016 僕のズボンが谷底へ捨てられた その2

 彼女はきっと親切心で、下半身を隠すための葉っぱを拾ってきてくれたのだ。

 せっかくだから、ありがたく使わせてもらおうじゃないか。


 それに正直助かる。

 初対面の女性の前で、いつまでも下半身下着姿のまま過ごすのは失礼だろうから。


 いや……まあ、でもよく考えてみるとさあ。

 下半身下着姿の僕がここにいるとわかっていながら、この白装束の女性はここに来たんだよな。


 白装束を着た幽霊みたいな女は、僕に向かって言った。


「アタシは、このあたりに住む妖精ようせいです。しかも『妖精の女王』です」

「えっ……妖精? 妖精の女王?」


 絶対に幽霊だと思ったのに……。

 幽霊じゃなくて、妖精なの?


 まあでも、確かにこの月明かりの下で眺めている限り、彼女は美しい。

 どこか幻想的な気もするし、この美しさなら、妖精の女王っていうのも案外本当なのかもしれない。


 僕がそう思っていると、彼女は話を続けた。


「妖精というのは嘘です。どこからどう見ても、アタシは幽霊っしょ。すごい古典的な幽霊っしょ。ひゅーどろどろ。うふふ。あと、女王ってのも当然、嘘」


 はあ?

 なんだ、この人? いや、この幽霊……。


 僕が首をかしげたそのときだった。

 ガサガサという音が聞こえたかと思うと、何かが僕たちの前に飛び出してきた。


「戻ってまいりました!」


 そう声を出しながら現れたのは、僕のジャージのズボンだった。

 月明かりの下、ジャージのズボンが二足歩行でこちらに向かって歩いてくる。


 なんだか……不気味な光景だった。

 僕は尋ねた。


「えっ……僕のズボンなの?」

「はい! こんばんは! 先ほど谷底の川に投げ込まれたズボンです!」


 ズボンは元気いっぱいに、そう答えた。

 僕は質問を続けた。


「子鬼たちに、谷底に投げ込まれたんだって?」

「はい。子鬼だけでなく、なんだか大きい鬼も一匹だけいました。大きい鬼は、左足をちょっとケガしている感じで、足を引きずって歩いていました」

「いや、今は別にそういう細かい情報がほしいわけじゃないんだ」


 僕がそう口にすると、ズボンはほんのすぐそばまでやって来た。

 近くで見ると、ズボンがびしょびしょに濡れていることがよくわかった。


 こいつはきっと、谷底の川に投げ込まれた後、ずぶ濡れの身体でがんばってここまで戻ってきたのだろう。

 災難だったな……と、少し気の毒に思った。

 ズボンは話を続けた。


「戻りが遅くなってすみません。今から再び、ご主人様のまたにおさまりますね。オレっちのこと、また穿いてくださいますよね? ねっ?」


 谷底の川の水でずぶ濡れになったズボンが、目と鼻の先まで近づいてきた。

 僕は、そんなズボンを拒絶した。


「ま、待ってくれ。そんなにびしょ濡れのズボンなんか穿きたくないんだ。おしっこを漏らしたみたいな感覚になるだろ?」

「なるほど。ごもっともです。こんなずぶ濡れのオレっちなんかを穿いたら、ご主人様の股が濡れてしまう。失礼いたしました」



   ≫ ≫ ≫



 ロクゴクシ先輩はA4の紙から顔を上げた。

 先輩は僕の方を向いて言った。


貴殿きでん……ずぶ濡れのズボンがしゃべっているわけでござるが……」

「う、うッス」

「わがはいは今、何を読まされているでござったか?」

「う、うッス。先輩は『僕が見た夢の話』を読んでおります。うッス」


 先輩は小さくうなずく。


「そうでござるよな。貴殿は、ズボンがしゃべる夢は、よく見るでござるかな?」

「う、うッス。はじめてッス。はじめて見たッス」

「はじめてでござるか」


 そう言うとロクゴクシ先輩は、再びA4の紙に目を向けた。



   ≪ ≪ ≪



 僕がずぶ濡れのズボンを穿くことを拒絶したところで、白装束の女幽霊が会話に口を挟んできた。


「ずぶ濡れのズボンよ。夜の谷底の川は、さぞかし冷たかったろうに」

「へい。おかげで心臓が縮み上がりましたぜ」


 んっ?

 ズボンに心臓あるの?


 白装束の女は、ズボンと話を続けた。


「子鬼どもについて、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいかい?」

「へい。子鬼たちの会話の内容から察するに、一匹だけ『お金持ちの鬼の家の子鬼』がいましたぜ」

「ほうほう。お金持ちの家の子鬼が一匹」

「どうします、あねさん。金持ちの子鬼を一匹、人質にとりますかい?」


 んっ? この幽霊とズボン、いったい何をしようとしている?

 何がはじまろうとしているんだ?


 幽霊の女は、背中のあたりでひとつに束ねた長い黒髪を揺らしながら言った。


「アタシはね、この三人で力を合わせれば、子鬼の一匹や二匹、誘拐するのは可能だと思うんだ。『スピードにすぐれた』アタシ。『技に優れた』ズボン。そして、まだ死んでいないボーイ。この三人が力を合わせればいい」


 スピードに優れたアタシ? そうなの?

 技に優れたズボン? はあ?


 すると、ズボンが言った。


「オレっちだって、誘拐されて面白半分に谷底の川に投げ込まれたんだ。逆にこちらからやり返したって悪くはないだろ? 誘拐された仕返しだ。子鬼を一匹くらい誘拐してやりましょうよ!」


 幽霊の女は、こくりとうなずく。


「ああ、よく言った! 決まったね。この三人で子鬼を誘拐する。『スピードにすぐれた』アタシ。『技に優れた』ズボン。そして、まだ死んでいないボーイ。この三人が力を合わせればいい」


 んっ? 同じようなこと二回言った?

 それ、気に入っているの?


 幽霊は話を続けた。


「成功した場合、身代金みのしろきんの取り分はアタシが5で、ズボンが3。まだ死んでいないボーイは新入りだし、ズボンの代わりにしている葉っぱの貸しがある。だから取り分は2ってことでどうだい?」


 ズボンがその場で、勢いよく飛び上がった。

 ズボンの股の間から、川の水がボタボタと漏れる。


「いいですね! そりゃあ、いい条件だ! 文句なしですぜ!」


 それからズボンは、僕に向かって言った。


「やりましょう、ご主人様! オレっちが3で、ご主人様が2だ! こんないい条件はないですぜ」


 んっ? どうして、こんな話になってる?

 あと、僕の取り分、お前より少ないの?

 ずぶ濡れのジャージのズボンより、僕の取り分少ないの?


 僕は幽霊とズボンに向かって言った。


「ま、待て待て。僕は誘拐なんてしないからな!」


 幽霊が「ええっ……」と声を漏らした。

 ズボンが「ええっ……」と声を漏らしながら、股の部分から水を漏らした。


「誘拐なんか、やめとけよ」


 僕がそう言うと、幽霊の全身が突然まばゆい光に包まれた。

 なんだか幽霊はそのまま成仏でもしそうな雰囲気だ。それだけ、ありがたい感じの光だった。


 彼女が穏やかな笑顔を浮かべて言った。


「誘拐ができないのなら、もうこの世に残っている意味はございません。成仏じょうぶついたします」


 本当に成仏するみたいだった。


「ええっ!?」と、僕は驚きの声をあげた。

「ええっ!?」とズボンは驚きの声を上げながら、股の部分から水を漏らした。


 急展開だ。

 白装束の幽霊は、僕たちにぺこりと頭を下げながら言った。


「短い間ですが、お世話になりました。この地にずっと縛られておりましたが、今日でようやく成仏できそうです」


 この地に縛られていたのか?

 もしかして、この僕が座っているこのつるつるの石は、この幽霊の墓石はかいしとか?


「んっ? もしかして、僕が横になっていたこの石、墓石なのか?」

「いや、それは全然違います。墓石ではありません。ただのつるつるの石です」

「ただのつるつるの石っ!?」とズボンが驚きの声を上げながら、股の部分から水を漏らした。


 このズボン、驚くと股の間からよく水を漏らす。

 この調子で驚き続ければ、いつかズボンは乾きそうだ。

 カラっと乾いて、また僕の股におさまってくれる日もきっと近いだろう。


 このズボンを驚かすために、僕がコンビニの駐車場で自動車にひかれそうになった話でもしてやろうか?

 きっと驚くぞ。


   * * *


 そこで僕は目を覚ました。

 今度は自宅のベッドの上だった。


「夢か……」


 僕はつぶやきながら枕元に置いてあるスマホに目を向けた。

 日付を確認すると、やはり再び月曜日の朝に戻っていたのだった。



   ≫ ≫ ≫



 ロクゴクシ先輩はA4の紙から顔を上げた。

 先輩は僕の方を向いて質問してきた。


貴殿きでん……こんなワケのわからない夢をマジで見たでござるか?」

「う、うッス。マジで見たでござるッス。うッス」


 僕はそう答えたのだった。

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