《8》民から意志へ

 2053年9月。月初めから始まった無人機による小競り合いは、やがて兵士を動員した大規模作戦に移り変わった。日本国内の総発電量の3割を担う北海道旭川無人型原子力プラットフォームを巡るロシア含む北ユーラシア連合特務部隊と自衛隊の衝突は同月16日の日本側のドローン攻撃によって本格化し、国際的な紛争認定を受けるまでに激化していた。


 遠隔制御型主体のロシア共和国側に対し、あずまの戦略型分霊のラーニングが施された自立型の大量投入を行った自衛隊のドローン部隊の戦果は、おおよそ対等な戦闘と呼べるものではないほど一方的かつ壊滅的な打撃を侵攻側に与えることとなる。

 連合側の一個大隊分の兵士、戦車や航空機といった搭乗戦力も含めた総戦力の60%が、日本側のわずか200人程の砲兵と観測員、そしてあずまの手足とも言える無人機軍によってもたらされ、発電所をめぐる戦いは1週間も経たずで終息することとなる。


 毎年迫りくる氷河と大寒波による資源の減少の著しい北ユーラシア連合諸国はこれに対し、打撃の大きな北方各国に加盟を促し続け、連合はその規模を大陸を超えて肥大化させていった。手近かつAI産業における最大の成功国への攻勢に失敗した彼らが次の目標に定めたのは、技術供与による一定の成果を発現し始めていたアメリカ、そして中国であった。

 同年12月、現地アラスカ軍の蜂起から始まるアメリカ大陸での大規模侵攻作戦、大陸の国境付近で始まった中国ドローン軍と連合軍の衝突は資源量や錬度の関係から膠着の一途を辿り、開戦から3か月が経過した2054年2月、中国は近隣の技術先進国であった韓国と日本に同盟の締結を打診し同月28日、アジア技術開発同盟「ASA」が発足された。大陸での紛争が終息したのはそのわずか2週間後の事である。


 そして2054年3月12日13時46分。ロシアのウラジオストクにてASA加盟諸国の代表と北ユーラシア連合との間に重兵火器類を含む輸出入規制、及び連合諸国に対する高額なライセンス料でのあずまの分霊の貸与を定める休戦協定が定められた。

 近代史において3度目の国家間武力衝突は、「戦争」と呼ばれる間もなくその幕を閉じたのである。



#################



 2087年11月15日。その年のその日は珍しく穏やかなであった。眩い陽光と柔らかな潮風が降り注ぐ行楽日和。実に7か月ぶりの外出休暇を送っていた西園寺春実は三河湾を望むフェリー乗り場のベンチの背もたれから体を起こし深呼吸をした。潮風の匂いと頬にあたる日差しによって軽い眠気に誘われて少しの間眠っていたのである。


 ベンチの周りには日課の散歩に勤しむ老人や、学期始まりの実習授業中の小学生の姿が見受けられるが、目線の先から真っ直ぐに近づいてくる男の姿に西園寺は心地よい日向から業務用の冷蔵室に放り込まれたような不快感を覚える。


「お疲れ様です」

「おう、よく来るのかここには?」


 やってきたのは相良であった。比較的暖かいとはいえ15度前後の気温の中でもラフな半袖姿でやってきた彼の右腕や首周りにはいまだに再生治療の処置に使用された人工たんぱく質の結合痕が所々見受けられた。西園寺はリュックサックに飲みかけの乳酸菌飲料を放り込んで自分の隣のスペースを慌てて譲ろうとするが、本人はすぐに他所に行くと断り、ベンチのひじ掛けの横に立ったまま話を続けた。


「あっちの海岸、小さい頃よく親に連れてきて貰ったんです。海の向こうの景色が気になって。いつか行こうと思ってたんですけど、なかなか機会が無くて」

「三重だったか?」


 頷く声にも表情も明るいものであった。本来であれば人懐っこく誰に対しても分け隔てなくフレンドリーに接する彼女の本来の性格からくる口調であったのだが、相良にとっての西園寺は1課に来た後の姿だけである。

 理想と現実の乖離を数多く叩きつけられて沈みつつも目の前の任務に打ち込んできた姿しか見ていない彼にとって、幼き日の思い出を薄いながらも笑顔で語るその佇まいは違和感を感じる物であった為、早々に仕事の話に主題を戻そうと彼は懐から個人用のメモリードライブを西園寺に差し出した。


「次の仕事だ」

「……早いですね」

「都内に潜伏する抗団員の所在が判明した。月末までに足場を固めて摘発にまで持っていく。荒事の備えくらいはしておけ」


 話を聞いても西園寺の心は次の仕事の方を向いてはいない。彼女の心の中心には同僚や上司、そして守るべき市民の凄惨な死に様と、あのどす黒い人影がこびりついている。武器の一切も持たずに山盛りの死を積み上げていったあの光景も脳内で半自動的に反芻してしまっている彼女を見ても、相良は普段通りのペースで会話を続けた。


「怖いか?」

「相良さんはどうなんですか……?」

「怖いさ、当たり前だろ?逃げる理由にならねぇってだけだ」

「私だって!……逃げたりなんか……」


 喉の中腹まで上がってきた言葉を飲み込み再び西園寺はうつむく。波の打ち付ける音がより激しさを増し、気が付くと辺りには人影が少なくなっていた。

 相良はメモリーをベンチにそのまま置き、用は済んだとばかりに早々に背中を向ける。スニーカーが土を擦る音が遠ざかり始めると西園寺は顔を上げ弱弱しくもはっきりとした仕事口調で彼を呼び止める。


「……次の招集は?」

「明後日だ。駐屯所射撃場内に11時集合。班長が直々に鍛え直してくださるそうだ。……期待しとけ」

「分かりました。お疲れ様です……」

「あぁ、お疲れ」


 脇に置かれたメモリーを拾い上げる頃には相良の背中はあっという間に遠ざかっていた。ラベルに書かれた小暮直筆の「要確認!」の文字と脇に添えられた顔文字を見て西園寺の頬は僅かに上がる。

 波の音は激しさを増す。舞い上がった飛沫はベンチのすぐ前にまで届き始め晴れ渡っていた青空は灰色に覆われ始めていた。

 

「駄目だな……。できる事、しないと!」


 一瞬の奮起でエンジンに種火が灯る。走り続けるには十分とはいえないまでも西園寺の中は仮初の闘志を心に充填し、ベンチから勢いよく立ち上がるとカーッと息を吐いて自分の来た道を歩き始めた。


「どうでした?」

「どうもこうもない、使い物にならなきゃクビを切るだけだろ」

「僕はやる気ですよ!」

「知ってるわ」

 

 相良の私物であるオープンカーが海浜公園の外で待機していた。運転席の榊は目立たないために私服に着替えさせられており、怪しくなってきた雲模様から家路を急ぐ人々に紛れる相良を見つけると自ら車を寄せて、わざわざ下車してドアを開けた。

 過剰な気遣いは不要だとの相良の注意にも榊はいたって真面目に返す。


「ゆっくり構えていてください!気遣える時に気遣わせていただかないと」

「死相でも見えんのか?」

「どうでしょう?」

「いいから出せ、冗談言った俺が悪かったよ」


 車が発進し辛うじて感じていた暖気が風速によって冷やされていく。詫びをいれながら屋根を出すためにターミナルに手を伸ばそうとする後輩を相良はまた不要と言って制止し、背もたれに体を預けると後ろに流れていく景色をぼんやりと眺めていた。


「相良さん?」

「前見て運転しろ。昼時だ、なんか食べたいものあるか?」

「いえ、自分は仕事中ですから!」

「私用に付き合わせてる時点で非番みたいなもんだろ、遠慮すんな」

「そんなことありません!使っていただけるだけで幸せですから!」


 相変わらず悪気無く厚意を無駄にする後輩連中にため息をつき、運転を任せて瞼を閉じる。晩秋の空は暗雲で覆われ始め、束の間の安らかな日常に彼らは自らの意志で幕を引いた。



#################



 外務省事務次官室。ジオフロント名古屋の一角、地下1700メートルの大空洞内にそびえたつ200メートル程の高層ビルという奇妙な構え。事務次官の山岸やまぎししょうとその秘書は先程までの来客への対応を終え、次の会合に向かうための荷造りを行っていた。

 一国の外交を担う責任者の仕事部屋としては打倒、悪く言えば面白みが無いとも言える「らしい」内装で飾られた部屋の中で自ら荷物をまとめる山岸のもとに地上の中継所を介した超光速通信がかかり、自分の仕事を奪われて焦る秘書の立つ瀬をさらに奪うように山岸は早々に受話器を取る。


「―――。君も随分しつこいね、何度言おうが考えは変わらないと伝えたはずだが」


 ここ数日の間、幾度も聞かされている声に辟易とし受話器を片方の手で押さえながらもう一方で別件の書類にサインをする山岸。目の前の秘書が声を出さずハンドサインで「時間がない」との旨を伝えるのを見て優し気に頷くと、電話口の相手に対しての口調はますます厳しさを増した。


「……もう決めたことだ。既に相手方の代表にも話を通してある、スケジュールはズラせん。再来月の就任式後に正式にマスコミに向けて公表するつもりだ」


 相手方の返事を待つことなく1分にも満たないやり取りの中のその殆どを自分の主張に費やし、山岸は一方的に回線を切った。


「どのようなご用件で?」

「いつもの催促さ。若僧め、分かったような口を利く。こちらは気にしないで準備を進めろ、北海道は遠いぞ」

「そのような些事でしたらこちらで対応いたしますので、出発までお休みになってください!」

「そうもいかんさ」


 秘書よりも早く荷物をまとめ終えジャケットを羽織る。薄めのグレーに染められてきた頭に防寒帽を被せて支度を完了させると、山岸は受話器を一瞬見やりため息を1つ。そして本人にしか聞こえないような声でつぶやいた。


「事が済むまではな」

「お待たせいたしました!」

「おう、では行こうか」


 山岸の荷物を秘書が半ば強引に引き取り2人は部屋を去る。自動的に1つずつ順番に電源が切られていく部屋の中での最後の一瞬、再び鳴ったコール音は誰の耳にも届くことなく消え去った。



#################




「食べないんスか?先輩」

「食うわ。人の狙う前に自分の食え」

「先輩こそ冷める前に食べてくださいよ、麺が泣いてます」


 リニアレールの通る高架下のチェーン店。昼の陽気も忘れ去られた15時20分、牧田まきた京弥きょうやは休日の寝坊のツケと言わんがばかりの遅めの昼食を前の職場の後輩と2人で貪っていた。


「わざわざ起き掛けに人の事呼び出しておいてやることがコレって。おじさんも室長も心配して損でしたね全く。全然変わってないんだから」

「らしくないな」

「何がっスか?」

「いや、人の事心配するような奴があの部屋にいたんだってことがさ」


 牧田にとって半年ぶりの緩み切った会話。聞き手で頬杖を突きもう片方につまんだ箸でスープを手繰りながら白濁の中を泳ぐ煮卵を眺めている。

 2人の後ろ、創業50年の老舗の自動ドアが風にがたつく音を耳に挟みつつ、半年ぶりの再会と2年ぶりの先輩からの奢りをぺろりと平らげた後輩の三小田みこだ聖翔せいしょうであったが、久々に見る隣の4コ上の雰囲気にこの前まで感じなかった何かを感じつつ、その正体を言い表す言葉をずっと探そうと脳内の辞典をめくり続けていた。


「そっちはどうしてる?」

「相変わらずって言いたかったんですけどね、実は静岡ウチも含めて所轄の人員の異動が多くなってるみたいで、周りの課の連中が騒がしいったらないです」

「初耳だな、お前らはどうなる?」

「どうスかね、藤枝署ウチの理工はそもそも他県にまでパシらされてばっかりですから」

「出先がマズそうならコッチに来るか?多少なら口も利けるかもしれないけど」

「お気持ちだけ頂きます。不便な山奥で先輩の慰み者にされたくありませんし」


 大方、法律の守り手として相応しくない言葉を並べ立てる様子を牧田に足で指摘されるも三小田は悪びれる様子も無く締めの杏仁豆腐をオーダーする。店内のテレビ画面では夕方の情報番組内が天気コーナーに移り変わり、夕刻間もなく降り出した雨が激しく成る予報が伝えられてきていた。


「テレビは相変わらずですか。みやこなら真実が見られるとかなら分かりやすくていいんスけどね」

「どこの国の童話だそれ。ほらコイツ、任せるぞ」


 自分の獲物を平らげて口元を整えると牧田は1枚の光ディスクを三小田に差し出した。

 おおよそ今現在では主流ではない物理ディスクの表面には黒マジックの手書き文字でデカデカと「極秘!」と書かれている


「趣味変わりました?」

「俺じゃない、こっちの先輩がさ。すぐ書いちゃうんだよこういうの」

「へぇ~。本庁ってつまんない奴が行くとこかと思ってましたけど、案外遊び心ある人もいるんだ」


 悪気無く三小田は牧田の心に爪を突き立てる。無駄口ばかりったく後輩にデザートを書き込むように催促し嫌々ながらも飲み込ませると早々に帰り支度を始めた。


「暇は無さそうで安心しました」

「俺としては連休が恋しいよ。呼び出して悪い」

「次は肉でも奢ってください」

「考えとく、頼むぞ。何か分かったら連絡くれ」


 会計を済ませて外に出ると太陽は北風に吹き流された後で、分厚い雲に覆い隠された空の隙間から湿り気を含んだ猛烈な冷気が降り注いでいた。飲み干したスープによって温められた2人の白い息が風下に急速に流されてゆく。

 三小田が帰りのリニアまで見送るという牧田を丁重に拒否し、遅めの昼食をご馳走になった礼をして店の前で半年ぶりの交流が解散された。しかしお互いに5メートルほど進んだところで牧田が背中越しに自分を呼び込める声を聞いて振り返ると、三小田は緩めのアンダースローで今度は最新式のメモリードライブを投げ渡してきた。

 

「昨夜の内に仕入れた候補です。一眠りしてからゆっくり確認してください!」


 雨脚から逃げるように駆けだした後輩の背中を見送ると、牧田は渡されたを目で確認すること無くポケットに放り込み、再び今の自分のねぐらへの帰路に就いた。


「寝る暇が惜しけりゃ来てないっての」


#################



 日差しは薄雲にすっかり覆われつくし外の世界が灰色に染まりつつある17時。 警視総庁の特装1課室内で受話器を片手に畠山は眉間にしわを寄せ続けていたが、保留音が途切れて帰ってきた返答に力が抜け受話器を下ろした。


「何度目ですか課長?」

「18回目、日を改めろってさ」

「他に早急な用でもあるのでしょう。或いはウチが軽く見られているか」

「後者っぽいな~。このご時世で電話が使えるのだけはありがたいけど、やっぱり不便だよこれは」


 官用として内容を記録される国有回線での会話でさえ個人回線規制法と無人禁止条例の元では電信士の手での中継が義務付けられている。その為に業務内容以外の長距離通信には許可取りも含め時間がかかるのだが、運悪くキャッチが入った為に不調に終わったようであった。


「出張帰りを狙うしかありませんね。それでは……」

「ん?今日は早いね」

「傘を忘れてしまって。降られたくはないですから」


 空模様は風の機嫌を表すかのように激しく変化している。下に見える植樹の揺れも大きくなり天候の乱れが如実に表れ始めていた。日頃から仕事道具の殆どを持ち帰っている清水の身支度はその規模に比べて恐るべき速さで終わり、畠山の視線が雲の動きから室内に戻ると既に帰るだけの格好になっていた。


「課長もお帰りになったらどうですか?見たところ濡れそうですので」

「そうさせてもらうよ。気を付けてね」

「では、お疲れ様です」


 1人部屋の取り残された畠山。デスクの後ろに何か当たる音が聞こえて振り向くと2、3粒の水滴が窓に付き始めていた。広い間取りの片隅に並べられたワークスペース、4つあるデスクの内の1つで畠山はイスに深く腰掛けて窓の外を眺める。


「賑やかになるかと思ったんだけどな」


 ぽつりと独り言をつぶやくと入室確認のベルが鳴り響く。直接話すのは3か月ほど、部屋に入るのは初対面以来ではあったが、当時の様子とは似ても似つかないほどに落ち着き払った仕草で1課室に入ってきたのは律儀に制服に着替えて登庁してきた西園寺であった。


「ごめんねお休み中に」

「いえそんなことは!御用は何でしょうか?」


 立ったまま早々に自らの使命を果たそうと息巻く部下を見て軽くため息をついた畠山はその意気に応えるために自分も早々に本題に入った。自分のデスクの2番目の引き出し、その下面に付いているナンバー式ロックを解除して入っているメモリーを取り出して彼女に差し出す。当然ながら手書きの文字や古めかしいテプラなどが付いていない最新式の暗号化が施されたメモリースティックだ。


「急ぎの用じゃない、けど大事な仕事がこの中に入ってる。追手連絡があるまで目を通しておいて欲しい」

「明後日の招集とは別件ですか?」

「うん。ある人物のプロフィールがそこに収められてる。警務省が独自につかんだ要人暗殺計画の首謀者だ。今度の蜂起に乗じて動き出すんじゃないかと言われててね」

「あっ、暗殺!?」


 単語の圧力に思わず後ずさりする西園寺。大方現代の法治国家であれば聞きなじみの無い単語であるから至極真っ当な反応であった。

 畠山は蹶起の当日、警務省直轄の捜査機関である特警と共にこの人物の捕縛を頼むとのこと。そして身柄を特系に抑えられる前にこちらにまで連れてきて欲しいことを伝えると、用はそれだけと言って退出を許可した。だがなかなか歩き出す気配の無い西園寺に何か自分からの要件があるのかと聞くと、彼女は改まった様子で話し始める。


「私、三重向こう側にいる頃は今の日本がここまで危険なところだと考えてませんでした。警察は所轄や県警ごとに情報系統が分割されていて、中京の中の事も東京抗団がここまで大きな組織だということも。今でも人は当たり前に死ぬんだということも……」

「戻りたくなった?」

「……いえ!むしろ来られてよかったと思います!本当に危険に晒されている人達を守ることができる!今の警察官として、私がいるべき居場所だと信じています」


 風切り音を響かせかつての警察官の様な型通りの敬礼を披露すると。深々と一礼をして西園寺は退出していった。窓の外では曇り空がどす黒く染まり始め雷鳴の足音が迫りつつある。畠山は部屋の照明を落として自分の仕事道具を引き出しの中に流し込むと、一足遅れで自らも部屋を後にした。


「いるべき、場所ね……」


























 血とは兵士である。兵士とは一である。戦場において一は千を指し、万を指す。

そして万を死に至らしめる物こそが、「兵器」である。


 無菌防塵処理の施された純白の部屋。使う者の繊細かつ怠惰な嗜好に合わせてデザインされたこの仕事部屋で、1人慌ただしく動き回りながら独り言を吐き続ける白衣の女がいた。一切の雑音もそよ風すら入り込まない疑似的な真空の中で常に生み出される思考と二酸化炭素を排出し続ける彼女のデスクの奥、窓越しに広がる作業台では無数のロボットアームによる部品の組み立てが行われている。


 椅子にもたれかかりながら首筋を掻いて考えを膨らましているところ、入室許可を求めるシグナルがデスクのスクリーンに小さく表示され、一拍も間を置かずに彼女は内線のスイッチを切り替えた。


「勝手に入って良いっていったしょ?出るの面倒臭いんだから早く来て来て」


―この間はノックで入った瞬間に昆布茶ぶちまけられたんだけど?―


「忘れたね。いいから早く!喋らな過ぎて口が痛いんだ」


 電子ロックが開き訪問者が入室してきても部屋の主は出迎えることはせずにひたすら思考実験の中で自問自答を繰り返していた。訪ねてきた女はそれに慣れた様子で荷物を下ろすことも無く、備え付けのウォーターサーバーから白湯を拝借する。


「そんなババ臭いもの飲むくらいならお土産にコーヒーの1杯でも持ってきてよ」

「刺激は控えてんの、飲みたくなくても飲まなきゃいけないときの為にね。例のモノ貰ったらさっさと帰るわ」

「ヘーヘー、現金な友達なことですわ。ホレ」


 デスクの上に置かれた物理ディスプレイを取り外しそのまま訪問者に手渡す。タッチパネルでページを送りながら内容に目を通し始めるのを確認すると、白衣の女はキャスターの付いた椅子に座ったまま部屋を滑り、自分もウォーターサーバーで一服し始めた。お湯と反対の蛇口からは熱い昆布茶が出てくる。


「また随分と盛ったわね。軍にでも持っていくつもり?」

「まっさか、そんなもんシロウトが着たら捻じり切れちゃうから!あの子専用調整、特注のワンオフ。感謝しろ~」

「耐えられるの?」

「それは本人次第。慣らしてあるにしたって5、6年のブランクはキツイよ。こればかりは実際使わんと分からんね」

「分かった。本試験は?」

「再来月。活発化するまで余裕なくなるけど、殺したくないでしょ?」


 タッチパネルを返却し、訪問者の女は湯飲みの白湯を一気に飲み干して出ていこうとすると、背後から飛んできた何かを肩越しに右手でつかみ取った。


「それで慣らし方のベンキョーでもしときな」

「ありがと、でも先に渡してよねこういうのは」


 平らで薄い正方形をバッグにしまい込み、滞在時間1分にも満たずに客は帰っていった。返されたパネルに映る図面を見ながら初老の女はほくそ笑む。まるで自信作の料理を恋人に振舞う直前かの如くその目は輝きに満ちていた。


「あぁそうだともな、早い方がいい。早く手に入ればその分だけ、壊す楽しみが増えるんだものな。そうだろ子島ねじま?」


 灰色の絶縁体で舗装された地下通路に足早に打ち付ける踵の音色。俗世から隔絶された地下深くの火薬庫の中で、AMADA技術開発部元次席はこれから起こる光景の想像図を展開し僅かに頬を緩ませていた。

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