030 【第6章 完】本当に遠い親戚

 父親は悲しげな表情で口を開く。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「その子が亡くなったのが俺も、ものすごいショックでさ……。自分の子どもと同じくらいの子が亡くなるとか……ひどい話だ。お前の前でその女の子のことを詳しく話したら、涙が止まらなくなりそうだった。だから、法事って言って誤魔化ごまかしたんだ。すまなかった……」


 そして、父親は耳を疑うようなことを口にする。


「本当にもしかしたら、その子は、お前の結婚相手になるかもしれなかった女の子だったんだぞ……」

「僕の結婚相手? どういうこと?」


 僕がそう尋ねると、父親はベッドで上半身を起こしたまま説明を続ける。


許嫁いいなずけだよ。親同士が決めた許嫁とか、さすがに今の時代、馬鹿げているだろ? だから、やめたんだ。それに、彼女はとても身体が弱い女の子で、小さい頃は病院と自宅で過ごすばかりだった。ほとんど外出できなかったんだそうだ。だから、お前とその子を会わせることも一度もなかったな」

「僕と親戚なの?」

「ああ。親戚ってどのくらいの範囲を指すのかにもよるけれど、ものすごーく遠い親戚だろうな」

「どういうこと?」


 僕が首をかしげると、父親はこくりとうなずいてから言った。


「お前の『ひいおじいさん』と、その『ひいおじいさんと同い年の従兄弟いとこの男』がいたらしくてさ、二人がものすごく仲が良くてな。自分たちに子どもが生まれたら結婚させようって話になっていたんだ。そしたらお互い子どもは男一人ずつしか生まれなかった。だから、結婚させられなかった」

「へえ」


 んっ……?

 まだプリントアウトしていないけれど、この間の土曜日の夜に見た夢がそんな話だったような?

 父親からこの話を聞く前に、僕は似たような夢をすでに見ていたのか?


 父親はベッドサイドにあるティッシュを何枚か手にとって、涙を拭き、それから鼻をかんだ。

 ティッシュを丸めながら父親は話を続ける。


「それで、今度は生まれてきた子ども同士で、ものすごく仲がよくなってな。それがお前のおじいさんと、亡くなった女の子のおじいさんだな。どっちも早死はやじにしたから、二人とももうこの世にはいないけど」

「ああ、うん……」


 僕のおじいさんは、僕がまだ幼いころに亡くなったのだ。

 父親はまたティッシュを手にとって軽く涙を拭き、口を動かす。


「お前のおじいさんたちもやっぱり、お互いに子どもが生まれたら結婚させようって話になったんだよ。自分たちの親と同じようなことを考えたんだ。それで生まれてきた子どもが、やっぱりお互い男一人ずつ。『俺』と『俺の親友』だ。その親友がまあ、亡くなった女の子の父親なんだよ」

「そうなんだ」


 父親は小さくうなずく。


「ああ。俺とそいつは同じ年齢で、親同士が仲が良いことも影響して、やっぱりある一時期までは仲がものすごく良くてさ。本当に大親友だった。父さんと母さんが結婚する前、大学生だったときに、向こうのカップルも大学生でさ。よく四人でダブルデートしたんだ。若いころは、四人でいっしょに遊びまくっていたな」


 んっ……急に『リアじゅう』の話ですか?

 あんたの息子は、まだ童貞どうていなんですけど?


「それでまあ、お互い結婚して、同じくらいの時期に子どもが出来たんだよ。そしたら、こっちが男の子だろ? それで、あっちには女の子が生まれたんだ。ようやく男女一組の子どもがそろった」

「おお」

「ひいおじいさんの代からの長年の悲願達成ひがんたっせいだ。けれどまあ、もう許嫁とかそういう時代じゃないだろ?」

「ああ、うん……」


 えっ……。僕、時代が時代だったら、親同士が決めた許嫁がいた可能性が?

 くそっ……時代め!

 僕が時代を恨んでいると、父親は話を続ける。


「それに残念なことに、生まれてきた女の子は身体が弱くてさ。あっちの家族が、もっと空気の良いところに引っ越すってことになって。同じ県内のさらに田舎の方に引っ越して住んでいるんだ。それ以来なんか、あまり会わなくなってさ。同じ年に生まれたこっちの子どもは――まあ、お前のことだけど、お前はすごく元気だから……ちょっとな……。お互いしばらく会うのを遠慮しちゃって……」

「うん……」


 僕は大きなケガや病気もせずに、これまで生きてきた。

 一方で、その女の子と家族は、色々と大変だったのだろう。


「そうこうしているうちに、すっかり交流もなくなって。病気の子どもがいるあっちの家族の生活は、かなり大変だったみたいで。あっちの家は、とにかく娘の生活を優先して、友達付き合いとか親戚付き合いとかも、どんどんやめて。ほぼ付き合いがなくなったんじゃないかな? だから今度の土曜日、父さんと母さんであっちの家に泊まり込みで、葬儀や身の回りの手伝いなんかを色々としようって話になって……久しぶりに四人で会ってくるよ」


 なんか……父親と母親に共通の友達がいて、四人でめちゃくちゃ仲が良かったという話は、聞いたことがあった。

 ただその後、今の話にあったような状況になって、交流がほとんどなくなっていたことは知らなかった。


 それに、同い年の身体の弱い女の子がいるなんて、僕は本当に知らなかった。


 ひいおじいさんの頃から代々続いていた仲良しの関係も、僕の父親たちの代で終わるのだ。

 僕と亡くなった女の子は、会ったことすらなかったのだから。

 これで、ずっと仲良しだった両家の関係も、おしまいなのだろう。


 父親は亡くなった女の子についての話をしてくれる。


「小学生の間は、あんまり学校に行っていない女の子だったんじゃないか。病院と自宅でずっと過ごしていたんだろうな。けど、中学生くらいからは少し元気になったみたいで、何度かこまめに休みながらも登校していたのかな? ただ、旅行なんかは、ほとんどしなかったんじゃないかな? だから、こっちに会いに来ることも一度もなかった。たぶん、家族三人で空気のよい静かな町で、あまり出歩かずに生活をしていたんだろうよ」


 僕は父親に尋ねる。


「その女の子、食べ物とかにもやっぱり気をつかっていた?」

「それはわからない。けどたぶん、普通なら気をつかっていたんじゃないか?」

「コンビニのお弁当とかは、あまり食べたことないかな?」

「さあ? どうだろう。あの家族が住んでいる町……まあ、同じ県内なんだが、ここよりもさらに田舎町だから。そもそも町にコンビニがあまりないかもしれない」


 それから父親は、女の子が死亡した状況について知っている限りのことを教えてくれる。


「俺もさっき電話で聞いたばかりだから、あまり詳しいことはわからない。今日の夕方ごろに亡くなったのかな? お通夜は土曜日で、告別式が日曜日だそうだ。その女の子、高校の帰りに一人で歩いていたら、貧血かなにかで急に倒れたみたいでさ、そして運悪く近くの川に落ちたらしい」

「貧血で倒れて、川に落ちた?」


 父親はこくりとうなずく。


「ああ。橋を渡っていたのかな? それで、たまたま目撃者がいたみたいで。その目撃者が、かなり老人のおばあさんだったらしくて。だから、川に落ちた女の子をすぐには助けられなかったんだと」

「川からは自力で出られなかったの?」

「女の子は貧血で倒れたときに橋から落ちて、川の石で頭を強く打って気絶して、おぼれたってことなのかな? さすがに俺もあまり細かいことまでは、電話では訊けなかった」


 頭を強く打って……。

 もしかして、それで記憶喪失……?

 そんな話……。


 ああ、なんかあの子だと、ありそうな気がする。

 なんとなく……。


 そして、学校帰りに川に落ちたから、彼女のセーラー服はずぶ濡れってこと……?


「空気の良い田舎町に引っ越して、それからはほとんど会うこともなかった。電話やメールのやりとりは、たまにしていたけれど。それに、俺一人だけで何度かあっちの家に様子を見に行ったりもした。けど、あっちの家族がこっちに会いに来ることは一度もなかった。でも、こういうときはやっぱり、俺と母さんが、あいつらのそばで力になってやりたいんだ」


 僕は父親に言った。


「その女の子の写真とか持っていない?」

「ない」

「じゃあ、土曜日に彼女の写真とか手に入れられないかな?」

「んっ?」

「確かめたいことがあるんだ。彼女の顔がわかるものが何かあったら、父さんのスマホで写真を撮って、僕に送ってもらえないかな?」


 父親は眉間みけんにシワを寄せる。

 怒っているわけではない。

 考え事をするとき、この人はたまにこういう顔をするのだ。

 再び、父親は口を開く。


「……もしかして、俺がさっきこのベッドでうなされているときに、お前が話してくれた『バス停の女子高生』か? そのバス停の女の子が、死んだその子だって言うのか? 時間が戻るきっかけになったバス停の子が?」

「うん。そんな気がするんだ。だから、写真で顔を確かめたいんだよ。そして、彼女を助けたい」

「助けられるのか?」

「時間がまた戻ればね。木曜日の夕方ごろに橋から川に落ちて亡くなったんだろ? 貧血を起こした時間と場所がきちんとわかっていれば、僕だったらそれを防ぎに行けるはずだ。助けに行きたい」


 月曜日に『吹奏楽部の女の子が指をケガすること』は防げたんだ。

 ならばきっと、木曜日にその女の子が死ぬことだって防げるはずだ


 父親は頭に手を当てた後、こう言った。


「親友の子どもが亡くなったタイミングで気分が落ち込んでいる。それに、お前の話をまだ完全には信じきれていない。でも、難しいことは考えずにお前のやりたいことに力を貸すよ。死んだあの子を本当に助けられるのなら、それほど素晴らしいことはない」


 それから父親は胸の前で腕組みをして言う。


「がんばってなんとか、女の子が亡くなった場所や時間なんかの詳しい情報を手に入れてみる。彼女の顔がわかる写真も、土曜日に手に入れてみるよ」


 それから、母親にこの話をするかどうか、僕たちは二人で話し合った。


「父さん、とりあえず母さんには内緒にしておこう」

「まあな。二人そろって頭がおかしくなったと思われるからな」




 そして土曜日の午後だった。

 父親のスマホから、女子高生の写真が送られてきた。

 父親があちらの家族から見せてもらった写真をスマホで撮影して、僕に送ってくれたのだ。

 亡くなった場所や時間など、詳しい情報も父親は僕に送ってくれていた。


 送られてきた写真には、セーラー服を着た可愛らしい女の子が、笑顔で写っていた。

 黒髪のポニーテール。

 見覚えのある可愛らしい笑顔。

 モロに僕の好みの女の子。

 6月の雨の土曜日に、僕が夜のバス停で出会う女子高生が、写真には写っていたのである。


 たぶん僕は、ひいおじいさんの代からの影響で、遺伝子レベルでこの女の子に恋をする素質を持っていたわけだ。

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