第9回 張華と王戎

 漢文大系本、第3巻、81ページ。

 西暦291~297年頃。



 華尽忠帝室、后雖凶険、猶知敬重、与頠同心輔政、数年之間、雖暗主在上、而朝野安静。戎与時浮沈、無所匡救。性復貪吝。田園遍天下、執牙籌、昼夜会計。家有好李、恐人得其種、常鑽其核。凡所賞抜、専事虚名。阮咸之子瞻、見戎。戎問曰、「聖人貴名教、老荘明自然、其旨異同。」瞻曰、「将無同。」戎咨嗟良久、遂辟之。時号「三語掾」。


 華、忠を帝室に尽くし、后、凶険なりといへども、けいちようを知り、と心を同じくしてまつりごとたすけ、数年の間、暗主かみに在りといへども、朝野安静なり。戎、時と浮沈し、きやうきうする所無し。性、どんりんなり。田園、天下にあまねく、ちうりて、昼夜会計す。家にかう有り、人、其の種を得んことを恐れ、常に其の核をさんす。およそ賞抜する所、もつぱら虚名をこととす。げんかんの子、たん、戎にまみゆ。戎、問ひて曰はく、「聖人は名教を貴び、老荘は自然を明らかにす。其のむね、異なるか、同じきか」と。たん曰はく、「た同じきこと無からんや」と。戎、することや久しくして、遂に之をへきす。時に「三語のえん」と号す。


 張華は帝室に忠誠を尽くし、こうが凶暴であっても敬して重んじる態度をとり、裴頠と心をひとつにして政治を助け、数年の間は暗愚な皇帝が玉座についていても朝廷から民間まで安静であった(291年~)。王戎は時勢にしたがって浮き沈みし、正したり助けたりといったことはしなかった。その性質も貪欲であった。国中に田園を領有しており、象牙の算木で昼となく夜となく銭勘定をしていた。家に美味い李の木があったが、人がその種を手に入れ(て増やされ)ることを嫌がり、いつも種に錐で穴をあけ、中の核を崩していた。かれが賞賛して抜擢する人物というのも、空虚な名声を立てた者ばかりであった。げんかんの子のげんたんは、王戎に面会した。王戎は質問した。「聖人は仁や礼の教えを大事にし、老子や荘子は無為自然を明らかにした。かれらの趣旨は、違っているものか、同じものか。」阮瞻は「タ同ジキコト無カランヤ」(あるいは同じでないこともありますまい)と答えた。王戎はしばらくのあいだ感嘆していたが、とうとうかれを任官した。(どっちつかずの曖昧な答えが、政治を避けてスノッブにふるまう晋の人々の気風に合ったのであろう。)当時、げんたんは「三語のえん」(三文字の返答で抜擢された官員)と呼ばれた(王戎は297年に司徒となっている)。

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