二章

《6》同士から君へ

 静。かつてこの国の頭脳、思想、欲得が敷き詰められた灰色の都市。退廃の足音が聞こえてくる間も無い程の速さで輝きを失ったこの街の中では、人の為の音鳴ることは無い。

 

 煌びやかに人々を照らしたナノプリズナによる電飾技巧も、納められた物の質とは反比例するように透明度を増していった高層ビルの壁面も、今はかつての威厳の欠片も放ってはいない。それを使う者たちが存在しないからだ。


 不要な道具は朽ち果てる。より早く、より脆く。そしてこの街はまだ崩れ去ってはいない、それを欲する者がいるからだ。


 プレゼンテーションを終え昔の自分の足跡をなぞるように、安藤あんどうたぐいは東京の街を歩いていた。地上では身を切り裂くほどの冷気が吹きまわり、建物の中を見ればそこら中に転がるむくろと対面した。

 大きい者、小さいもの、細いモノ、崩れかけた物。乾いた世界で放置されたそれらに1つ1つ手を合わせながら回るその姿を見て、後ろについて回る小さな影はため息をつく。


「今の彼らには理解できないわ。もう悲しむことも喜ぶことも無い。貴方の行ないに意味は無い」

「自己満足で結構、ここに来た目的も似たようなものだ。退屈なら向こうで待ってても良いんだよ?」

「あんな辛気臭い顔に囲まれながらじゃ休めない。知ってるくせに言わせないで」


 残骸を一歩一歩踏みしめ2人が辿り着いたのは、先端を行くかつての技術都市の中で異彩を放つ石造りの線対称。灰色の中に荘厳とそびえるそれの艶やかさはたとえ苔に覆われようと失われてはいない、類はそのように感じていた。


 国会議事堂。その名で呼ばれた建物の中を類は突き進む。外の退廃具合と比べ、入る建物の中は無傷そのものだ。長年放置されたことによる劣化などはあっても無数の暴力を受けずに過ごし、2人の歩みを阻むものは何も存在することは無い。


 静寂の中を突き進み、やがて半円状に席が並んだ大広間に出た類は7年ぶりに見たその光景に再び息を呑む。其処には生命の痕跡は無い。議席に椅子は無く一定の間隔で並ぶ硬く四角い”頭脳”が扇状に鎮座する。名札には人の名前ではなく無機質な製造番号が刻まれており、類はそれらの真ん中を突き進みながら最奥の議長席に向かう。


 ここがこの国のかつての頭脳だ。向かう先も、自分たちの生き方もその術も、全てここで生まれていった。人間が決めるべき取り決めをここで作っていたのは「命無き意志」。数として100以上、人を超えた頭脳が作る未来をただ享受していた時代が終わりのまま停止したこの時を再び進めるために、たぐいはここまでやってきたのだ。


 広間の最奥。人間の代表が立つべき議会の中心部分。ターミナルに電力が来ていないために沈黙したままのそれに、類は手の中に納まるほどの大きさの半球の接続を始めた。小型の原子電池。効率よく扱えば飛行空母の1隻は容易く動かせるそれを起動すると、彼らを中心に青白い光の層がオーラのように広がり始めオーラに触れた”頭脳”達は覚醒を始めた。

 1人、また1人と、命の時間に縛られない議席の”彼ら”が思考を再開し始める様子眺め、類は息をついた。


「私は悪か?」

「そんな立派じゃないわ、良いとこ『アクトー』よ」







 2051年5月2日。多分野におけるあずまの専門技能のラーニング全工程が終了した。前世代機であるシキが発電分野の全ラーニングを終えるまでの時間が1年であったことを考えればその速度は桁外れであり、技師達はそれを「成長の進化」と呼んだ。


 寒冷化の進行スピードは年々深刻さを増す。屋外での農耕事業が不安定化してきたことを受け、まず政府がかのAIに任せようとしたのは地下インフラの管理であった。

 当時、関東地方に建造されていたジオフロントでの温耕栽培は収穫量が安定せず、低収益と労働環境の過酷さから労働者の大半を占める若者が国防軍へと流れたことによる人手不足が管理の不足に拍車をかけていた。


 実用試験の結果は上々。温度管理、効率的な作付け、体への影響が出ない品種改良などの数えきれない改善を、あずまは自身のキャパシティの1%にも満たない領域でやってのけた。ジオフロント関東はわずか20人の管理事業者と全自動ロボットアームだけで東北6県の総人口1年分の食糧を賄うことに成功したのである。


 その後も交通、製造、上下水道や通信にまで。様々な分野に分岐し人の代わりにその事業をあずまは担うようになり、2054年、前世代機シキから発電の分野を引き継ぐ頃には、この国の国営産業7割に当たる分野の管理をこの肉無き意志が担うようになっていた。

 

 当然それを見た海外は黙っていない。当初、裏工作やサイバー攻撃によってその技術の端切れだけでもかすめ取ろうとしていた先進諸国は、あずま自身のセキュリティの前に膝を折り、その技術の貸与を正式に依頼してくるようにまでなった。

 これに対し政府は開発に関わった技師たちを各国に派遣。途上国先進国問わず、定額のパテント費用と引き換えにあずまの機能縮小版を拡散させることで、世界のエネルギー、食料問題は10余年ぶりに回復の兆しを見せることとなった。


 諸外国は送られたモノの品質の高さと対応の速さ、加えて国際的な企業スパイまがいの行為を露見させないために素直に与えられたAI のラーニングと運用に終始していた。しかし地球規模の環境問題への打開策が一国の手中に握られていることに対して、異を唱えた国が1つだけ存在した。氷河の浸かされつつある北方の大国、ロシアだ。







「視界は良好、温度も安定している。凍結は心配いらなそうだ」

「近くのトンネルに生命反応無し」

「カメラは?」

「大丈夫、磁気センサーも対策済みだ」

「皆、気合を入れろ。中に入ったらまっすぐ議事堂を目指す!」


 中京都、地下1700メートル。隣接する商業区画からの連絡用通路。現在は使われていない第34区画から伸びたトンネル接続部分で行われる会話。集まった男女混合20余名、全員が自動小銃ライフル対人ナノミサイルで武装したこの小規模な集団がこのジオフロントへの侵入を始めようとしている。


「かなり古いが、大丈夫なのかこれ?」

「文句言うな、1つづつ貰えるだけマシだぜ?」」

「いいか、目標は災害省の大臣だけだ。他に構ってる暇は無いぞ」

「分かってる。何か月もかけて準備したんだ。内部の構造はみんな覚えてるさ」

「位置を知られる危険があるから中に入ったら通信はできないぞ。速攻で決める、いいな!」


 先頭の男が音頭を取り、周りがそれに対し気勢を上げる。1人が原型が分からないほどの違法な改造PENをエアロックのセキュリティに繋ぎハッキングを始め、いよいよ進行の始まりまでのカウントダウンが始まった矢先、後列の1人が辺りを不審そうに見まわし始めた。


「どうした?」

「いや、途中の機材は全部停止させたはずなんだが、探知機から影が消えなくてな」

「どのあたりだ?」

「真横だ、ここの」


 ソナーをいぶかしみながら男は自分たちの真横の壁面を観察してみる。青黒いカーボン舗装の壁面は長年の使用によって当初の艶を失ってはいるが、強度は全盛期からほとんど衰えておらず堅牢である。

 

「この隣に連絡路は?」

「いや無い、隣の道は140メートル上だ」

「どういう……」


 不審感が2人の間で育ち始めたその時、壁面の一部が赤熱し始め、瞬く間に爆発音と共に弾け飛んだ。衝撃によって2人の体は宙を舞い、気づいた先頭集団が振り返ると、そこに立っていたのは特注の強化装甲服ギアスーツを伴って駆けつけた警視総庁特殊装甲1課の5人であった。


「手ぶらになって伏せろ!次はお前らのどてっ腹で試してやるぞ!」

「09」

「失礼!全員武器を捨てて降伏しろ!」


 小柄な先頭の隊員が両手で抱える突入用ヒートスタンプの丸い平面状の先端は周囲の景色が歪むほど高く熱せられており、襲撃犯達はあっという間に高温と壁に挟まれ追い詰められる形になってしまった。


「うあぁぁぁ!!!」


 追い詰められた者の1人が狼狽の内に引き金を引く。信管が作動し火薬が燃え、銃弾が放たれる基本的な殺傷方法。昔と違うのはたとえ非合法な手段をとったとしても、装甲を貫くような強力な弾丸を彼らが扱うことは出来ないということだ。

 対人用の安価な炭素製の液化弾薬は人の皮膚を吹き飛ばすには十分でも、ネオチタン製の装甲に対しては全く歯が立たない。次々に放たれる20、30の黒い塊はその殆どが立ち塞がるギアスーツの装甲の表面を汚す程度に留まった。


「抵抗の意思を確認、班長反撃許可を」

「自由に撃て」


 非情な号令を合図に装甲を纏った2名が仕事を開始した。下手したてに抱える3連装の銃身が回転を始めて半拍も置かずに黒い砲火が賊達に浴びせかけられる。

 

「散れ!皆散らばれ!」

「どこに行けってんだ!」


 自分達の使う物の10倍以上のペースで浴びせられる液化弾薬は撃ち抜くのではなく削る。彼らの着るジャケットや作業着の表面は段着と同時に発生した熱で炭化し崩れる。そこから露出した皮膚にまた弾薬が付着すれば、まるで体をバーナーで炙られるような苦しみだろう。

 先頭の集団が熱さに喘ぎながら崩れ落ちると後列のメンバーに被害が及び始める。遮蔽物も存在しない一本道への弾幕を同士達の肉壁でふせぎながら、先頭のリーダーと技術者は未だ隔壁のロックを破ろうとしている。


「早く解錠しろ!」

「後ろを見捨てるのか!?」

「これは俺たちだけの戦いじゃない、背負っているものの大きさを考えろ!」


「07、レートを上げろ」

「これ以上死人が出かねませんが」

「殺す気で来ている奴に容赦するな」

「了解。10、2000セカンドまで上げろ」

「了解」


 バレルの回転率が上がり瞬く間に目の前の人海が崩れ落ちてゆく。ついに砲火は先頭の数名に迫り、リーダーの男が解析担当者を叱責し始めた。


「男が喚くなみっともねえ」


 上手側、07のコールサインで呼ばれるそれがその様に吐き捨てると、回る銃口を左右に振っていよいよ仕上げにかかる。実働班長、仁藤圭介の号令によって弾幕が止むと、彼らの目の前には地面に伏せる熱傷者の山とそれを見て立ち尽くす襲撃犯の技術者、そして憤るリーダーの姿であった。


「マルダイは?」

「生命反応24、心肺停止および意識不明者確認できず。一応はゼロだな」

「最奥の2名、いまだ健在です」


 1課達の銃口は未だに目標を捉え続ける。スピンアップを止めないことはいつでもを始める用意があるという意思表示だ。開閉用のコンソールに置かれた手を震わせ自分に対して投降を訴えかける技術者を横目に、彼らのリーダーは肩を震わせながら力強い視線を銃口を向ける1課に合わせる。


「満足か!故郷を追われ、家族も友も隣人も奴らに奪われた私達を痛めつけ、その答えがこれか!貴様ら誰1人として己の意志で立ち塞がってはいないだろう!我々は東京を追われた者たちの代表とし一欠けらだけでも人間性を残しているのなら、我々の要求を聞き入れ事実を国民に対しっ……」


 語りの終わりを待つことなく代表の男の体は強烈なショックウェーブによって背後の鋼鉄壁に叩きつけられ、一拍も置かずに隣の技術屋も同じ末路を辿ることとなった。


「イチキューロクじゃあるまいし。いい歳してジャンヌダルク気取りか」

「全対象沈黙。要救護者12、その他負傷他多数。119に繋がれたしどうぞ」

「作戦終了。奥の2名を回収後帰還。現場を救急に引き継ぐ。ご苦労だった」

 

 構えたミニガンのスピンアップがようやく止まり、最後にはなったエアダスターの排莢を終えると、5人は期間の為の回収作業に入る。突入と火器担当以外の2名、02と06の2人がそれぞれリーダーの男と技術者を抱え上げ、彼らは入ってきた急造の坑道へと戻る。


「たまには楽な仕事もいいもんだな」

「さっさと帰ろう、救急に見つかると面倒だ」


抱えたミニガンをマウントラッチに回しながら後ろに付く10。匿名での救急要請を終え放置していくケガ人たちを心配する姿に02は釘を刺した。


「終わったことに目を向ける暇があるなら、明日の過ごし方でも考えていろ」

「は、はい……」


 赤熱する抜け道で歩を進める5人の後方には、既に通報を聞いて隣のプラントの救急隊員たちの声が響き渡る。迅速な対応に内心感謝しながら、黒くただれ表皮が抉れた腕や背中を庇いながらうずくまって苦しむ彼らの声に、1人の歩みのペースが乱れる。


「早くしろ10、置いてかれたら帰れなくなるぞ」

「了解です……」


 成功の甘露を上手に味わうこともできないまま、西園寺春実は帰路に就いた。ここにきてから何度目かの仕事であるはずなのに、常に彼女にとっては新鮮な現場になってしまうことに自分自身苛立ちを感じ始めていた。





「ホントですかそれは!?」

「34です。2052年生まれの」

「なんと、牧田君と同年代のように見えました」

「年相応だと思いますが……君はどう思う?」

「ご苦労なさっているように見えますね」


 同日、特装1課豊田駐屯所。数々の装備品の調整を行う技術棟の待機スペース。ススの擦った跡や乱雑に扱われて散乱する雑誌類が乗せられたテーブルを囲んで怠惰を貪るのは理工班の2人、位置づけとしては新入りの牧田と先達である小暮こぐれ直人なおひと技術中査。そして牧田をここに置いた張本人である安藤あんどうたぐい警務省局長だ。


「あぁ牧田君そんな!局長殿申し訳ありません!」

「いいですよ、身近にもっと辛辣に言ってくる者もいますから。彼のそういう素直なところも私は買っていますしね。貴方もそんな見え透いたおべっかは止めてください。ここではそんなもの役に立たないはずだ」

「ハハハ!それはまぁ、確かに」

「要件を仰ってください。何も駄弁ダベりに来たわけではないでしょう」


 安藤の差し入れのコーヒーを人数分のカップに淹れて席に戻った牧田は、自分のクライアントにも等しい彼に対しても毅然と接する。実力主義が蔓延る場で育ってきた者として、彼の判断基準は”合うか合わないか”だけだからだ。そして安藤は合わない側の人間である。


 差し出されたカップをすぐさま拾い上げ香りを鼻腔一杯に取り込むと、安藤は天井を仰ぎ見ながら恍惚とした表情で再び2人に視線を戻す。最古参ではあるものの、現場の技術畑としてまず接することのないだろう上司の特異な行動に思わず面食らった小暮こぐれは、生まれて初めて見る飲み物の香りにも困惑し口をつけられず、水面をまじまじと観察している。


「大丈夫。特段変な味はしませんよ。少し苦みがありますのでコレでお好みに合わせてください」


 そういう安藤は自分のバッグからカプセル状にまとめられたミルクをいくつかテーブルに置いて小暮に勧めた。


「祖父の時代によく飲まれた物だそうです。南米産の豆を煎じて砕いた物を煮出して作るそうですが、残念ながら日本ではなかなかありつけないもので」

「紅茶の次はコーヒーの思い出ですか?」

「今は無き物を尊ぶ余裕を知って欲しいのさ。ここに居るような人たちには特にね」


 カップに口をつけ立ち上る湯気ごと中身に吸い付く安藤は、黙したままその動作を3回程繰り返すと真剣な面持ちに変わり本題を切り出してきた。


「ウチの情報課が東京抗団の襲撃計画を掴んだんだ。場所は宇都宮地下部に位置する第65農耕プラント。決行は28日、これの阻止を頼みたいんだ」

「何故私達に?課長か班長に直接お伝えすればいいはずでは」

「畠山君とはどうにもそりが合わなくてね、仁藤君に話を通すのだとすれば、君から提言してくれた方が君自身も色々とスムーズに行くと思うだが?」


 余計なお世話と言いたいところであった牧田であったが、実際のところ安藤の言ううことは半分以上的を得ている。半民営化されているとはいえ監察官の立場である警務省の命で1課に移った自分が、配属されてからの約5か月間作戦への参加を許されていないことからも、自分が歓待されていないことは明白であったからだ。


「ん?失礼します!」


 内線の緊急呼び出し音に小暮が飛びつき、挨拶もそこそこに帰還後の整備のために部屋を飛び出していく。対暴徒のフル装備一式で出動していた実働班たちが帰還したとの報告を受けた為だ。

「仕事熱心だね彼も」

「遅れただけ仕事が増えますから。私達の仕事はそういうものです」


 自分のカップを既に空にしていた安藤が感心する姿に対して牧田の反応はやや冷ややかである。この4か月、結成以来特装1課の整備関係を1人で背負ってきた男と供に過ごしてきた身として、外野からの知ったかぶりじみた感想は些か以上に不快に感じるらしい。

 本人としては素直な感想としての発言であったのだが、意図せず目の前の理系青年の感情を逆撫でしていることを察し、安藤は意識のベクトルを話の相手に集中させた。


「誰だってそうさ、この国では特にね」

「どういう意味ですか?」

「誰かの苦労まで背負い込もうとする人が多いということさ、今日捕まった彼らも」


 今日の襲撃予告の情報も警務省の情報網からのリークを安藤が牧田を通して1課にも伝えたものだ。やたら芝居じみたこの男の語り口にうんざりしているということもあるが、それ以上に牧田は、内心尊敬している先輩が退出したのを幸いと、この男が自分にだけ本題を切り出してきたことに対して不快感を覚えていた。


中本なかもと省吾しょうご、今朝の作戦で捕縛された襲撃犯の1人。電脳技師免許を持つ技術者で以前はAMADAに勤めていたこともあるやり手だ。機災以降国内の対ウイルスプログラム要件の受注件数が大幅に減ったことを受け、今年の2月に解雇されている」

「それが何か?」

「彼は28日のプラント襲撃にも参加する予定だった人物だ。幹部待遇の彼なら襲撃犯の名簿かそれに準ずるものを受け取っているかもしれない。私が来たのはその為だ」

「内偵捜査に1課は過剰戦力と?」

「そんなところさ。とはいえ正直に打ち明けたのでは当たりが悪い。頼み事ができるのは君ぐらいだからね。取り調べの際に聞き出して欲しいんだ」

「担当の者がおりますので、門外漢は大人しくさせてくださると嬉しいです。すいませんがこれで失礼しますね」


 整備室では既に小暮の手によって装甲服の解除と洗浄が行われていた。牧田は少ない人員の穴を少しでも埋めるべく安藤を残し部屋を後にしようとするが、ドアロックの認証ぺネルに手をかざそうした際の問いかけに引き留められた。


「あの子は元気かい?」


 部屋の真ん中に意識が戻る。牧田は逸る気持ちを抑えゆっくりを声の元に振り返ると安藤は先程までと変わらない様子ではにかみながら手招きをする。


「……えぇ。ご期待の通り、何不自由なく育っていますよ。ここは環境がいい」

「それはそうさ。ここまで閉塞的な環境は現代には数少ない。オンライン的な環境は無いに等しく、都市部からの電波の受信には中継が2つは必要だ。無垢な存在をありのままの姿で育てるには絶好の場だと思うよ」


 安藤は、牧田がここに赴任する際に提示した条件の1つである「贈り物」についての進捗を知る目的もあってわざわざここを訪れていた。牧田にはそれがまるで書き途中の日記帳を横から覗き見られるように面白くない事であった。


「今は大事な時期ですので、他所からの空気に当てたくないんです」


 テーブルに近寄ることなく扉の前から放たれる言葉は今まで以上に冷徹で、牧田の瞳には明確な嫌悪の情が映し出されている。こと上司に対してとる態度としては最悪以上の最悪であろうが、安藤はむしろそれを喜ばしい事のように笑い返した。


「まぁそこまで言われては無理にとは言えないな。専門家の言葉には大人しく従うべきだ」

「……」

「近いうちにまた来るよ。その時には”お喋り”ができるようになっていてくれると嬉しい。それではね」


 手の中で綺麗に拭き終わった自分のカップを荷物にしまい込んで席を立つと、安藤は警戒を解かないままドアの前に立ったままの牧田にすれ違いざまに告げた。


「君の仕事は平和を守る事じゃないんだ。そのことを忘れないでくれよ」

「……分かっています」


 急ぎであったはずの牧田を部屋に残して廊下を歩むその背中はいつも通りまっすぐに伸び、通り過ぎる者たちの視線を一点に集める。安藤は周りの取るに足らない意識に感情を向けることなく、再び自分の住処に帰っていった。





 時刻は16時を廻ったところ。普段の彼らの活動からすれば大捕物と言えるような規模でもない些細な犯行未遂であったが、そもそもになることの方が貴重な武装集団の作戦としては今日の成果は珍しい。


 急な客人を通すための尋問室ゲストルームの用意が無いこの駐屯所では音が漏れるのを気にする必要はない。

 担当するのは相良さがら安志あんじ統括事務長。数少ないデスクワーク派の彼が襲撃阻止に参加した実働班3人と供に、射撃演習場に設置された仮設の尋問所で捕らえた2人の内のにインタビューを始めて2時間が経過したところであった。

 

「食が細いみたいだな、口に合わないか?」

「施しは受けない、それに菜食主義だ」


  白湯をすすり自分の道具である喉を潤す。相良さがらは尋問の際に相手を拘束するようなことはしない。それには必要以上の威圧感を与えないようにする他に相手が自らの意志で抵抗するのを防ぐ意味合いもある。故に傍らには捕まえた本人たちを待機させているのだ。

 

「次は明日の朝まで出ないぞ。薬でも入っていると思っているなら安心しろ、そんな手間はかけない」

「田舎者め、回りくどくせず聞きたいことを聞けばどうだ?」

「さっきから質問してる!本当のことを言えよ!」


 尋問される側の後ろで吠えるのは初めての実戦を終えたさかき勇吾ゆうご中査長だ。1課に配属されてからおよそ半年が経過し、厳しい訓練期間からの初任務の成功に浮足立つ彼は、四面楚歌ともいえる状況でも自分たちに膝を屈して白状しない中本に対して苛立っていた。


「武器の出所だ!幹部待遇ならどこから入って来たかぐらい知ってるだろ!」

「何度も言っているだろう。私は抗団の代表者たちに金で雇われただけだ。あそこに集まった誰一人の名前はおろか、襲撃の目的さえも聞かされていない」

「お前の隣でご高説を垂れた男も、ただの日雇いだと言いたいのか?」


 穏やかな質問にも激しい恫喝にも質問にも返す答えは変わらない。

 炭素の雨によって黒く焼け爛れた右腕は再生化フィルムで3重ほどに覆われて痛みなど感じるはずもないが、技術屋はわざとらしくその右手をさすりながら二言目には「弁護士を呼べ」の繰り返しだった。


 作戦終了からそのまま尋問に移った為に安藤以外の3人は疲労から気が急いていく。それぞれが必死に事態を進めようとする中で、部屋の外に訪問があったと外の隊員が伝えてきた。


「理工の牧田が中に入れろと言っています」

「っク!


「ちぃっ、俺が行きます」


 返事を待たずに持ち場から離れた榊は、乱暴に開け放った2重の防音扉の向こうで待つ牧田の顔を見るや否や、室内で見られたものの3倍は激しい剣幕で突っかかってきた。


「何の用だ?!スーツの整備をしろよ」

「中の奴に聞きたいことがある。警務省からの特命だから他の皆にも外すように伝えて欲しい」


 出会って半年。お互いの立場に違いはなくともその人となりは把握している。榊は自分の表情筋で表現できる最大限の不快感を表現すると、頭1つ分ほど下にある牧田の目を見据えながら一瞥し部屋に戻ろうとする。


「……聞こえたか?」

「あぁ、だけどな……俺は仁藤班長から部外者は入れるなと命令されてる。お前の頼みを聞く義理は無い」

「警務省はお前の上役でもある」

「何度も言わせんな!小綺麗なスーツ組の言うことなんか気かねぇって言ってんだよ!」


 廊下に怒声が響き渡り、すぐそばの看守役の隊員や曲がり角から顔をのぞかせた職員などが一斉に2人に注目する。榊の拳は今のところ相手に向かって伸びてはいないが、この2人の相性の悪さを知る者たちには一触即発の光景だろう。


「俺は誰の部下でもない……、俺が従うのはあの人だけだ」

「どうでもいい。早く開けてくれ」

「調子づくなよ!国のお抱えか何か知らないが、ここは1課の仕事場だ!外様とざま者がおいそれとは入れる場所じゃねぇんだよ」

「私はお前の聞き分けがない部分まで褒めた覚えはないぞ」


 火花散る2人の間に割って入ったのは1課実働班長、仁藤にとう圭介けいすけであった。

 今しがた高速通信で警務省からの要請があったことを知らせる。それは先程牧田が安藤から頼まれた内容と全く同じものであった。

 

「警務省の監査が無ければ、民間からの支援で存在している我々の活動は透明性を失う。国民からの信用が得られなければ我々の仕事は成り立たん。それがどれだけ正しいものだろうとな」

「班長!」

「文句は後にしろ。牧田も同席は許す。だが話は全員で聞きかせてもらうぞ。お前も私もコイツも含め情報は全て共有させてもらう。いいな?」

「……分かりました」


 1人が出ていき2人増えて戻ってきた。仮設尋問室の中では相良が正攻法でのやり方に限界を感じ疲れからため息をついていたが、仁藤の姿を認め瞬時に背筋を伸ばした。


「どうしました班長?」

「尋問を代わる。警務省からアレに対して聞きたいことがあるらしい。牧田にやらせるからしばらく下がっていて貰えるか?」

「牧田に?そういうことが得意なタイプには見えませんが大丈夫ですか?」


 部屋の真ん中で1人テーブルに着く捕らわれの男は、目に疲労の色をにじませながらも、その中に抵抗の意志を残している。

 牧田が向かいの席に腰を下ろすと榊は男を挟んだ向かいの壁に立ちふさがり、威圧的な視線を両名に投げつけ始めた。


「初めまして。警視総庁特殊装甲1課理工班班長の牧田京弥です。中本省吾さんですね。貴方に警務省から質問があります。正直に答えていただければ特別措置としての減刑が認められる可能性がありますので協力してください」


 牧田がテーブルに置いたPENの立体表示モードで映し出したのは、安藤から渡された襲撃計画図。設備の位置、当日のシフト、細かい侵攻ルートなどが事細かに記載されている。中本は先程までの冷静さを欠いた様子で目を見開き、計画図の端から端から端まで穴が開きそうなほど観察した。


「どこでこれを?!」

「これは関東第65地下プラントの内部図です。貴方を含めた東京抗団のメンバーが28日にここを襲うという情報を元に、今日の襲撃阻止が立案されました。警務省からの要求は28日の襲撃犯の全名簿です」


 中本は次第に息を震わせ始め、相良との対面時には決して出さなかった表情を浮かべる。不安と焦りだ。精神防壁など施されていない民間の技術者上がりであればそれを自らの中に押しとどめるのは容易なことではない。


「誰が漏らした!」

「それは応えられません。貴方にお教えすれば報復の阻止の為に減刑措置自体も無くなりますよ」

「この情報が真実だとすれば、お前は今日の襲撃後に今回のグループを離れて他の抗団員と合流する手はずだったはずだ。だとすれば複数の犯行グループを統括する元締めでもいるのか?」

「おっ、俺は何も知らない!何も喋ってなんていないぞ!」


 相良の援護射撃に動揺し、中本は思わずこちらの質問の外まで答えそうになる。


「抗団内での派閥争いか」


 入り口近くの大後ろで話を聞いていた仁藤のそのつぶやきに、中本が特段強い反応をするのを認め相良は、自分たちは法的な執行機関ではなく民間の治安部隊扱いである為、この事実を公表しないこともできると付け加えた。

 情報の開示と引き換えに身柄の保護を約束すること。決して自分が口外したことを外部に知られないことを条件に、中本は6日後の襲撃班員の名前を話し出した。


 15分の口述が終わり中本が勾留室に移されると牧田はいの一番に部屋を後にしようとする。


「飼い主に伝えに行くのか?」

「榊」

「本当の事ですよ。こいつは配属されてから1度も作戦に参加していないんです。駐屯所ココにいるうちは皆自分が持つ情報は共有すべきだ!それなのにコイツはお役人と組んで自分だけ高いところから見下すように……」


 牧田は答えなかった。仁藤に装備の調整に入ると伝えて去る背中越しに、榊からの刺すような視線を感じながら部屋を後にする。廊下をしばらく歩いて人気のない区画にまで到達すると、今まで胸の中で張り切っていた緊張の糸を放り投げるかのように身震いして胸の内を吐き捨てた。


「じゃあお前がやってくれ!」




 レンジとガンラック部分を遮る仕切りが取り払われブラインドが上がる。両脇の窓から夕陽が差し込む臨時の尋問室の片付けが進む中、仁藤はすぐさま行動に移った。


「相良、装備と人員を集めろ」

「出立は?」

「明日だ、宇都宮坑道に向かう。予定通りにさせるわけにはいかないからな」

「では、課長に報告を」


 慣れ切った様子で命令を受諾し、相良他隊員たちが一斉に散開する。

 彼は迷わない。ただ防ぐ。ただ崩す。自分らの望みを押し通すためだけの暴力に対して、最大級のしっぺ返しをお見舞いするために準備する。それだけが彼の活動原理だった。

 西日に照らされる部屋を最後に去っていく後ろで揺れる標的の胸には、その全てにそれぞれ1発ずつ風穴が穿たれていた。

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