第19話
一足先に洞穴の中に戻ったアンジュは座り込み、膝の上にのせた手の上に顎をのせる。
自立できるように手を打たなきゃなぁとは思っていたけれど、そろそろ本格的に動き始めないとカルロへの負担がやばいよな。
ただ、本当に五歳児に何ができる。手っ取り早いのはやはり価値あるなにかを売ってお金と変えることだ。
知識は無駄にあるから、その知識を売れることができれば恐らく相応の金額にはなる。
だが、それは今の時代にあるはずのないもの。私欲のためにこの世界にもたらしていいのかという疑問は拭えない。
それに、自らの手で実現させるほどの熱量があるかと言われるとまた別で。
権利とか特権とかも関わってきたりするのは、詳しいことはわからなくても想像はできるからやりたくない。
あくまで私は引きこもるための要素が欲しいわけであって、ぶっちゃけ自分の周りだけ整っていればそれでいい。
社会に介入していくくらいなら、あまりやっていなかったけれど、好きではあった編み物して過ごしているほうがましだ。
「…………編み物……より刺繍、は興味なかったからな。裁縫……も興味なかったな」
「なにが興味なかったって?」
「うんにゃ。なんでもない」
採集した草や実を調理する様子を眺めながらアンジュは、自分の荷物を見下ろした。
自分の手持ちは鞄と数着の着替えと、女将さんと作ったポーション。
現実的に考えて、できることといえばポーション作りくらい
すりつぶして濾すのなら、今ある道具を工夫すればできなくはない。
あとは解れているカルロの服を繕うくらいだろうか。
だが残念なことに道具がない。
理想と現実の差が悲しいなぁ。
よく、日本人は米のためならばという台詞を本で目にしたけれど、残念ながら生来の面倒くさがりには勝てないらしい。
妄想に浸って綴りたい。かつての私の
恐らくこの先もよほどのことがない限り覆ることはないだろう。
そういう意味では現代は本当に幸せだった。
仕事をやっておけば、あとどれだけ趣味に浸ろうが何も言われなかった。
どっぷりと自分の世界につかることができた。
あの至福を知っている以上、この飢餓感に私はどこまで耐えられるだろう。
耐えられるうちに手を打て、というのは頭ではわかっているけれど、道のりが遠すぎる。
仮に着手したとして、私は利権だなんだと面倒ごとには関わりたくない。丸投げできる人がほしい。
でもそこまで信頼を置ける人がいるかというといない。
そもそもそこまでの関係性を築けるかというと無理の一言に尽きる。
「もーやだ。めんどくさーい!」
「うおっ!?」
アンジュは叫びながら頭をかき回した。
大きく息を吐いたアンジュに、驚きのあまり顔を引き攣らせたカルロがそっと声をかける。
「めんどくさいって、何がだ?」
「色々あるけど、一番は自分がめんどくさいよね。悪い癖が出る」
「はあ?」
腕を地面に投げ出したアンジュは、頬を膝頭で挟んでこねくり回す。
完全に理解しがたい物を見るカルロの視線には気づかないまま、アンジュは苛立ちをぶつけるように手のひらで地面を叩いた。
「まずね、うだうだぐだぐだ言わずにやれることやれっていう段階なんだよね。先々のこと考えすぎなんだよ」
それはわかっている。わかっているが、ようはやりたくないんだよ。
なんでもいいから引きこもりたいんだよ。
「うん。知ってる。知ってるよ。知ってるならやれっていうことだよね」
「……まぁ、やんなきゃいけないなら、やれ」
「………………………………………………………………………………がんばる」
たぶん、とこぼれ落ちそうになった言葉を飲み込んだ。
精神的には一回り以上年下の子に苦労を押しつけて自分だけ甘い蜜すするわけにはいかない。
非情に頑張りたくないけれど、そこは人としてやらなきゃいけないところだ。
長い長い沈黙の後の返答に加えて、それでもアンジュは渋い顔をしている。
あの脳天気の代名詞をそこまで悩ませる問題って、何かあっただろうか。
カルロは首を傾げる。
問題だらけではあるが、彼女がそこまで頭を悩ませようなことと言えば。
「色は悪いけど、一応ちゃんと食えるからな。贅沢言うなよ」
「ん? なにが?」
目を閉じて眉間にしわを寄せていたアンジュは顔を上げる。
火にかけられた鎌の中で、湯がかれている草の煮汁に、おう、と思わず声を零した。
生々しい緑だ。森の緑が煮汁によく現れている。
食事というよりは、どちらかというと液体の薬のように見える。
時折覗く草の葉も、ただの薬を煮出すための薬草にしか見えない。
そういえば、時間的には転生したから二年は経っているが、ちゃんとした料理を食べられていた。
だが、街を出た以上、ちゃんとした食事にありつけない可能性もあるのだ。
目覚めたあの環境が理想の引きこもり環境だったなぁ、と目を細めながら、じーっと煮立った釜を眺める。
「味は保証しない」
「そこはほら、カルロのおかげで食事にありつけるほうがありがたいから」
よそられた器を受け取るのに腰を浮かせたアンジュは、受け取ったまま動きを止めた。
「どうした?」
カルロの声に、ちょっと、と言葉を濁しながら周囲を見渡す。
しばし考えた後、傍らにある、小瓶しか入っていない鞄を強いて腰を下ろした。
ないよりはましだが、それでも岩肌の硬さにお尻が痛い。
靴を脱いで敷いた鞄の上で、脚を折って膝を揃え、かかとの上にお尻をのせる。
頂いたお椀を一度地面の上に置いて手のひらを合わせる。
「いただきます」
手にした器のふちを恐る恐ると口元に近づけ。
鼻につく匂いは、雨上がりの草原を思い起こさせる。
緑色の液体を口に含んで、アンジュは硬直した。
口に広がる苦みと渋みとえぐみ。
なるほど、とアンジュは納得した。
これで保証されていたら、詐欺だと訴えたところだ。しないけど。
食べられないことはないけれど、あまり食はすすまない。
千切られた具材を口に入れ、噛んだ。
草の葉は、きしきし、というかざらざらした食感が舌につく。
これも食べられないわけではないが、好みではない。
ちらりとカルロを盗み見ると、こちらも渋い顔をしている。
器の中を見下ろして、アンジュは勢いよく汁をすする。
それでも少ししか減っていない。全部食べるまでには時間がかかりそうだ。
口をへの字に曲げて、アンジュは脚を崩した。
岩肌が痛いので立って食べたいところだが、屋台でもないのにそれはさすがに行儀が悪い。
だからといって、何度も何度ももぞもぞするのも落ち着きがない。
が、痛いものは痛い。
どうしたものかと、お尻をもぞもぞさせる。
無心で食事を詰め込んでいたカルロは、座り心地が悪そうなアンジュにそっと息をついた。
立ち上がって、不思議そうに見上げてくるアンジュのそばに寄る。
脇の下に手を挟んで抱え上げると、そのまま元の位置へ移動する。地面に座り、彼女を脚の上に降ろした。
「…………え、いや、すみません。大丈夫です我慢します」
降りようとしたアンジェリカを押さえつけて、カルロは器は自分の器をたぐり寄せる。
「あのままでいられるよりはいい」
「はいごめんなさい」
「…なんでそこまで謝るんだ?」
なんでと言われましても。
えぇ、なんで。なんで。なんでねえ?
「えーっと、落ち着きがないから?」
「それは岩肌が痛かったからだろ。まずいいから食え。時期に夜になる」
「…………はい」
こうなったらさっさと食べて避けよう。
そう心に決めて食べて、黙々と食べる。
実は結構お腹が空いていたらしく、背に腹はかえられなかったため何杯かおかわりしてしまった。
いや、カルロが食えるなら食っておけと、おかわりをよそったからというのはあるけれど。
器に残る汁をあおいだ。
すっかりふくれたお腹に満足げに息を吐いた。
器を置いて両手を合わせる。
「ごちそうさまでした。カルロ、降りる」
返答はない。身体の前に回されている腕が動く気配もない。
疑問に思って振り返ると、食べかけたまま寝ている。
「おーい」
沈黙。
「カルロさーんやーい」
軽く揺さぶってみても起きない。
持っている器と匙をなんとか引き抜いた直後、がしりと片腕でしっかり抱え込まれてしまった。
「…………まぁ、子どもは体温が高いって言うからね。抱き枕として心地がいいんだろうね、うん」
ただ、される方としては、動けないのが苦痛だ。
こういう時に限って寝られないから余計に。
幸いなことがあるとするならば、そこに愛でる対象がいることくらいか。
どこかに出かけていた蛇と梟が帰ってきて、目元を和める。
見ているだけならかわいい。
あと、捕食者と被捕食者が、なんの隔たりもなく同じ空間にいることが面白い。
じーっと凝視していると、蛇が音もなく寄ってくる。
ちろちろと赤い舌が動く。
そぉっと手を伸ばせば絡み付いてきた。
「人懐っこい蛇もいたもんだねぇ」
感嘆しながら、その体を撫でる。
撫でながらつらつらと思いを巡らせる。
引きこもりたいのに引きこもりが遠すぎてめんどくさい。
とりあえず今の目標はカルロの足手纏いにならないように頑張ること。
そのためにポーション作って、繕い物をすることから始める。
あぁ、引きこもりたいなぁ。
もぞりと動いた布団に、アンジュはびくっと体を震わせた。
「悪い、起こした」
「んー? 大丈夫」
比較的ぱっちりと目が覚めてアンジュは背伸びをした。
息を吐いて、気がついた。
立ち上がってカルロを振り返る。
「足、大丈夫?」
「……、……大丈夫だ」
そういうカルロの顔はしかめっ面だ。
大丈夫と言うことにしておいてやろう、とアンジュは体を動かす。
その腕に絡みついている白蛇は微動だにしない。
白い梟はカルロの剣を掴むようにして目を閉じていた。
普段とは違う姿勢で寝たから、随分と体が固まっている。
しかめっ面のままそろそろと足を動かすカルロは、しかし眉間にしわを寄せて静かに悶えていた。
こればかりは時間が経つのを待つしかない。
洞穴の入り口に立って、左右を見渡した。
街がどの方向にあるかはわからない。
夢であってほしいと思っていたけれど、〝明日〟が来た以上、現実なのだろう。
でも、夢ではないなら、あの後、街はどうなったのだろう。
いや、街というより、黙って出てきたから女将さんに申し訳ない。
女将さんもあとあの三人の人も無事だといいんだけど。
ちらりと洞穴を振り返ると、カルロはまだ苦々しい顔をしていた。
聞きたいことはある。でも聞いたところで今さら何ができる。
チートとか、そんなものを持っているわけじゃないし、仮にあったとしても駆使したいとは思わないし。
力があるから弱きを助けるとか、そんな崇高な精神を持ち合わせていない。
そうわかっているくせに、ないものをねだるのだから、人間というのは本当にめんどくさい。
とりあえず、今度からはちゃんとカルロの言うこと聞いて大人しくしていよう。
あんなのは二度とごめんだ。
切り替え切り替え、と自分に言い聞かせてカルロのもとに戻る。
「これからどこに行くの?」
その問いに、カルロはのそのそと出立の準備をしながら答えた。
「とりあえず、他の街を目指す」
「わかった。魔獣と遭遇したときはどうすればいい?」
街の外には魔獣がいると聞いていた。
でも実際に遭遇したことはないからどういうものか想像はつかない。
「基本的なことと言えば、背中を向けて逃げないことだな。お前のほうに魔獣の意識が向くから守りにくい」
「わかった」
熊とか猪に遭遇したときと一緒か。いや、遭遇したことないけれど。
うーん、できれば遭遇したくないな。
目の前を猪が横切っていったことは何回かあるが、それだけでもかなり心臓に悪いからなあ。
荷物を纏めたカルロの後ろを、とことことついて歩く。
しばらく歩いたところで、アンジュは鞄の中でぴくりともしない白蛇をのぞき込んだ。
どうしたの、というように鞄の口からそっと顔を出す白蛇の頭を撫でて、カルロの背中を追いかける。
梟は木々に止まりながら辺りを見渡していた。
魔獣に遭遇することなく、街道に出たカルロは迷うことなく北の方へと進む。
森の中だから慎重だったというのもあるのだろう。
道に出て、少し歩く速度があがって、アンジュは気を引き締めた。
カルロからしたら普通のペースなのかもしれないが、ついていけないこともなさそうだ。
そう思っていたのは、ほんの少し。
自分のペースで歩くよりも幾ばくか早いそれにすぐに息が切れて、アンジュは唇を舐めた。
思っていた以上にはるかに、体力がない。
散歩に出たときはそこまで疲れなかったから大丈夫だと思っていたけれど、ただの気のせいのようだ。
それでも、ててててて、とカルロの後をついて駆ける。
脇腹が痛い。膝が笑う。
一度立ち止まって、肩で大きく息を吐く。
そして、ててててて、と追いかける。
とりあえず進め、と言い聞かせていたアンジュは、じっと見下ろす視線に気づかない。
もう一度小休止を入れたとき。
不意に、身体が浮かんだ。
「に゛ゃっ!?」
「うわっ。…その叫びにびっくりしただろ」
両脇を抱えて目をすがめているカルロに、アンジュは口をへの字に曲げた。
「いきなり、もちあげる、から、でしょ」
「そりゃ悪うございました。まったく、我慢してないでちゃんと言え、ばか」
「ばかって……。……ばかであることそのものは否定できないあたりが悔しいね」
しっかりとアンジュを抱きかかえたカルロは、歩みを再開しながら肩をすくめた。
「そこは悔しがるんじゃなくて、無理するなって話だばか」
仕方ねぇなぁ、とぽんぽんとと背中を叩いた手に、アンジュは口の中で形にならない言葉を転がす。
申し訳ないような、気恥ずかしいような、情けないような。でも有り難くもあって。
小さく頬を膨らませながら、カルロの肩に顎を乗せた。
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