第14回 街亭の戦い

 漢文大系本、第3巻、68ページ。

 西暦228年。


 ◯明年、率大軍攻祁山、戎陣整斉、号令明粛。始魏以昭烈既崩、数歳寂然無聞、略無所備。猝聞亮出、朝野恐懼。於是、天水・南安・安定、皆応亮、関中響震。魏主如長安、遣張郃拒之。亮使馬謖督諸軍、戦于街亭。謖違亮節度。郃大破之。亮乃還漢中。已而復言於漢帝曰、「漢賊不両立、王業不偏安。臣鞠躬尽力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣所能逆覩。」引兵、出散関、囲陳倉、不克。


 ◯明年、大軍をひきゐてざんを攻む。じゆうぢん整斉に、号令明粛たり。始め、魏、昭烈既に崩じ、数歳せきぜんとして聞くこと無きを以て、略〻ほぼ備ふる所無し。にはかに亮出づと聞き、朝野恐懼す。ここに於いて、天水・南安・安定、皆な亮に応じ、関中響震す。魏主、長安にき、ちやうかふをして之をこばましむ。亮、しよくをして諸軍を督し、街亭に戦はしむ。しよく、亮の節度にたがふ。かふ、大いにこれを破る。亮、すなはち漢中に還る。すでにして復た漢帝に言ひて曰はく、「漢賊ふたつながらは立たず、王業かたよりては安んぜず。臣、きくきうとして力を尽くし、死して後まん。成敗利鈍に至りては、臣の能くむかる所に非ず」と。兵を引き、散関を出で、陳倉を囲むも、たず。


 ◯その翌年、大軍を率いてざんを攻めた。兵陣はきちんと整い、命令は明らかできびきびとしていた。しばらく前から、魏は、昭烈帝(劉備)が崩御してから数年のあいだ静まりかえっていたので、ほとんど備えをしていなかった。突然に諸葛亮が出兵したと聞いて、魏は、朝廷から民間まで恐れおののいた。このとき、天水・南安・安定の諸郡はみな諸葛亮の側に寝がえり、関中は動揺した。魏主(そうえい)は長安に移り、ちょうこうに防御させた。諸葛亮は、しよくに諸軍を監督させ、街亭で戦わせた。しよくは、諸葛亮の指揮に沿わなかった。ちようこうは大勝した。諸葛亮はそこで漢中に退いた。しばらくするとまた漢帝(劉禅)に奏上した。「正統たる我が漢と、逆賊たる魏とは、両立しません。覇王の業が一地方に及んでいるだけでは、天下は安定しません。わたくしは、つつしんで力をつくし、死ぬまではあきらめません。成功するか失敗するか、勝機があるかないかは、わたくしには予知することはできませんが(それでも精いっぱいやります)。」兵をひきい、散関を出て、陳倉を包囲したが、勝てなかった。

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