第17回 五丈原の戦い(後編)

 漢文大系本、第3巻、69~70ページ。

 西暦234年。


 亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮営中。未幾亮卒。長史楊儀、整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀、反旗鳴鼓、若将向懿。懿不敢逼。百姓為之諺曰、「死諸葛、走生仲達。」懿笑曰、「吾能料生、不能料死。」亮嘗推演兵法、作八陣図。至是懿案行其営塁、歎曰、「天下奇才也。」


 亮のやまあつし。大星有り、赤くしてばうあり、亮の営中につ。未だいくばくもせずして亮しゆつす。長史楊儀、軍を整へて還る。ひやくせいはしりてに告ぐ。、之を追ふ。きやう、儀をして旗をかへし鼓を鳴らし、将にに向かはんとするがごとくせしむ。、敢へてせまらず。ひやくせい、之がことわざを為して曰く、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と。、笑ひて曰はく、「吾れく生をはかるも、死をはかあたはず」と。亮、かつて兵法を推演し、八陣の図を作る。ここに至り、、其の営塁を案行し、歎じて曰はく、「天下の奇才なり」と。


 諸葛亮の病は重くなった。赤くて光線を放つ大きな星が、諸葛亮の陣営の中に落ちた。それからいくらもたたないうちに諸葛亮は死んだ。長史の楊儀は、軍を整えて帰還しはじめた。それを見た人々が走ってに告げた。は、それを追いかけた。きようは、楊儀に旗の向きをもどして太鼓を鳴らし、今にもに立ち向かうようなふりをさせた。は近づこうとしなかった。人々はことわざを作って、「死んだ諸葛が、生きている仲達を走らせる」と言った(仲達はあざな。「葛」と「達」とは韻をふむ)。は笑って言った。「私は生きている者のことなら推測できるが、死者のことを推測することはできない。」諸葛亮は、かつて兵法を発展させ、『八陣の図』を作っていた。今やはその陣立てを見てまわり、感嘆して「天下の奇才だ」と言った。

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