんです」

「ほう、それは困ったものだな」

「ええ。老人ばかりでは鬼どころか、畑を荒らす狸とて退治できません。このまま若者がいなくなってはこの村は終わってしまう」

 翁は生気のない顔で泣き言をこぼした。弱々しい体で村を案じるその姿があまりにも哀れで、男はついうっかり、「自分が退治しよう」と言ってしまった。

 翁は大いに喜んで、男に小刀を持たせた。

「きっと役に立つだろう」と、そう言って。


 ***


 次の日の朝、男はさっそく山に入った。

 毎晩若者を襲う、と翁が言っていた為、昼は寝ていると思ったからだ。

 山は明け方に雨が降ったらしく、ジメジメとした中を泥にまみれて歩き続けた。

 だが、円を書くように山を登り、ついに頂上にまで着いたが、鬼の住処などありはしなかった。

 一日かけて山を歩いたというのに、鬼はおろか、猪さえも出ない。男は騙された気になった。

 カラスが頭上を飛び、黄昏たそがれの風が吹いて男の体を冷やした。早く村に戻ろうとした時だった。

 茂みの中から音がしたのだ。獣だと気にも留めなかったが、音がするたびに何かが近づいてくる。

 熊だったら?鬼かもしれない。

 男は汗が止まらなくなった。食われたくはない。が、逃げられなかった。

 怯えている間に日は落ち、真っ暗になった。前後左右の分からなくなった山の中はとても危険だ。さらに足元は泥でぬかるみ、木や岩は苔だらけで手をつく場所もない。走って逃げることが到底不可能だった。だからといってどこかで日が昇るのを待つのも嫌だ。

 そうこうしているうちに音の主はすぐそこにまで迫っていた。

 男は翁に託された小刀を構えた。息は荒れ、充血した目は茂みに釘付けだった。体の震えと意志に関係なくもよおす尿意を押さえつけ、切っ先に集中した。

 茂みから現れたのは、この山に不似合いな美しい女だった。暗闇でも目立つ白魚のような肌、黒く重みのある髪は月光に輝き、大きな瞳は男を飲み込むくらい魅了する。女は手にした明かりを高く掲げた。淡い橙色に照らされる女の顔は悲しそうだが美しさがより際立った。

「もしや、私を殺されるのですか?」

 潤む瞳でそう聞かれ、男は「いや、鬼を退治しに来ただけだ」と答えた。女は胸を撫で下ろした。

「まあ、そうでしたか。鬼を退治に……。鬼が出るのは夜だそうですね。このまま鬼を探される気ならば、うちで食事でもいかがです?お腹が減ってはいざという時困りましょう」

 女はにっこりと笑って男に背を向けた。男は女を怪しんだが旅をした中でも一番の美女だった為、その誘いを受けてついて行った。


 女の家は山の奥に隠すように建っていた。玄関を入り、男を囲炉裏の前に座らせると女は障子を閉めて料理を作った。

 障子の向こうから「この辺りでは猪が出ますので、これを食べれば鬼にも勝てましょう」と言われた。が、一日山を歩いたが猪なんて一頭たりとも出てこなかった。男は首を傾げたが、きっと運が悪かったのだと納得した。

 しばらくして障子が開き、男の前に膳が置かれた。それは米以外は皆赤黒く異臭を放っていた。恐る恐る汁物を啜ってみるが、鉄錆てつさびの味がして食えたもんじゃない。

 ちらりと女を見ると、自信に満ちた表情で男の食べる様を見つめていた。女に恥を書かせる訳にもいかず、男は血なまぐさい料理を息を止めてかき込んだ。

 男が料理を平らげると女は嬉しそうに膳を下げた。皿を洗う女に男は一つの尋ねた。

「どうしてこんな山奥に住んでいるんだ?」

 女は「夫の仇討あだうちの為です」と答えた。

「なんでまた仇討ちなんて」

「夫は薪を拾いに山に行き、鬼に殺され喰われてしまいました。残された私はただ泣くしか出来ませんでしたが、夫を殺された恨みは悲しみよりも深いものでした。故に私はここに居座り、鬼が来るのを待っているのです」

「刀も鉄砲も持たずにか?包丁だけでは鬼に勝てまい。失礼だが、か弱き女一人で仇討ちなど出来ようものか」

「その時は料理に毒を盛ってやるのです。ああ、鬼が来る日が楽しみでなりません」

 女の言葉に心を打たれた男は山を下り、一晩中村の中を歩き回った。しかし、鬼に会うこともなく日が登った。

 その時、木が折れるような大きな音がした。その音の方に走ると、馬小屋が壊されていた。大きな手で掴まれたような壊され方をしていた。

 翁は壊れた馬小屋を見ると青ざめた顔で馬小屋の中に入った。そして生気の抜けた顔で戻ってきた。

 男の話を聞いて翁は残念そうにため息をついた。

「村の若者は無事か?」

「いいえ、馬小屋に隠した者が見つかってしまいました。村の若者はあと二人になりました」

「そうか、そうか。早く退治しなくては」

 男は翁の家で少し眠ってからまた山に入った。


 ***


 昨日よりは乾いた山を一日歩く。十数回も頂上と麓を行き来したが、やはり鬼の住処はない。日が暮れるとまた女が現れる。そしてまたまた男を家へと招いた。

「さぁさ、沢山食べて下さいね」

 女が振舞ったのは同じ猪料理だ。昨日と変わりなく赤黒くて臭い飯だったが、鼻が少し慣れたからか息を止めずとも食べられた。

 食事を終えて皿を片付ける女をじっと見つめ、男は村に戻った。

 冷たい風が吹き抜く村をアテもなく歩き続けた。


「あんな静かな山に、本当に鬼がいるのだろうか」


 荒れた畑で朝焼けを拝む男は呟いた。

 二日も山に入ってくまなく探したにも関わらず、鬼に遭遇することはおろか、鬼らしき影さえ見ることはなかった。男は傍らにある木陰に腰を下ろし、頬杖をついた。

 若者は消えていく。だが一向に姿の見えぬ鬼。

 男はだんだん、『自分は騙されているのでは』と思い始めた。

 また村の翁と話をする。翁の側には山を見上げて憔悴しょうすいしきった老婆がいた。翁は老婆を背を擦りながら言った。

「また鬼が出ましてな。この者の腕から大事な大事な孫をもぎ取って行ったんですわ。すみませんが、今日中に退治してはくれませんか。最後の若者だけは守りたいのです」

 切に願う翁には同情したが、男はそれがどうにも信じられなかった。だから、ついうっかり言ってしまった。

「俺は二日も山を歩き鬼を探し回ったが、一度も鬼を見なかった。本当に鬼は出るのか?村を襲う鬼はどんな姿をしているんだ?鬼が出るなんて本当は嘘なんじゃないのか?」

「いいえ、いいえ、本当におりますとも。ですが鬼が襲ってくるのは夜なのです。真っ暗な時だけなのです。暗闇で明かりもないのにどうして姿が見えましょうか。嘘などついておりません。ええ本当にですとも」

 親切心で言い出した鬼退治に、これは嘘だったなどと言われたら預かった小刀で翁を刺していたかもしれない。男は翁の言い分に納得すると、少し眠ってからまた山に入った。


 ***


 何度も何度も行き来し、生態さえ知り尽くした山の中で、男はふと世話になった女のことを思い出した。

 料理は世辞にも上手いとは言えないが男に優しくしてくれる人だ。しかし、夜に家へと招く女を昼に見た事はない。どうして昼に会わないのだろうか。

 何となく女のことが気になりだしてあの家へ行ってみることにした。

 家のある場所に近づき息を潜めて物陰から覗いた。貧相な家の前では女が後ろ足を縛った猪を何とか家に入れようとして、うんうんと唸っていた。猪も前足で土を掻き逃れようと必死で抵抗した。

 女が猪を引きずって家に入ると、男はまた山を歩き出す。猪を捕らえるところを見られたくなかったのだと知り、見なかったことにした。

 ───猪の鳴き声に違和感があった。


 その夜のことだった。またまた女に誘われ家に行く。慣れたあの飯を食い、小刀を抱いて村に戻る。生い茂った草を鳴らし、村の僅かな明かりを目指す。青葉の匂いが風に混じって男の鼻腔を突いた。

 すると遠くから唸り声のような音がした。男は姿勢を低く保って音を辿った。


 ぐぉおおう。

 ぐぉおおう。


 洞穴ほらあなから聞こえてきた熊の声だった。だが男はそれを「鬼だ!」と勘違いしてしまった。鞘を抜き、穴にそっと近づいた。

 不意に女の仇討ちのことを思い出した。亡き夫の為に山に住まう女に、男は手柄を譲ることにした。

 男は急いで女の元へと走っていった。途中、草で腕を切っても気にせず山を駆けた。足をめちゃくちゃに動かした。

 女の顔が浮かんだ。恨みを晴らした女の笑顔が。感謝されるかもしれない。もしかしたら……なんてこともあるかもしれない。男の顔も緩んだ。

 もうすぐ家だ。もうすぐ知らせてやれる。もうすぐそこに──……


 男の顔から笑みが消えた。

 家の明かりは見えていた。女の姿も窓から見える。だが、あの品のある麗しい顔ではない。大きく血走った目に獣のような歯を見せて笑っていた。艶のある髪も酷く乱れ、包丁を研ぐ様はかつて母が語った鬼と同じ。

「なんてことだ。俺は三日も鬼に世話をされていたのか」

 男は悔しさのあまりに地団駄を踏んだ。そして静かに家に近づき、抜き身の小刀を構えた。


「ああ何ていい日だろう。こんなに嬉しい日はないさ。明日にゃ皆腹の中」


 女がそう歌っているのが聞こえた。堪忍袋の緒が切れた男は戸を開けると女の胸に小刀を突き刺した。

 刀を抜き、女は胸を押さえて倒れた。苦しそうにもがき、血溜まりを作る。しかし女の目は男を見つめていた。

 薄気味悪い笑みを浮かべ、男に吐き捨てた。

「くふふははは、私を殺しても意味ないぞ。私は、鬼じゃないからな。本物の鬼はお前の近くにいるのだぞ」

 女はニタニタと笑った。男は収まらない怒りに任せ、小刀を振り上げた。

「やかましい!鬼はお前だろう!」と叫んで女の首を落とした。四肢を投げ出す女の体に男は涙を流した。女は動かなかった。

 鬼を討ち取り、証拠の首を持って男は内心複雑ながら山を下った。


 ***


 村では村人が集まって何やら話していた。農具や松明を持ち、覚悟を決めているようだった。

 男は翁を見つけると、「鬼は死んだ。この女が鬼だった」と事のあらましを話して女の首を見せた。

 翁は女の顔を見て目を丸くしたかと思うと、すぐに男を睨みつけた。

「本当に山の中にいたんですな?」

「そうだ。猪料理を食わせてくれたが、正体は鬼だった。全く、反吐へどが出る話だ」

 翁は骨と皮だけの体を震わせ、ありったけの力で男を怒鳴りつけた。

「なんと愚かな!この娘は村の最後の若者で、あなた様の手助けをしようとした者ですぞ!それを殺すだなんてなんとむごいことをなさる……」

 村人は泣き崩れ、翁は男から小刀を取り上げた。そして血塗れた刃を男に向けた。男は弁明したが、それを翁は許さなかった。


「全て嘘だったんじゃな!猪なぞ、この山には一頭たりともおらぬ!」


 ───ああ、そうか。

 男は納得した。

 村人に敵意と罵詈雑言を浴びせられ、男は満天の星を仰いだ。村人が奇声を上げて一斉に襲いかかってきた。男はそっと瞼を閉じた。

 女の首は手から落ちると、ニタリと笑った。

「だから言っただろう。本物の鬼はお前の近くにいるのだと」


 ***


 朝日が昇る。老人しか居なくなった村は、その老人も居なくなった。男は赤く染まった村を見渡し、小刀を拾い上げた。

 荒れ果てるのを待つ村に背を向け、男はまた山へと入っていった。

 そしてもう二度と下りてくることはなかった。

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