一章

《1》人から道へ

「いいの?」


 仕事が終わり、自分の目の前の空席に視線を落として思慮にふけっていた安藤に少女は怪訝そうな声をかける


「何がだい?」

「彼みたいな人、あなたが一番きらいなタイプだと思ったから」


 空のマグカップを傾けながら安藤は笑った。


「人間にはね、仕事上の好き嫌いと人柄の好き嫌いがあるのさ。そのどちらでも買っているってだけだよ。僕は彼をね」

「よく言うわね、友達なんていないくせに」


背もたれを掴む手に退屈さから生ずる苛立ちを露骨に表すと、少女は安藤の座るイスの足を蹴り飛ばして外に出て行ってしまった。


「手厳しいな……、とはいえもはや余裕は無い」


「残る手札を幾つに増やせるか。今の僕にできることはそれしかないんだから」






 2043年、それまで人類達が危惧していた惑星規模の温暖化への動きが突如として止まり、代わって地球は急激な寒冷化へと舵を切り始めた。

 原因は定かではない。地殻変動による自転軸のズレだとも、どこかの国の科学実験による大気組成の変化とも様々な説が飛び交ったが、一つだけ確かなことは「人が今までのままで生きていけなくなってきた」ということだ。

 ある国はその国土の9割を氷に閉ざされ、北極は大陸と地続きに。野生の動植物の大量死が起こり資源を巡る争いが各所で勃発した。

 飢餓、紛争、感染症の流行。この世の災厄を鍋底で煮詰めたような暗黒の7年が過ぎ繁栄の灯の揺らぎが大きくなっていたある6月、その数の3分の1を減らすまで至った人類にそれは救いの手を差しのべた。

 人類が産み出した命無き魂……「AI」である。





 2087年4月14日7時37分。空は雲一つないほどの快晴。朝の通勤時間帯でごった返す中京都名古屋市栄生駅前の歩道に、今日からの職場へ急ぐ西園寺春実さいおんじはるみの姿があった。


「あ”ぁ”~!やっちゃったやっちゃよぉぉー!」


 道行く会社員や学生たちの間を警察犬さながらの俊敏さで駆け抜けながら、彼女がここまで急ぐ理由は無論「遅刻の危機」である。 


 先月末に警視総庁特殊装甲1課での勤務を言い渡された期待の星が、引っ越しを終えて明日からの勤務に備えて眠りについたのが昨日の午後9時半の事。自身の朝の弱さを予期して朝6時までに計25個のアラームを用意して万全の態勢をとっていた彼女に待っていた結果は、「日付の設定を明後日に間違えていた」という悲しい結末であったのだ。


 改札からホームへ稲妻の如く一直線に駆けあがり、車両に飛び込んだ彼女の額には大女優の涙ほどの大きさの汗が浮かぶ。

 

 1課の始業は8時ちょうど。リニアレールと慣性制御装置で激しい発停車にも対応できるこの列車でも、乗り継ぎを含めればかなりの瀬戸際と言える時間だ。

「もう馬鹿馬鹿、なんでこんなことするかな全く私!」


 心の中でひとしきりの悪態を自分にぶつけ終わると列車は早くも名古屋駅に入っていた。扉が開くと同時に駆け出したい気持ちを押し殺し、人の溢れるホームを今世紀最速の足運びで疾歩しっほする。幸いにも目的のあおなみ線は今まさに発車しようとしているところで、西園寺自身、自分の悪運の強さに感謝した。

「はぁー!なんとか間に合うかも……!」


 リミッターを外したツケが彼女に押し寄せてきた。汗をかきながら寒空の下を全力疾走し、直ぐに暖房のきいた社内に入った彼女の体の周りにはまるでミストサウナ上がりの様な湿気と熱気が漂っている。加えて酸欠で頭がくらくら捨て来た彼女は、初日のご褒美と自分を納得させて、珍しく席に腰を下ろした。


 振動を感じさせず駆動音やレールの摩擦音なども無いリニアレールの車内では自然と人の話し声や車内広告の音声などが耳に入ってくる。新学期の始まりに浮足立つ高校生、視覚にばかり訴えるせいで肝心の味が伝わってこないファストフードチェーンのCM、向かいの車窓に流れるこうカーボン製のビル並び。汗を拭いて目線を流す西園寺の目に流れ込んできたそれらの景色の最後にそれは映り込んだ。


 赤いベンチコートに暖パン、荷物少なで補助用のバーを掴むその顔には、寝不足やストレスなどによる疲労が色濃く浮き出ている。少なくとも彼女にはそう思えた。


「どうぞ!」

 

 考えるよりも先に行動に起こすことが彼女自身が考える己の美徳だ。


「……―」


 男はため息をつきながら手元のPENに落とした視線を上げようとしない。目の前の善意にはまるで気付かない様子だ。


「あの!あなたです!ミスター!お譲りしているんですよ、どうぞご遠慮なく!」

「……ん、はい?」

 

 まるでミュージカル俳優かと言わんばかりの挙止動作と声量を通勤時間帯の車内で浴びせかけられて気付かないはずが無いが、男は一呼吸置いてその対象が自分だと確信を得たように彼女に聞き返した。放った弾が相手に命中して得意気な笑みをこぼし、西園寺は男を自分が座っていた座席に促す。


「あぁいえ、お気遣いなく……」

「いいえ!見たところだいぶお疲れのご様子ですよ。仕事までの少しの間だけでも私の様な若輩者が力になれるのであれば!ささどうぞどうぞ!」

 

 背中に回り込まれそうになると男は瞬時に旋回し西園寺に相対する。彼女が右に回れば左を、左に回ろうとすると右に向く。同じ車両の乗客たちの視線をに集めながら、列車は西園寺の降りる駅の一つ前に到着していた。


「もう!なんでそう無碍にするんですか!」

「貴方こそいらないお節介でしょう!」


―次は、荒子川公園。荒子川公園―


「あ!もう!?じゃあ私はこれで!少しは親切に目を向けて生きてくださいね!」

 

 開いたドアから飛び降りて早歩きでホームから瞬く間に消えた背中を追っていると

男はドアが閉まるギリギリで降車しけだるげに首を回した。


「アレってもしかして……、そうでないことを祈ろう」




 中京都警視総庁。10年前の災害後に行われた遷都と法律改正に伴って公安・警察・自衛隊の一部が集約し解体再編された、現代日本における最大規模の治安維持団体。その総本山である。

 

 度重なる人口減に比例した税収の減少によって運営できなくなった公共事情の中で真っ先に民営化された警察は、その資本を厳正に審査された有志による資金援助と、国内企業との業務提携によって維持する形となった。

 既にその資本元は国内外問わず、中国、韓国、シンガポールなどの戦後のアジア諸国同盟「ASA」からのものが大部分を占めていた。

 人口減によって海外系の犯罪組織流入に対応すべく、警視総庁は各所轄から優れた人材を集め首都に配置している。西園寺春実もその例に漏れず、総庁配属試験の模擬演習で中部地方一位の座に輝き今ここに居る。


「あ"ぃぁぁぁー!」


 もとい、今ここに着く。エレベータを待つよりも早く、磁器舗装された廊下を蹴りつける音が次第に階層を上がっていき、ついに13階。特殊装甲1課の課室前に到着した。時刻は7時59分46秒。劇的なゴールシーンを迎え西園寺は疲れつつも晴れ晴れしい爽やかさを纏いながらドアを叩いた。


「申し訳ありませんでした!時間に余裕のない行動など日本の平和を預かる身として些か以上のっ、」

「あのぉ?」


 後ろから突然話しかけられて西園寺は思わず課室の扉に張り付いた。声をかけたのは特装1課経理、清水周平である。


「お忙しいところ恐縮なんですけれども廊下ではお静かに。もしも班長に視られれば面倒なことになりますので」

「もしや1課の方で?!自分はっ……」

「あぁ大丈夫ですよ。データは既に警務省の方から頂いています。実働への配属かと思ったんですけど」

「へ?」

「どうぞ中へ。課長がお待ちです」


 手慣れた仕草で静脈スキャンを行い課室の扉を開けると、そこはまるで過疎地帯の市役所のごとき活気だった。

 

 会議室4つ程の広さに余裕を持って並べられた執務机が3台。床には児童館の様な起毛カーペットが敷き詰められ、奥まった部分、茶色の不規則な大きさの水玉の上のデスクに特装一課長、畠山桃蓮はたけまとうれん中部の姿があった。


「あぁ!良かった良かった。応答がないから心配しましたよぉ。無事に到着できたようで何よりです。もう駐屯所の方はご覧になりましたか?」

「え?あのそれはどういう……」

「急拵えですが段階を踏んで拡張する予定ですのでご安心を。挨拶がまだでしたね。では改めまして、特殊装甲一課長の畠山です。呼び方はお好きなように。皆からは『とうちゃん』って呼ばれますけどね(笑)」

「そう呼ぶのけんさんだけでしょ」

「周平、余計なこと言わない!」


46歳のキャリアが赤面しながら一回り以上年下の事務員に注意する光景をいきなり浴びせかけられ、西園寺の頭はここまでの疲労とあまりの処理の重さに完全にフリーズしていた。


「もし?」

「……ハッ、はいぃぃ!」

「デスクを決めておきたいのでこの中から選んでくださいますか?ちなみに窓際の席は課長のお気に入りですのでナシでお願いします。」

「どうしてもというなら検討の余地はあるかもしれないけどね」

「で、ではこっちの左側の席を……」


 こじんまりした執務机には、何故か歴史物のノンフィクションで見るようなカードリーダーや物理キーボードがあらかじめ用意されている。

 古典趣味でもあるのかと不思議に感じつつも、荷物を机の上に下ろし限界まで回転していたタービンを休めようと腰を下ろそうとした次の瞬間、廊下側からロックの解除音とともに課室のドアが開け放たれる。入ってきた顔に既視感を感じ西園寺が疲れ目を凝らすと、先程自分の厚意に迷惑そうにしわを増やしていた理屈っぽい顔が引き締まった表情で入ってきた。


「あーー!」

「あぁ、やっぱり……」

「え?もう顔見知りなんですか。最近の新人はみんな仕事熱心で怖いな~。もう顔合わせ済みだったとは」

「一人で勝手に納得せんでください」


 この場で一番冷静な事務員が駆け寄り、男のマイナンバーの確認を求めた。IDを確認し終え、悲し気な目線を西園寺に向けると清水は残酷な事実を彼女に告げる。


「場所間違ってます、西園寺春実さん」

「へ」

「ここは特装1課の管理局室なんですよ。隊員のスケジュールとか外からの仕事の窓口をする場所なんですけど、今入ってきたこの方は……」

「牧田京弥、今日付で理工大査として特殊装甲1課に配属になりました。よろしくお願いします西園寺さん」

 

 彼女が自分の軌跡と今日の失敗を重ね合わせ、これから自分の取るべき行動を行動を考え終わった瞬間、そこから離れた特殊装甲1課豊田駐屯所にて、実働班班長の仁藤圭介にとうけいすけは朝の訓練メニューの全てを終わらせたところであった。


「班長!班長!仁藤班長!」

「うるせいわ、一回言えば分かる」

「今清水から入電がありまして、新人二人とも事務局からこっちに向かってるとのことです」

「まぁそんなとこだろうな、あの腑抜け、一応トップに話を通しておくだけの勤勉さは持ち合わせてるらしい。」


 初老の肉体派は隊員の一人に今日配属された新人二人の事の顛末を伝えると、本部への迎えを彼に頼んだ。


「お言葉ですが、初日の集合時間に遅れるような奴らにそんな下手に出ていいんでしょうか?」

「1人は俺が呼びつけたんだ、もう1人はその通りだが。どちらにせよ人員の補充の為にも2人には生きてここまで辿り着いてもらわなきゃならん。そのための案内としてお前の1課としての初めての仕事だ。頼まれてくれないか」

「分かりました、任せてください!」


 憧れの上司から初めてのお使いを頼まれ、若き機動隊員は目を輝かせながら飛び出していった。


「二人、か……」




 警視総庁、特装1課室前で西園寺は1人嘆いていた。本人の本意でないにしても他県でエリート扱いであった彼女にとって、今日の失敗は「新人としての自分の印象」に直結すると確信していた為だ。今の彼女の頭の中は、昨日の晩と今朝のリニアの乗り換え時に何故気付かなかったのだろうという後悔の念で満杯になっている。

 ガラス張りになった中央部の吹き抜けに視線を落としていると、背後の課室から牧田が現れた。


「移動しましょう」

「左遷ですか!?」

「そっち《異動》じゃないです!駐屯所から迎えが来るそうなので屋上の発着場まで移動しましょう。送迎付きとはバブリーなことですけど」

「ばぶりー?」


 本部には垂直離着陸機用の発着場が上層階に複数個設置されており、緊急通報があった場合隊員はそこから出動する。気まずい沈黙を続けながら二人は直通の専用エレベータホールに到着した。


「先程は申し訳ありませんでした!私的な感情に従って人前で恥をかかせてしまって。」

「別に気にしませんよ。疲れたように見られるのには慣れてますので」

「あのそれで、今度は何故自分と一緒に?」


 落ち込みながらも自身のフルスロットルに近いテンションで質問をしてくる同僚に牧田は本当に疲労を覚えそうになる。質問を終える前に到着したエレベータに乗り込むと、籠は2つしかない階層表示の中を急速に移動していく。

 静音処理された中で暫しの沈黙の後に、1つ年上の上司が口を開いた。


「一課は主に管理班と実働班で構成されてます。管理班から受注された通報や依頼などに選考された隊員達が当たり、出撃に際しては国からの出動状が必要になる。ここまでが所轄での仕事と異なる点だと言うことは分かりますか?」

「えっ?!はい!一応……」

「何よりです。あなたと一緒に挨拶回りとなると一応の確認が必要になると思いましたので」

「あの、それってどういう……」


 言い終わる前にエレベータは目的階に到着した。扉が開くと既に両翼の可動式推進機を稼働させた状態で、垂直離着陸機ハミングバードが発着場で待機している。


「お前らか新入りぃ?!」


 エンジン音を突き破るほどの声量で二人を呼びつけたのは特装1課実働班、榊勇吾さかきゆうごだ。


「こんな所まで先輩に迎えに来させるとはいい根性してるな、流石は警務省のお偉いさまに直々に編入されただけのことはある」

「牧田京弥、理工大査。そちらは?」

「榊。中査長だ、今はな。そっちのは?」

「!……さ、西園寺春実、小査長です!」


 乗り込んだ2人が席に着いたのを確認すると、警務省本部から離れた豊田市内の実働班駐屯所へと移動を開始した。

 

「あの、どれくらいで到着でしょう!?」

「片道40キロだ、コイツなら10分もかかんねぇよ」

「中査、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「中査長だ!質問なら着いた後にしろ!」


 おおよそ適性検査を通らなさそうな態度で操縦を続けるさかきに対して牧田も怯まずに接した。輸送スペース内の内線を使って

榊の操縦席のヘッドセット通信で直接質問を続ける。


「何故本部に電算室を設けなかったんです?」

「知るか、そんなもんお前が班長に聞け?」

「この1課では実戦指揮は全て?」

「あぁ、仁藤圭介”准視じゅんし”が統括してる。畠山課長は事務方の責任者ってだけだからな」

「新設のAI研究班の人員については……」

「うっせぇぞ!屯所に着いたら自分で見て回れ!落っことしてやろうか!?」


 悪態を最後に回線が強引に切断された。薄暗い機内の中で外様とざま隊員二人は再び気まずい沈黙に陥った。


「……機械にお詳しいの、羨ましいです」

「はい?」

「いえ!自分はロクに目覚ましも掛けられないほどのオンチでして。あぁやって専門的な話を聞いていると、同じ警察でも自分とは全く別の人種なのだとつい思ってしまって」


 今朝というか1時間半ほど前の失敗を思い出して自嘲しながら話す西園寺。だが牧田にはそれを冗談として返すほどの社交性は無い。西園寺にとっての鬼門が機械関係なのだとしたら、彼にとっての鬼門こそ「初対面の人間との雑談」に他ならないからだ。


「まぁ、そういう人もいますよ……」


 父親のいとこに話しかけられた息子というくらいにテンションの低い受け答えでラリーが終わりかけたその時、機に入電があった。

 10年前から民間からの通報が極端に減少したのを機に、警視総庁では都内の全監視カメラに対する緊急介入権の行使を開始。それを統括・制御するのが総庁地下の大通信指令室である。

 

「こちら特装09、通報の内容確認お願いします。」

「こちら岡崎署、保久ほっきゅう駐在所!国道301号線上に制限速度を大幅に超過したハープを一台確認。恐らく"はぐれ"無人車両と思われる、至急現場の対応に当たられたし!」

「こちら09、優先度の高い任務の為急行できない。豊田警察署に応援を要請後その場の署員で対応せよ」


 要請を断ったのは榊だった。通報を受けた西園寺が驚くのをしり目に牧田が再び操縦席に乗り込んで理由を問いただしても榊はさっぱりとした表情で操縦を続ける。


「どうもこうも現状この機の操縦主は俺で、俺の最優先任務はお前らを豊田第一駐屯所まで送り届けることだ。第一たかだか乗用車一台が過疎地帯を勝手に走ってたところで危険なんてほとんどない。どうせ向こうからのwifiにでもしたんだろ。そういう雑務は交番連中に任せとけ」


 答えながらレーダーのチェックをする榊を横目に、牧田は空の副操縦士席に乗り込むと自分のPENをターミナルコンピュータと繋いで操作を始めた。そして榊が隣の席での異常に気づくまでの一瞬の間に操縦権を副操縦士側に移し替えたのだ。


「おい、どういうつもりだ!」

「通報の現場を確認に行きます」

「話聞いてたのか!?今は屯所にっ……」

「現場で最も階級が高いのは私です。301号線での発生案件を最優先事項とし、支給現場に急行します!」

「私もそうするべきかと、豊田署から陸路で急行しても時間がかかります!」


 ヘッドセットからの西園寺の激しい同意と隣の目かの専門家からの実力行使により、榊にとれる手段は力をもって本来の業務へ軌道を修正するか、現時点での傍観の二種類のみになった。

 しかし、いかに言動の奔放なこの新米機動隊員にといえども、班長からの命で運んでいる新人二人に危害を加えることには流石に慎重になった。


「俺は責任は待たないぞ!やるならお前の独断だ、班長に報告させてもらう!」

「ご自由に」


 機が大きく方向を変え南下を開始する。両翼のジェットエンジンのノズルが角度を変え機体は都市郊外へと降下し始めた。

 眼下に目標の国道をとらえ、地上30メートルほどの距離にまで道路に近づき、道沿いに減速推進を始めた。平日午前中の一般道であるにも関わらず、都市部から少し離れると交通量は著しく減少し、確認できる車の数は片手の指で数えられるほどであった。


「あれか!」


 直結させたPENに表示させた探知機の表示で、何かを確認した牧田が指さし下方で水色の軽乗用車が爆走している。


「やっぱり旧車種だ、どうせ震災前に作られた野良車両だろ?!」


 ふらふらとした挙動と古めかしい塗装具合から、通信制限法施行以前に作られた自動運転車両だと隣の席で不貞腐れる榊は断定した。しかし牧田の目が映し出した像から得た情報は、彼の言うものとはいささか異常に異なっている。


「傷が少なすぎます。通常無線暴走車ではハンドリングが不安定になり、他の車両や壁への衝突を繰り返すことで無数のへこみは擦り傷ができますが、あの車両には一つも無い」


 目の前に片手で差し出された分析結果を見ても、榊は変わらず自分たちが対応するような事件ではないと主張を続ける。

 

「操縦を返します。速度を上げて、回り込んでください」 


 との類似点を数多く確認した牧田はそう一言告げた後、急に操縦権を榊に返上して貨物室に戻る。


「おいなんだよ急に!どうするつもりだ!?」

を止めます!」

「降りて受け止めるなんて言い出すなよてめぇ!」


 素直に追走を続けながら文句をたれ続ける榊を受け流すと、兵員用の席の隣に設置された武器庫を開いて西園寺に聞いた。


「射撃に自信は!?」





「小部、目標は林添駐在所を通過し以前都心部へ向かっているようです」


 駐在所からの要請を受け、豊田警察署から出動した装甲パトカー4台と現地の警察官7名が豊田市九久平町とよだしくぎゅうだいらちょう端、巴川沿いの三叉路を封鎖していた。


「車種はハープで間違いないのか?」

「はい、14年前のモデルだと報告を受けてます」

「東京機震災前の製造車種か。長いこと面倒をかけてくれる……。目標を確認次第マグナロで、ターミナルごと破砕処理を行う。各員持ち号線」


 号令がかかり、刑事3人が爆裂磁力矢「マグナロ」の投射台の設置を始める。金属目標に高い命中率を誇り、刺さった内部で爆発するというその兵器で車両を跡形もなく破壊するのが目的だ。それほどまでに彼らは無人の機械というものに対して警戒をしている。


 隊形が8割ほど出来上がったところで前方上から突風と轟音が押し寄せてきた。破壊目標よりも前に、牧田らが乗るハミングバードが三差路に到達したのだ。


 堤防の上にホバリングしながら待機する機体の中から、やせぎすの理系顔と超音速弾対応の対物ライフルを抱えた童顔の2人が出てくると、現場の責任者である部官は彼らに詰め寄っる。


「目標は?」

「あと50秒でこの地点に到達します。直線上にとらえた後、彼女が駆動系を狙撃で破壊し、無傷でターミナルを回収する。これが特殊装甲1課の任務です」

「危険です!ここでの迎撃に失敗すれば電子汚染された車両が都市部に侵入するのを許すことになる!」

「警務省からの要請です!」


 自分達の採点係である省庁の名前が出てきたことで、所轄の警官たちは大なり小なり皆たじろいだ。議論に費やす時間も惜しいと考えた牧田がこの場を制するためにとった強硬手段であったが、それが最悪手であることはこの場にいる全員が口には出さないだけで理解している。


「目標、接触まで残り30秒」

「小査、頼みます!」

 

 展開したモノポットをパトカーのボンネットに突き刺して銃身を固定する。20センチの合成スチール壁を貫く超音速ライフルのスコープをヘッドギアと同期させて、西園寺は射撃体勢を整える。


「加圧開始します!」



 まさにその時であった。民間車両暴走の事例から算出した平均速度、追い抜いた際の残り距離から牧田が逆算した50秒というカウント。

 しかし国道を挟む分厚い雑木林とジェットのホバリング音によってかき消されていた目標の走行音が全員の耳に届いたとき、車両は前方左の林から突如飛び出して既に西園寺の3メートルの位置に迫っていた。精密な照準はおろか回避も不可能な距離にまで接近していたのだ。

 反射的に西園寺が目を閉じることしかできなかったその一瞬、右前方から発射された飛翔体が車体に食い込んだ。脇から加わった力で重さ1.5トンの塊は進路をわずかにそらし、西園寺の右耳をかすめるほどの近さを通り抜けると後ろの河川敷に落下し爆発した。


「対象、沈黙しました」


 騒乱の現場にあたった全員の視線が向けられる。軽装甲のジープに乗り部官用の制服に身を包んだ短髪の女性。そしてその前方に55ミリ汎用無反動砲をマウントしたギアスーツが1体、砲身から煙を吐き出しながら直立していた。


「班長!」


 ホバリングしている機体から拡声器で榊が呼ぶ。大砲を背負った鎧を操って不測の事態を救ったこの男、警視総庁特殊装甲1課実働班班長、仁藤圭介にとうけいすけだ。


「初日から面倒を起こしてくれるな。理工大査殿」

「公式には勤務二日目です、仁藤班長」

「まだお前の班長じゃない。そこの射撃手!」


 一瞬とはいえ生命の危機をあまりにも近くで感じ、西園寺の体は陶磁器の様に冷えて固まっていた。全身から冷汗が溢れ、足はすくみ、引き金にかけた指が張り付いてしまっているのを見かねて、仁藤と一緒に現れた女性隊員が介抱に向かって行った。


「……怪我人が出なくて何よりだな、大査殿?」


 赤い光を漏らす横一線のカメラアイの向こうから無機質な合成音声で牧田に問いかける。無論、返答などは求めていない口ぶりではあるが。


「一応、初めましてですね。出来ればお顔を見て挨拶させていただきたいところですが、」

「それが出来ない様な事態に陥った理由が自分にあると分かっているだろう。素直に所轄に対処を任せればいいものを、自分の仕事ばかりを優先し泳がせたがゆえにこの瀬戸際での対処だ」


 所轄員が証拠物の確保に向かおうとするのを制し、後の始末を引き受ける旨を仁藤が伝える。所轄のパトカーと入れ替わる形で1課のマーキングが施された軽装甲車が複数駆けつけ

出てきた隊員たちは川辺の残骸の回収に向かっていった。


 「職場へ案内しよう。運転は預けてもらうが」


 喧騒は既に過去となり、誰一人の人命も失われることはなかった。しかし牧田は、動き出したつむじ風に砂が巻き上げられるのを眺めているしかないような無力感を静かに感じ、目の前の上司の目を無意識に力強く見つめ返していた。


「ようこそ1課へ。諸君を歓迎する」






 


 










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