007 女子高生と眠る前に栄養ドリンクを飲んだ

 台所で着替えを済ませた僕は、青いジャージ姿になっていた。


「しかし……運動部に所属しているわけでもないのに、どうしてこんなにもジャージを持っているんだ?」


 ふと、そう思って僕はひとりつぶやく。


 身につけている青いジャージ。

 弁当を買いに行ったときに着ていた紺色のジャージ。

 女子高生に貸した黒いジャージ。


 さらに最低でもあと一セット、僕は私服代わりにしているジャージの上下を持っていると思う。

 それに加えて、忘れているだけで衣装ケースをあされば、まだジャージの上下が出てくるかもしれない。

 私服ジャージ以外にも、中学の体育の授業で着ていたジャージや、高校の体育の授業で着るジャージだって持っている。


 僕が中学生のときのことだ。

 母親が買ってくる洋服のセンスについて文句を言ったことがあった。

 そのまま長い口げんかになった。

 母親はそれ以来なんだか、ほぼ単色のジャージばかり買ってくるようになった。


 まあ、高校生になってからは自分の服はほとんど自分で選んで買うようになったのだけど、そもそもそれほどファッションに情熱を傾けていない。

 だから服自体あまり買わない。


 そのせいで、中学生時代に母親から買い与えられたジャージを、いまだにけっこうな頻度ひんどで着ている気がする。

 楽ちんだし。

 本気で外出するときはさすがにジャージでは出かけない。けれど、近所のコンビニに買い物に行くときくらいはジャージで済ませてしまう。


 台所で着替え終えると、いったん脱衣所に移動した。

 脱いだほうのジャージを洗濯カゴに突っ込む。


「あれ? 脱衣所に来るんだったら、そもそも台所で着替える必要なかったんじゃないか? 最初から脱衣所で着替えたらよかったんじゃないか?」


 ひとりごとをつぶやきながら僕は台所に戻った。

 たぶんあの女子高生のせいで、いろいろと混乱しているのだ。


「ブラジャーを見たからだな。あんなにもエロいものを目にして正気でいられた少年など、古来よりこの町には一人も存在していない」


 ぶつぶつそんなことを言いながら、台所の備蓄びちく食料がある棚の前に移動して、500mlの緑茶のペットボトルを2本手に取った。


「あの子も、なにか食べるだろうか? お腹すいていないかな? んっ……もし本当に幽霊だったら、お腹すかないのか?」


 台所の棚や冷蔵庫の中をいろいろとあさった。

 なんとなく手軽に食べられそうなものはクッキーとヨーグルトだろうか。

 白菜の漬物が少しだけ入ったタッパーがあったので、それも手に取る。

 僕が残りをすべて食べ、この白菜にとどめを刺そう。

 ダイニングテーブルの上にはバナナが二本あったので回収した。


「こんなものかな……」


 もう一度だけ冷蔵庫の中身を確認していると、父親の栄養ドリンクが目についた。


「女の子とベッドでそういうことをする前には、飲んでおいた方がいいのか? 効くのか?」


 即効性があるのかどうか。

 父親が普段から飲んでいるこの栄養ドリンクには、たぶん即効性はない。けれど気持ちの問題だ。

 プラシーボ効果だったか? 間違ってる?


 お守り代わりに父親の栄養ドリンクを一本飲んだ後、食料とお茶を手に僕は自室に戻った。

 扉を開けると、自室の壁に設置されたハンガーフックに、半袖の白いセーラー服がぶら下がっていた。


 なんてステキな光景だろう!

 自分の部屋の壁にセーラー服が!

 もう一度、リピート! なんてステキな光景だろう!

 栄養ドリンクなんかよりも、よっぽど即効性がある!


「おかえりなさい」


 と、ジャージを着た女子高生が声をかけてくれた。

 彼女は学習机の前の椅子に腰を下ろし、僕の戻りを待ってくれていたのだ。


「お、お、お待たせしましたッス。うッス」

「いえいえ。椅子、お借りしていました」

「ど、どうぞ、どうぞ。引き続き、お座りくださいッス」

「でも、これからここでお弁当を食べるんですよね?」


 女子高生は椅子から立ち上がると、学習机の上に置かれたコンビニ弁当に視線を向けた。


「だ、大丈夫ッス。自分、そのお弁当、立って食おうと思っていたッス」

「えっ? 自分の部屋でお弁当、立って食べるんですか?」


 部屋に椅子はひとつしかなかった。

 だから、ひとつしかない椅子を女子高生に譲るために僕は、とっさに嘘をついたのだ。


「い、いつも、部屋で一人で弁当を食べるときは、立って食べているッス」

「どうして? どうしてですか?」


 んっ、どうしてだ? だって、嘘だし。

 どうしよう?


 一階から持ってきたお茶や食料を学習机の上に置きながら、僕は話を続けた。


「と、とにかく、僕は立って弁当を食べますから、そちらは椅子に座っていてくださいッス。うッス」

「じゃ、じゃあ、わたしもいっしょに立ちますよ。あなたがお弁当を食べているのを隣で立って眺めていますから」


 椅子はひとつしかないんだ。

 椅子を彼女に譲るために、せっかく嘘をついたのに……。


 ジャージ姿の女子高生は、黒髪のポニーテールを揺らしながら立ち上がった。

 僕たち二人は部屋の中で立ったまま、食事をはじめる。


「ば、ば、バナナ、食べますか?」

「えっ? わたしもいただいていいんですか?」

「に、に、二本持ってきましたから。一本どうぞッス」


 こちらが差し出したバナナを、女子高生は受け取ってくれた。

 僕は手元に残ったバナナの皮をむいて、ぱくりと口にいれた。

 こちらがもぐもぐしていると、女子高生が尋ねてきた。


「お弁当よりも先に、フルーツから食べるんですか?」

「そ、そ、そういう日もあるッス」

「それって、どんな日ですか?」

「ど、ど、土曜日ッス。たまたま今日でした。どうぞ、バナナを食べてくださいッス」


 納得したかどうかはわからないけれど、女子高生もバナナの皮をむいて食べはじめる。

 僕たち二人は部屋の中で立ちながらバナナを食べ続けた。

 バナナを食べ終えると、僕はクッキーとヨーグルトを彼女に差し出した。


「えっ? これも、いただいちゃっていいんですか?」

「うッス。ぼ、僕は弁当を食べるので」

「お弁当、立って食べますか?」

「うッス。引き続き僕は立って食べます。どうぞ、椅子に座ってください」

「じゃあ、わたしも立って食べますね」

「い、いえ、座ってくださいッス」

「いや、立って食べます」


 うーん。

 この女子高生、負けず嫌いなのか?


『椅子取りゲーム』とは逆の『椅子取らないゲーム』がはじまっていた。

 女子高生がコンビニの弁当に視線を向けながら質問してくる。


「おいしそうですね。コンビニのお弁当、よく食べるんですか?」

「うッス。たまに食べます。どうぞ、椅子に座ってください」

「あっ、大丈夫です。座らないです。ありがとうございます」

「そ、そうスか」

「わたし、コンビニのお弁当、あまり食べたことがない気がします。ところどころ自分に関する記憶がないので自信はないんですけど。でも、たぶんほとんど食べたことないと思います」

「た、食べてみますか?」


 女子高生は、うれしそうに顔を輝かせた。


「いいんですか! じゃあ、少しだけ食べさせていただいても? ちょっと味をみるくらいでいいので」

「うッス。じゃあ、椅子に座ってください」

「あっ、椅子に座らなくても食べられます。ありがとうございます。このまま立って食べますね」


 やはり、椅子に座らない。

 なんだか彼女の心の中で『意地でも椅子に座らねえぞスイッチ』が入ってしまっているみたいだった。

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