第20話
初めて街の外というものを見た。
一見するとのどかな景色だ。魔獣がいるというから遭遇率が高いと何の疑問もなく認識していたけれど、少し歩いて敵に遭遇するのはゲームでの話。
現実問題、あそこまで遭遇率が高かったら一人で出歩くことなんてできないだろう。
それほどの実力があるのなら話は別だが。
それを、子守をしながらやってのけているカルロって実はかなり優秀なのでは。
そして、魔獣相手ではなく、対人――それも大人を相手に引けを取らないって、かなり優秀すぎるのでは。
いくら相手が盗賊とは言え、手にかけることを躊躇する様子はないのは、慣れたからなのだろうか。
目の前で繰り広げられている戦闘。うずくまって怯える子どもを庇うように抱きしめながら、アンジュは目を伏せた。
魔獣を警戒していたから、ついそれについてしか警戒していなかったが、少し考えれば盗賊がいてもおかしくはない。
子ども二人の旅だ。彼らからすれば格好の獲物だろう。
ただ、襲われるのではなく、人が襲われている状況にこちらが巻き込まれるのは、なかなかに意味がわからない。
「僕は死ぬんだ。殺されるんだ。嫌だよ。死にたくないよ」
悲鳴をあげ続ける子の背中を撫でながら、アンジュは歯痒い思いで唇を噛みしめる。
いくらか譲って巻き込まれることは仕方ないにしても、依存というか、もはや寄生している事実が心に重くのしかかる。
その上、戦闘を見るという初体験に緊張と恐怖が身体を蝕み、さらに心に帳が下がた。
切り傷をいくつか負いながらも、最後の1人をカルロは容赦なく斬り伏せた。
共闘していた護衛たちが辺りを警戒するなか、剣についた血糊を払い、鞘に収める。
振り返って、失敗に気づいた顔で立ちすくむカルロに、アンジュはやらかしたことを悟った。
「見てたのか」
固い声で問いかけるカルロに、アンジュは壊れた機械仕掛けのように笑みを浮かべた。
「まぁ……うん、大丈夫。なんであれ、人はいつかは死ぬものだからね」
それがどんな終わり方なのかは誰も知らない。神様も知っているのかどうか。
周りを警戒していた護衛たちが子どもの安否確認の声をかけてきたところで、アンジュはさすっていた背中から手を離した。
血に汚れた自分の姿を見下ろして逡巡しているカルロに、小さく口元が綻ぶ。
自分がいかに薄情なのかは知っている。
仕方がなかったとは言え、息絶えた人たちの死を労う心はある。
それを為したカルロを恐ろしいかというとそうではなくて。
初めて見た戦いというのに拭いきれない恐れはあるけれど。
生き残るために手にした力で、守るために命を背負い、けれども両手を赤く染めたその手で近づくことを躊躇う姿がおかしくて。
その優しさが痛々しく、不憫で、いじらしい。
よろめきながら立ち上がり、カルロに駆け寄る。
半歩足をひいて、けれどもそのまま踏みとどまるカルロの背中に腕を回した。
「……汚れるぞ」
「今更」
最初にカルロが斬った人の返り血を浴びている。
洗って落ちればいいが、そうでなきゃ廃棄になるだろう。
それがなんだ。
カルロがいなければこの世界で生きることもままならない。
してもらうことはたくさんあっても、してあげることができるのは本当に僅かだ。
守らなければと奮迅するカルロにしてあげられるのは、邪魔にならないようにおとなしくしていることと。
「お疲れ様」
奮闘してくれたカルロを労うことだけ。
背中をぽんぽんと叩いて、アンジュはカルロを見上げた。
まじまじと見下ろしてくる茶色の瞳に、困惑が見える。
「お前、そんなことできたんだな」
はっと、口元を押さえたカルロ。
言葉を咀嚼していたアンジュは、眉間に皺を寄せる。
じとっと見つめて、やがてアンジュはため息を吐いた。
「いいけどね別に」
背中に回していた腕をほどいて、むくれている頬を両手でぐりぐりとつまみ回す。
それを言われたら多少、それなりに、さすがに私も拗ねる。
そういうことできなさそうな言動を普段からしているからなのは想像出来るけれども。
ちゃんと感謝の言葉は言っているつもりなんだが、伝わっていないのか、表面だけと思われているのか。
…それはあり得るな。そうだったらちょっと悲しいけれど、私はこんなに感謝しているんだぞと誇示したいとは思わない。その必要もない。
となると、そんなことでうじうじする必要性もなくなるのだが、胸にはわだかまりが残る。
むー、と喉の奥で唸りつつ自分の頬を引っ張った。
「援護を感謝する。強いんだな君は。冒険者か?」
唐突に話しかけてきた声に、頬から手を離して肩越しに顧みた。
先ほどまでカルロとともに盗賊を相手にしていた向こう側の護衛が歩み寄ってくる。
話の邪魔かなとカルロの後方に回り込んで伺うように見上げる。
手当てしていない切り傷に痛ましそうに顔を歪めた。
確かポーションがあったような、と鞄の中を覗いて、けれども空っぽの瓶に口をへの字に曲げる。
使った覚えがないから、どこかでカルロが使ったのだろうか。
それならそうと言ってくれれば、薬草を探して作ったのに。
もー、と思いながら、話をしているカルロに背を向けた。
ポーションを初めて作るときに女将に教わった特徴を思い出しながら、傍によって草を見つめる。
薬草は年中道ばたに生えている。日が当たるところよりも、日陰を好む。葉の縁はなだらかで、山のような形。表面は緑色だが、裏側はやや紫がかっている。自生している分には無臭だが、摘むと独特の匂いがするため、匂いがしないように摘んですぐに茎を焼き切るそうだ。
そうしなくても薬草として使うことは可能だが、処理をしていない分、独特の匂いはついて回るらしい。
街道から少し奥へ入ったところに、それらしい葉がある。
採ってすぐ戻る分には大丈夫そうだが何があるか分からないのが世の常。
カルロから許可が下りたら取りに行こう。
結論付けて、カルロの振り返り、動きを止めた。
お礼、なのだろうか。
さっきまで持っていなかったものがある。
自分が持っている空き瓶とよく似た瓶。
中に入っているのは、緑の液体。恐らくポーションだろう。
在庫をわけて貰ったのだろうか。
それはいいけども、本当になんの役にも立たないな。
視線を道ばたの草に戻して、しゃがみ込んだ。膝を抱えるようにして、眦を落とした。
わざわざ作らなくても手に入るのならポーション作りをする意味はいずこに。
いや、作れるなら多少なりともお金は浮く
微々たる物でも積もればそれなりの金額になるからな。
この世界の貨幣価値を一切知らないけれど、知らなくても真理は真理だ。
今は必要なかったというだけで、今後どこかで必要になるかもしれない…ということがあればいいけど。
まぁ、なかったらなかったでそれはそれとして、薬草があったほうが待機時間ができたときに時間を潰せる。
……のだが、聞いたら、必要ないって言われるかな。
ポーションあるし。どうなんだろう。
聞きたいけど、今それを聞くには気が進まないぞ。
ああ、またうじうじしてるぅぅぅぅぅ。
「アンジュ」
「ひゃい!?」
思考のどつぼにはまりかけていたアンジュはけったいな声を上げながら飛び跳ねるようにして立ちあがった。
カルロが胸元に手を置きながら息を吐く。
「はあああああ、びっくりした」
「あ、ごめんなさい」
「いや、いいんだけどな。ガルウェンさん……えぇっと、あの馬車の持ち主が、助けてくれた礼にって、街まで乗せてってくれるそうだ」
「わかった」
特に拒否する理由もないのでこくりと頷く。
「なにか気になることでもあったのか?」
「……、…………大丈夫」
薬草が、と言いかけて、でもこちらを待っている人たちの姿が視界に映り言葉を飲み込んだ。
貰ったポーションは飲んでいないのか、カルロの傷はそのままだ。
まあ、切り傷にあのポーションは過剰治療だ。自然に治癒できる程度の傷だから、化膿しなければ問題ない。
またタイミングがあったら薬草は入手しよう。
心のメモにしっかりと書きとめながら、アンジュは顔を上げた。
カルロに動く気配がなくて待っていたのだが。
物言いたげな顔をして、どこか困惑しているのが見てとれて、こてん、と首を傾げた。
「どうかした?」
「……、…………後でいい」
屈み込んだカルロに抱え上げられて、肩のところの服をしっかり掴む。
何か指摘されるようなことしただろうかと言う不安は、馬車に乗り込んだ時点で上塗りされた。
思い出したかつての記憶。まさかなと思いつつ身構えて座っていたら、案の定、酔った。
競り上がってくるものを必死に押しとどめながら、カルロの服をつつく。
「袋、ない?」
「ふくろ? どうした、顔色が悪いぞ」
「……うえっ…………酔った」
アンジュの告白にカルロたちが慌てふためく。
胃をかき回されるような気分の悪さに、アンジュは目尻に涙を浮かべながらカルロに寄りかかった。
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