第8回 恵帝と賈氏

 漢文大系本、第3巻、81ページ。

 西暦290~291年。


〔孝恵皇帝〕、名衷。性不慧。為太子時、納妃賈氏。充之女也。多権詐。衛瓘嘗侍武帝、陽酔跪于前、以手撫床曰、「此座可惜。」武帝悟、密封尚書疑事、令太子決之。賈氏大懼、倩外人、具草代対、令太子自写。武帝悦、得不廃。至是即位。賈氏為皇后、預政。皇太后楊氏、乃帝母楊后之従妹。父駿為太傅。賈后殺駿而廃太后、殺太宰汝南王亮、殺太保衛瓘、殺楚王瑋。以衆望用張華・裴頠・王戎、管機要。


〔孝恵皇帝〕、名はちゆう。性、けい。太子と為る時、氏をる。充のむすめなり。けん多し。ゑいくわんかつて武帝にし、いつはりて酔ひて前にひざまづき、手を以て床を撫でて曰はく、「此の座、惜しむべし」と。武帝悟り、密かに尚書の疑事をふうし、太子をして之を決せしむ。氏、大いにおそれ、外人をやとひ、草を具して代対せしめ、太子をして自ら写さしむ。武帝悦び、廃せざるを得たり。ここに至りて位に即く。氏、皇后と為り、まつりごとに預かる。皇太后楊氏は、乃ち帝母楊后の従妹なり。父駿、たいと為る。こう、駿を殺して太后を廃し、太宰の汝南の王亮を殺し、太保えいくわんを殺し、楚王を殺す。衆望を以て張華・はいわうじゆうを用ゐ、機要をつかさどらしむ。


〔孝恵皇帝〕は、名をちゆうという。その性質は暗愚であった。太子となるとき、妃として氏をめとった。これは、じゆうの娘である。彼女は、権謀術数をめぐらせることが多かった。えいかんは、かつて武帝のそばに控え、わざと酔ったまねをして帝の御前に膝をつき、手で床を撫でまわして、「この席が惜しいものです」と言った(帝位を暗愚な皇太子に継がせるのは惜しいとの意)。武帝はその意味を悟り、ひそかに尚書の懸案事項に封をして送り、太子に決裁させてみることにした。氏は(太子が廃されることを)大いに恐れ、ほかの人に依頼し、原稿を渡して答案を代筆させ、太子に自筆で写させた。武帝は(その回答に満足して)喜び、廃されずに済むことになった。かくして今や即位したのであった(290年)。氏は皇后となり、政治に介入した。皇太后の楊氏は、帝の母、楊后の従妹であり、父の楊駿はたいとなっていた。后は楊駿を殺して太后を廃し、たいさいであった汝南の王亮を殺し、太保のえいかんを殺し、楚王のを殺した(291年)。民衆の人望があついことから張華・はい・王戎を採用し、国家の要事を治めさせた。

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