008 【第2章 完】ベッドで手を握り合って

 僕はコンビニ弁当のフタを開けた。

 弁当の容器から自分が食べる分のおかずを選ぶと、はしを使ってフタの上に移動させた。


 女子高生は僕の隣で立ったまま、その作業を見守っていた。

 ときどき、黒髪のポニーテールが静かに揺れていた。


 自分の好みの女の子にじーっと見守られながら箸を使う。

 それは僕にとってはなかなか緊張する作業で、自分の手は頼りなく震え続けた。


 弁当のフタの上に、おかずとご飯を並べ終える。

 おおよそ半分ずつに分けられたと思う。

 続いてタッパーから白菜の漬物を半分取り出して、それもフタの上に並べた。


「う、うッス。ではこちらを食べてくださいッス。タッパーに入っている白菜の漬物も、よかったらどうぞ」


 僕はフタの方ではなく、弁当の容器の方を女子高生に差し出した。


「えっ? こんなに分けていただいてもいいんですか?」

「べ、べ、弁当、だ、だいたい半分ずつに分けたッス。箸は余分に持ってきていますから、これを使ってくださいッス」


 台所に行ったとき、彼女が使うだろう箸とヨーグルト用のスプーンなども、余分に持ってきていた。


「お弁当、半分もいただいたら申し訳ないですよ」

「大丈夫ッス。うッス」

「あと、わたしがフタの方で食べますよ。フタの方が食べにくいんじゃ――」


 ごちゃごちゃはじまる前に僕は、フタの上にあるおかずを食べはじめた。

 この女子高生は椅子に座らない。

 だからたぶん譲り合いになると、遠慮してフタの方の弁当じゃないと食べてくれないと思った。そんな未来が予想できた。

 面倒くさいやりとりが発生する前に、僕がさっさとフタの上のものを食べはじめてしまえばいい。そう考えたわけだ。


「うっ……」


 と、思わず僕は声を漏らしてしまった。

 おかずとご飯を並べたコンビニの弁当のフタを左手で持ったまま、椅子に座らず立ち食いするのは不安定で、なかなか根気のいる食事となったからだ。


「わたしもいただきますね」


 ジャージ姿の女子高生は弁当の容器を左手に持ち、右手で箸を使いながら食事をはじめた。

 もちろん僕と同じく、立ち食いだ。


 僕たち二人は部屋の中で立ったまま、弁当を黙々と食べ続けた。

 これからエッチなことをするだろう二人が、部屋の中でコンビニ弁当を分け合って立ち食いしている光景は、どこか滑稽こっけいなように僕には思えた。


「お弁当、おいしいですね」


 と言って女子高生が微笑んだ。

 どうやら、コンビニの弁当をけっこう気に入ってくれているみたいだった。

 弁当を食べ終えると、ヨーグルトを二人で食べた。

 それからいよいよ、僕は女子高生とベッドで眠ることになった。

 女子高生もさすがに緊張しているみたいで、顔を少し赤らめながら僕に言った。


「わ、わたしから先にベッドに横になってもいいですか?」

「ど、どうぞッス」

「お願いがあります。わたしに急にガバっと覆いかぶさってきたり、こちらがビックリするようなことをしたりしないって、約束していただけますか?」

「や、約束するッス」

「ありがとうございます。まだ出会ってから本当に短いですけど、あなたは人が嫌がるようなことをしない人だってことはわかりました。いっしょに眠る相手がそういう人で、わたしはうれしいです」


 そう言いながらジャージ姿の女子高生はベッドに近づく。

 そして白いシーツに覆われた薄掛け布団をめくると、ベッドに横になった。


 僕の部屋のベッドで、女の子が横になっている!

 しかも、モロに自分好みの女の子が!


 女の子は薄掛け布団を自身の身体の上にかけながら話を続ける。


「ど、どうぞ。ゆっくり、布団の中に入ってきてください。それで、わたしの隣で横になってください。ゆっくり、ゆっくりですよ」


 女子高生が僕を布団の中へと誘った。

 い、いよいよ、僕も童貞どうていを卒業するのか!


「うッス。よ、よ、よろしくお願いスわしゃス! す、すわシャッスんで、ゆ、ゆっくり布団に!」


 緊張しすぎて自分でも最後何を言っているのかわからず、自分の口から出た言葉を自分の耳で聞き取れないまま、僕は薄掛け布団をめくった。

 そして、ジャージ姿の女子高生の隣で横になる。

 本当にゆっくりと。


 女子高生が「すー」と一度だけ深呼吸をした。

 彼女はそれから、めくられた薄掛け布団を元に戻す。

 それで僕と彼女は完全に、布団の中でいっしょに横になったわけだ。


 女子高生の声が本当にすぐ隣から聞こえてきた。

 彼女は僕のすぐ左で横になっているのだから当たり前だ。


「ゆっくり布団に入ってきてくださり、ありがとうございます」

「う、うッス。す、すわシャすんで、お、お、お願いシャす」

「えっ? 今、なんて言ったんですか?」

「な、なんでもないッス。う、うッス……」


 興奮が半端なかった。

 ちょっと自分でも何を言っているのかわからなくなった。

 この興奮の中では、こりゃあ、何をしゃべっているのか自分でもわからない。

 あまり無駄なことはしゃべらず、ちょっとおとなしくしていようと思った。

 黙っていると、心臓の鼓動だけでなく、耳の血管までがドクドクと音を立てているような気がした。


 女子高生が布団の中で少し動いた。

 衣擦きぬずれの音が僕の耳に届いた。

 彼女といっしょに布団に入っていると、そんな衣擦れの音でさえエッチな音であるかのように思えてきた。


「今から布団の中で手をつなぎますよ。びっくりしないでくださいね」

「う、うッス……」


 布団の中で彼女の手が僕の手の位置を探っているのがわかった。

 僕がじっと待っていると、彼女の手は僕の手をすぐに見つけ出し、やさしく握ってくれた。


 あ、あったけえ……。

 この女の子の手、マジあったけえ……。

 神様にマジ感謝……。

 恋愛の神様だか、エッチの神様だか、なんかそういう種類の神様に右から順にマジ感謝……。

 女の子の手を握るのなんて小学生のとき以来だ。

 この女の子にマジ感謝。

 女の子の手、マジあったけえわ。このあたたかさ、世界遺産だわ。


「なんか、やっぱり恥ずかしいですね」と、女子高生が言った。

「うッス」と僕は答える。

「その……先に謝っておきますね。ごめんなさい。あなたが期待しているようなことは、これから出来ないかもしれないです」

「うッス?」


 ベッドで横になりながら僕は首をかしげた。

 女子高生は僕の手をやさしく握ったまま話を続けた。


「その……もし、エッチなこととか期待していたんだったら、本当にすみません。正直に話せば、わたしはあなたのそういう気持ちをやっぱり利用していました。男の子のエッチな部分を利用していたことは認めます。ごめんなさい」


 なっ……?

 なんだ、この話の流れは?

 これ、たぶん……僕、エッチできない?


 そう思っていると、なんだか急に眠たくなってきた。

 握っている女子高生の手が、ものすごく心地の良いあたたかさで、まるでこたつの中で睡魔に襲われたような感覚の……いや、それのもっと何十倍も心地の良い感覚だった。


 頭はまどろみはじめていた。けれど、隣に寝ている女子高生の声だけはハッキリと聞こえた。

 自分自身の意識はぐわんぐわんと頼りないのに、まるで神様が直接こちらの脳みそにお告げでも送りつけてきているかのような、不思議な気分だった。

 彼女の声だけは、神様の声みたいに、ストレートに僕の脳みそに届くという体験だった。


「あなたはこれから急激に眠たくなるんだと思います。これはわたしもはじめてのことなので、よくわかっていません。ですが、『土曜日の夜にあなたと二人で、こうして眠らなくてはいけない』ということだけは、最初からよくわかっていました。自分に関する記憶もあいまいですが、あなたと手をつないでいっしょに眠ることが今のわたしには絶対に必要なことなんです。だから手段は選ばず、あなたのエッチな気持ちとかも利用しました。そして今、こうして二人で眠ることができました。まずは目的達成です」


 睡魔のせいで頭がぼーっとしていた。

 だが、自分がこの女子高生とエッチできそうにないということは、しっかり理解できた。

 悲しい。

 でもとても眠たくて、僕の口からは何も言葉は出なかった。目から悔し涙も流れなかった。


 女子高生の声が再び聞こえた。


「あなたはきっと、なにか夢を見ると思います。今夜見た夢の内容を、次にわたしと会ったとき教えてください。お願いします。少しずつかもしれませんが、二人でいっしょに前に進みましょう」


 それが、『土曜日の夜の記憶の最後』だった。

 僕は女子高生とエッチなことは出来ず、童貞どうていのまま眠ってしまったのだ。


 そしてその後、『宇宙キャプテンにプロポーズする夢』を見て、起きたら月曜日の朝まで時間が戻っていたというわけである。

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