015 二回目に見た夢:僕のズボンが谷底へ捨てられた

   ≪ ≪ ≪



「まだ死んでいないボーイ、お目覚めかな?」


 両目を閉じていると、そんな女性の声が聞こえてきた。


 はあ?

 まだ死んでいないボーイ?


「まだ死んでいないボーイ、そろそろ目を開けなさい!」


 生ぬるい風が吹いてきた。

 それは、目を閉じていてもわかった。

 カサカサという、なんだか葉っぱが揺れるような音が聞こえてきた。


 僕は横になっていた。

 ゆっくり目を開ける。美しい夜空と大きな満月が、視界に飛び込んできた。


 夜か?

 家の中じゃないのか?

 外にいる?


 少し顔を動かすと、周囲には背の高い木々が生えているみたいだった。

 妙に強い月明かり。そのおかげで、真っ暗闇という状況ではなかった。


 どこかの森の中にいる?

 それとも林だろうか……。

 森と林の違いってなんだ? 規模きぼ


 それから僕は、自分が何か冷たくて硬い地面の上に寝ていることがわかった。

 これは、石の上にでも寝ているのか?


 上半身を起こすと、自分が紺色のジャージを着ていることがわかった。


 どうしてジャージ?

 僕は今日、ジャージを着ていないのに?


 その時点で僕は、自分が夢を見ていることがわかった。

 夢の中で僕は、つるつるに磨かれた石の上で、眠っていたようだった。

 それと、自分がズボンを穿いていないことに気がついた。

 上半身は紺色のジャージで、下半身は下着姿だったのだ。


「あれ? ズボン穿いてないぞ? ズボンどうした?」


 ちなみに、靴下も履いておらず裸足だった。

 そして、僕が騒ぎ出した瞬間だった。

 背の高い樹木たちが、わさわさとざわめきはじめた。かと思うと、強く生ぬるい風が、森だか林だかの奥の方から吹いてきた。

 それから風とともに、女性のこんな声が僕の耳に届いた。


「お前のズボンなら、子鬼こおにどもに盗まれたぞ~」


「コオニ?」と僕は首をかしげた。


 再び背の高い樹木たちが、わさわさとざわめきはじめた。かと思うと、強く生ぬるい風とともに、森だか林だかの奥の方から、こんな女性の声が届いた。


「子どもの鬼のことだ。子鬼。お前のズボンなら、子鬼どもに盗まれた」

「なんで!? どうして僕のズボンを盗む?」


 僕は首をかしげた。

 またまた、背の高い樹木たちが、わさわさとざわめきはじめたかと思うと、強く生ぬるい風――以下略。


「この森の子鬼どもは、旅人のズボンを盗んで、谷底の川に向かって投げ込むのさ」

「谷底にズボンを投げ込む? どうしてそんなことをするんだ?」


 木がわさわさとざわめき、また生ぬるい風が――以下略。


「さあ? 『人のズボンを脱がせて、谷底に投げるのおもしろくない? 谷底に川が流れていたら、さらに良し』とか、そんな感覚なんじゃないかなあ?」

「それ、面白半分でやることじゃないだろ? イジメか。ひどいな。最低だな」


 木がわさわさ。風が吹く。

 いっしょに声も――。


「いや、誤解がないように言っときますけど、ズボンを盗んだのアタシじゃないからね。怒られても困るからね」

「でも、子鬼が僕のズボンを脱がすのを、ただ見守っていたんだろ? 大声を出して僕を起こしてくれるとか、遠くからでも何かしてくれたらよかったのに」


 風と声(略)。


「いや、そういうめられ方をされると、アタシだって困っちゃうかなあ。今回、アタシ悪いかなあ? アタシ、全然悪くなくない? 悪いかなあ?」



   ≫ ≫ ≫



 ロクゴクシ先輩はA4の紙から顔を上げた。

 先輩が手に持っている紙には、『僕が見た夢の話』がプリントアウトされている。

 先輩は僕の方を向いて言った。


貴殿きでん……もしや、地の文を書くのが面倒臭くなったでござるな?」


 先輩の人差し指は『風と声(略)』と書かれた部分を指していた。

 先輩はそのあたりまで読んで、いったん止まったのだろう。

 僕はうなずきながら言った。


「う、うッス。地の文を書くのが面倒になったのは認めますッス。な、なんか風と声の部分で同じような文章が続いたんで、もう繰り返し書かなくてもいいかなあって思ったッス。うッス」


 僕とオダヤカは火曜日に、ロクゴクシ先輩&ナナゴクシ先輩と会っていた。

 前回同様オダヤカが、会う約束をとりつけてくれたのだ。


 だから僕は、月曜日のうちに『土曜日に見た夢』をまとめると、その内容をPCに打ち込んで、プリントアウトしておいたのだった。

 夢の内容を先輩たち二人にも知ってもらおう。

 そして、僕が見た夢に何か『この時間が戻る奇妙な現状』に関するヒントがないか、いっしょに考えてもらおうと思ったからである。


 火曜日にロクゴクシ先輩たちと会うと、やはり二人は前回の記憶がなかった。

 僕と会ったことを、彼らはまるで覚えていなかったのだ。


 そこで、オダヤカにしたように『時間が戻っている話』を、僕は二人にもした。

 その瞬間だ――。

 前回の出来事や僕のことを、二人はすぐに思い出したのである。


「それでは、続きを読むでござる」


 そう口にすると、ロクゴクシ先輩は手にしているA4の紙に、再び目を向けた。



   ≪ ≪ ≪



 僕は一度深呼吸をした。

 そして、少しだけ落ち着くとこう考えた。


 自分は、この声だけ聞こえてくる女性に対して『言いがかりをつけている』のではないかと……。


「いや、悪いのは僕か。こんな僕みたいな人間は、子鬼にズボンを脱がされて、そのズボンを谷底の川に流されても当然なのかもしれない……」


 そうやってぼそぼそとつぶやいた後、僕は自分の下着姿の下半身を見て大声を出した。


「いや、やっぱりひどくないっ!? これ、ひどくない!? 僕がやられていること、さすがにひどくない!? ズボンを谷底の川に投げ込まれるとか、普通の人生で経験する!? 経験しなくない!?」


 すると、木がざわざわ。

 風と声。


「ああ、もう……なんかちょっとアタシ、今からそっちに行くわあ」


 そんな声が聞こえた後、しばらくして、僕の視線の先に女性が一人現れた。

 長い黒髪を、背中のあたりでひとつに束ねた女だった。

 そしてなにより特徴的だったのは、彼女が白装束を着ていることだった。


 死人? 幽霊?


 少し青白い顔の女性が、白装束しろしょうぞくを着ている。

 そのせいで僕には彼女が、日本の古典的な幽霊みたいに思えた。


 いや、こりゃあ本当に死人とか幽霊だろう。

 僕から見て着物のえりの合わせ部分が逆になっている。

 えりの合わせ部分は、生きている人間が着ているのなら、僕から見てアルファベットの小文字の『y』のカタチになっていなければいけないはずだ。


 中学生のとき、授業の合間の休憩時間に僕は、和服を着ている人の落書きを描いていたことがある。

 サムライかなにかのキャラクターを描いていたのだ。

 そのとき、クラスメイトの物知りなやつがやって来て、僕が『左前の死装束』を描いていると教えてくれたのである。


 彼の指摘どおりだった。僕の落書きでは、着物のえりの合わせが逆だった。

 だから、それ以来なんとなくえりの合わせを覚えてしまったのである。

 白装束の女性はえり部分が逆で、左前という状態であった。

 すなわち『死人しにん』が着せられる着方だったのだ。


 そんな白装束の幽霊みたいな女は、なぜか手に大きな緑色の葉っぱを何枚か持っていた。

 彼女は僕に向かって言った。


「ここに来る途中で、なんか大きめの葉っぱ、拾ってきたから。あんた、これをズボンの代わりに使ったら?」

「はっ? 葉っぱ? 葉っぱ?」

「そう。葉っぱ。葉っぱ」

「葉っぱ? 葉っぱ? 葉っぱ?」

「葉っぱ。葉っぱ。葉っぱズボン」


 少しだけ僕は考えた。

 それから、白装束の女性から大きめの葉っぱを何枚か受け取ると、下半身の下着をそれらで隠したのだった。

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